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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

行かねばなりません

2021年11月30日 08時39分21秒 | 日記
 脳ミソにくる、人によって略仕方が違う独特の業界用語、少ないところでセク〇〇被害妄想の人がいる空気感、この状況下にこの足でほとんどこわれている自分にいくところがあるだけマシだと思って、わずかでも稼ぐために行かねばなりません。この冬を生きて越せるかどうかわかりません。土曜日からの極寒が少し和らいでいるので今日は越せるでしょう。

 昨夜小さいけれど地震、巨大な集合住宅がかすかにミシミシといいました。なんとか無事に往復できますように・・・。

『Anne of Green Gables』より_第4章Morning at Green Gables

2021年11月29日 23時50分41秒 | 『赤毛のアン』
Oh,I don,t mean just the tree:of course it,s lovely--yes,it,s radiantly lovely--it blooms as if it meant it--

but I meant everything,the garden and the orchard and the brook and the woods,the whole big dear world.

Don,t you feel as if you just loved the world on a morning like this?

And I can hear the brook laughing all the way up here.

Have you ever noticed what cheerful things brooks are?

They,re always laughing.Even in winter-time,

I,ve heard them under the ice.


「まあ、私が言ったのは桜の木だけじゃないわ。もちろん桜もきれいよ、そう、まばゆいばかりに美しいわ。まるであの木もそれを分かって咲いているみたいね。でも、全部がすばらしいのよ、庭も、果樹園も、小川も、森も、この広々とした世界のすべてが愛しいわ。おばさんは、こんな美しい朝には、世界中を愛している、っていう気にならない?私には、小川のせせらぎの笑い声がここまで聞こえるわ。おばさんは、小川がどんなに陽気か知っている?小川はいつも笑っているのよ。冬でさえ、氷の下を笑いながら流れているのよ。」

(『赤毛のアン』モンゴメリ、松本侑子訳 2000年5月25日第一刷集英社文庫より)

 6月、長い冬のあとにおとずれたプリンス・エドワード島の春、カナダの本土からはじめて島にやってきた翌日、グリーン・ゲイブルズで迎えた朝の美しさに心をうばわれたアンが。戸惑うマリラに話しかけています。生き生きとしたアンのことばには、プリンス・エドワード島を愛して、この作品を心から楽しんで書いたであろうモンゴメリさんの生命力があふれているように感じます。







小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-「「おなご」という視座-囲炉裏について」(1)

2021年11月29日 17時00分50秒 | 本あれこれ
小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-「「おなご」という視座-囲炉裏について」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/018653c956255e69ef898b4a6f0b3a1f





「重助老人が、「おらどこの、おばあさんだ、風邪ひけば、カサかぶって、横座さ、あだったもんだ。女(おなご)だって・・・」と、(おなご)だって・・・。」を一言、はさむのを忘れないように、「横座」は、おなごの座る場所ではなかった。その家のおばあさんぐらいになって座れたということかもしれない。

 (略)

「横座」のまむかいには「木尻り」があった。そこが嫁ごの場所であったが、「木尻り」はどっかりと座る場所ではなかった。立膝か中腰にかがみ込み、蒔がよくもえるように、煮物が上手に煮えるようにと、気をくばりながらいる場所であった。もちろん、「木尻り」は、木をもやす場所であったから、「横座」よりは煙もあまりこず、火も近くにあるという利点があった。

 囲炉裏(ひびと)に集う一家団らんは「木尻り」で火を燃やし続ける嫁ごによって、支えられていたといえよう。日本の農業が、おなごだぢの過重な労働によって、支えられていたと同様に。

  嫁ごの予備軍として、たえず他の娘と比較されて育ったわたしには、囲炉裏に対してのしあわせな原風景がない。囲炉裏の象徴でもある祖母がすでになく、祖母に抱かれた記憶がないせいかとも思う。田畑が暮れても、父も母も帰らなかった。腹をすかしている弟たちをなだめながらするマッチの軸木は、半分泣きたい少女のわたしの涙でしめっていた。まして、秋の農作業がおくれ、薪とりもまに合わず、木小屋にあるべき薪はいくばくもなかった。この冬が越せるかと、嘆く母を見て育った。

 囲炉裏はつらい。「姉」は「木尻り」を守り、「木尻り」にしめあげられて自死した。嫁ごのつらい忍従によって支えられた囲炉裏の団らんは、その無理によって、ほろびるものであったのかもしれない。

 囲炉裏の構図もいまや抽象でしかない。が、「家」の座敷には床の間があった。どのような会合の時にも、「床の間」を背にすることは、一種はれがましい、気の重いことでもあるから、「じャ、じャ」とためらいの所作をくり返しながら、座ることになる。

