一年前下書き保存したままになっていた記事の投稿。
お時間とご興味があれば・・・。
2019年4月19日:2015年『ルーヴル美術館展』_「鏡の前の女」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0da9779dcc8779c7a16c48b48b812419
色々と整理していてまだ書けていなかったなあと思い出した美術館めぐりをまた書こうと思います。忙しすぎました、がんばりすぎました。こうして書くことで少しずつ消化し、前に進んでいくことができる・・・はず・・・。
2015年4月16日、六本木にある国立新美術館で開かれていた『ルーヴル美術館展』を訪れました。ブログを読み返すと、わたし、そんなつもりは全くなかった大会社の弁護士との闘いで疲弊しきってどうにもならなくなってしまった頃でした。ここまで立ち直ってくることができたので、もうそこをえぐりだすつもりはありません。ずっと書きたかった思い出し日記をようやく少し・・・。
実際に訪れたパリのルーブル美術館は迷宮でした。とてつもなく広く、全作品を鑑賞しようと思ったら近くに滞在して何か月かかるっていう日本人ガイドさんの話だったかな、絵を鑑賞するには一日に一室のペースがいいそうです。なのでこうして飛行機にのって日本までやってきてくれたの、ほんとにありがたい。美術館を訪れることも大切な心のエネルギーチャージ。
『ルーヴル美術館展
日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
2015年2月21日(sat.)‐6月1日国立新美術館(mon.)』
クエンティン・マセイス《両替商とその妻》
1514年、油彩/板 70.5×67㎝
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門
-勤勉という日常-
「人物に大きな存在感をもたらしている狭まった枠組みの中で、半身像で描かれた二人の人物がテーブルの後ろに座っている。二人の配置は完璧な対称を成している。散らばった真珠や宝石、金貨を目の前に、男はこれらの財産を測っているところで、その様子は、聖母子の挿絵でそれとわかる聖書を読んでいた彼の妻の気をそらしている。前景に描かれた鏡はフランドル絵画の中では流行の、作品の外側の世界との結合を生み出す手法であり、鏡の中には窓の前に描かれた一人の人物の姿が映っている。右側の細く開けられた扉からは、一人の青年と老人が語り合っている姿が見える。色彩(緑と赤の対比)とボリュームと同時に、オブジェの描写に認められる綿密さによってもたらされた懐古主義から、この絵が実はファン・エイクの紛失した作品を模倣したものではないかと言う説がかつて生まれたことがある。
15世紀後半は、北方ヨーロッパにおける風景・日常生活の場面や肖像画といった風俗画の普及によって特徴づけられている。日常生活の道徳的な描写によって、画家は人間の不徳や生命の儚さなどを告発した。このジャンルにおける先駆者と見なされているマサイスの作品の中では、明らかにこれらの要素に重点が置かれている。ここでは夫の前に散らばる金、真珠(色欲の象徴)や宝石の誘惑が、彼の妻を聖書の読解という精神的活動からそらせている。背景に配されたオブジェは、入念に選び抜かれ、作品の持つ道徳的な要素を強調している。火の消された蝋燭と棚の上の果実は、本質的な罪の暗示で、腐敗を予告し死を喚起している。水差しとぶら下がったロザリオは、聖母の純潔を象徴している。さらに小さな木箱は、女神が隠れた宝石箱を表現している。この場面は、特にマリウス・ファン・レイメルスワールといった画家やその他の数々の作品の中でも登場している。」
(ルーブル美術館公式HPより)
2015年3月30日に訪れた東急文化村の『ボッティチェリとルネサンス展-フィレンツェの富と美』に「高利貸し」という作品の模写がありました。1540年頃の作品。テーマが似通っていると思うのではじめは同じ絵?とびっくりしました。手元の聖書から目をそらして貴金属を測る夫の手元をのぞき込む妻の目つきがいやらしくて、いやなものを暗示しています。
『ボッティチェリとルネサンス展-フィレンツェの富と美』の「高利貸し」
2015年4月25日:ボッティチェリとルネサンス_フィレンツェの富と美
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e76d4f1523efb10a905a57c3d771b4f2
『ルーヴル美術館展』、最大の目玉はフェルメールの『天文学者』、初来日でした。
ヨハネス・フェルメール《天文学者》
1668年、油彩/カンヴァス 51×45cm
パリ、ルーブル美術館 絵画部門
-探求という日常-
