たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

春のプリンス・エドワード島への旅_5日目

2017年10月31日 19時28分48秒 | プリンスエドワード島への旅
「2010年6月10日(木)

なんとか5時間近く眠れた。11時過ぎに寝ついたようだ。
頭痛はひどいが、気持ち前向き。変なキュッキュッとなるようなストレスから解放されて、
心は真っすぐ元気。素直な笑顔が戻った。

相当へばっているが、このままでは帰れない。がんばって北海岸ツアーに参加。
青空が広がって、20度まであがった。暑くなってくる・・・、といっても北の空。
今日もバファリンを飲んで乗り切った。

車窓から見えるどこまでも続いている穏やかな景色に、やはりシャッターを何度も押してしまう。湖も入り江も全て輝いていた。

①ダルベイバイザシー

デッキチェアに坐って湖をながめていると風の音が耳元できこえてきた。
輝く湖水、高い空、色々な形の雲、本当に遠くの雲まで見渡せる。
庭には黄色いバターカップス。
緑の木々も輝いて、なんだか幸せ・・・。


②コープヘッド灯台


③プリンス・エドワード島プリザーブカンパニー

買い物と庭の散策。
奥の方まで続いていて、目の前の湖は一段と輝き、穏やかに流れる時間。
青空の下、ベンチに坐っているとなんとも幸せな感じ。
なんだか気持ちいーっていう感じ。体はヘロヘロだが心は元気。


④赤土の道でお写真

100周年で赤毛のアン(役の女の子が)歩いている道のようだ。


⑤インディアンリバー教会(セント・メアリー教会)

木造のゴシック様式。
あたたかい感じがした。


⑥ケープ・トライオン

雨があがって2日ほど経っているせいか、赤土のぬかるみはあまり残っていなかった。
ドライバーさんの運転もgood。海も穏やかで美しい。
青空と海、水平線がどこなのかよくわからない。
遠い雲、灯台、赤土と緑、去年なんだか逃してしまった風景の写真をやっと撮った。
赤い断崖も穏やかで美しい。


⑦ブルーウィンズでアフタヌーンティー

『赤毛のアン』にヒントを得たというムーンプティングは冷やしてあるとすごくおいしかった。アンが好きで30年以上前に、(日本から)来られたそうだ。
全てが可愛くて、サンドイッチもスコーンもおいしかった。


4時過ぎにホテルに戻り、しばし休憩と荷造り。

5時半にWater coner shopでTさん、Oさんと待ち合わせて食事。

マルペクオイスター、
その日獲れた2分の1ポンドのロブスターのムール貝添え。
3人でいただいたので、量にびっくりせず、ゆっくり味わうことができた。
やっぱり美味かった。
ワインかビール、飲みたいーって感じ。
なんだかヘロヘロできついのに、自分の中に心のエネルギーが戻っているのを感じる。

一時間ほど一人で散歩してホテルへ戻る。
11時に就寝。翌朝は4時起床。
心も体も疲れ果てた状態で、実感のないまま、また一人旅に出て、きついことをさせてしまうなあ、大丈夫かなあとすごく不安だったが、現地で一緒になった方達とフォローし合って、今無事帰路の途中。
帰る場所があるからこその旅。ねじれていた心が真っすぐになっていて心地いい。
本来の私を呼び戻してくれたPEI、有難う。
またきっとがんばれる。
それにしても昨年、全く本当に一人で2回の乗り換えを往復した私ってすごい。
老眼が始まっているので空港内の電光掲示板がみえない。
もう一人はきついかな。
過酷だよね・・・。

6月11日(金)15:38 成田行きの機内にて。

ツアーをつめ込んで、今回は忙しい日程にしてしまった。
6月のPEIは花が咲き、色んな緑があって夢のように美しかった。
また、ゆっくり振り返ろう。
今は眠い・・・。」

カナダの空港で成田行きの便名が表示された電光掲示板をみるとき、心の底から帰りたくない―!って叫びたい気持ちにかられていました。

こうして読み返してみると、島にいた時のわたしは、幸せ感にあふれていたんだなあとあらためて思います。この3か月後に訪れた父とのお別れ、東日本大震災、そして母とのお別れ。この旅の思い出が心の引き出しになかったら、これでもかこれでもかと訪れる試練を乗り切れなかったでしょう。旅は、この時と思ったら少しの無理で実現可能なら行くべき。
まだまだぐちゃぐちゃですが、春のプリンス・エドワード島への旅の写真は一応チャンネルにまとまりました。見づらくって申し訳ないですが、もしお時間とご興味あればのぞいてください。



ダルベイ・バイザシーより。




春のプリンス・エドワード島はあちらもこちらも「輝く湖水」。








コープヘッドの灯台。




もうすぐケープ・トライオン岬の灯台が見えてきます。



ケープ・トライオン岬の灯台。



ケープ・トライオン岬。







シャーロットタウンへ戻る車窓からの風景。




シャーロットタウン市内、モンゴメリさんが下宿していたとされる建物。
今はお土産物屋さん。




シャーロットタウン市内、道端のバター・カップス(きんぽうげ)。




シャーロットタウン市内。











『シェイクスピアの面白さ』より(1)

2017年10月30日 19時14分56秒 | 本あれこれ
 エリザベス一世が女王として戴冠式を迎えるまでの若き日々をを描いた物語、『レディ・べス』帝国劇場にて上演中。





 「通常いわれる言い方は、シェイクスピアはいわゆるエリザベス朝に生きたということである。正しいが、正確にいうと多少の補足を必要とする。シェイクスピアの生れた1564年はエリザベス一世治世の7年目であり、1603年(シェイクスピア39歳)彼女の崩ずるまでは、たしかにエリザベス朝時代であった。だが、そのあとは継嗣がなかったので、まことに遠縁にあたるジェイムズ一世が、スコットランドからはいって王位につく。これは単に王位が変ったというだけでなく、歴史的にいえばテューダー家からスチュアート家へと、王朝の大きな変化である。しかも、あとでも多少触れる機会があるかもしれぬが、イギリスの時代相とい
うか、社会の空気というか、それがこの治世者の交替を転機として、大きく上昇線から下降線へと変化を示していることも、どうやら否定できない。そうしたことと関係があるかないかは別として、 このジェイムズ朝にはいってわずか数年すると、シェイクスピアは四十代も半ばすぎで筆を折ってしまうことになるというわけ。

 
 なんといってもシェイクスピア作品の面白さと結びつくのは、エリザベス朝の社会的雰囲気、そして思想的姿勢ということであろう。しかも、それはどうやらエリザベス一世とい う稀に見る興味深い一人の女の性格像と、決して無関係ではないように思えるのである 。