 のふる舞いの席上で、「席順」はトラブルの原因になった。後の家の父(と)っちゃんが、酔いがまわるにつれて、髭づらをいっそう怒らせて、並ぶお膳をつぎぐちと引っくり返したという話は、子らの恐怖をかきたてた。たとえ、結婚式が、市民会館や公民館になろうとも、係が神経を使うのは、「席順」であるという。「席順」は、くらしのあちことに見え隠れして、生きているといえよう。


 くらい台所には、せめて一枚のガラス窓をという願いがあって、農家は台所改善をした。囲炉裏は消えて、ガス釜、電気釜が煮炊きの主役になった。労力によってかき集めた蒔は「金銭」と引き替えに手渡される。ガスの火をどうぞ。電気もどうぞ・・・と。

 (略)

 農婦は、女手一つで、子どもを育てた。学校にも進学させ、長男は鉄道員になり、農業は継がなかった。継がなかったばかりか別の土地に一家を構えた。それだけの財力があるか否かは別にしても、いまは前借りで、マイホームをという時代である。農婦は亡くなり、農婦の建てた家には誰も住まず、田畑は放置されたままである。たまたま農婦の長男は、鉄道員であったが、たとえ、田畑を放置して、洗濯機や電気釜を作っていても、くらしはなりたつという仕組みであった。

 それで、わたしは宙吊りのままだ。火と水が買えて、他人の家の二階に棲みつくことができたその様も、また宙吊りなのだ。

 (略)

 宙吊りもまたつらい。もがいてもすがるものがない。母はどの重労働もしないから、腰はピンとしているが、「耐える」ことにかけては相当なものだと思う。宙吊りであれば、ノドも手足もしびれてくるから、いい加減、元の場所に帰ろうかと思う。それは誰だって・・・。宙吊りのままで、ガスコンロの便利さなどにあやつられていれば、忍耐の姿勢もなにやらコッケイなので、これが一番身に沁みる。

 どっかりとぬぐめでくれる囲炉裏がこいしい。囲炉裏をとりまく一家団らん。それに「村」だ「共同体」の見直しだとくればなののこと。40歳そこそこのこの国の厚生大臣までが、「三世代同居、推進めざす」(『朝日新聞』1979年8月18日)と談話の発表に至る。「高齢化社会を迎え、公共施設で老人を抱えるよりも家族内で世話できるようにするのが家庭像としても財政面からも望ましいと考えるからだ」と、そこはそれ、いずこも同様、ソン・トクを考えての発言ではあるが、「望ましい家族像」とは、ホロリとさせる。日ごろ年寄りとくらしたがらぬ若者に対する、うらみつらみを胸底にためている、わが先輩の同僚なども、それみたことかと言うだろう。

 が、囲炉裏には「横座」があり、そのまむかいに「木尻り」があった。わたしはそこに帰らない。

                                         (1982年)」
  (2012年1月6日、日本経済評論社 発行『自分の生を編む』、163-166頁より) 

 1979年8月時の40歳そこそこの厚生大臣は誰だったかとググってみると橋本龍太郎氏(1937年生まれ)でした。1997年の橋本内閣で消費税増税と地方消費税の導入を実施。ウィキペディアには、こう書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E#%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E%E5%A2%97%E7%A8%8E%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C

「産経新聞の田村秀男編集委員は、記事「カンノミクスの勘違い」の中で橋本が消費増税を実行したせいで、増税実施の翌年から、日本は長期デフレーション(平成不況・失われた20年)に突入したと評している。田村編集委員は、消費増税を実施した1997年度(平成9年度)においては、消費税収が約4兆円増えたが、2年後の1999年度(平成11年度)には、1997年度比で、所得税収と法人税収の合計額が6兆5千億もの税収減にとなったと指摘し、消費増税の効果が「たちまち吹っ飛んで現在に至る」と評している。さらに、「橋本元首相は財務省官僚の言いなりになった事を、亡くなる間際まで悔いていたと聞く。」と述べている。

1997年の消費税増税、健康保険の自己負担率引き上げ、特別減税廃止など、総額約10兆円の緊縮財政の影響や金融不況の影響もあり、1998年度には名目GDPは、前年度比マイナス2%の503兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込んで、深刻な就職氷河期、デフレーション経済が蔓延する結果になった。」

