たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『レ・ミゼラブル』 _ 千穐楽

2013年11月30日 10時17分39秒 | ミュージカル・舞台・映画
「千秋楽」、ではなく、「千穐楽」でした。
意味は同じ公演の最終回ということですが、会社によって使う字が違うそうです。
東宝では、秋の「火」は火災を連想させるので使っていないと公式フェイスブックにありました。
全く気づいていませんでした。日本語、深いですね。

頭の中をメロディがぐるぐると回っていて、余韻が強く残っています。
思い出してはウルウルとしています。
写真やインビュー記事が次々とアップされているので少しずつ観ていきたいと思います。
まだまだ終わりません。
次回は2015年春帝劇での上演決定と発表されました。
今回出演していた子役ちゃんたちはどんどん大きくなってきているのでもう子役としては出られないかな。
大きくなってまた戻ってきてほしいな。
その頃まで元気でいて見届けられるといいな-そんなことを思っているこの頃です。

写真はすべて公式フェイスブックから転用しています。
まだまだあるので一部です。
色々な思いもまた少しずつ・・・。



終演後、日比谷シャンテのコラボレーションメニューの中からガブローシュ膳というのをいただきました。メインがサイコロステーキと焼き魚のダブルという贅沢メニュー。お値段高めでしたが日頃がんばっている自分へのご褒美にいただきました。
ミゼラブルな人々はこんなふうにお腹いっぱい食べられなかったですよね。
こうしておいしいものをお腹いっぱい食べられることに感謝。



大正生まれの私の父親も子供の頃はおなかいっぱい食べられなかった。
弟が栄養失調でなくなったという話をきいたことはありますが、ちゃんときいたことなかったし、どういうことなのかわかっていなかった。
先日太平洋戦争の時すさまじい体験をされた方のお話をうかがってからリアルに考えるようになりました。
こういう話を生前にちゃんと聞いておくべきでしたが、親子でこういう話ってしないですよね。できないですよね。私がその方からきちんとお話をうかがえたのは赤の他人だからなんだと思います。
お別れの後、一つ一つはつまらない物だけれどいっぱい買いだめしていて、なんでこんなものをこんなに買い込んでいたんだと片づけながら思いましたがその気持ちにやっと少し近づけました。
モノがなかったら、毎日を生きるのが精一杯で明日になったら手に入らないかもしれない、
そんな日々を生きていたんだろうと思います。
思春期の頃、毎日おなかいっぱい食べられて何が不足なんだという父親にずいぶん反発をおぼえた記憶があります。今になってやっとわかりました。いなくなってからわかりました。そんな父親が娘に先立たれてしまう。すごく可愛がったのになぜそうなったのか、その答えはどこにない。ただ私が一生懸命生きていくだけです。

こんなことも終演後つらつらと考えていました。






『レ・ミゼラブル』 _ 千秋楽

2013年11月27日 22時57分15秒 | ミュージカル・舞台・映画

 おいらの名はガブローシュ
 見てくれ悪いが
 ここは俺の島
 好きなように生きる
 毎日が戦いなのさ
 自由よりもパンを
 どうせ死ねば平等なのさ
 生きたけりゃついてこい
 声を出せよ
 ヴィヴ・ラ・フランス!
 ヴィヴ・ラ・フランス!!

 みんな気をつけろ
 テナルディエどこかで
 安宿やってた
 とんだブタ野郎
 腹黒い悪党どもだ
 あれがエポニーヌ
 ガキのくせにすげえ度胸
 みんな貧乏仲間
 なめちゃ やだぜ
 今に 見てろ!!
            ♪


「すばしっこい奴がいい」と仲間のために砦の向こうに弾を拾いに行ったガブローシュは、
瀕死の状態でやっとバリケードに戻ってきたところを撃たれ、アンジョルラスの腕の中に倒れ込んで息絶えます。日本版独自の演出だそうです。