 
 とにかくこのエリザベス一世という女帝は、知れば知るほど人間としてとてつもなく面白い。あるいはシェイクスピアの作品以上に面白いといっても過言ではない。


 考えてみると、エリザベスの前半生ほど数奇という言葉がそのままあたる人間もあるまい。彼女はヘンリー八世の娘として生れた。このヘンリー八世というのがまた、英傑と悪魔とを完全に同居させたような人物だったが、エリザベス王女は生れて三年、まだ満三歳にもならないときに、その実母(アン・ブリン。ヘンリー八世の二番目の妻)は父の命によって断頭台で首をはねられている。またこえて九歳の春には、彼女が深く馴れ親しんでいた継母、すなわち父ヘンリー八世の五人目の妃が、これまた実母と同じ断頭台上におくられた。少女時代にはいっては、いくどか官廷内の陰謀事件に関連を疑われて、とかく日陰の身をかこっているが、ことに1554年に起ったある未遂の叛乱陰謀事件では、21歳の彼女までロンドン塔に送られ、その後やっと濡れ衣ははれるが、文字通り断頭台の一歩手前まで行った。もちろん当時は、王位が転げこんでくるなど思いもよらなかった。したがって、1558年25歳ではからずも王位についたなどというのも、文字通り運命の不思議というよりほかないが、ということは、この齢までの彼女は、ほとんど庶民の娘も知らぬほどの苦労と経験をなめたにちがいない。人間の運命の測り難いこと、人の心の頼りにならぬことなど、おそらくいやというほど身にしみて味わったにちがいない。そこはおどろくべき聡明な彼女である。彼女45年の治政成功の秘密の底には、明らかにこの娘時代の体験が見事に生かされていたと考えるしかない。

 
 あるシェイクスピア学者は、彼の生きた時代をイギリス史におけるもっとも悲惨な二つの内戦、いわば二つの暴風雨の間にはさまれた一つの長い晴れ間であったと要約している。そういえば、30年(1455‐85)にわたったバラ戦争の記憶は、ようやく人々の頭からうすれるとともに、来るべき清教徒革命(1642―49)の災厄は、シェイクスピアの晩年になって、ようやく無気味な予兆を現わしはじめたにすぎなかった。いわゆるエリザベス朝の興隆は、まさに文字通りこの比較的長い晴れ間の繁栄だったのである。


  もっとも、かくいえばとて、この晴れ間が完全な無風平穏の好日ばかりだったのでは、もちろんない。とりわけヘンリー八世とエリザベスとの両治世をつなぐエドワード六世、メリー女王のそれぞれ短い二つの治世は、それぞれ極端な新旧両宗教政策の強行によって、文字通り報復が報復を呼び、血で血を洗う不安と動揺の一時期であった。それだけに、エリザベスが王位につくことになったとき、イギリス国民はこぞって、国家の統一とその平和とを熱望していたといってよいが、さてその処女王は、いかにして国民のその期待を彼女一身の上にあつめたのであろうか。

 即位後まもなく、彼女が下院において行なったという有名な演説がある。その一節を引いてみると、

「わたしは、すでにイギリス国家という夫を獲たのである。わたしに子供がいないからといって咎めないでいただきたい。あなた方のすべて、わたしの血縁であり、子供であるからである。神がこの子供たちを奪いさらないかぎり、わたしは石女(うまずめ)というそしりを受けるいわれはない。もしわが墓の上に、わたしの最後の息をもって、『ここに処女として統治し、処女として逝きしエリザベス眠る』と刻まれるにしても、それはわたしの名前の思い出として、またわたしの栄光として、十分の満足である」


 これがわずか25歳の娘の発言だったのである。当時の女で25歳といえば、また彼女が王位にあるということだけでも、その結婚問題は全国民にとって多少の不安をさえまじえて
の重大関心であったはず。その関心を巧みに利用して、イギリスという国家、そしてその国民こそが「わたしの夫」だと宣言してしまったのである。まことに心憎いまでの殺し文句といわねばなるまい。そして事実、終生独身をまもったばかりか、即位当時は、相次ぐ内政の失敗による混乱、国庫の疲弊、国防力の弱化と相まって、ほとんどヨーロッパでも第二流の国家にしかすぎなかったイギリスを、わずか30年にしてヨーロッパの覇権を賭ける新興の 強大国に仕上げてしまったのである。わが明治日本の興隆期を、好むと好まないにかかわらず、明治天皇という一個の人間像と切り離して考えることが困難なように、エリザベス朝イギリスもまたこの処女王の存在を抜きにして語ることはまず不可能であろう。」


 3年半前『レディ・べス』を観劇したときは、そこまで理解しようという余裕が全くありませんでしたが、こうして読んでみるとべスの姉メアリーが王位につくと、イギリスの後ろ盾を求めてスペイン王との結婚を強く望んだこと、スペイン王の息子フェリペ皇子とメアリーが結婚することになったとき、イギリスにスペインの王は要らないと民衆が強く反発してべスの即位を強く望んだという物語の流れがしっくりときます。綾ちゃんべス、女王になるというあらがえない運命をどこかで予感しながら聡明に少女時代を過ごした感じがよく出ていて素敵でした。


シェイクスピアの面白さ (講談社文芸文庫)
中野 好夫
講談社

花組『ハンナのお花屋さん』_沁みわたっています

2017年10月29日 20時06分42秒 | 宝塚
 頭の中はまだまだお花屋さん。可愛らしいタイトルからは想像できなかった深い深いお話。じわりじわりと心の中に沁みわたってきています。来年1月末に発売予定のDVDを昨日、帝劇に行く前にキャトルレーヴで予約してきました。その頃には12月分のお給料が入っているはず。12月のカレンダーをみると、祝日と土日が重なっているので3連休なしのフル稼働。日給制のアルバイトなのでその分お給料は多くなりますがこりゃきついわ。窒息しそうになること必須、乗り切っていくためにはこんな楽しみ、心の点滴を自分に用意してあげないと無理なのでね、お花屋さんのとっても楽しそうなお写真と明日海さんクリスのエプロン姿のお写真も購入。気持ち追い詰められて窒息しそうになったときの息抜きのために必須。机の上に飾ることはできないだろうから引き出しに入れるつもりです、心の点滴ね・・・。