 コロナ禍であらわになったさらに希望のなくなった日本の姿よ。厚生労働大臣をつとめたことのある塩崎やすひさ氏がツィッターにこうつぶやかれています。派遣法改正を審議する厚生労働委員会での姿をみたことがあるのでまっとうなことをおっしゃっていると・・・。(ごめんなさい)

https://twitter.com/yasu_shio/status/1465167626569609218

宙組『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』-ナウオンステージより(2)

2021年11月29日 01時04分06秒 | 宝塚
宙組『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』-ナウオンステージより(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/86a77780c39ecc2c46db3be4f830250e

 シャーロキアンのみなさまのおかげでよりいっそうもりあがった『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』、苦しいながらも楽しい夏でした。苦難の日々に遠い過去のことにようにも思えます。毎日寝る前にどこまでが変形性股関節症のせいかわからないですがだるくてたまらない足をリラックスさせながら「ル・サンク」をながめています。オンデマンド配信中の『『シャーロック・ホームズ』『デリシュー』のナウオンステージより、配信終が終了していくので印象的なことばを文字起こし。コロナ禍で二手に分かれての収録。まかキキのやりとりをききながらコロコロと笑っているじゅんはなちゃんのにかあっていう笑顔は人を幸せな気持ちにさせてくれます。

🕵まかキキじゅんはなちゃんチーム

真風さんホームズ
「世界的に人気のあるキャラクターなのでとても大きなものに挑んでいっている感覚がつよい、初探偵、舞台上に部屋のセットもつくっていただいているのでさらに息づく感覚が毎日新鮮、多彩なのでいろんなことをしなければいけない、衣装ひとつ着るのも大変。舞台上で着替える場面もあるので本当に扮装している感覚、それが自分のキャラクターづくりに絡み合っていく、人やものと挑戦できるのが毎日楽しい」

じゅんはなちゃんアイリーン
「凄まじい人生を送っている女性、強さのなかにある弱さ、愚かさをかもしだいていきたい。今回お二人とよくお芝居させていただいている、毎日違う、その日その日に生きられているんだなと思う。最後お客様もすごく笑われている」

キキちゃんから「最後のシーンでじゅんさんを尊敬している、はがねの心をもっている」、真風さんから「女優魂を感じる」とツッコミ。

キキちゃんもモリアーティ
「救いようのない悪い奴、すごく楽しい、舞台にきてますます楽しい、みなさんのキィってなっている反応やホームズの推理が楽しくてワクワクする。最初の重鎮たちが起こっているところも楽しい。最後落ちるまでずっとワクワクしている、いつもはけたあと憎たらしい顔しすぎたかなと反省しているとま、いいかって思う」

真風さんホームズ
「ワトスンさんが振りまわってくれているのが楽しい、ワトスンを困らせたい、ハドスンさんも来てくれる、喋る相手ができて嬉しい、ワトスンにはっと気づいたときヨッみたいな感じ」

メアリー、アイリーン、ハドスンさん、「女性が強い」とまかキキ。

愉快な仲間たちの話-

真風さんホームズ
「レストレード警部も困らせたい、すごく最初わたしのこと探している、モリアーティっていう言い方も可愛い。お兄ちゃんが走るのちょっと大変そう、なんかつかかってくる、わたしもつっかかる。」

キキちゃんモリアーティ
「袖でいつも警部ご苦労様ですっていうとオマエのこと見張っているぞって言うけど、絶対この人には捕まえられないなって思う、オマエのことマークしているぞって言うけど絶対無理。悪い人たち、日に日に紹介する場面でいい顔して出てきてくれる、そりゃアイリーンも呆れるよねっていう感じだけど、ワクワクする、大好きなメンバー、これからまだどんどん濃くなっていくと思う」

じゅんはなちゃんアイリーン
「幕開きですっしーさんのウィリアムズ大臣からとっても大事な物とは知らずに女性の武器を使ってシュッと取ってしまう。そこまでとはモリアーティから言われるまで知らなかった」

まかキキ
「あんなに怒っているすっしーさんはじめて」

キキちゃんモリアーティ
「すっしーさん、めっちゃ怒っているのを袖できいているのも面白い。あんなに怒っているすっしーさんをみたことない。国家事業をフェイクしたゴールデンジュビリーはすごい」

真風さんホームズ
「そのおかげで大騒ぎ、女王様もお怒り。ホームズはファンが多いから女王様に頼んだりしてモリアーティに負けじとしている。さらに役を深めつついろんな役を楽しんでもらるようにがんばります」