「1668年、フェルメールは《天文学者》に制作年を入れた。1656年の《取り持ち女》以来、初めての年記入りの作品である。そして翌年には、その対となる《地理学者》に1669と記した。書斎の学者を描いたこれら2点の作品は、1660年代に画家が好んだテーマ、すなわち家庭の女性のテーマとは異なる。天文学者は長いローブを着て机に腰掛けている。彼の前には天球儀、天体の位置を測定するのに用いた天体観測儀、コンパス、幾何学図形の載った頁を開いた書物など、数学と幾何学と天文学の関係を示唆する物が置かれている。伸ばした手の先にある天球儀は、フェルメールの地図の場合と同じように、地図製作者ヨードクス・ホンディウスが1618年に作成したものに間違いない。同様に、テーブル上の書物のタイトルもわかっている。フラーネケル出身の数学者アードリアーン・メティウスの『天文学・地理学案内書』(アムステルダム、1621年)である。モーゼは、ファラオの娘により育てられ、「エジプト人のあらゆる教育を受けた」(使徒言行録7:22)と記されており、17世紀にはなお科学と結びつけられていた。フェルメールの時代には、モーセの科学はギリシャの科学よりも古く、優れていると考えられていた。この絵は、かくして、近代と古代の両方の科学を暗示しているのである。
対となる作品《地理学者》では、やはりゆったりとした部屋着を身につけた男がディヴァイダーを持って立ち、書物と地図を積み上げた机越しに窓の外を見ている。(略) フェルメールが突如としてこうした主題に向ったという事実から、一部の研究者は、これら2点の作品は注文によって制作されたに違いないと推測した。」
(2008年『フェルメール展』公式カタログより)
会場で配布されていたルーヴル美術館展ジュニアガイドによると部屋着は「日本の上着」と呼ばれていて、着物をまねしたモノで、裕福な人たちに大人気、長髪も当時の知識人に流行したスタイルとのこと。少し離れたところから眺めると、部屋着と布のブルーが美しい絵でした。天文学者がなぜか城たんに(城田優)みえてしまうのはわたしだけ・・・?
国立西洋美術館長 馬渕明子よりメッセージ
https://www.nmwa.go.jp/jp/information/whats-new.html#news20200414
新国立美術館 館長からのメッセージ(臨時休館にあたって)
https://www.nact.jp/message-from-the-director-general.html
お時間とご興味があれば・・・。
2019年4月19日:2015年『ルーヴル美術館展』_「鏡の前の女」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0da9779dcc8779c7a16c48b48b812419
色々と整理していてまだ書けていなかったなあと思い出した美術館めぐりをまた書こうと思います。忙しすぎました、がんばりすぎました。こうして書くことで少しずつ消化し、前に進んでいくことができる・・・はず・・・。
2015年4月16日、六本木にある国立新美術館で開かれていた『ルーヴル美術館展』を訪れました。ブログを読み返すと、わたし、そんなつもりは全くなかった大会社の弁護士との闘いで疲弊しきってどうにもならなくなってしまった頃でした。ここまで立ち直ってくることができたので、もうそこをえぐりだすつもりはありません。ずっと書きたかった思い出し日記をようやく少し・・・。
実際に訪れたパリのルーブル美術館は迷宮でした。とてつもなく広く、全作品を鑑賞しようと思ったら近くに滞在して何か月かかるっていう日本人ガイドさんの話だったかな、絵を鑑賞するには一日に一室のペースがいいそうです。なのでこうして飛行機にのって日本までやってきてくれたの、ほんとにありがたい。美術館を訪れることも大切な心のエネルギーチャージ。
『ルーヴル美術館展
日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
2015年2月21日(sat.)‐6月1日国立新美術館(mon.)』
クエンティン・マセイス《両替商とその妻》
1514年、油彩/板 70.5×67㎝
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門
-勤勉という日常-
「人物に大きな存在感をもたらしている狭まった枠組みの中で、半身像で描かれた二人の人物がテーブルの後ろに座っている。二人の配置は完璧な対称を成している。散らばった真珠や宝石、金貨を目の前に、男はこれらの財産を測っているところで、その様子は、聖母子の挿絵でそれとわかる聖書を読んでいた彼の妻の気をそらしている。前景に描かれた鏡はフランドル絵画の中では流行の、作品の外側の世界との結合を生み出す手法であり、鏡の中には窓の前に描かれた一人の人物の姿が映っている。右側の細く開けられた扉からは、一人の青年と老人が語り合っている姿が見える。色彩(緑と赤の対比)とボリュームと同時に、オブジェの描写に認められる綿密さによってもたらされた懐古主義から、この絵が実はファン・エイクの紛失した作品を模倣したものではないかと言う説がかつて生まれたことがある。