清史郎君ガブローシュ、たぶん見納めになるので心に焼きつけてきたいと思います。

オリジナルよりも具象化された分、感情移入しやすくなりました。
歌唱のレベルが全体的にかなり高いので、いっそう迫力があります。




子供が撃たれてしまうという痛ましい場面。これは舞台での出来事ですが、現実に今同じことが起こっている国が世界の中にはある。平和な日本にいると信じられないですよね。
この平穏な日々に感謝。こうして無事に生きているって当たり前じゃなくて、すごい奇跡。
当たり前みたいな顔して生きてきたけど、そうじゃないんだよって妹は教えてくれました。
3.11以来、緊張感をいつもどこかに持ちながら暮らし続けています。
この平穏な日々が少しでも長く続いていくことを毎日心の中で祈り続けています。




『レ・ミゼラブル』が出版されたのは1862年。

モンゴメリさんが誕生したのが1874年、『赤毛のアン』の出版が1908年。

ローラ・インガルスさんが誕生したのが1876年(日本は慶応3年、江戸時代は慶応4年まで)
『大草原の小さな家』シリーズの最初の出版が1932年。

時代が少しイメージできます。


***************

このようなブログに訪問してくださり、ありがとうございます。

千秋楽、観劇してきました。泣いたので顔きたなくなってしまいました。

カーテンコールは本日のキャストの皆さんによる挨拶(プリンシバルキャスト全員&アンサンブルを代表して丹宗さん)
→ティナルディエ夫妻(駒田さんと森公美子さん)と子役ちゃん9名登場で代表して清史郎君挨拶(清史郎君カーテンコールの間ずっと泣いていて目が赤かった。やりきった感があったのか、これでガブローシュを演じるのは最後という思いがあったのか)
→全キャスト80名近い皆さんが役柄の衣装着用で登壇して「ワンデイモア」合唱→最後は客席も一緒に「民衆の歌」大合唱

♪若者たちの歌が聞こえるか
 光求め高まる歌の声が
 世に苦しみの炎消えないがどんな闇夜もやがて朝が
 彼ら主の国で生きる
 鋤や鍬を持ち剣をすてて
 鎖はきれて皆救われる
 
 戦うものの歌がきこえる
 鼓動があのドラムと響き合えば
 新たな熱い命が始まる
 明日が来る時、そうさ明日が
               ♪

岩谷時子さんの歌詞の日本語の美しさをあらためて感じました。もちろん全編、行間を心でうめた素晴らしい歌詞の連続です。私の下手な言葉ではこれ以上言えませんがメロディに上手くのりつつ、日本語が美しくてすごいなと思います。

吉原さんバルジャン、大きくてあったかでした。
本当にそういう人なんですね。
カーテンコールの挨拶で、大震災の後自分に何ができるか一生懸命考えた時、物資を送ったり泥だしに行ったりよりもこの舞台を一生懸命につとめることが自分の役割だと思ったというようなお話をされました。(吉原さんは2011年のオリジナル版最後の舞台でもバルジャン役をされていました。)エピローグの「民衆の歌」をうたっている時、空からの声がきこえてくるように感じることがあるそうです。

色々と切りがありませんが今日はここまでです。

また後日長々と書き連ねると思います。
よろしかったらまたおつき合いください。
舞台写真は公式フェイスブックから転用しています。





『レ・ミゼラブル』

2013年11月24日 22時47分33秒 | ミュージカル・舞台・映画
(地方公演を経て)人間として成長した姿で11月の帝国劇場に戻ってくる。
カンパニー一人一人がきっとみんな同じことを思っている。

プロローグ バルジャンが囚人から市長になって工場に登場するまでの展開が早くてよくわからないのは演出家の意図。最後でああこういうことだったのかと観客が振り返ってくれればいい。

このプロローグの場面、囚人から市長になって登場するまで2分40秒の早替わり。メイクも汚しも落としてし直すので、マネージャーに靴をはかせてもらい、衣装を着せてもらわないと間に合わない。

バリケード戦のあと、下水道でバルジャンとジャベールが出会う場面。演じる人にまかされているところで、吉原さんジャベールは(バルジャンの姿をさがし求めて)駆け込んで行く。
ジャベール役4人それぞれ。