🕵ずんそらチーム

「幕開きの見せ場に苦戦した、できた時はオオって思った。世界中にファンがいるのでどう始めていくのかが詰まっている。ワクワクする。ホームズとワトスンの部屋、先生のこだわりでかなり忠実、しかも足の踏み場が全然ない。小道具さんも細かい要望にこたえてくださる。はじめて舞台稽古の時せり上がりの前にずっと二人で物色していた。鎖が登場する場面は袖で小道具さんがすごくがんばっている。たくさんの人たちの協力で出来上がっている」

ずんちゃんワトスン
「周りに比べるとごくごく普通の常識人、いかに普通でいるかがむずかしい。メアリーとのラブロマンスが役の色を出してくれている。メアリーといる時いかに幸せでほわほわしているかで周りとの差ができる。ファンがわかっているキャラクターを再現するのはプレッシャーだけれど、そうそうって楽しんでいただきたい」

そらくんレストレード警部
「敏腕というわけではない、事件に行き詰まるとホームズのところを訪ねる、なんて図々しい奴なんだと思う。男性の可愛らしい部分も出していきたい。事件がひとつ終わったとき解決感、自分たちの手柄じゃないのに嫌味なく自分たちの手柄にする感じを出したい」

愉快な仲間たちの話-

ずんちゃんワトスン
「真風さん、ほんとうにホームズさんだと思った、ワトスン的にはピュアにすごいと思っている感じができる、ホームズに対する居方が自然に引き出される。コンビの掛け合いの中でいつも攻めになったり受け身になったりのバランスの変わっていくのがこの作品の面白いところ。ずっと同じではないのがこの作品の登場人物たちの面白いバランス。221B濃すぎる、ハドスンさんキャラ濃い、すごい残していく。メアリーはほわほわっとしているけれど芯がしっかりある、いつも察しがきいて包み込んでくれるような母性もある、いいお嫁ちゃん。モリアーティチームも濃い、モリアーティのお兄さん不思議な空気感」

そらくんレストレード警部
「スコットランドヤード、ルイマキセくんとキホウかなたくんと3人でいることが多い、絶妙なバランス、トライアングルインフェルノ。宝塚版では一応ワトスンが上司のようになっている。モリアーティチーム、みんなビジュアルがすごい、明らかに普通の人じゃない、悪役たち」

ずんちゃんワトスン
「重鎮たちも濃い、どの角度からみてもキャラの濃い面白い方々ばかりで構成された作品なのでお見逃しなきよう、よろしくお願いします」





 『デリシュー』以来ずっと食べたいと思ってきたマカロンをようやくひとついただきました。
柚味、この先自分はどうなっていくのだろうと考えると体がふるえてきますがやめましょう。できることはいまを生きることだけ、いまはいまのためにある。幸せ時間、また思い出していこうと思います。マカロンペンライトを持ちながらのダンス、ちょっとしたストレッチになり、寝る前にエアペンライトを持ちながらやるとちょっと楽しいです。



「<独自>東京都、コロナ経口薬の治験協力開始」

2021年11月28日 16時45分24秒 | 気になるニュースあれこれ
2021年11月27日付産経新聞より

「東京都が11月から、複数の製薬会社が進める臨床試験(治験)への協力を開始したことが27日、分かった。都内の宿泊療養施設で希望する患者に対し、抗寄生虫薬「イベルメクチン」などの投与を始めた。経口治療薬は新型コロナへの「真の『切り札』」(都幹部)とされ、都は治験の場を提供することで、データの収集を側面から支援する。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c75242430c8303b05ba31ca24d2c635e874da443


 ここにきてようやく少し朗報でしょうか。こんな時に国はマイナンバー〇〇〇を取得させるために巨額の予算を計上するとか、裏にはどんな利権をめぐる力が働いているのかと勘繰りたくなるようなことばかりで希望がもてません。おそすぎる感ありすぎですが、東京都にはがんばってほしいです。

またクリスマスをみつけました

2021年11月28日 01時24分30秒 | 日記
https://twitter.com/hiroshisj

「たくさんの人に注目されて咲く花も、人目につかずひっそりと咲く花も、美しさに変わりはありません。目立たないことを嘆くより、いまここに自分が生きていること自体を喜び、よりいっそう美しい花を咲かせられますように。」

『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊)



