たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

1月の終わり・・・

2020年01月31日 22時58分20秒 | 日記
 1月の終わり、極寒の折り返しは過ぎたのでしょうか。寒いですが花粉は飛び始めたようです。確実に季節は動いています。自転車に乗るとき寒いので山歩き用のパンツをはいているのですが腰がちがちで動かず着脱がきつくてきつくて涙でそうになりながらの日々。道路は危険がいっぱいすぎて朝も帰りも命が縮んでしまような心持ち、夜は疲れた体で自転車をおしながら坂を上っているとびゅんと車が降りてくるので昨夜も冷や汗、真っ暗なところを自転車がいるとかドライバーはたぶん全く思っていないのでとばしてくるからちょっと気持ちが緩むとほんとに危ない、いつ交通事故の被害者と加害者のどちらになってもおかしくない環境の中、なんとか無事に一週間生き延びることができました。業務ではシステムに振り回されるとイラっときてしまうし被害者意識満タンでかかってくる電話にも内心イラっときてしまうし、ここにルールに従えばわたしがやることではないはずのこと職員がしっかりしないからわたしがやらざるを得なかったしているんですけどなと思うとイラっときてしまうし、火曜日は休んだので4日間稼働だったのにやっぱり長い一週間でした。疲れました。

 金曜日の夜、テレビをつける習慣は数年前に忘れ去ったのでパソコンとタブレット端末がお友達。疲れたところへSNSにあふれているごひいきさんたちの笑顔にヘンなテンションになってしまうのはわたしだけではないみたいでみょうな安心感。自分がウイルスに感染しないか心配ですがそれよりも舞台に立つごひいきさんたちが感染しないかとしんぱいになってしまうのがオタク。気がつけば昨年10月の大千穐楽の備忘録もまだ書ききれていないし、画像の整理もほとんど追いついていないのですが一週間余りで梅田芸術劇場初遠征、日比谷より近いですが行ったことないのでドキドキ、火曜日の大劇場日帰りバスツアーの帰路、高速道路からみえた大観覧車は梅田芸術劇場の近くなのかな、駅おりたら観覧車とは反対方向をめざすとネットにあったので目印になりそう。ライブビューイング会場になっている大阪の映画館なんかもみえたりするとテンションあがります。
 
 東西どちらかの中心部に住まない限り移動の交通費はかかりますね。オタクがいちばんかかるのはチケット代ではなく交通費と宿泊費、全日空と日本航空とアパホテルがそれで売り上げを出しているのだとか。地方民はこうしてみんな東に西にと遠征しているんですね。そう簡単には住めないですもんね。オタクにとって観劇は人生に必要なことだからなくても出せるかぎりは出しますね。この世にいる間しか会えないし。

 わたし、4月1日付採用の求人情報がどんどんでてきているのをみると焦りますがまたどこかに旅立たないかぎり通勤が無理なわけで今はまだどこに住むか決めることができないので身動きとれずです。次に旅だったら戻る家はなくなる、戻る場所ではない、もう戻ることはないのだという覚悟で旅立とうとしているので準備の時間は必要。焦るまいぞ、今はあと2カ月を無事に全することを目指すのみです。

(画像はツイッターから拾っています。)

『ニュージーズ』の制作発表記者会見、咲妃みゆさんのインスタグラムには加藤清史郎君・憲史郎君とのショットが。加藤兄弟、すっかりイケコファミリーの一員だし、こんな日がこようとはなんだか感慨深くて涙なりそうです。




ファーストコンサート、生オケというぜいたくさに宝塚OGとトートダンサーお二人とのダンス共演が楽しみすぎる。ペンライトは恥ずかしいので買わないと思いますが年齢なんかいいのいいの、たぶん同世代はたくさんいらっしゃる。気にしないで楽しもう、その日をめざして来週を生き延びよう、明日新幹線をネットで予約しよう。日曜日、普段より朝が早くなるけど体動かすのですよ、次の日一応有給休暇申請予定、予定どおりなら4連休・・・。




『ニュージーズ』

2020年01月30日 22時58分00秒 | ミュージカル・舞台・映画
 ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』のビジュアル解禁、18歳になった加藤清史郎君、かっこいい。主演の京本大我さんは25歳になったのか、2015年と2016年の『エリザベート』でルドルフやっていた時はとにかく線が細かったけどたのもしくなってきた。『るろうに剣心』で影の剣心を演じていて身体能力の高さに驚いた松岡広大さんもかっこいい。咲妃みゆさん、霧矢広夢さん、松平健さんと共演キャストも豪華。

 日生劇場、梅田芸術劇場、どちらでチケットを申し込むか迷うところ。梅田芸術劇場、もうすぐはじめて遠征します。新大阪駅から地下鉄御堂筋線にのりかえて二つ目の中津でおりて地上に出たら歩いている人にきくのがどうやらいちばんわかりやすい、出口さえ出れば大丈夫そうだとわかりました。梅田界隈、駅が多すぎで阪急とついたホテルが3つもあるからわからないのか。東京よりもチケットは断然とりやすそう。無事開拓できたら行きやすいのでしょうか。チケット発売日までに決めなければ。心の逃げ場所としてわたしの人生に観劇は必要。4月から失業者になるけどこれは行きたい、行く!