以上は、朝日カルチャーセンターでの川口さん、吉原さんのお話からのメモ書きでした。

原作を読んでいないので私自身のために、無料配付されたコミックのお試し読み小冊子(新井隆広;漫画、豊島与志雄:翻訳・岩波文庫刊)と2011年のプログラムを参照しながら復習と予習です。


「地上に無知と悲惨がはびこる限り、この物語は光輝を放ち、我らに問いかけ続ける。

1795年 フランス・ブリー地方 ファヴロール

この時代、フランス国民は三つの身分に分けられていた。
免税など多くの特権を持ち豊かな聖職者と貴族。特権を持たず重税に苦しむ貧しき平民。
翼を与えられた者は空を飛び、与えられなかった者は地を這う。
18世紀末フランス。それは“生まれ”が全てを決定する社会。

かの英雄ナポレオンですら覆せなかった運命。
彼の名はジャン・バルジャン。
ナポレオンと同じ1769年生まれ。貧しき枝切り職人の家に生まれた男。


富める者はさらに富み、貧しき者はさらに窮す。
ただ貴族に生まれただけで、何不自由なく暮らし、明け方まで舞踏や賭け事に興じるなか、
俺は・・・、俺たち家族は・・・ただ平民に生まれただけで、飢えと困窮に苦しんでいる。

パンだ。パンがあれば・・・ひとつでいい・・・子供たちは飢えをしのげる。
今夜だけでもパンを・・・。
子供たちのために・・・・。


冬、仕事を失ったバルジャンは姉と姉の7人の子供たちを救うために教会前の広場にあるモーベル・イザホーのパン屋の窓ガラスを割り、パンを盗む。5年の懲役刑。囚人番号24601号。


1796年4月22日 パリ郊外の刑務所でバルジャンは首を鎖に繋がれる。27日間の旅のはて、南フランスのツーロンの徒刑場に到着する。

1799年末服役4年目、7人いた姉の子が1人になったことを知ったバルジャン、一度目の脱獄、脱獄の罪により刑期は3年延長される。


1801年服役6年目、再び脱獄。造船場にて潜伏のち発見、その際に抵抗。5年の増刑に加え、そのうち2年を二重鉄鎖の刑とする。

1806年服役10年目、脱獄未遂により増刑3年。

1809年服役13年目、脱獄4時間後発見。増刑3年。


確かに、俺は己を潔白な者とは決して思わない。
責められるべきひどい行いをした。
しかし俺が犯した罪に対し、あまりに罰が酷過ぎはしないか。
パン1個を盗んだ罪は、7人の子の命が左右される罰に値するのか。
俺は働きたかった。
しかし、労働者たる自分に仕事は与えられなかった。
社会が、飢える労働者に仕事を与えないのが罪ではないのか。
答えはない。
”彼ら”は自らの足元にある、堕ちた者の存在に関心は払わない。
堕ちた者たちに、人類社会の全重量が押しかぶさっていることを想像だにしない。
見捨てられたのだ、たった一度のあやまちで。
それは不条理で、酷薄な裁き。


1815年10月初め仮釈放されたバルジャン(46歳)。ツーロンから4日歩いてディーニュの町に現われる。目的地はポンタルリエ。


人間の宿業を背負いし男、ジャン・バルジャンの物語が始まる。」


こうしてあらためて読んでみるとすごい物語ですね。
コミック本には19年間で負のエネルギーをためこんだバルジャンの姿がリアルに描かれています。
舞台の物語はバルジャンの仮釈放から始まっていきます。
これをミュージカルにしようとした発想が本当にすごいです。


「冒頭のバルジャンは、ものすごく獰猛なエネルギーを持っています。のちにミリエル司教によってネガティブからポジティブに転化され、真人間として生き直そうとするバルジャンですけど、基本的には19年間の牢獄での負のエネルギーを最後まで持ち続けているという演出です」(『月刊ミュージカル』12月号より)