 昨夕から突然の極寒、夕方徒歩で買い物に出た時涙がでそうなほどに足がつらかったのでもう1時間以上かかるところへの往復はもう無理と思いましたがなんとか出勤して無事に帰還しました。つらい一日でした。どこにもその業界独特の略語がありますがこれまたほんとに独特の、不慣れなものにはわからない略称名、人によって略し方が違う&人によって過去の登録の仕方が違うデータを検索しながら書類を作成して印刷するという作業の繰り返し、作業自体はわかればなんてことありませんが名称がわからない、涙がにじんできました。吐きそうになりました。仕事とはかくの如く心の中で血を流しながらやるものなり。今週はほとんど稼ぎなし。来週は最低限3日、それ以上やってしまうと負担の方が大きくなりすぎるのでやれませんがもう行けないかもしれません、わかりません。この足で冬を越すことはきびしいと感じました。いや外に出る必要がなければ越せるのでしょうが自分を食わすために今は遠くても声かけてくれたところにいかなければなりません。4月末までそれをフルタイムでやることができていたのは気力に他なりません。右足股関節の軟骨がすっかりなくなってしまっているレントゲン写真をみて知ってしまったことで気力は途切れました。昨年末に購入した靴の、左だけがやたらと減っています。それだけ右をかばいながら歩いているのでしょう。体がふわふわとしています。自律神経の乱れがひどくなるとめまいや立ちくらみがするらしいですが、そうつぶやいている方をみかけましたが、今の状況下でこの足、かなりきついので自律神経も当然安定していません。いくえにもきついです。加齢による衰えがどの程度自分にはきているのかわかりませんがこの先生きのびていくには遠からず手術を決断せざるを得ないだろうと考え始めています。緊急性はないとのことで4月半ばに総合病院の予約が決まっていますが、手術のイメージをきくため早めに再受診した方がいいかもしれません。これまでの人生で手術なんて考えたことがなく十字架にかかるような恐怖感です。やらないですみならやりたくありませんが無理かなと。

 隔世遺伝により?残念ながら生まれる前から?親の中では幼少期の頃で終わったことになっているのはわたしだけではないようですが、今さらこの世にいない親を恨むわけにもいきませんがどれほど険しい道のりなのか、こんな試練をなぜして与えられるのか、よりによってコロナ暗黒時代のタイミングで、日本の希望のなさがあらわになったタイミングで、年金前倒しにしようと思ったら減額されてしまうというのに、直接命とられるわけではありませんがこんな試練あんまりや、なんでこんな苦労しなければならんのか、神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないとかそんな知らん、わたしのせいではないのですよ、知らん、ほんとに知らんのですが、悔しくってしかたないですが、清史郎君がまた帝国劇場に立つ姿を見届けるためには、ヤンミキのように10年後も20年後もイチャイチャ仲良くしているであろうまかキキを見届けていくためには手術せざるを得ないでしょう。

 子どもたちが社会の犠牲になるのはほんとうにつらい、涙がとまらなくなります。自分にできることはないのか、なにかできないか、また資格を生かしていこうと思ったら、残りの人生で人の役に立とうと思ったら動くためには手術なのでしょう。

  豪華なクリスマスケーキを買うことはできませんがみているだけでつかの間あったかい気持ちになることができます。想像するのは無料ってだいもんときいちゃんの退団公演でありましたね、想像することは自由。

 なんとか生き延びました。今夜はもうこれで眠れますように・・・。





いかねばなりません

2021年11月27日 08時35分55秒 | 日記
 不安と心配と怒りと涙であまり眠れていませんが眠剤でなんとか5時間睡眠。急に寒くなって足がきついですが、自分をくわせるために行かねばなりません。セク〇〇被害妄想を訴える人がいる空気感、なんともいたたまれません。当該者と今日は遭遇しませんがほとんど会話も人のざわめきもない、そういう空気感のせまいところで入力をつづけるというのもまた非常にきつい。近いところでみつけたいけれどこの足ではどうにもなりません。手術して40代の体力に戻れるなら嬉しいですがどうなのでしょうか。生まれつきの股関節脱臼でなくても衰えてくる年齢、気力でひっぱれるのはあと少しでしょう。

 来てくれただけでありがたいって言われるところは、それなりのわけがあるんですね、それはやりはじめてからしか当然のことながらわからない。こんなんばっかですかね。来週からわかりません。今日は行く、土曜日だから電車すいているし、帰りに日比谷のイルミネーションみにいくかな。わずかでも自分をくわせるためというその一念だけ・・・。

旅の思い出-パラオ-体験ダイビング

2021年11月27日 00時27分46秒 | 小さな旅の思い出
旅の思い出-パラオ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c2208660bf8389006d8d6e712f3d7caa

『地球の歩き方リゾート-319パラオ』より

「パラオでスキューバ初挑戦!体験ダイビング

 シュノーケリングでパラオの海をのぞき、もっと先へ行ってみたくなったら、ぜひ体験ダイビングに参加してみよう。世界中の海で開催されている体験ダイビングとはいえ、初体験が世界最高峰のダイビング・スポット・パラオという気分は格別だ。