 2月に名前をほとんど認識できていないまま、『金色の砂漠』のライブビューイングを観たときは明日海りおさんが主人公ギィに、これ以上の役はないのではないかと思うぐらいに同化しているように思いましたが、全く正反対の役柄でこれまたクリスが明日海さんそのものにしかみえないほど同化していてすごいなと思いました。小さな仕草のひとつひとつ、指先にまで神経が行き届いていてさり気なく美しく、ここまでなりきれるものなんだと溜息がでました。高級車の前でサングラスをかけている写真やら、パソコンを立ち上げるときの銀縁眼鏡をかける姿まで、金髪がよくお似合い。カーテンコールはジーパンにお花屋さんのエプロン姿だったんだとライブビューイングであらためてびっくり。地味でキラキラ衣装でもなんでもないのに、華やかなオーラをまとっているのはさすがだと思いました。お花よりも店員さんの方が多いんじゃないかと思うぐらいにぎやかなお花屋さんの中で、「花屋の仕事は重労働~♪」と歌う場面。なかなかお一人お一人書けませんが、みなさん役柄に同化しているようにみえて、楽しんで舞台に立っているんだろうなということが伝わってきました。だからこちらも楽しくって、楽しくって。お花屋さんの仕事は仕入れのために朝がすごく早いし、冬は水の冷たさで手が荒れるし、足腰もきついと実際働いたことがある方からきいたことがあります。せまい店内、センスのいい方がお客さんのために素敵なブーケをつくったら店長の妬みをかってしまったなんていう話を、相談業務に携わっている方からきいたこともあります。ハンナのお花屋さんはそんなことありませんね。どこまでもさわやかなホワイト企業・・・。

 楽しそうなロンドンのお花屋さんの風景と幻想的なデンマークの森の中のアベルとハンナと少年クリスの風景が交錯するなかで、弟を地雷で亡くしたという設定のミア(仙名彩世さん)は、背負っているものが重すぎて苦しかったです。自分のせいで弟は死んでしまったとクリスの前で自分を責める姿に、かつての自分の姿が重なりました。妹とのお別れのあと、会社で二人分働きながら精神保健福祉士の国家試験に合格するぐらいまでしないと自分を許すことができなかったわたしも、人からみればずいぶんと重いのかなあ、きっと重いんだろうなと思いました。人が自分で自分を責め続ける姿は苦しいものですね。わたしの生きる力を信じ続けながら苦しいを受け止めてくださったカウンセラーの先生との出会いがなかったら、ここまでくることはできなかったかなあ。哀しいことだけれど人はみんな一人で生まれて一人でこの世を旅立っていくもの。でもこの世にいる間、一人で生きていくことはできません。誰かとつながりあって生きていくもの。

「人は誰も一人では何も出来なくて、人と人との関わりやつながりの中に幸せはある。そこに、少しの優しさがあれば・・・」(プログラムの中の植田景子先生のメッセージより)。

「It is not the end of the word」

 ミアがクリスとのデュエットで歌ったこの歌詞に、わたしはどんなにつらいお別れがあっても残されたものは先に逝った人の分まで生きていかなければならない、精一杯生きていくのが人なんだという想いが込められているように感じました。たぶん観劇された方、それぞれの個人的体験によって受け止め方はちがってくると思います。あくまでもわたしの感じ方。

 宝塚の舞台をこんなに身近に引き寄せて観ることになるとは思いませんでした。じわり、じわり、まだまだ想いは尽きません。インスタなどをのぞいてみると、観劇された方それぞれが共感しながら、自分を見つめ直しながら色々に想いをめぐらされているようで、宝塚の幻想的な世界観はそのままに、おしつけがましくなく社会的メッセージを込めた作品が上演されるようになったのだと実感、時代の要請ですかね。大きな組織や資本に頼るのではなく、個々人が自分はどう生きていくのかを大切に考えながら生きていく時代になっていきていると思います。

 ミアはデンマークの就労ビザをとれたのかな、ビザがなくてもクリスの仕事のパートナーとして収入を得ていいのかな、現実的な細かいことはわからないですが就労ビザを取るのって、けっこう時間と手間がかかるし大変だって大会社での就労経験でわかったのでどうなのかなあって、なんとなく思ってしまいます。ミアが経済的に自立していくのはむずかしいかな。願わくば、ミアにはクリスに幸せにしてもらうんじゃなくって自分自身で幸せになってほしいなあ。こんな、現実にたくさんいらっしゃるであろう重い役をこなされた仙名さんの力量に拍手を送りたい。宮城県名取市ご出身。故郷への想いも重ねながらミアを生きられたのかなと勝手に想像しています。

 DVDの前に音楽配信お待ちしています。通勤のお共に、つらくなったときの癒しにしたいのでぜひ、ぜひ・・・。

 オタクにしかわからない話を今日も長々と失礼しました。舞台写真は宝塚ジャーナルより転用しています。



楽しそうなお花屋さん。



クリスが幼い頃を過ごしたデンマークの森の中の家で、ミアとクリス。



エプロン姿のクリス。



ロンドンの公園でミアとクリス。



デンマークの森の中で幸せに暮らしていたハンナとアベルと少年クリス(回想シーン)、アベルの葬儀を終えて少年の日の家族をみつめるクリス。


2017年『レディ・べス』_二度目の観劇でした

2017年10月28日 23時46分13秒 | ミュージカル・舞台・映画
 2017年10月28日(土)、17時開演の公演を観劇してきました。初の平野綾さんべス、初の未来優希さんメアリー。平野さんのべスは、神々しさはないけれど、いつか自分は女王になるかもしれない、自分はイギリス国王の娘なんだという自覚と誇りを持ちながら生きてきている感じがよく出ていたと思います。山口祐一郎さん演じるアスカム先生が、姉メアリーに虐げられながらもベスが女王としてイギリスを背負って立つ日が未来への希望を予感させ、和音美桜さん演じる母アン・ブーリンが窮地に陥るたびに現れてはベスを励まし続ける流れがすごくしっくりときました。その分、嫌われ続け最期は病に倒れて亡くなる姉メアリーの哀れさが際立ったかなという感じがしました。加藤和樹さんロビン、3年半前よりも確実に歌声が安定しているし声に艶があり、すっきりとかっこよかったです。ロビンの「俺は流れ者」、歌が短くなって物足りない感じがしたのですがプログラムを読んで、上演時間が15分短くなっているとのことで納得。初演のままの方がよかったかなあと思うところもあれば、演出が変わってよりわかりやすく、はいりやすくなったのかなあと思うところもあってどちらとも言えないかな。