バルジャンが着ている黄色と赤の上着は史実に基づくもので窃盗犯だと示す上っ張りだそうです。


長くなりました。切りがないのでここでおしまいにします。
ここまでおつき合いくださり、ありがとうございました。




『レ・ミゼラブル』_五度目の観劇

2013年11月23日 14時06分53秒 | ミュージカル・舞台・映画

週の半ばに休みをとってまた観てしまいました。(その前後は大変ですが、忙しさのピークの狭間なので・・・)。
ヘンだらけの中を重いものを背負いながら生きていくには心のエネルギーを満たしてくれるものが必要です。
平日の昼間だというのに満員御礼。
全キャスト、オーディションによって選ばれているので、一般的に知名度のある人はあまりいないのですが、映画から入った方々が一度観ると何度も観たくなって足を運ばれるのでしょうか。
27日の千秋楽まで完売だそうです。


杉山さんアンジョルラス_2回続けて観ました。爽やかな感じで歌が上手なのはさすが。上原さん、野島さんとまた雰囲気が違っていて素敵でした。
里さんファンティーヌ_4回目になりました。力強いファンティーヌ、大好きになりました。
福井さんバルジャン_3回目でした。「彼を帰して」の歌声がきれいです。
浦嶋さんマダム・ティナルディエ_4回目でした。毎回パンをおいしそうに食べている場面がおかしかったです。
平野さんエポニーヌ_1回きりですが、すごい声量で驚きました。マリウスの腕の中で歌う「雨の舗道」の場面の演技が昆さん、笹本さんよりさらにリアルで心に残りました。
田村さんマリウス_名古屋でサインをいただいた時に話されていたとおり、よりマリウスっぽくなっていました。雰囲気が若いです。



凱旋公演のプログラムに掲載されている香盤表をみると、バルジャンとジャベール以外のキャストの方々は、持ち役の他にもいろんな場面で衣装とメイクを変えて登場されています。アンサンブルの方々の中には、ほとんどの場面に登場されている方もいて、あらためて驚きです。
アンサンブル=その他大勢ではなく、一人一人役柄設定がされているようで、何度か足を運んでも見切れません。行くたびに気づくことがあって、気づいていないことがたくさんあることに気づかされます。


音楽が始まった途端、その世界に引き込んでいく、このミュージカル構成を最初に考えた人はすごいですね。



 一日が終わりゃ 歳をとる
 貧乏の繰り返しだけ
 戦いなのさ 誰も助けちゃくれぬ
 仕事なければ それだけ 命が縮む

 一日が終わりゃ 寒くなる
 震え上がる ボロのシャツじゃ
 金持たちは 誰も助けちゃくれぬ
 死神連れた冬が囁く 『命をくれ』と

 一日が終わりゃ 長い夜
 ただ じっと朝を待つだけ
             ♪


失業者たちがうごめくように歌う『一日の終わり』からファンティーヌが追い出される工場の場面へとつながっていきます。観るたびに背筋がぞくっとします。


10月のヨーロッパに行ったことがありますが本当に寒かった。
物語の時代(18世紀-19世紀)、貧しい人々はどうやって暖をとり長く寒い夜を過ごしていたんでしょうね。
そんなに長くは生きられなかったでしょうね。

今私たちはちょっと暑いと文句いって冷房がんがんきかせて、(わたしは部屋で冷房つけないですが・・・)、ちょっと寒ければ暑すぎるぐらい暖房がきいていたり、あらためて考えてみるとほんとに贅沢ですね。


世界の国々の中には、生きていくことそのものと背中合わせで生きている人々がいる。
日本人は危険地域として渡航が禁止されている場所にも生活している人々はいる。


乳幼児精神保健学会のセミナーで聴いたことですが、南アフリカの平均寿命は50代、
子供が子供として甘えられる環境ではなく、大人も子供も緊張しながら生きるのに精一杯だそうです。