あと2カ月と一日となりました

2020年01月30日 19時00分34秒 | 日記
 今年は暖冬と言われるのがわたしには幸い、家からの通勤もあわせて苦しいこと尽くしの郷里での職業生活、1月は31日まであるので長いです。明日ようやく月末であと2カ月と1日の稼働となりました。決してあっという間なんかではない、ここまで長かったです、苦しかったです。ここで援助職へと踏み出さなくてほんとうによかったと思います。地域性に馴染めない所でやれる仕事ではないので電話で怒られてすむ内勤なだけまだましでした。残念ですがもう一度足を踏み入れたいという気持ちになることは全くできません。ここまできてもクオリティなんだなかあ、こんな基本的なことをわざわざ会議で言われないとやれないのかな、引き継ぎ受けてないからわからない、担当でないからわからないと平気で言えるチームワークどうなっているの・・・地域性によるものなのか、なんなのか相変わらず不思議で仕方ありません。ただ色々な場面で地方と首都圏はすごく違うのだと感じる毎日。なんだか居心地がよくない、ほんとうにまた戻ることができるのか今はわかりません。今すぐではないですが帰る場所はなくなる、いや8年前母が突然あっちの世界へいったときから実はなくなっていたのです、気づかなかっただけ。これから自分のためだけの居場所さがし、兄弟はあかの他人でそれぞれの人生、それでいいのだと思います。家壊すのにどれだけかかるのかなあ、仏壇はどうするんだろう、気がかりはもっとも大きな荷物である家の断捨離、家賃負担なく広い家に住むことができるのに残念ですけどね場所が悪すぎて暮らし続けることはできない。わたしが選びとることはできなかった出自、妹の自死と母の統合失調症は客観的にみて過酷な人生だと思います。どうしてだかわかりませんが神様はわたしを選んでそういう人生を与えました。自分では選び取ることができなかった、与えられた環境のなかで自分を信じてなんとか生き抜いていくしかないです。小池先生のことばを信じるながら、幸不幸の分量は人によってすごく違うようにみえて実はさほどかわらないわけで、わたしはまだそこをわかってはいませんが、人はそれぞれで抱えているものがなにかしらあるわけで外からみているだけではわからないものがそれぞれの内にある。比べることにはなんの意味もない、それぞれなのだろうと思います。自分を信じて今を生きて行く、それしかないのだろうと思います。

 今夜雨の予報だったのは消えました。10日間の予報をみると気温一桁台の日があるのでまだまだ寒いです。母が逝った2月の半ば極寒でした。通夜も告別式も一周忌も寒かった、寒かった、日3.11の大きな揺れにおそわれた日も寒かったことを今も思い出します。交通事故の被害者にも加害者にもなることなく一日一日無事に生き延びていけますように、今はそれだけ。

 苦しいです、正直郷里の生活は想定をはるかにこえて苦しいです。宝塚大劇場に日帰りで行けるという特典がなかったらたぶんとっくにおかしくなっている、いやもうすでにおかしいかもですがメンタルやられている人たちの中できつい仕事しているのだから仕方ないです。

 あと2カ月と1日・・・。

雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』(2)

2020年01月29日 22時38分10秒 | 宝塚
 小池修一郎先生、昨日は加藤清史郎君が出演する『ニュージーズ』の制作発表記者会見に出席されたんですね、相変わらずのひっぱりだこ、清史郎君が青年ルドルフ、ヴォルフガングとして帝国劇場の舞台に戻ってくるときはぜひ演出していただきたいと勝手に願っています。この世を旅立つとき悔いがないよう、何をしていようと5月の日生劇場か6月の梅田芸術劇場に行こうと心に決めています。非日常の中に身をゆだねる時間は人生に必要、観劇はわたしの人生に必要なのだと昨日あらためて心の底から思いました。