 古川雄大さんのフェリペ皇子はクールヘッドそのもの。涼しげにほくそえんで何を考えているんだかわからないところが魅力ね。道行く人の場面の和樹さんロビンとのデュエットダンスが絶妙でした。涼風真世さんのキャット・アシュリーは、「ベス様、曲者ですか?」と捕えられようとするベスを守る仕草が今日もオスカル様にしかみえませんでした。史実と少女漫画の世界が一体化したような物語世界。メアリーが崩御し、女王として立つことになったベスが戴冠式に臨むときには最後ロビンが「ベス」って呼びかけても、もう振り向きませんでした。女王としてイギリスと結婚することを決意したベスの背中がちょっとさみしげにみえました。綾ちゃんの、すっごく細いのに声量ある歌声がなんとも胸に響いてきて、なんどか涙がにじんでいました。エポニーヌもコンスタンチェも観ていますが、話すときの声とのギャップにびっくり。和音美桜さんのアン・ブーリンの歌声、今日も素敵でした。登場するたびに涙、儚さを感じさせると同時に幼い日に別れたベスがいつか女王として立つ日が来ることを信じて背中を押し続けている強さと優しさがにじみ出ていて涙。女王としてイギリスを繁栄に導くことになったベス。彼女が亡くなったあと、繁栄のあとの暗い社会が訪れたことが『シェイクスピアの面白さ』に書かれていたので紹介したいですが後日またあらためておいおいと、ってそんなに時間はもうなくなってきたかな。

 頭の中はまだまだお花畑。キャトルレーヴで、仕事をはじめたら窒息しそうになることは間違いないのでそんな時のために机の引き出しにしのばせておきたい楽しそうなお花屋さんの写真とか、訪問の時書類を入れるためのお花屋さんのクリアファイルとか購入。散財しましたが必要経費。3点だけに抑えました。わたしのなかで必要経費。そんな感じなので、おそくなったしこれぐらいでまたぼちぼち思い出していければと・・・。

 S列だったので、3年半前の5月に当日券で坐った補助席を今日も見つめていました。あの時とはちがうわたしで、なんとなくこれが与えられたやくわりなのかしらという仕事に足を踏み入れたわたしで『レディ・べス』という舞台と再会することができてほんとうによかったと心の底から思いました。自分を信じて、自分の心に正直に生きていく。むずかしくて大切なこと。壮大な物語を通してそんなことを教えられているのかなと平野さんベスをみながらあらためて思いました。







2017年10月『美しき氷上の妖精 浅田真央展』

2017年10月27日 19時36分34秒 | 美術館めぐり
ブログへの訪問、ありがとうございます。

 書きたい!が止まらなくなっているこの頃ですが、だんだんと時間切れが近づきつつあり、できる範囲で今のうちにと思っています。働き始めれば平日は全部グチのつぶやきになってしまうので・・・。

 『浅田真央展』の写真をチャンネルにまとめました。まだコメントを書けていませんが、真央ちゃんの笑顔、よろしかったらご覧ください。撮影OKだったのは入口と出口、会場内の『THE ICE』の写真でした。会場内には、バンクーバーオリンピックの銀メダル、世界大会の金メダル、そして真央ちゃんの汗と涙が沁み込んだスケート靴2足も展示されていました。靴の革はボロボロになっていて、踵の木にはひびが入っていて、間近でみるとこれでスケートリンクの上をジャンプするなんて一般人には考えれない身体能力で、それだけでもすごと思いました。この細い体でどれだけの重圧を背負い続け、心の中で血を流し続けてきたのだろうと思うと、あらためて涙があふれてきます。いい年をした大人たちがこんなよってたかって重圧をかけるの、みるにしのびなかった、いい加減にしろよ!って思いました。でも真央ちゃんは自分を見失わなかった、自分に正直であり続けた現役生活だったと思います。ほんとにお疲れ様でした。

 真央ちゃんの笑顔、妖精さん。

 優しさこそ、たおやかな笑顔こそ、真の強さなのだと教えられます。

 2017年10月『美しき氷上の妖精 浅田真央展』
 

花組『ハンナのお花屋さん』_Home(生きる場所)

2017年10月27日 12時00分33秒 | 宝塚
「Home(生きる場所)
 
 作詞:植田景子

 Home
 人は誰も 求め生きる
 心安らぐその場所

 「いつか、ここが自分の生きる場所だって、
  そう信じられる場所を見つけたいと思う」

 故郷離れたどり着いた
 見知らぬ街

 故郷別れ告げ知らぬ間に
 時は流れ

 どこで
 何を
 誰と生きるのか

 世界の
 どこかに
 何かが待っている

 Home
 人は誰も 求め生きる
 自分だけの その場所

 Home
 人は誰も 信じ生きる
 辿り着ける その日を

 一度の 人生
  一度の 人生
 生きる意味を
  わたしだけの 生きる場所
 心が震える
  あすはず
 真実探して
 星の数ほど 人の中で
 探し続ける
 出会えるはず その場所が
 待っている
 必ず
 Home」

『ハンナのお花屋さん』、タイトルからは想像できなかった重厚な物語で宝塚らしくないけれど、宝塚らしい幻想的な雰囲気もちゃんとある作品。ごめんなさい、そんなに期待していなかったので、意味で裏切られました。壮大な歴史物や現実にはあり得なそうな恋愛物もいいけれど、たまにはこんな身近な、等身大の人々が登場する舞台もいいのではないでしょうか。親子の確執、人生に迷ったときふと振り返る幼い日々、自分の生き方はほんとうにこれでいいのだろうか、自分は何をしたいのだろうか、これからどうやって生きていけばいいのだろうか。誰もが問いかける自分の生きる道、ほんとうの居場所、帰るべき場所。自死遺族であり、両親との突然のお別れも経験しているわたしには記憶がよびさまされてしまったところがあったけれど、舞台全体があったかくてやさしくて、一人一人、どの役も演じる花組のみなさんが美しく役に同化されていて清らかな気持ちにさせてくれました。

 好きな場面は尽きませんが、クリス(明日海りおさん)とアナベル(音くり寿さん)の二人だけの場面が、何気にすごくやさしい雰囲気でいいなあと思いました。アナベルはイギリス・サセックス州出身、バレリーナを志していたけれど怪我で挫折、ハンナのお花屋さんの前を通りかかった時、クリスの花がすごくやさしいのに惹かれてハンナのお花屋さんに就職したという設定。一生懸命に仕事にも自分にもきびしい。バレエ学校で一緒だった女性が、ロイヤルバレエ団で活躍しているニュースに心が揺れて、ついお花屋さんの仲間たちにも口がきつくなってしまったとき、二人だけになったお店の中でクリスが「アナベルのバレエがみたいなあ、踊ってみせて」と言葉をかけるのですが、アナベルに話しかけながらCDをセットするみりおさんの一連の流れるような仕草が美しって美しくって見惚れました。長い間踊っていないし踊れるかしらと不安がるアナベルに、「完璧である必要なんかないんだよ」という言葉がやさしくってあったかくって沁みました。今の自分でいいんだよ、十分なんだよと肯定してくれているようでうれしくなりました。なんだかね男前すぎますね。おどおどしながら踊り始めるアナベルのバレエが美しって客席から拍手。クリスがデンマークに戻ることになり、ロンドンのお店を任されることになったアナベルが、ほのかにクリスに恋心をいだいていたのかなと思わせる演出がさりげなくて、演じる音くり寿さんが等身大ですごくかわいかったです。かわいくて芯のある女性。素敵でした。