15世紀後半は、北方ヨーロッパにおける風景・日常生活の場面や肖像画といった風俗画の普及によって特徴づけられている。日常生活の道徳的な描写によって、画家は人間の不徳や生命の儚さなどを告発した。このジャンルにおける先駆者と見なされているマサイスの作品の中では、明らかにこれらの要素に重点が置かれている。ここでは夫の前に散らばる金、真珠(色欲の象徴)や宝石の誘惑が、彼の妻を聖書の読解という精神的活動からそらせている。背景に配されたオブジェは、入念に選び抜かれ、作品の持つ道徳的な要素を強調している。火の消された蝋燭と棚の上の果実は、本質的な罪の暗示で、腐敗を予告し死を喚起している。水差しとぶら下がったロザリオは、聖母の純潔を象徴している。さらに小さな木箱は、女神が隠れた宝石箱を表現している。この場面は、特にマリウス・ファン・レイメルスワールといった画家やその他の数々の作品の中でも登場している。」
(ルーブル美術館公式HPより)
2015年3月30日に訪れた東急文化村の『ボッティチェリとルネサンス展-フィレンツェの富と美』に「高利貸し」という作品の模写がありました。1540年頃の作品。テーマが似通っていると思うのではじめは同じ絵?とびっくりしました。手元の聖書から目をそらして貴金属を測る夫の手元をのぞき込む妻の目つきがいやらしくて、いやなものを暗示しています。
『ボッティチェリとルネサンス展-フィレンツェの富と美』の「高利貸し」
2015年4月25日:ボッティチェリとルネサンス_フィレンツェの富と美
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e76d4f1523efb10a905a57c3d771b4f2
『ルーヴル美術館展』、最大の目玉はフェルメールの『天文学者』、初来日でした。
ヨハネス・フェルメール《天文学者》
1668年、油彩/カンヴァス 51×45cm
パリ、ルーブル美術館 絵画部門
-探求という日常-
「1668年、フェルメールは《天文学者》に制作年を入れた。1656年の《取り持ち女》以来、初めての年記入りの作品である。そして翌年には、その対となる《地理学者》に1669と記した。書斎の学者を描いたこれら2点の作品は、1660年代に画家が好んだテーマ、すなわち家庭の女性のテーマとは異なる。天文学者は長いローブを着て机に腰掛けている。彼の前には天球儀、天体の位置を測定するのに用いた天体観測儀、コンパス、幾何学図形の載った頁を開いた書物など、数学と幾何学と天文学の関係を示唆する物が置かれている。伸ばした手の先にある天球儀は、フェルメールの地図の場合と同じように、地図製作者ヨードクス・ホンディウスが1618年に作成したものに間違いない。同様に、テーブル上の書物のタイトルもわかっている。フラーネケル出身の数学者アードリアーン・メティウスの『天文学・地理学案内書』(アムステルダム、1621年)である。モーゼは、ファラオの娘により育てられ、「エジプト人のあらゆる教育を受けた」(使徒言行録7:22)と記されており、17世紀にはなお科学と結びつけられていた。フェルメールの時代には、モーセの科学はギリシャの科学よりも古く、優れていると考えられていた。この絵は、かくして、近代と古代の両方の科学を暗示しているのである。
対となる作品《地理学者》では、やはりゆったりとした部屋着を身につけた男がディヴァイダーを持って立ち、書物と地図を積み上げた机越しに窓の外を見ている。(略) フェルメールが突如としてこうした主題に向ったという事実から、一部の研究者は、これら2点の作品は注文によって制作されたに違いないと推測した。」
(2008年『フェルメール展』公式カタログより)
会場で配布されていたルーヴル美術館展ジュニアガイドによると部屋着は「日本の上着」と呼ばれていて、着物をまねしたモノで、裕福な人たちに大人気、長髪も当時の知識人に流行したスタイルとのこと。少し離れたところから眺めると、部屋着と布のブルーが美しい絵でした。天文学者がなぜか城たんに(城田優)みえてしまうのはわたしだけ・・・?
国立西洋美術館長 馬渕明子よりメッセージ
https://www.nmwa.go.jp/jp/information/whats-new.html#news20200414
新国立美術館 館長からのメッセージ(臨時休館にあたって)
https://www.nact.jp/message-from-the-director-general.html