今日本に暮らしている私たち、衣食住満たされていて幸せですよね。
ハロウィーンだ、クリスマスだと大騒ぎして・・・。


あれやこれやつらつらと考えているとまた終わらなくなります。


上の写真は、営団地下鉄日比谷駅で撮りました。
ガブローシュの最期の場面が大きく凱旋公演のチラシにも使われています。


「この時代のフランスでは、ガブローシュぐらいの年齢になると多くの子が死んで行きました。その悲劇を起こさないために何が必要か、そのために闘っているんです。一番の悲劇は、そのガブローシュが撃たれてしまうこと。未来を築く存在が、その命を愚かな凶弾一つで失う。殺しあう闘いに正義はないのです。フランス革命で血を流して自由を得たけど、果たして、その自由の勝ち取り方が正しかったのか・・・エピローグで皆が歌う“ピープルソング”の中に、その血生臭さが本当に必要だったのか、考えさせられるところです」(『月刊ミュージカル』2013年12月号の記載より、演出助手の鈴木ひがしさん)。



色々と考えさせられつつ、楽しみつつの観劇の日々です。
あと一回あるので・・・。










希望を持って生きていきたい_『レ・ミゼラブル』

2013年11月17日 23時22分29秒 | ミュージカル・舞台・映画

 若者たちの歌がきこえるか
 光求め高まる歌の声が

 世に苦しみの炎消えないが
 どんな闇夜もやがて朝が
             ♪ 

(岩谷時子訳詞 民衆の歌)


エピローグ、ファンティーヌとエポニーヌがバルジャンを迎えにきて、最後はこのアカペラコーラスから始まる「民衆の歌」で3時間15分の舞台は幕を閉じます。天国に迎え入れられる時バルジャンは司教様にお辞儀をします。10月の名古屋公演で始めて気づきました。



岩谷時子さん、本田美奈子さん、お二人で凱旋公演の舞台を空から見守っていてくださるのかな、などつらつら考えると涙があふれてきそうになります。



いろんな命がある。幼くして、若くして旅立つ命もあれば天寿を全うして旅立つ命もある。どうしてそうなのかは誰にもわからない。ただ今生きている人は生きている限り、先に旅立った人の分まで一生懸命生きていかなければならない。
人は生まれた時から与えられた時間って決まっているのかな。そう思うしかない。



わたしには想像もできないような、あるいはとても耐えられそうにもない色んな苦しいことや悲しいことがこの世にはある。ここに至るまでの歴史の中には数えきれないほどそんなことがあっただろうし、今現在もどこかで悲しいこと、苦しいことは起こっていてそれを受け入れていかなければならない人がいる。


先日ある方の幼い頃の太平洋戦争中の体験をお聞きして、わたしにはとても耐えられそうにないすさまじい体験で、自分がその方と同じ状況に置かれたとしたら耐えられるだろうか、想像することができません。
わたしも人から見ればすごい体験をしてきているのですが、幸いなことに現場をみていない。もしみていたら自分はどうなっていただろう、時々考えると身体が震えます。こんなことは考えない方がいいですね。でも時々ふっと考えます。私の知らないところではそういう体験をしている人もたくさんいる。生きていくという現実はドロドロ。それに耐えられないとセラピストの仕事ってできないんでしょうね。
わたしにはきついかな・・・。今はまだ自分でもわかりません。


バリケード戦のシーンで、エポニーヌ・チビ犬ガブローシュ・アンジョルラス・学生たちと次々と命を落としていきますが、舞台は映像のようなリアルさがないので、命を散らしていく姿が美しい絵姿として観る者の心に刻まれていく。


バリケード戦で散っていった命、バルジャンの命は、コゼットとマリウスへとつながっていく。苦しくても生きている限り希望を持って生きていきたい。この舞台から受け取るメッセージは、命はつながっていくんだということ、希望の光です。


以下は9月27日の朝日カルチャーセンターでの川口さんと吉原さんのお話のメモの中から箇条書きです。



エピローグは、楽器の音を抑えて声を小さくして、ひとつひとつを細かく丁寧に演じていく。演じる者にとってかなりきついが最大の見せ場。「誰かを愛することは神さまのおそばにいることだ」-このバルジャンの最後の言葉にすべてが集約されている。-バルジャンの歌声にファンティーヌとエポニーヌの歌声が重なっていく場面です。