 デンマークに戻ったクリスがネットも駆使してフェアトレードという新しいビジネスをはじめようとするという設定にも気持ちがひかれました。発展途上国というキーワード、わたしにとって遠くて近い言葉。忘れていこうとしている大会社では、以前にも書いていますが年中、発展途上国へ出張に出かけていく社員や外注さんたちの、出張に伴う諸々の身の回りの世話や書類作成など、膨大な量のあれやこれやをやっていたので、わたし自身は一度も発展途上国に行ったことがありませんが、身近だったんですよね。働いているときは仕事で見聞きしている名前にプライベートでは目をそむけたかったけれど、もう戻ることはなくなったので一度行ってみたいなあ。ネパール、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、インドネシア、タイ、バングラデシュ・・・。カンボジアの、地雷が埋まっていて危険度が高い場所はその分会社の中で出張手当が高く設定されていました。そんなことがあって、『地雷では花をください』が登場した時、クリスの口から発展途上国のという言葉が出た時身近に感じられました。なんかね、大会社と闘いとなってしまった経験をとおして、今年に入って経験した業務をとおして、社会をみわたすと時代は変わってきていると感じます。日本はこれからますます混迷、大変な時代になってくるので、大会社に頼って生きていくのは終わりがみえてきていて、ソーシャルビジネスが必要とされるようになってきているのではないかと。

「自分の願いは第二のトーマス・キャンベルになることじゃない」(明日海さんクリス)。がっぽがっぽともうからなくってもいいじゃないか、人を蹴落としていかなくてもいいじゃないか、弱い立場の人たちが小さくつながっていけば大きなちからになるんじゃないかな。だからって自分が何できるわけでもないですが、来月半ばから一年間勉強のつもりでさらに仕事をしたら何しようかな、ってなんとく思ったりするこの頃。

 『ハンナのお花屋さん』から若干話がそれてきているかもしれませんが、わたしの中で幾重にも身近で尽きない物語。気がついたら、金と権力にモノ言わせて弱い立場の人を踏みにじることを生業としているような弁護士との闘いとなっまていた、過酷なことをさせてしまったなあとあらためて思います。そんな自分に対するいたわりのようにも思える作品。まだまだ書きたいことがありますが今日はここらあたりでおしまいにします。5月に行きましたが、仕事をスタートする前に、葉祥明美術館といわさきちひろ美術館にまた行きたいです。仕事していると疲れちゃって無理なのでね。

 来年1月3日の宝塚大劇場『ポーの一族』観劇に向けて、往路の飛行機を予約しました。マイルと引き換えたクーポン券と残額はクレジット。あとはチケットを受け取り、復路の新幹線か飛行機を予約できれば荷物を準備して行くだけ。国内線なんて10年ぶりだし、カナダまで一人旅したわたしですが久しぶりの旅で何気に高いハードル。大丈夫かなあ。この旅を目標に年内は生き延びていこうと思います。


 またまた長文、失礼しました。舞台写真はツィッターからの拾い画です。









春のプリンス・エドワード島への旅_4日目

2017年10月26日 18時13分29秒 | プリンスエドワード島への旅
 久しぶりの秋らしいさわやかな一日、荷物整理などまとまった時間がないとできなことをやろうとがんばっていますが、斜め向かいには引きこもりのおじさんがずっといるのがわかる狭い部屋に音もれに気を遣いながらずっといるのは心身共に不健康なので、電車賃を使ってもコミュニティハウスに出かけて、久しぶりにわいわいとおいしいごはんをいただきました。就労場所で誘っていただいたのをのぞけば2年近くぶりかな。まだまだ片付いていないいことやモノがたくさん、心の中には言葉があふれかえっていますが、なんとか写真整理が追いついてきつつあるので今日は旅日記を書こうと思います。

「2010年6月9日(木)

9時に組み込みツアースタート。
眼精疲労からくる頭痛がひどいのでバファリンを飲む。

ポイント・プリム灯台のあと、AMオーウェル・コーナー歴史村。
気温は13°ぐらいで寒いが心地よい青空。寒いせいか他に人はおらず静かだった。
車窓に広がる景色の美しさ、穏やかさに見とれて、何度もシャッターを切る。
寒いが青空の下で草の上に寝転んでみた。ぽっかりと浮かぶ雲、木々の枝のすき間からのぞく青空。なんだかとても幸せな気持ちになって、脳味噌が休まるのを感じる。なんとも心地よくて心穏やか。繰り返しになるが赤土と緑、青空。夢を見ているように美しく、土はあたたかだった。土のエネルギーを感じる。
映画の撮影で使われた馬車、100年前のゼネラルストア、ワンルームスクール等を見る。

午後はホテルには戻らず、そのままサマー・サイドへ。

『アンの幸福』のウィンディローズ荘のモデルになったとされる塔のある家を見る。
モンゴメリさんはサマー・サイドの街まで列車できて、小説のネタをさがしていたそうだ。
晩年、どんな思いで『アンの幸福』を書いたのだろう。

お屋敷街を少し散策。
人形工房でアンに扮して記念撮影。しばしテンションがあがる。
土産物屋は中国製が多くて買う物がなかった。

コンフェデレーションブリッジ見学後、ヴィクトリア漁村へ。
灯台も小さ目でかわいかった。

帰路、高級住宅街を(車で)通ってビクトリア・パークへ。
海は美しいが、セレブの家には感動しなかった。
車窓から眺めた小さな家々の、自分達なりの工夫を施した、根を下ろした生活感を感じる、そっちの方がいい。

なんとなく北の海に未練が残る。
ホテルで休んで、7時からデルタホテルでカントリーディナー。
ワインを飲んで疲れがでる。
外は晴れ。9時を過ぎても明るい。
ピークスワークの海辺にはまだリンゴの花が咲いていた。
少し散歩をして帰るがかなりへばっていた。
よくがんばった。