 マックスを裏切って銀行襲撃を警察に知らせてしまった自分を責め続けながら田舎でひっそりと25年間くらしてきたヌードルスと銀行襲撃で死んだかにみえたところをジミーに助けられ高い地位にのぼりつめるも労働組合の指導者へとのしあがったジミーとの癒着をマスコミに報道されて追い詰められ最後は自ら銃を撃って果てるマックス、誰も勝っていないし、負けてもいない、勝者も敗者もいない、ユダヤ系移民という、自分では選び取ることができなかった出自による悔しさ、社会への憎しみを胸に、ただ生きづらい社会を精一杯生き抜いた人たちがいる、それだけ。いつか皇帝になる、いつか皇后になる、とでっかい夢や野望にあふれた10代の少年、少女。なににでもなれる、なんでもできるように思えた10代、誰もが通り過ぎた道。やがてそれぞれ行く道が分かれ、人生はそれぞれ全く違うものになっていきます。いつかいつかとの思いは叶わないまま、いつしか風化し、40代、50代になると自分は人生の敗者なのか、勝者なのか、自分よりも不幸な奴はいるのかを確かめるために学年同窓会などというのは開かれるものなのかはしれない、などつらつら考えていました。


第12場ベイリー長官(マックス)の書斎
陽の当たる場所へと辿り着きたい一心で、必死に生きてきた仲間たちとの日々・・・。
全てが明らかになった今、ヌードルスに確かな友情と愛が鮮明に蘇る-。

「ONCE UPON A TIME IN AMERICA

おお ダビデの星よ
迷える魂を 導き給え


振り返れば
青春は 甘く熱い思いばかり
ほとばしり 溢れ散る
二度と戻らぬ時よ

共と戯れ
愛を求め
走り叫び涙した日々
夢と憧れ
痛みと哀しみ
背中合わせの
歓びと不幸

過ぎた日々の
全て抱き締め
記憶の彼方に蘇る
ONCE UPON A TIME IN AMERICA」


 ヌードルスの歌声が広い大劇場に沁みわたるエンディングでした。

 生きることはむずかしい、生きることはたたかい、10代から50代まで、決してあっという間ではなくもがきながら必死に生き抜いた長い刻(とき)。

どんな時代だったのか、少しおさらい。

1920年:アメリカ禁酒法の実施(日本は大正9年、株価大暴落による戦後恐慌がおこる)

1923年:(日本は大正12年、関東大震災、虎の門事件)

1929年:ニューヨーク市場大暴落、世界恐慌(日本は昭和4年、4.16事件、共産党員一斉検挙
小林多喜二「蟹工船」発表・発禁に、阪急百貨店開店)

ローラ・インガルス・ワイルダーがシリーズの第一巻『大きな森の小さな家』が発行されたのは1932年、世界恐慌による厭世的な暗い社会の中で、汗水流してまじめに働くことの価値と喜び、家族のために生きるすばらしさをアメリカの人々に思い出させ大評判となりました。


キャトルレーヴ、一幕ラストシーンをイメージしたディスプレイが素敵でした。
デボラのために用意した薔薇の花びらに囲まれて、デボラが去ったあと苦悩の表情を浮かべながらソファに身をゆだねるヌードルス、宝塚ならではの、唯一無二の美しい世界観。









バスが早めに到着したので久しぶりに楽屋口の方へ行ってみました。普通にタカラジェンヌさんたちが宝塚駅の方へ歩いていく姿に出会えるのはさすが本場。星組の紫月音寧さんとすれ違いました、舞台化粧でなくても目鼻立ちのはっきりしたお顔立ち、自転車でさっそうと楽屋口をあとにされました。タカラジェンヌも自転車通勤するんだ、楽屋口からはみえないどこかに駐輪場があるんだあと妙な感動。車に気をつけていただければと思います。




雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』

2020年01月29日 01時34分44秒 | 宝塚
 2020年1月28日(火)15時公演、2階席5列目、客席と銀橋がわりと近くに感じられたし、ミラーボールが回るのもよくみえました。予備知識ほぼゼロで観劇。長い人生の時間軸、複雑な人間関係に十分ついていくことができたとはいえずなかなかに難しいと思いました。大劇場千穐楽ライブビューイング、締め日もあり行くことは無理なのですがもう一回みるとより理解できるかな。わたしの中で小池修一郎先生の大劇場デビュー作『華麗なるギャツビー』が重なりました。ギャツビーは移民ではありませんが、裏社会に手を染めながらも少年時代に愛した人をいつまでも思い続ける純粋さがヌードルスと共通するものがあるなあと勝手に思いながらみていました。ギャツビーも禁酒法が施行されていた1920年代のアメリカのニューヨークが舞台。東京宝塚劇場で観劇したときこの脚本家天才だと思いました。1991年のことでした。ブログに書いていました。