『レ・ミゼラブル』はたった3つの音から始まった。
エポニーヌの「ひとり♪」のシンプルな音に色んなバリエーションが加わってできあがっている。

無駄な台詞はひとつもない。音楽がすごくいいので、無理に自分でどこかかえてやろうとせず、のっかっていけばいい。難しい楽曲に逆に助けられている。




上の写真は、公式フェイスブックからの転用で、ウエディングシーンのティナルディエ夫妻です。しぶとく生き抜いていく強さを感じます。



読んでくださる方にはなにがつながっているのかよくわからない、
まとまりのない文章になっていると思います。
これから観劇に行くのであとで書き直してしまうかもしれません。
よろしければまた訪問してください。


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ソワレ観劇してきました。
キャストの皆さんの全身全霊の演技、すごい迫力でした。ドキドキ、バクバク。
川口さんジャベール-すごい声量、低音がより響いて圧倒されました。
丹宗さんグランデール-バリケードの場面で酔っ払いながら「世界は忘れないか、死は無駄じゃないか」とアンジョルラスに投げかけるシーンがより印象的でした。ガブとの仲良しぶりもより心がなごみます。
他にも色々と心にのこる場面の連続で、一幕が終わって休憩になったとき、ここはどこ?ぐらいに集中していました。
堪能しました。心のエネルギーをいただきました。
現実に帰れば不安だらけの毎日ですが行けるところまで行くしかない。
一生懸命生きていこうと思います。


原作本が最近漫画化され始めていて、第一話のお試し読み小冊子(非売品)が無料で配布されていたのでもらってきました。舞台の始まり、バルジャンが徒刑場に至る場面までの物語がよくわかりました。

今よりももっと一日一日を生き抜いていく、命をつないでいくことに必死であった18世紀のフランス-特権をもたず重税に苦しむ貧しき平民ー



♪一日が終わりゃ寒くなる
長い夜が始まる
仕事なけりゃ死ぬだけ♪


断片的におぼえている部分だけですが、『一日の終わり』というアンサンブルの皆さんのコーラスは毎回凄味があってゾクっとします。


いろいろと思いは尽きませんが今日はここまです。
まだ観劇予定もあるのでまた書ければと思います。

携帯で撮っているのでブレブレの写真ですが載せます。









           



秋のプリンス・エドワード島への旅_4日目(2回目)

2013年11月16日 22時33分07秒 | プリンスエドワード島への旅
2012年10月16日(火)プリンス地区

8時30分朝食

グランベリージュース、ラズベリージュース、乾燥しているのでどんどん飲んでしまう。
酔い止めを早目に飲んだ。眠くなるかもしれない。

9時、HさんとドライバーのTさん(PEIセレクトツアーズ)お迎え。
曇り&小雨。昨日と同じくらいの寒さ。初日よりはあたたかい。
プリンス地区へのドライブ。
モンゴメリさんの教えた場所3つとウエスト・ポイントを目指す。
サマー・サイドから先ずはベルモントを車で通過。車窓からハロウィーンのユニークな飾りつけをしている所がいくつも目に留まる。
プライベートツアーなので止まってもらえる。
雨の中、カボチャの人形たちとパチリ。楽しくなってくる。

2つ目の赴任地、ベルモントは本当に淋しそうな農村だった。家々の間隔もすごく離れている。小雨の寒い空の下で、若かりしモンゴメリさんが孤独に打ちひしがれつつ、冬の寒い朝暗いうちから起きて詩や小説を書いていた、そのいかに大変なことであったかがしのばれる。

最初の赴任地、ビデフォードのパーソネージュ博物館へ。
残念ながらCLOSE、外観のみ。雨が強くなる。
モンゴメリさんが下宿した家の再建にボランティアで加わったというおじさんが通りかかった。話し好き。




********************


4日目の旅日記はまだまだ続きます。


さっき大きな地震があってこわかった。
揺れが長く続いて、3.11の恐怖をまた思い出して非常に緊張しました。
職場の高層階にいる時でなかったのが少し幸い。職場のビルにいたらたぶんもっと恐怖心でどうにもならなくなってしまいそうです。
島での楽しい旅の時間を振り返って、落ち着いてきました。