シャーロットタウン、ベストウエスタンホテル泊。
洗濯物を干したせいか、なんだかすごい臭いがする。」


ポイント・プリムの灯台。



オーウェル・コーナー歴史村から、ゼネラルストアの看板。




オーウェル・コーナー歴史村から100年前の建物と農工具かな。




オーウェル・コーナー歴史村村をあとにしてサマー・サイドへ向かう車窓からの風景。



サマー・サイドの塔のある家のモデルとされる家。
一般の方が住んでいるそうなので外観だけ。




コンフェデレーションブリッジと青空と緑と赤土。




ヴィクトリア村のかわいい灯台。



この日は写真をたくさん撮ったので、チェンネルが二つあります。
時系列でチャンネルを設定できていないのでわかりづらく、コメントを書くところまで追いついていないのですが、よろしければご覧ください。








『アンデルセンの生涯』より_人魚姫(3)

2017年10月25日 19時05分01秒 | 本あれこれ


「姫は王官に訪ねていって、愛する王子の侍女となり、相手の愛をうるべく――でなければ不死の魂はえられない ――ありったけをつくす。しかし、王子は人魚姫が自分の命を救った当人だとは知らず、口のきけない姫には、それを知らせることができない。王子は姫をかわいがりはするけれど、心の奥では、あの海辺で自分を助けてくれたと思いこんでいる未知の娘にあこがれている。そして隣国の姫がその人らしいと知って、人魚姫を伴って訪ねてゆき、それが当の娘であると知って、彼女と結婚することになる。人魚姫の願いは、自分が命を助けてやり、心からの愛をささげた相手によって、ついに裏切られたのだ。二人が婚礼をあげた翌朝は、姫は死んで海の泡になるしかない。

 それを知った人魚姫の姉たちは、自分たちの自慢の黒髪と引きかえに、例の魔女から一 本の短刀をもらってきて、それを妹に与えて言った――これで王子の心臓を刺して、その血をお前の足に受ければ、お前はまた人魚に戻れて300年を生き長らえることができるのだから、夜が明けないうちに王子を殺して、私たちのところへ戻っておいで、と。

  姫は短刀をもって王子の寝室に忍びこむが、並んで寝ている二人を見ると、どうしても王子を刺すことができない。ついに姫は短刀を波間に投げ捨てて、自分は水の泡になる覚悟で海にとびこむ。しかし、いつか姫は自分のからだが軽くなって空に漂っているのを知るのだった。そして、同じくそこらに漂っている空の精たちがいう――あなたもよい行いを続けていると、300年の後には不死の魂をえて、天上に昇って行けるのですよ、と。

  この結末は、姫にとって少しく苛酷なような気がしないでもない。自分を裏切った王子を殺すのを思い止まり、人魚に戻って300年生きることも断念した姫が、不死の魂をうるのに、なお300年を空に漂わなければならぬというのは。しかし、先に見たように、動物である人魚と人間の間には、 さらには人間と天上界の間にも、容易なことでは越えられない断絶があるとするのがキリスト教の人生観であり、それを越えるためには、それだけ大きな試練と努力が必要とされるのであった。同じ考えは、例えば『赤い靴』の女主人公イングルの虚栄心に対して、苛烈なまでの罰をこれでもかこれでもかとばかり加えている点にも、現れているだろう。

 こういうキリスト教的人生観が、アンデルセン童話を、小川未明の似た題材を扱った『 赤い蟷燭と人魚』から区別し、さらには芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の、もう一歩のところで救われそうだった悪人健陀多を、ふたたび地獄の池に転落させる、仏教的な匂いの濃い結末とも区別することになる。もちろん、どちらの童話の方が文学的にすぐれているかということは、また別の問題だ。しかし、どちらの作に現われている人生観の方が、より人間的かという点になると、やはリキリスト教の教えの方が、人間をはげまし、また慰める力をもつのは争われぬと思う。

  さきに言ったように、この作はアンデルセンの苦しい恋の経験から着想されたものだっ た。しかし彼はこの作を書く過程で、愛の本質は、相手によって愛を報いられると否とにかかわらず、いわゆる無私の愛に徹して愛しぬくことにあり、そこに救いもあることを知っ たと言えようか。こうして彼は失恋の傷手から立ち直って、新しい勇気をもってふたたび人生に立ち向うことができたのであった。彼はその後にもまた恋をして、その恋もまた失恋に終り、ついに生涯を独身で過すことになる。しかし、人生に対する愛と信頼は、最後まで失うことがなかった。『人魚姫』のような作を書きえた彼としては、それも当然であったか知れない。

  とにかく、この作を書いて後、彼の生き方は、それまでよりも一段と確固とした肯定的なものになり、作品はいっそう澄んだ、自在のものとなったのであった。」





アンデルセンの生涯 (現代教養文庫)
山室 静
社会思想社

花組『ハンナのお花屋さん』_Happiness

2017年10月24日 19時07分05秒 | 宝塚
「akanetta‏ 
@209Sofia

大戦中、宝塚が慰問公演で巡業したり、自由な演目が出来なかったような、そんなことだけは繰り返して欲しくなくて、いつも以上に真剣に投票したけど、でも、結果はそっちに近づいたんだろうな。今みたいに、公演の出来、不出来で騒いでた頃を懐かしむなんてことにだけは、なりませんように。
9:30 - 2017年10月22日 」

 こんなツィッターの投稿が目にとまりました。ライヴビューイングがあった22日の投票日、運よく台風通過が重なり、投票率が伸びなかったおかげで現政権と経団連にとってうはうはな結果となり、これからの日本を思うと暗澹たる思いになっています。(わたしは期日前投票しました。)大卒の求人が増えているのは団塊の世代が定年退職で会社からいなくなっているために人員を補充しなければならないからだし、正規職員の給与が伸びているのだとしたら、その陰には低賃金+不安定さと背中合わせで働くたくさんの非正規雇用労働者がいるわけで、非正規雇用労働者の存在がなんとかバランスを保っているだけ。日本という船はどこへ流れつこうとしているのか、ほんとうに心配です。『ハンナのお花屋さん』に込めた植田景子先生の想いが、明日海りおさんクリスの「悲しいことはもういい」という叫びが、「地雷ではなく花を植えましょう」というサニーちゃんの声が、世界中に届きますようにという気持ちをこめて今日も徒然観劇日記を書いてみたいと思います。(たぶん長いです。)


「Happiness-Some little thingsー(愛しきものに宿る幸せ)