2917年3月4日:なつかしの雪組『華麗なるギャツビー』https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b49635ee8a582bea83e744cf4eb48590

 観劇後プログラムに書かれた小池修一郎先生のことばが沁みました。

「あなたは、親友やライバルだと思っていた人が遠い先に進んでしまい、嫉妬でも羨望でもなく「棲む世界が違うんだ」と、自分を納得させて生きた経験はないだろうか?何十年か経ち、互いの歩みを振り返ると、商社も敗者も、幸不幸の分量はそうたいして変わらないことが判って来る。しかし、それには、かなり長い時間が必要である。」

「40年以上の歳月を経て「宝塚入団は間違いではなかった」と遠く離れた親友に誇りを持って答えられるようになった。
 それだけの時間が必要だった。
 人生とは、そんなものかも知れない。」

 宝塚を代表する脚本家・演出家となってヒット作を次々と生み出し、東宝の舞台でも大作を手がける小池先生も自分の人生はほんとうにこれでよかったのだろうかと思い惑うことが繰り返しあったのかなと勝手に想像。舞台をみながら先生の中に流れた人生の刻(とき)を感じました。『華麗なるギャツビー』から29年という歳月を生きてきた今だからこその渋い作品でした。一幕ラストが真っ赤な薔薇に囲まれたセットの中での望海風斗さん演じるヌードルスの独白で終わるのは小池先生としては意表をつく展開、デボラのために用意したバラの花びらがまかれたソファにすわり、デボラが去っていってしまったあと苦悩の表情で幕がおりるという陳美的な世界。映画は4時間近くあり難解なものだそうですが、長くてわかりづらい物語をここまでまとめあげた小池先生の演出の手腕、やっぱりすごい。

 国をもたないユダヤ移民であるヌードルスとマックス、少年時代に出会った二人はそれぞれニューヨークの摩天楼のいちばんてっぺんを支配するという大きな夢をいだきます。いつか皇帝に、いつかデボラは皇后に。若さがはじけ希望にみちあふれる少年時代。アメリカを敵として闘おうとします。連邦準備銀行の襲撃に失敗して命をおとしたかにみえたマックスはジミーの手助けでベイリー長官として高い地位に就きながら今は破滅寸前、警察に事前に情報をもらしたことを悔やみながら田舎でひっそりと暮らしてきたヌードルスは25年ぶりでマックスに再会した時にいう「俺もお前もこのアメリカという国で精一杯生きてきた」ということばが全てなのかもしれません。10代の頃には夢にあふれていた若者がいつしか生きる道をたがえるようになりマックスは成功者となったのか、そして落ち詰めら最後はみずからを銃で撃って最期をとげます。10だから50代まで長い人生の刻(とき)を英がいた物語。

ヌードルスも天涯孤独。わたし、父も母もふいにあっちの世界へ逝ってしまって気がついたらいなくなっていたし、3.11で突然の大きな揺れにおそわれて一瞬これで自分は死ぬのかなと思った時から、明日のことは誰にもわからない、いつ何が起こるかわからない、明日死ぬかもしれないと思いながら毎日を生きるようになりました。今を生きるのみ、終わってみればあっけないものなのかもしれないですが人生という刻(とき)を生き抜いていくことはたやすいことではないし人生という刻(とき)は短くないと思いました。

 望海風斗さん、男役としては背丈にめぐまれているとはいえないと思いますがスーツが似合う背中で語る男役を極めてきたなあと思いました。真彩希帆ちゃんは背中で語る娘役の美しさの極み。細すぎですがドレス姿がいずれもすごく綺麗で特に背中と横のシルエットが美しいな思いました。お二人のデュエットダンス、たしかな技術に裏打ちされた美しい世界観の極み。無理にリフトせずともとは思いましたが、かっこいいフィナーレナンバーの振付はどなたかと思ってプログラムをみると、KAORIaliveさん、小池作品に欠かせません。

 真彩ちゃん演じるデボラがブロードウェイデビューしたときのドレスの裾が大きく広がった豪華なピンク色のドレス『1789バスティーユの恋人たち』のアントワネット、あるいはラブネバ-ダイで「愛は死なず」をうたうクリスティーヌを彷彿とさせました。衣装が豪華。たしかいエルハポンの衣装代もこちらに回っているかも・・・。」


 11時公演が終わってから大劇場はたった1時間の休憩で15時公演、これをほぼ毎日一カ月、このあと東京に行きます。タカラジェンヌ、ほんとにすごい。無事に駆け抜けられますように・・・。

