小さな体をすり減らすような思いで過ごした13年間と半年余りの日々が今日で終わりました。
「お世話になりました」、「お疲れさまでした」と挨拶を交わす終わり方になりませんでした。だれにも何も言わずに職場を去ってから三週間余り(この間ずっと有給休暇中でした)、
何も変わることはありませんでした。一個人の力ではどうにもなりませんでした。
社会の仕組みが弱い立場の者を守るようになっていないことを思い知らされました。
思い返せば、1.5人分、もしくは2人分労働の日々は、全身黒ずくめの服で武装しないと出社できませんでした。それぐらいきつかった、苦しかった。それでも、私がなんとかやりこなしてしまったので、雇用形態への無理解と上司が入れ替わっていく中で、オーバーワークは見過ごされ続けました。その上に卒業論文を仕上げ、その後も勉強を続けたのですから、本当によくやれたと思います。
これ以上働き続けていたらこわれちゃうよ、って妹が教えてくれたのかもしれません。
まだ終わってはいないので、納得できていないよと主張していくために、失業保険をすぐには申請しません。我慢の時が続きますが、きっと私の力を必要としてくれる所が他にあると信じて、まずはきちんと精算できるようにしたいと思います。どうなるかはわかりません。
荷物整理も少しずつ進めていきたいと思います。
ひとまず、がんばった自分にお疲れさまでした。
そして次へ向けてエネルギーをたくわえていこうと思います。
もう少し先、また東北へも行きたいと思っています。
ピンク色の花びらは、毎年一抹のさみしさを伴って夜空に咲いています。
「近代のはじまりのとき、経済面でいえば資本主義発生の時期に、労働はどういう状態にあったのだろうか、あるいは労働する人間にどのような運命がおそいかかっていたのだろうか。この時代の労働状況を考えることは、その後の労働のありかたを考えるための大切な前提になると思われる。初期近代において労働がこうむった運命はけっしてのんびりしたものではなくて、それどころか反対に相当に過酷なものであった。厳しい労働の経験を通過するなかで、徐々に近代固有の労働が形づくられていく。
近代労働はなによりも都市的現象である。農村から都市に流入してきた人々は、そのままではまだ到底労働者ではない。彼らは農民の伝統的習性を身につけていた。農村から逃れてきた民衆は、職業を求めて都市に出てきたのだが、そのままでは都市的経済が要求する身体行動を行うことはできなかった。都市の経済は、こうした民衆の農民的身体を商品経済的身体に作り直さなくてはならなかった。そして身体の転換を通して、ゆくゆくは産業経済に適応する労働的身体が作られていくであろう。」
今村仁司著『近代の労働観』(1998年発行、岩波新書、28-29頁より引用しました。)
これからも色々と書いていこうと思います。
よろしければ引き続き訪問してください。
「お世話になりました」、「お疲れさまでした」と挨拶を交わす終わり方になりませんでした。だれにも何も言わずに職場を去ってから三週間余り(この間ずっと有給休暇中でした)、
何も変わることはありませんでした。一個人の力ではどうにもなりませんでした。
社会の仕組みが弱い立場の者を守るようになっていないことを思い知らされました。
思い返せば、1.5人分、もしくは2人分労働の日々は、全身黒ずくめの服で武装しないと出社できませんでした。それぐらいきつかった、苦しかった。それでも、私がなんとかやりこなしてしまったので、雇用形態への無理解と上司が入れ替わっていく中で、オーバーワークは見過ごされ続けました。その上に卒業論文を仕上げ、その後も勉強を続けたのですから、本当によくやれたと思います。
これ以上働き続けていたらこわれちゃうよ、って妹が教えてくれたのかもしれません。
まだ終わってはいないので、納得できていないよと主張していくために、失業保険をすぐには申請しません。我慢の時が続きますが、きっと私の力を必要としてくれる所が他にあると信じて、まずはきちんと精算できるようにしたいと思います。どうなるかはわかりません。
荷物整理も少しずつ進めていきたいと思います。
ひとまず、がんばった自分にお疲れさまでした。
そして次へ向けてエネルギーをたくわえていこうと思います。
もう少し先、また東北へも行きたいと思っています。
ピンク色の花びらは、毎年一抹のさみしさを伴って夜空に咲いています。
「近代のはじまりのとき、経済面でいえば資本主義発生の時期に、労働はどういう状態にあったのだろうか、あるいは労働する人間にどのような運命がおそいかかっていたのだろうか。この時代の労働状況を考えることは、その後の労働のありかたを考えるための大切な前提になると思われる。初期近代において労働がこうむった運命はけっしてのんびりしたものではなくて、それどころか反対に相当に過酷なものであった。厳しい労働の経験を通過するなかで、徐々に近代固有の労働が形づくられていく。
近代労働はなによりも都市的現象である。農村から都市に流入してきた人々は、そのままではまだ到底労働者ではない。彼らは農民の伝統的習性を身につけていた。農村から逃れてきた民衆は、職業を求めて都市に出てきたのだが、そのままでは都市的経済が要求する身体行動を行うことはできなかった。都市の経済は、こうした民衆の農民的身体を商品経済的身体に作り直さなくてはならなかった。そして身体の転換を通して、ゆくゆくは産業経済に適応する労働的身体が作られていくであろう。」
今村仁司著『近代の労働観』(1998年発行、岩波新書、28-29頁より引用しました。)
これからも色々と書いていこうと思います。
よろしければ引き続き訪問してください。