少しずつしか書けませんが、よろしければ引き続きおつき合いください。

ようやく週末_徒然

2013年11月15日 22時49分01秒 | 日記
今自分自身でブログを読み返しながら、エネルギーをもらっています。

今週もよく働きました。
疲れたねー、えらいねー、自分。

秋らしい秋がないまま急に冷え込んできて、なんだか落ち着きません。
3.11の後、ほんとに天候がおかしくって、今すぐにではなくてもいつか何かが起こるんじゃないかとついつい考えてしまいます。


ヤフーのニュース一覧をみると、いろんなものが値上がりしていくようです。
消費税導入、派遣社員はどうなっていくのでしょう。
自給10円だってあがらない。


冬のボーナスがバブル期なみに増えるって、ほんの一部の大企業だけのことのような気がしますが、ニュースでは中小企業のことには触れていない。
なんかヘンだあと思います。


今は疲労困憊なのでこんなつぶやきのようなことしか書けません。


17日はレ・ミゼラブルの凱旋公演を観劇予定です。
また熱い気持ちがわきあがってきそうです。

写真は下手くそですが、10月の中日劇場に展示されていたマリウス役の田村さんのサイン。
5月に帝劇で観た時よりもずっとマリウスっぽくなっていてカッコよかったです。
終演後ロビーでパンフレットにサインしてもらいました。

色々と思いは尽きません。
エピローグへの思いなどまたあらためて書ければと思っています。



秋のプリンス・エドワード島への旅_4日目(1回目)

2013年11月10日 22時40分10秒 | プリンスエドワード島への旅




「2012年10月16日(火)プリンス地区

7時間近く、なんとか眠っただろうか。
途中2度目がさめてしまったが、12時ごろベッドに入ったのでまあまあだ。
6時代はまだ暗く寒い。
移動日なので荷造りしながら、鳥の鳴き声をきく。
カナダギ―ス(単数形はグース)というがんの一種、渡り鳥の群れだった。
一時間以上かかって荷造りと身支度をすませる。
8時過ぎ、小雨の中、グリーンゲイブルズに別れを告げるために、ショートカットコースを大急ぎで往復する。
おばけの森の紅葉がまた一晩でいっそうあざやかに色づいただろうか。
しっとりと雨に煙った色合いが本当にきれいだ。」




写真は、「お化けの森」です。


プリンス地区へのドライブ、楽しい一日の始まりです。
ウエストポイント、モンゴメリさんの赴任地三か所を回りました。
まだまだ続きますが今日はここまで。
また週末に更新できればと思います。
(長い一週間がまた始まる・・・)

祈り

2013年11月09日 12時06分09秒 | 祈り
『レ・ミゼレブル』のエピローグのことを書く前に、20年前の私自身のことをまた書こうと思います。
おもいです。自分が書いたものですが、自分で読み返して心が痛いです。
一生懸命に書いています。(今の私も、20年前の私も一生懸命・・・)

よろしかったら読んでやってください。

「1994年11月6日(月)