 明日水曜日なんですよね、朝2時間の時間給とっていますがさっさと家を出ないとつらいことになる。こうして郷里にいれば東も西も時間とお金をかければ行くことができるといえばできるのですがこのままいられないというわたしの現実。




完成が近づいてきた宝塚ホテル。この世にいる間に2泊ぐらいして手塚治虫記念館、宝塚ミュージアム、大劇場レビューショップをゆっくりみたいです。この世にいる間に必ず・・・。


 


生きるってむずかしい

2020年01月27日 19時28分00秒 | 日記
 昨夕お風呂屋さんで体重計にのってみたらまた40㌔すれすれにところまで落ちてしまったかもしれません。こわくてまともに測れませんでした。擦り切れてしまいました。慣れない生活に一人で都心に暮らしていた時よりもすり減ってしまいました。わたしが郷里に対して完全にもう心を閉ざしているからですが、どこにいっても居心地がわるくて帰ってこなければよかったとむせびなきました。兄弟は他人、母がとつぜんあっちの世界へいってしまった8年前、天涯孤独となり、郷里は帰る場所ではなくなったことに気づかず、カウンセラーの先生の助言にしたがって母の名義になっていた土地と家、弟が自分一人の名義にしようとしていたところに無理やり自分の名前もいれてもらいました。今さらおりるとは言えないか、でも一週間前、「俺は出ていく、自分の居場所をみつけろ!」と言われたとき、「神奈川に戻りたい、戻る」と断言したからわたしもデカい家をもういらないことわかったかしらね。4月に入ったらまた失業者となり居場所がなくなることを考えると本当はいますぐ戻りたい、一日も早く戻りたい。でもまだ契約終了まであるし、自分と妹の荷物をもう少し整理したい。そうしたら納得できる。それ以上はわたしの手に負えないのでもう所有権も放棄したい。車がすべてを決める郷里でわたしは生きられないとわかったのだからもういいや、潔くいらない。仏壇なんてどうやって処分するんでしょうね、ただの粗大ごみ、家財処分一式というわけにはいかないでしょう、全部処分する道のりは険しいです。わたしの手にはこれ以上負えないので弟がお金だして処分すればいいと思います。30年余り前家を建て替えたとき、たぶん順番通りに入って次の代まで受け継がれていくという想定のもとに父と母は仏間をもうけました。まさかそれから2‐3年あとぐらいかな、いちばん先に妹が入ることになるなどだれが予想できたでしょう、家族が幸せにくらすために建て替えたはずだったデカい家、母がはりきって建てたデカい家、親がいなくないればただの荷物、遺った二人が協力しあって生きて行きましょうとはなりませんでした。切ないですね、すごく切ないです。統合失調症を発症してからも医療保護入院の期間以外はこの家にいたいと母はがんばった、母のための家でがんばった家であっちの世界へ行けたのだから母は幸せだったのだと思うことにしましょう。母が幸せだったかどうかは母にしかわからないのでわたしがそうやって納得するほかありません。生きることに正解はなくむずかしいですね。むずかしいです、ほんとに・・・。

 帰省がここまで自分を追いつめることになることを全く想定できませんでした。つらつら考えると自分はここに合わない性分、だから逃げ出したのだということを自分でようやく納得。今も適齢期ということばが郷里近郊では生きているのでしょうか、わかりませんが30数年前わたしがいわゆる適齢期だったころ、どこからきたのかわかりませんがある日知らないおばさんが、「お宅に年頃の娘さんがいるときいたので見に来た」と突然玄関にあがりこんでしばらくわたしの顔を見ていきました。母はそういうとき上手くやれる人ではないのでそのおばさんがわたしの顔を見ている間無言で和裁を続けていました。気がきく人ならお茶を出して話をするものなのでしょうか。わたしはなんと失礼な、さっさと追っ払ってくれよって内心思いましたがなにも言えませんでした。お見合いらしきことを一応したこともなんどかありました。高校時代の同級生が今でいう婚活に必死になり、結婚にこぎつけてルンルンしている様子をみながら、こんなことは自分に合わない、ぱっぴらごめんだと思いました。母が統合失調症を発症したので一緒にいるのがつらかったこともあり逃げ出しました。駅から近い暮らしへの憧れとスクーリングでなんども訪れたことのなる街へ逃げましたがしばらくしたら帰ろうかという中途半端な心持ちで、でも気がついたら30年が過ぎました。そのまま逃げ続けて全うするべきでした。集合住宅の大家がヘンな人でなく、隣にチャラ坊が越してこなくて引きこもりのオッサンもいなかったら賃貸契約の更新してましたかね、今さらそんなことを考えも仕方ないですね、今は少しでも荷物を減らしてまた旅立つ準備をすることだけ考えませう。失業者になってからの辛さは考えない、考えない。