 しかも、パラオでの体験ダイビングは、単に海の中がすばらしいというにとどまらないプラスアルファの集合体だ。まず日本人向けサービスが多いだけに、原則的には日本人、もしくは日本語の得意なスタッフが担当してくれるから言葉の心配は一切ない。しかも多くの場合がマンツーマンに近い少人数制なのでプライベート感もたっぷろ。船で無人島のビーチまで行くパターンが一般的なので、ロック・アイランド・ツアーが同時に味わえ、休憩時間にはリゾート気分にどっぷり浸れるーという具合で、パラオのいいところを一度でごっそりと味わえてしまうのである。

 ここでは、典型的なパラオ体験ダイビングツアーのポイントをおさえてみた。いかに極楽度の高いダイビング初体験となうかがおわかりいただけるはずだ。

 パラオの体験ダイビングはワンデートリップが基本。海況に問題がなければ、コロールから手軽に行かれる範囲内でのベストチョイス、ビーチと水中の天国度が最も高い無人島ガルメアウスでお香なうのが定番だ。

 コロールからガルメアウスまでは船で役30分。その間、ロック・アイランドの風景をたっぷり楽しめる。もちろんマスクからスーツにいたるまでのすべての機材はサービス側で提供・準備してくれるので、水着を着ていく以外、特別準備することはない。ランチやドリンクの準備も万全だ。

 ビーチに上陸してひと休みしたら、日陰でくつろぎながらインストラクターの説明を受ける、ここで教わるのは、海中の安全・快適に散歩するための最低限の知識と基本テクニックで、覚えなくてはいけなこと、やらなくてはいけないことは数えるほどしかないので、運動神経や体力に自信のない人や年齢が気になる人でも臆することはない。

 レクチャーがすんだら次はいよいよスーツを着こみ、海へ入ってスキューバ器材を装着。器材を使っての実践的レッスンを受ける。といっても波らしい波もない、プールと変わらない静かな海中に腰くらいまで浸かり、レギュラーターからの呼吸を試したり、耳抜き確認をする程度。問題がなければそのまま少しずつ沖へ進み、気がついたら水中世界に包まれているという次第だ。

 1回のダイビング時間はだいたい30分。サンゴや熱帯の魚たちのカラフルで不思議な姿を間近にしているうちに、あっという間に上がる時間が来る。透明度が高く、真っ白い砂の海底が広がる水中はリラックス度も高く、初ダイブの緊張感や不安感は知らぬ間に払拭されているはずだ。

 1本目のダイビングを終えたらランチタイム。美味しいお弁当を食べ終えたら、波打ち際に座って青い海をぼーっと眺めるもよし、貝拾いやヤドカリで遊ぶもよし、ヤシの葉陰でうたた寝もよし。ぜひともMDプレーヤーや読みかけの本、パレオなど、南の島気分を盛り上げてくれる小道具を用意していくことをおすすめする。かくして、パラオならではの時間に浸りきったころ、2本目のダイビングをスタートだ。1本目とはコースを変え、さらにリラックスしつつパラオの海中の魅力を垣間見られる。

 2ダイブを満喫してガルメアウスを出るのはだいたい午後2時過ぎ。そのころには、ダイビングを本格的に始めてみようという気になっている確率はきわめて高い。」
 
 迷いに迷って申し込んだ体験ダイビングはこうして書かれているほどかんたんなものではなく緊張しましたが、インストラクターさんと一緒にようやく潜ることができた海の中はサンゴが広がる中を魚が泳いでいく夢の世界でした。超初心者、たいした深さではなかったのですが自分の中では深く潜っていたような感覚。40代までの体力と気力、摩耗した右足の軟骨が戻ることはありません。摩耗しつつあるとは知らず、カバーできてしまうだけの、若いとはいいがたいですが振り返ればまだ若さがありました。海外はいろいろと状況が整わないと無理なのでこうした状況下となったことも考える合わせると思いきってよかったと思います。

 一期一会の幸せ時間、振り返りでした。

 




小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-「「おなご」という視座-囲炉裏について」(1)

2021年11月26日 17時09分51秒 | 本あれこれ
小原麗子『自分の生を編む-詩と生活記録アンソロジー』より-「むらのなかの声を聞く」(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cddfb6622f5915b530e074e7e9f30695




「囲炉裏(ひびと)には、家族が集まった。囲炉裏にもえる火にぬぐめられ、鍋に煮える食物によって、いのちをつないでいた。暖をとることも、食物の煮炊きも囲炉裏が果たした。ましてこの地は、長い長い冬をのり切らねばならない。