外は木枯らし、暑かった夏がようやく本当に終わりを告げている。
昨夜も夢の中でもがき、何度も目がさめた。
熟睡できない毎日が続いている。
布団に入る時刻になると、いろんなことが頭の中をかけめぐり、眠れなくなってしまう。
ただ眠っているだけのようなあの子の顔が今も脳裏に焼きついてはなれない。電話の声が耳に残っている。一連の時間は、今もなお生々しく、同時に蜃気楼のようでもある。信じられないのだ、Mちゃんがお星さまになってしまったなんでー
今もなおやりきれなくて、胸のはりさけるような思いは続いている。
なんと深い傷を背負ってしまったことだろう。この傷と一生つきあっていくことしか、わたしがあの子にしてあげられることはない。
つらいことだが、死によって、あの子はなんと多くのことをわたしに教えてくれたことだろう。人間の愚かさ、弱さ、ちっぽけなこと、でも同時に人は強いものであるはずだ。私の中にある、このつらい事実と向き合い乗り越えていける強さを見つけ出したい。
自分を責めることに疲れた。
自分を縛りつけているものから、解き放たれたい、楽になりたい、穏やかに、安らかに、あの子を思い続けていたい。
Aさんがいう「逃げている」というのは、もしかしたら、自分自身から逃げているということか?まだわからない。
わたしはなにからにげているのだろう。
こんなつらいことまでも必要だったのか。
Mちゃんがわたしの罪の部分を、愚かさを背負ってくれてしまったように、思えてならないのだ。あの子はわたしの中で神さまになってしまった。
聖書を読み始めた。教会にも行った。
あの子の死の知らせをきいた時からずっとそうしたいと思っていたのだ。
目前の小さなことではなく、悠久の時の流れのうねりの中での、なにか不偏的な存在ー
全知全能の神は存在するだろうか。
もし存在するなら、こんなに素晴らしいものは他にない。
わたしは全てを委ねたい。全てを委ねて楽になって、ただ、なすがままに、あるがままに、
Let it be-進んでいきたい。示してくださる道に従って、逃げるのではなく、より良き人生のために・・・、なにかまだよくわからないが、わたしの中で少しずつなにかが解けていく、つらいこと、心の傷み、そして、それらを乗り越えようとするエネルギーの放つ素晴らしさ、いろんなことが今、やっとわかりかけてきたような気がする。
Mちゃんの30年の人生の意味、わたしになにを教えてくれたのか、考えていきたい、
安らかに祈りながら、
わたしが生きている間に、いつか、Mちゃんのことをお話に、物語にしたい。
今年はこのまま終わってしまうのだろうか。
毎日の生活は変わらない。
けど、もうつらいことはおしまい。きっと幸せがくる、と気持ちだけでも前を向いていたい、なんで取り返しのつかない、ばかなことをしてしまったんだと、あの子を責めるのはよそう、
つらいだけだから、
けど、つらい時は、つらいまんまの方がきっと楽だよね。
わたし、まだ、きっと涙を流したいのかもしれない」


藁にすがる思いでカウンセラーの先生とお会いしたのはこの頃だったと思います。
この数年後に「楽になる」ということの意味をあらためて考えることにはなるのですが、初回の面接で、泣いて泣いてただひたすらとめどなく涙を流し続けながら話す私の生きる力をY先生が信じてくれたことがわたしを救ってくれました。もちろんそう気づいてのはずっと後のことで、その時のわたしはとにかくわけがわからずもがきにもがいていました。なにをどう考えたらいいのかわかりませんでした。Y先生にお会いして、人に話せず自分の中に必死に閉じ込めていたものをここで話していいんだという安心感をあったように思います。

11月4日の乳幼児精神保健学会のセミナーで、精神病理を背負いながらも一生懸命に生きようとしている子供と両親、それぞれが良きセラピストとの出会いによって、魂の触れ合いによって、その人自身のもつ生きる力が引き出されていく、自分の感情を外に向かって表現できるようになっていく、そんな事例を聴きながら、自分自身のプロセスをあらためて思い出していました。

どんな人と出会うかによって人生は変わっていく。Y先生との出会いがなかったら、今どんな自分がいるのか、想像することができません。よくぞ受けとめてくださったと感謝しています。

『レ・ミゼラブル』の舞台から受け取るメッセージは、命はつながっていくんだということ、そして明日への希望の光。そんなことを次は書ければと思っています。

「どんな闇夜もやがて朝が来る」
バルジャン旅立ちの後、アカペラコーラスから始まる「民衆の歌」の一節です。
この訳詞をされた岩谷時子さんが先日旅立たれました。合掌。




『レ・ミゼラブル』凱旋公演始まりました

2013年11月04日 22時17分53秒 | ミュージカル・舞台・映画
上の写真は、バリケードでバルジャンが「彼を帰して」を歌う場面。東宝の公式フェイスブックから転用しています。


私が観劇するのはまだ先ですが、都内に乳幼児精神保健学会のセミナーで出かけたので、
待ち切れずに終わってから日比谷まで少し遠征。
写真だけ撮ってきました。
私自身の記念です。

エピローグのことなど書きたいのでまた週末に更新できればいいなと思います。
(連休だった分また忙しくなります。)
ささやかなブログへの訪問、ありがとうございます。