 どこにいってもここは自分の居場所ではないのだという気持ちにしかなれないわたしは疲れ果てたさみしいへんなばあさんにしかみえないんでしょうね、お風呂屋さんでも然り。外のつぼふろに入っていたとき、すぐ近くにいた若い女の子の二人連れにじっと見られました。「見た?」「わたしも見たよ」っていう会話がきこえてきました。中ではおばさんたちにじっと見られました。お店に入ってもじっと見られる、電車の中でもじっと見られる。一瞥をくれるとかじゃなく、見る時はじっと見る。地方はどこもこういうものなのか他は暮らしたことがないのでわかりませんがこの地域性がいやでたまりません。だから病気になってしまう人だって実際にいる。わたしの中に母と同じ病気を発症する素はあると思いますが人は環境によってつくられます。この地域性だめなので母と同じ病気になる前にまた逃げ出そうと思います。

 明日は帰省した最大の納得、宝塚大劇場日帰りバスツアー、いつもより朝が早いし、眠剤のんでるので気持ち悪いの大丈夫かなあ、帰りがどうしても遅くなるので明後日の朝時間給とることにしましたが弟がたぶん夜勤で朝いるのなら鉢合わせになるのでゆっくりできない。どうなるんでしょうか。極寒の自転車はなおいっそう辛い。とにかく今夜は休まねば。そろそろ電車が少しは乗りやすくなっている頃でしょうか、電車も揺れ方がすごすぎてこれまた体にこたえる。今は無事に生き延びていくことを考えるのみ・・・。


描くことを深く愛した人 いわさきちひろ

2020年01月26日 17時41分49秒 | いわさきちひろさん






2018年11月3日(土)~2019年1月31日(木) ちひろ美術館・東京
企画展示「作家で、母で つくる そだてる 長島有里枝」

展示室1 描くことを深く愛した人 いわさきちひろ

「ちひろさんが子どもの絵をたくさん残していることについて、母親だから、という見方もあるでしょう。でも私は、ちひろさん自身が子どもの心を持っていたからではないか、と思うのです。というのも、彼女が描いた子どもたちの多くは、笑ってこちらを見るなどの大人が求める子どもの姿ではありません。その目線はまるで、自分を見ているかのように対等です。作家であり、母であり、女性である。そういう意味で私とちひろさんには共通点がある、ともいえますが、私が最も共感を覚えるのは作家としての彼女です。好きなことを続けるには、自分を信じるしかないから、人にも寛容になれるのかもしれない。ちひろさんのやわらかさがそのようなものだとしたら、ちひろさんが「絵を描くことを深く愛した人」だったことに注目すべきだと思うのです。長島有里枝」

(『いわさきちひろ生誕100年Life Chihiro Iwasaki 100(ちひろ美術館)より』)


 帰省をひかえた2018年11月15日に訪れました。郷里は自分が暮らせないところだって全くわかっていなかった、家賃の心配なく穏やかな日々が待っていると勘違いしていました。遠くなってしまいました。4月に馴染んだ場所を訪れる折にまたちひろさんに会いに行きたいです。








宙組『エルハポン-イスパニアのサムライ』『アクアヴィーテ』東京宝塚劇場

2020年01月25日 14時36分42秒 | 宝塚
2014年1月4日(土):宙組『イスパニアのサムライ』『アクアヴィーテ』東京宝塚劇場_楽しかった
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/34e1299709ac301d3d5fb222ce1c03b6

ショー『アクアヴィーテ』、トップコンビのデュエットダンスの場面(第23場キングローズとクイーンローズによる妖艶なデュエットダンスが、一夜のパーティーの終わりを告げる)、キキちゃん(芹香斗亜さん)が英語で歌っている曲がどこかでなんども聴いたことあるけどわからず大劇場からずっともやもやしていたところ、SNSで「男が女を愛する時」という曲だとわかりました。ウィキペディアで検索しました。

「「男が女を愛する時」(原題: When a Man Loves a Woman)は、アメリカ合衆国の歌手、パーシー・スレッジが1966年にデビュー・シングルとして発表した楽曲[6][7]。アメリカの総合チャートであるBillboard Hot 100と、『ビルボード』誌のR&Bシングル・チャートの両方で1位を獲得し、後に多くのアーティストによってカヴァーされた。1991年にはマイケル・ボルトンによるカヴァーもBillboard Hot 100で1位を獲得している。 」