 人のくらしは、囲炉裏を中心に成り立っていたといえよう。

 (略)

 囲炉裏をかこんでのよもやまばなし。囲炉裏は一家団らんの象徴であった。「炉」がないのが物足りないという重助老人は、この「一家団らん」がなく物足りないと、言っているのかもしれない。

 囲炉裏のように、煙も出ず、煤で家屋が汚れる心配もなく、ガスコンロには、一度に鍋が二つもかけられる。魚も焼くことができた。スィッチを入れておくと、ご飯は炊けている。冬ながら、炬燵がありストーブがあった。すべてが備えられ、飢えもないのに、重助老人は物足りない。

 それは、田植え機械が入って、村の田植えが静かになった状況と似ていた。田植えの時期、村々をおおっている一種殺気立つまでの興奮。どなられる子ら。火がついたように泣き出す赤子もふくめて、広い水田の方々に田植えの一団があった。

 終日、水の張られた田んぼに腰をかがめての手作業は、顔もむくみ、手もはれる。そのきつい労働をはね返すほどの、高笑いとワイ談。人におくれをとるまいとする、植え手のてさばきと技。並んで畔に上がろうと、おくれた者に手をそえるなごみ。それらはすべて、「きつい労働」に、セットされてあるものだろうか。

 1953(昭和28)年、丸岡秀子氏は、その著書『女の一生』のなかに、こう書いておられる。農家の嫁は、5月の農繁期ともなれば、野良仕事に15時間。家事労働に4、5時間。約20時間ぐらい働き通しの一か月であるため、たいていの嫁は目方がへりやせるが、その「やせ方」が、いい嫁の身本とされた、と。そんな極端なことがあるかと、常識第一の世間は騒ぐだろうが、「日本の農業は、嫁をはじめ、女の過重なる労働の上になりたっている。その過重な労働は、手労働で身体をすり減らし、家にしばられて人間性もみとめられず、いわば体(てい)のいい奴隷みたいな境涯である。日本の農業は女奴隷の上になりたっている」とも、書いておられる。「奴隷」ということばにはなじめないが、わたしの母なども、その典型として生きてきたから、40歳になるかならぬうちから、腰をかがめていた。

 おなごたちを、「過重なる労働」から解放すべく購入した田植え機械は、その稼働力において、人の10倍もの力を発揮した。が、「過重なる労働」に付随する、高笑いも、なごみも、赤子の声も、共に消し去った。それは当然のことであったろう。だが、予期しないことだった。はぐらかされたようで、なにか物足りない。

 (略)

 丸岡秀子氏の「日本の農業は女奴隷の上になりたっている」ということばを「至言」と受けて、山下惣一氏は、20年たった今日の常識からすれば、隔世の感があるとしながらも、「今も、たいして変っていない」と、その著書、『いま、村は大ゆれ』(ダイヤモンド社、1987年)のなかで、言っておられる。山下氏は、水田、タバコ、ミカン作りにと、自らも農業をやってこられた方だ。「オレの女房だけには、そんな苦労はさせない。」と思ったという。が、その熱い熱い願望通りにはいかなかった。

「農村のくらしのルールは先着順の民主主義である。」と、山下氏は言う。村の言葉で、「順々送り」。つまり、「子供が生まれる。命名は親がするのではない。爺さんである。これが順々送りの論理だ。」と。「子供が生まれるころは、一番の働きざかりの年頃である。その”渡世ざかり”の者が、べんべんと子供にかかりっきりになっていては百姓はできない。」かくして「若い母親は心を鬼にして、子供を祖父母の胸に押しつける。」「若い者は農作業に精を出し、老人たちは日日を生きる張りあいを得てきた。幼い子供たちは、父母にないよさが祖父母にあることを知り、その育て親が先に死んでいく悲しみも体験する。」だから、「先着順の民主主義」には、当然「嫁は苦労するべしというある意味では陰惨な」ルールもあるのだという。その陰惨なルールは、5年も10年もつづく。それにいまの若い女性は耐えられない。ゆえに、「嫁ききん」なる社会現象を生み出しているのだと。

「社会が日日の安逸を求めて動いている中だけに、その無残な日常はいっそうきわだつ。

 農家の嫁ききんの本質は、経済的な面や労働のことよりも、むしろ、この徒弟制度にも似た暮らしのルールへの拒絶なのである。このルールが生きていく限り、農家はほろびない。そして嫁ききんは続く。このルールが破たんした時、農家の嫁ききんは解消し農家はほろびる。そして、この国の暮らしの土台は崩れる。そんな気がする。」と。