 作詞:植田景子
 
 Happiness
 たわいないお喋り
 いつもの笑い声
 当たり前に過ぎゆく
 このひと時

 Happiness
  共に過ごした時
 愛しい思い出
 見過ごしてしまいそうな
 ささやかな出来事

 Happiness
 小さなものに宿る幸せ
 キャンドルのゆらめき
 一杯の熱い紅茶
 優しい雨音
 子猫のちっちゃな手

 誰かと出会い 心ふれあい
 誰かと別れ 気付く愛しさ

 全ての出会いこそ
 幸せのかけら
 青い鳥は そこにいる
 Happiness」


リリカルなテーマが散りばめられているだけに身近に引き寄せて考えることの多い舞台ですが、わたし自身が労働紛争を経験することとなったせいか、会社の経営を立て直そうとするアベル(芹香斗亜さん)と現場で働く移民の労働者とが対立する場面にもすごく気持ちが入ります。残念だけれど、数字が厳しくなったとき経営者と労働者は対立することになる。経営者は数字をあげるために労働者を切り捨てていく。(わたしの場合は派遣で、実際にわたしを切り捨てた大きな会社は、責任を全部派遣会社におっかぶせてまんまと逃げきりましたけどね、そういう仕組みなっているのでどうしようもなかったですけどね、それはさておき・・・)、アベルが「会社の利益を反するものはやめてもらうしかない」と経営者の顔になり険しい表情でを告げる解雇を告げる場面、ライヴビューイングの大画面だと苦悩がよくわかってつらかった。解雇された移民の現場労働者が恨みからアベルの造船所に放火し、結果的に近くに住む両親を助けようと火の海に入っていったハンナを巻き込むこととなってしまったという事実。自分がまだ小さかったとき、「会社の経営のために母を犠牲にした父(アベル)を許せなかった」という青年クリス(明日海りおさん)の苦悩の表情もつらかった。クリスの言葉がそのまま、自分の判断によってハンナを失うことになった父アベルが自分自身に向けてずっと突きつけ、責め続けてきた言葉であろうことを思うとつらかった。ハンナを失ったと知った時のアベルの「取り返しのつかないことをしてしまった、もう二度と安らぐことはない」という言葉もまたつらかった。失われた命はどんなことをしても戻ることはありません。24年前妹との突然のお別れのあと、亡骸を前にもう一度だけでいいから目をあけてほしい、ごめんね、って謝りたいと心の中で叫び続けたことを自分がいたことを思い出していました。

 劇中に老いたアベルは登場しませんが、青年クリスの言葉には、父から離れようと高校時代をスイスで過ごし、大学時代からはイギリスで暮らし続け、物理的に離れていても心の中では離れることのできないクリスの葛藤が立ち現れているように思いました。クリスの傍らには、姿はなくてもいつも父アベルがいるように感じました。個人的に、わたしは2012年にお別れした母が晩年精神疾患となったことを長い間受け入れることができずに苦しんできました。そうして国家資格をとるところまでいったのですが、実習の時施設長に言われた言葉を忘れることができません。「元夫婦というのはあるけれど、元親子というのはない、親子は途中でやめることができない。」葛藤するクリスの表情を大画面でみながらこの言葉を思い出していました。うまく言えませんが、逃れたくても逃れることのできない現実と葛藤し続けてきて、アベルが旅立った今ようやく幼い頃暮らした家に帰って来て、父アベルと、幼い頃の自分と対話しながら、迷子になったままだった自分の、本当の居場所を見つけていこうとしているんだなと。

 物語は、アベルの葬儀のあと、ハンナもクリスも知らなかった事実が叔父エーリック(高翔みずきさん)からクリスに告げられます。アベルは長い間子供ができなかった両親が救貧院から引き取って後継ぎとして育てたのだと、アベルは生まれながらに貴族の血筋をひく品の良さがあったと、アベルがきてから13年もたって自分が生まれたが両親はアベルと自分を区別するようなことはなかった、実の子として育ててくれた両親の恩に報いたくて必死に会社を立て直そうとしたんだろうと。

 ハンナ亡きあと、アベルとクリスは心通い合うことのないまま、お別れの時が訪れたけれど、こうしてクリスは必死に父を理解しようともがいてきた、遠ざかろうとしながら心はいつもアベルのそばにあり、お別れのあと、言えなかった自分(アベル)の言葉をクリスは必死にさがしている、クリスはずっとアベルと一緒に生きてきたし、これからも生きていく。ラスト、幼い頃暮らした森の中の家にやってきたミアを迎えるクリスを、アベルとハンナが見守るシーンでエンディング。アベルの人生は幸せだったのではないかと、ほっと涙が流れました。

 なにが幸せかっていう正解はどこにもなく、人それぞれですが、今年に入って経験した業務を通して、また来月半ばからやろうとしている業務を通しても同じことを感じることになるだろうと思いますが、心配してくれる人がいる、旅立ちを見送り、旅立った後も折にふれ思い出してくれる人がいる、それだけでその人の人生はYESなのではないかと、十分に幸せなのではないかと。そんな当たり前みたなことは叶わない人が社会にはたくさんいるという現実を知り、ずっと不幸としか思えなかった母の人生も十分に幸せだったのだと思うようになりました。このあたりのことは、あまりはっきりは書けませんが、普通がいちばんかけがえがなく、むずかしいことなんだと気づいた気持ちを徒然日記に書いているのでこれ以上今書くのはやめておきます。

 深読みし過ぎですかね、1幕と2幕、たっぷり3時間近くの舞台。心にぐっとはいってきた場面がまだまだあったように思います。かなり長くなってきていますがもう少しだけ・・・。


(『倉田稔『ウィーンの森の物語_中央の人々と生活』より)

「外国人はヤミ労働をする。市民権か労働許可証をもたないと、ヤミ労働になるわけである。それは一層、低賃金となる。そして、労働許可証や市民権を得るには大変である。これらのヤミ労働は経済統計には現れてこない。こうしてオーストリアでは、実際の肉体労働は外国人にやらせ、自国民はいい給料、長い休み、短時間労働を享受している。ヨーロッパの短縮で有名なのは、これが大きな原因である。外国人労働者がいなければ、ヨーロッパは経済的につぶれてしまう。それなのに、外国人を低く見ている。一方、オーストリアでは、ドイツ人だけは二重国籍をとれる。

  ヨーロッパは新しい移民時代を迎えている。アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの第三世界から膨大な移民がやってくる。オーストリアには、旧ハプスブルク帝国には、もともと多くの外国人がいたのに、それに輪をかけている。第三世界には貧困が、ヨーロッパには富と文化があるので、強い力でヨーロッパは人をひきつける。そしてヨーロッパのその富と文化は、初めから第三世界の搾取でできあがっていたのだが。」

 長文、失礼しました。稽古場写真はツィッターからの拾い画です。














 



 
 
 





『アンデルセンの生涯』より_『人魚姫』(2)

2017年10月23日 18時29分58秒 | 本あれこれ



 昨日の『ハンナのお花屋さん』の余韻がじわんときているところで、山室静さんの『人魚姫』の鑑賞と解説の続きを書こうと思います。チャットをするときのクリスのハンドルネームがアンデルセン、ミアのハンドルネームがリトルマーメイド。うまく盛り込まれています。人魚姫つながりで『スマイルマーメイド』もほんとの幸せってなんだろうなっていう、いう余韻をじわんと客席に残してくれた素敵な舞台でした。