  1983年にコスモ石油のCMで流れていたとのこと。だからなんども聴いたことがあるのでした。お店などでも流れていて知らず知らず馴染んでいるのかもしれませんね。キキちゃんが全編英語で歌い上げた歌詞、こちらのサイトよりお借りしました。

http://jp.lyricbus.com/uta/kashi/when-a-man-loves-a-woman/209113.aspx

「When a man loves a woman, can’t keep his mind on nothing else
 He’d change the world for the good things he’s found
 If she is bad, he can’t see it, she can do no wrong
 Turn his back on his best friend if he put her down

 When a man loves a woman, spend his very last dime
 Trying to hold on to what he needs
 He’d give up all of his comforts and sleep out in the rain
 If she says that’s the way it ought to be

 Well this man loves you, woman
 Give you everything I can
 Trying to hold on to your high class love
 Baby, please don’t treat me bad

 When a man loves a woman, deep down in his soul
 She can bring him such misery
 If she plays him for a fool, he’s the last one to know
 Loving eyes can never see

 When a man loves a woman, she can do no wrong
 She can never look another man
 When a man loves a woman, hey hey I know exactly how he feels
 ’cause baby baby you are my girl

 When a man loves a woman」

 読売新聞に掲載されたキキちゃんのインタビュー記事
「元々の楽譜に音符があまり書かれていなくてびっくりしました。
感情のまま高低をつける部分が多いのだそうです。一つ一つ分析して自分なりの楽譜を作ってみたら細かくなってしまい大変でしたが、今は気持ちよく歌っています。」

 余裕と貫禄で歌う最強の二番手、こんな努力に裏打ちされた力は花組時代よりもさらに上がっている。真風涼帆さんとの並びはお互いのよいところをさらに引き出しあえる関係性で、宙組にきてキキちゃんのいいところがさらに存分に生かされているのでよかったなあと個人的には思います。

 長身でスタイリッシュな宙組のカッコよさを存分に発揮している『アクアヴィーテ』、オープニングで男役さんたちがカウンターバーにみたてた舞台装置の台から次々と降りてくる場面のかっこいいことかっこいいこと、そして真打ちの真風さんがスーツ姿でグラスを傾けながらせり上がってくる演出、かっこいいの極み。東京公演の二日目にして大劇場からのさらなる進化をもっとも感じたのはエトワールかもしれません。どなたかとプログラムをみると、小春之(こはるの)さよさんという娘役さん、うたうまさん、美しい歌声。初の抜擢で大劇場の時はかなり緊張していたのかな。東京にきて柔らかくさらに美しく声が劇場に響いていました。

 芝居『イスパニアのサムライ』、歌広場淳さんが観劇後ツィッターであつく語っているのを読んで、わたしはこの作品なかなかに面白いと思ったので嬉しいです。完全オリジナル作品への評価、どうしてもなかなかに厳しくなりがちな昨今でしょうか。大野先生がマニアックな博識にこだわりつつ、史実をゆがめることなくつくりあげた虚構の世界のなかでトップスターを引き立てつつ、上級生から下級生のひとりひとりにまで細かく役を振って生かしきり、宝塚らしい世界観をみせようと創り上げた努力がすごくみえる作品だと思います。道化師が登場するところがお気に入り、途中でお化粧変えたり工夫しながら楽しみながらやっているのかな。藤九郎の和希そらさんが顔を隠したままの群舞の場面からひとりだけ所作やら明らかに違うので正体を明かした時はなるほどという納得の成長ぶり。桜木みなとさんのひねくれものエリアスも成長を感じました。最後大団円になるとキキちゃんのアレハンドロさんと仲良くなっていたかな。誰も死なないハッピーエンド、幸せなわたしの初詣でした。

 抜群の安定感で魅せてくれる今の宙組、次回が真風さんトップとして大劇場五作目、たぶん今だけの一期一会。ライブビューイング、人口密度低いから当たるでしょう。赤坂ACTシアターがすごく遠くなってしまったので上田久美子先生の『フライング・サパー』のライブビューイングも期待しています。








コンビニスィーツがしみました

2020年01月24日 23時45分28秒 | 日記
 金曜日、長い一週間が終わりました。最寄り駅近くの、牛乳を購入するために寄ったコンビニでスィーツも購入。食べてしまったので写真とくにありませんがイチゴのクレープ。疲れきった脳みそにしみました。おでんも大好きで買いました。レシートの抽選でヨーグルトもゲット。デパートよりもお値打ちでおいしいですね、ありがたいなあとしみじみ。極寒の季節、5日間フル勤務はやはりきついです。業務のむずかしさにうえに家から通勤のきつさがどんとのっかっているのできつい、きつい。交通事故の被害者になってしまったとき相手方にそのすじの弁護士がついたりして命が無事だったとしてもとんでもなく大変なことになってしまうことを知っているので、なんとか車にぶつかられることなく過ぎてほんとうによかったです。毎日冷や汗。