 農家の嫁のくらしを、「徒弟制度にも似た暮らし」と山下惣一氏が言い、丸岡秀子氏は、軍隊にもたとえられる場とみる。

 経営主の隊長。将校格の姑。夫は伍長で小姑たちは上等兵。親類の予備・後備兵が「初年兵」である嫁さんの働きぶりを見ている。

 農家の嫁にかぎらず、それは、職場についてもいえることだった。人事異動などで職場が変われば、なれない「仕事」の手だてを覚えること、はじめての課の人間関係になじむことで、およそ一年は、借りてきた猫のような姿勢であった。目方がへり、涙することもたびたび。それは40歳になろうとも。「仕事」の上で、目上としてあれば、いくら昼休みに、一緒に過ごそうと平らな気持で言われても、せめて昼休みだけでも、同じ課内の「和」から解放してくれと言いたいだろう。三つも四つもとび越えた日ごろあまりかかわりのない、課の同僚たちにまじって、放り投げられている自由を好むだろう。もちろん、「職場」は、「農家の嫁」の比ではなかったが、異動は4年おきぐらいでなされる。そのようにして、人は確かに、人の痛さを知る。

 (略)

「日本の農業は嫁をはじめ女の過重なる労働の上になりたっている」という認識においては、丸岡秀子氏も、山下惣一氏も変わりなかった。が、丸岡氏は、1953(昭和28)年に「嫁」の身に象徴される、過重な労働と、しばられている身からの解放をと叫び、1978(昭和53)年の地点で、山下氏は、「嫁」は苦労すべしという徒弟制度にも似た暮らしがなくなれば農家はほろびるのだと、とらえている。この差異の深さは、おふたりが主張される25年間の隔たりの、どのあたりに由来するのだろう。

「兼業農家では嫁をめぐってのいさかいが非常に少ない。もめごとが起きるのはきまって専業農家である。」という。「嫁」の身がいささかなりと、解放にむかえば、農家がほろぶとは予期しないことだった。かりに、予期できたとしても、もちろん「解放」の質が問われるべきだろう。

 きつい労働からの解放をと願って購入した田植え機械が、農村からにぎやかな田植え風景をも消し去った。そのことに、またしても思いが走る。」

                          →続く

(2012年1月6日、日本経済評論社 発行『自分の生を編む』、158-162頁より) 

『あさの絵本』

2021年11月26日 01時01分20秒 | 本あれこれ


 谷川俊太郎/詩、吉村和敏/写真『あさ/朝』の大型本、『あさの絵本』が10年ぶりに重版となったそうです。吉村さんがブログに書かれています。

「あさの絵本」重版・YouTubeの動画
https://kaz-yoshimura.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-f82683.html

 わたしは『あさ/朝』を持っています。2011年4月29日付の吉村さんのサイン入り。東日本大震災のあと、不安と恐怖におののきながら池袋で開催された吉村さんの講演会に出向き、終了後のサイン会でサインしてもらいました。プリンス・エドワード島、ケベック、ノバ・スコシアで撮影された美しい東カナダの風景と谷川俊太郎さんの詩。大会社にいくのがつらくてつらくて仕方なかったころの朝、電車の中で開いていました。いつか子どもたちに絵本のよみきかせをしたいというのは数年前からのわたしのささやかな、叶いそうにない夢。

 つらいニュース、不安なニュース、心配なニュース、怒りを禁じえないニュース、そして生まれる前からの右足股関節脱臼で緊急性はないものの手術をしないかぎりこの先生きのびていくのはきびしいであろう事実に心が疲れきってしまっています。体がすごく疲れているはずなのに頭と心はさらに疲れてしまっているようです。眠らなければならない時ほど眠ることができず、ウトウト夢をみつづけています。今夜は眠れるように谷川俊太郎さんの詩で一日を終わりたいと思います。

「-朝のリレー-

 カムチャツカの若者が

 きりんの夢を見ているとき

 メキシコの娘は

 朝もやの中でバスを待っている

 ニューヨークの少女が

 ほほえみながら寝がえりをうつとき

 ローマの少年は

 柱頭(ちゅうとう)を染める朝陽にウィンクする

 この地球では

 いつもどこかで朝がはじまっている


 ぼくらは朝をリレーするのだ

 経度から経度へ

 そうしていわば交替で地球を守る


 眠る前のひととき耳をすますと

 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

 それはあたなの送った朝を

 誰かがしっかり受けとめた証拠なのだ」