「姫たちは15になると、海上に浮び上って外の世界を眺めることを許される。一ばん上の姉が、まず15になって海面に出て、帰ってからそこで見た美しい光景を妹たちに話す。次にはその下の姫が、その次の年にはまたその下の姫が。6人姉妹の末の娘の地上の世界へのあこがれは、こうして姉たちの報告を次から次へときくうちに、いやが上にもかきたてられる。これはたくみに末の姫、また読者の関心を盛り上げてゆく技巧で、やがて来る末の姫の美しくも悲しい体験を引き出す、よき序曲をなしている。


  いよいよ末の姫の海上へ出て行ける日が来る。海の上へ出てみると、美しい夕焼空の下に、一艘の三本マストの船が浮び、船の上では折しも王子の誕生日であかあかと灯がともり、楽隊が鳴り、ダンスがあり、さかんに花火をあげたりしている。かねてから地上の生活にあこがれていた姫の心は、いやが上にもかきたてられて、美しい王子を見ては、たちまち恋ごころに捉えられてしまう。


  そのうちに嵐が来て、王子の乗っていた船は砕け、王子は海に投げだされる。王子が死んでは大変と、姫は必死で危険を冒して助けだし、修道院の浜辺の砂の上に失神している王子を置いて、自分は岩陰に隠れて様子を見ている。王子はやがて少女たちに見出され、手当を受けて意識を回復するが、人魚姫が助けてくれたのだとは気がつかない。姫は悲しく海の家に帰るが、王子恋しさに、どうかして人間になって地上に行き、王子にあいたいと思う。祖母のいうところでは、三百年も生きられる人魚にくらべて、人間はずっと短命なのだが、不死の魂というものを持っていて、死んだあともいつまでも生きていて天国へのぼって行く。一方、人魚の生命は長いけれど、死ねばそれっきりで、海の泡になってしまうのだ、と。

  姫はそれを聞いて、たった一 日でもいいから人間になって、不死の魂をさずかり、死んでからは天国に行きたいと願う。しかし、祖母はいう――そんなことを願うものではない。人魚の方がずっと幸福なのだ。それにお前が不死の魂をえたいと思っても、それは容易なことでは得られない。誰か人間がお前を愛して、自分の父や母よりもいとしく思い、牧師さんを仲立ちにして、お前と永遠の愛を誓いあったとき、はじめてお前は人間の魂を分けてもらえるのだ。だけど、そんなことは起こりっこない。人間は二本の不恰好なつっかい棒を足とよんで自慢にして、お前の美しい魚のしっぼを醜いものと見ているのだからね、と。


  足を二本のつっかい棒と呼んでいるようなおもしろい表現もあるが、全体としてここ らの描写は、 ことに人魚と人間の区別をいっている点は 、少しく煩瑣(はんさ)で、こちたきものに感じられるか知れない。例えば小川未明の『赤い蟻燭と人魚』も、人魚と人間の 交渉を扱った作だが、そこには人間と人魚のそんな区別立てはない。人魚はそのまますっ と人間の世界にはいって行き、そこに少しの違和も生じない。ただ欲に目がぐらんだ人間の夫婦が娘を香具師(やし)に売渡すことで悲劇が起り、人魚の母親の復讐によって人間が罰せられるのだが、この悲劇と処罰においても、人間と人魚は対等に立っている。あるいは、人魚の方が人間よりも純粋で、愛情もふかく、そしてまた嵐をまき起すほどの力をもった、力強いものとさえされている ところがある。しかし、加害者である人間にも被害者である人 魚にも、浄化はなく、救いはない。だから物語は、やりどころのない憤りを残すだけだ。

  それと比べると、アンデルセンのこの作での人間と人魚は、きびしく差別され、言わ ば段階づけられているのを見落せない。くわしく見れば、それは動物としての人魚を一段と人間よりも下のものと見、人間の上にさらに天上界をおいた三段構造でダンテの『神曲』が描いている、地獄・人間界・天国に何程か対応する、キリスト教の世界観から来たもの だ。その各界は厳重に区別されていて、それぞれの世界の間には容易には越えられない断 絶があるのだ。


  だから、人魚姫が人間の世界に入るには、並々でない犠牲をはらわなければならず、人間が天国に入るのも同じことだ。それだけ、そこに悲劇がはらまれ、戦いと努力が要請され、そのはてではじめて勝利の喜びと、救いが達せられるのだ 。キリスト教の影響を深く受けているヨーロッパの文学は、原則としてすべてこういう三段構造を、底にひめているのである。『人魚姫』は『神曲』などに比べれば片々たる童話にすぎない。けれど、やはりこの基本的構造をもっているのがおもしろい。(もっとも、アンデルセンの作でもこれはやや特殊な例で、むしろ大多数の作では、人間も動物も植物も、さらには無生物さえが、同じ平面で対等に扱われている感がある。)


  さて人魚姫は、どうしても人間になりたいあまり、ごうごうと渦巻き流れている潮流を泳ぎこえて、魔女を訪ねていく。この魔女の住んでいる場所、彼女の姿、また彼女が姫の 頼みをきいて魔法の薬を作ってくれるあたりの描写は、他の誰にも真似のできないすばらしさだ。彼女の家は難破して死んだ人間の白骨でできていたとか、魔女はヒキガエルに口うつしで餌をやってい、そのだぶだぶに太った胸の上には大きな海蛇がくねっていたとか、彼女が姫の願いをきいてぞっとするような声で笑うと、ヒキガエルと蛇は下にころげ落ちてのたくった、とか。アンデルセンはたしかに 、魔女や妖精を生き生きと現前させるすばらしい 想像力をもっていたのだ。


 ことに、魔女が必要なだけに強い薬をつくるために、自分の胸をかきむしって血をまぜた上に、姫に彼女の一番の宝である美しい声を犠牲にさせたなどは、すばらしい着想だ。そしてまた、彼女がその薬を飲んで失神してしまい、やがて気がついた時には魚の尻尾が二本の脚になっていたが、その足で歩くと「一足ごとに、尖った錐(きり)か、鋭いナイフの上を踏んでゆく思いをした」というのは、すばらしいという以上に、恋をした経験がある者にとっては、胸をしめつけられる表現ではないか。それでも姫は、喜んでこの苦しみに堪えて、舞うように軽やかに足を運ぶのである。」


 長くなったてきたのでもう一回書きます。


アンデルセンの生涯 (現代教養文庫)
山室 静
社会思想社