 朝から電話でどたばたしました。大元から年の一回の、書類の提出を促す書面が最近発送されたようで問い合わせ先としてわたしの席の近くの電話番号が記載されているからなのか問い合わせが入りましたが、どんな書面が発送されたのか知らされていないのでわかりません。わからないまま、あたふたと職員にきいてこういう内容のことをきかれているのかと理解して答えるいうことが二回ほどありました。相手はプロなのでなんにも知らないの見透かされてもいやだなあと思いました。こういう書面を発送したとせめてインフォメーションがないとわからないよー、疲れました。夕方は高齢女性と堂々めぐり。電話だけで説明して理解してもらうにはむずかしいことを説明するのに、何十回も同じことを繰り返す以上ことばを持ち合わせておらず終わりませんでした。職員が替わってくれましたがやっぱり終わりませんでした。なにがわからないのかを理解することができず振り出しに戻るの繰り返し。無理なんだよなあ。子どもから電話もらって説明して理解してもらい子どもから話してもらうということで決着したようです。むずかしい、ほんとにむずかしいと思いました。気がついたら何十分も目の前の書類の確認が進んでいませんでした。どっと疲れました。わたしだけじゃないですがなんだかやたらとはなっから被害者意識ありきで怒られることが多いような気がします。なんでもいえば通ると思い込んでいる?地域性もあり?わかりませんが説明する聞き耳もたず。吐きそうになってきました。勉強になりますがけずられていく感でげっそり。こういう業務。

 幸せなのカタチは人それぞれで立派な建物の中にいること=幸せなのではなく、自分が心地いいと感じるところにいられることが幸せなんだろうなあと疲れた脳みそでつらつら思う金曜日の夜。郷里にいると同級生のことをついつい考えて引き合いにだしてしまうのですが、地域柄相手の親が広い土地の上に立派な建物を用意してくれて、相手が死んでも保険に入っているから困らないと不自由ない生活を手に入れたはずなのに子どもを連れて立派な家を出て狭いアパートに逃げたりとか、いろいろです。幸せは外からみえるカタチではないのだと、幸せはそれぞれの、人からはみえない自分の心の中にあるのだと、前職でも思ったようが気もしますが郷里でいまこの業務をしながら、あらためて心の中で反芻しています。何が幸せかは自分が決めればいいのだと、わたしにとってはいい舞台と出会えたとき心の底から生きていてよかったなあと思える、そんなひとときがあることは幸せなことなんだと。

 コンビニスイーツ、うまかった、それも幸せなことですね。一週間、お疲れ様でしたよ、自分。4月からまた失業者になるつらさは今考えない、考えない。その前に新大阪駅から梅田芸術劇場への行き方をネットで調べてPDFにしてUSBに保存してコンビニで印刷しなければ、新幹線の時間も調べなければ。確定申告の準備もしなければ、その前に来週ずっと雨みたいだし、火曜日大劇場日帰りバスツアー、気分悪くならないかひたすら心配。

 お正月の東京宝塚劇場で公演ドリンクも、ネーミングが話題の宙組スイーツも、時間の余裕なかった。ちと残念なり、でも楽しかったあ、真風さんキキちゃんまどかちゃん、宙組の安定感すごいという話、休日に書く余裕はないかな・・・。
 

阪神淡路大震災

2020年01月23日 22時44分25秒 | 日記
 宝塚歌劇団の星組、月組に在籍した早乙女わかばさんのブログ。神戸市出身で25年前の阪神淡路大震災で被災した当時6歳、想いを綴られています。一人でも多くの方に読まれるといいなと思います。

早乙女わかばオフィシャルブログ
2020年1月17日:阪神淡路大震災
https://lineblog.me/saotomewakaba/archives/2008948.html

「父や母が
あの震災で生きていたことは奇跡。
生かされた生命を大切に精一杯生きなさい。
という言葉をいつもこの時期に話してくれます。

今思えば、両親はただならぬ恐怖と不安に襲われていたはずです。その中で私たち3人の子供を守ってくれた事を今、改めて感謝します。」

「1日1日を大切に生きることが何よりも大切だと。

今、改めて感じます。

今日生きていることに感謝。」