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桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2012年六月の薬師詣で・川口市

2012年06月08日 23時27分07秒 | 薬師詣で

 六月の薬師詣では川口の慈林寺と決めました。
 当初の心づもりでは、少し遠出を試みて、栃木県の足利を目指し、足利氏ゆかりの古寺名刹を訪ねるのもよし、と考えていたのですが、不定期勤務のパートのの仕事が入ってしまったので、遅くとも四時には庵に帰っていなくてはなりません。午前中、早めに庵を出れば、足利まで行けないことはないが、気ぜわしい思いはしたくないので、足利に較べれば、遥かに近い川口に変更したのです。



 武蔵野線の東川口で降り、埼玉高速鉄道に乗り換えて、次の戸塚安行で下車しました。

 この駅を利用するのは去年の一月末、旧日光御成道の鳩ヶ谷宿を歩いたとき以来です。
 地下にある駅は階段やエスカレーターをジグザグと上って行くので、地上に出たときにはどっちを向いているのかわからなくなってしまうことが多々あります。
 この日も地上に出たときにはすっかり方向感覚を失っていました。そのため、見知らぬ土地を歩くときは方位磁石は必携の一品です。

 私が目指すのは南の方角。地上に出たあと、磁石を確認して歩き始めました。途中、花山下という交差点までのおよそ500メートルは前回鳩ヶ谷宿を目指して歩いたときと同じ道のはずですが、目に入る光景はまったく憶えがありません。

 花山下交差点を左折して埼玉県道103号線を進みます。東京外環自動車道の下をくぐり、なおもしばらく歩くと、左手に植物園を思わせるような樹々が見えてきました。

 


 埼玉県花と緑の振興センターでした。
 二千種もの樹木が植えられているそうです。道路沿いを見ながら歩く限り、樹々にはすべて名札が提げられています。ゆっくりと巡れば、普段目にしていながら名前を識らぬ樹の名を知ることもできるかもしれぬと思ったのですが、この日はタイムリミットがあるので、ゆっくり構えているわけにはいきません。



 戸塚安行駅から二十分で興禅院に着きました。
 我が曹洞宗のお寺です。
 創建は室町時代末期の天文十五年(1546年)で、開山は助天当益大和尚(旧鳩ヶ谷市にある法性寺三世)といわれています。本尊は釈迦如来坐像。「新編武蔵風土記稿」には恵心僧都(源信)の作と記載されています。



 春は桜、秋は黄、赤、白の彼岸花に加えて紅葉と、季節ごとの花々で著名なお寺のようですが、この時期はなんといっても紫陽花(アジサイ)でしょう。
「咲いています」という掲示が出ていたのに釣られて境内を歩いてみましたが、見ごろはもう少しあとのようでした。



 歴住の墓所を捜して参拝。



 興禅院から二十分歩いて密蔵院に到着しました。
 文明元年(1469年)の創建。平將門の開基と伝える説もあるそうです。本尊の地蔵菩薩は將門が上洛する途中、守護仏であったのをこの寺に残し置いたものだというのです。正保元年(1644年)の火災で消失しましたが、顔と胸部は焔焼を免れ、平安藤原時代の作であると鑑定されているそうです。

 密蔵院の先、県道103号線をさらに南のほうに進めば、薬師如来を祀る真言宗の東光寺があるのですが、参拝するのは別の月の縁日に譲ることにして、密蔵院で引き返します。

 くるときに通り過ぎてきた安行中学脇という交差点まで戻って左折。埼玉県道328号線をしばらく歩いたあと、右手に入る道を進みます。
 そこから500メートルほど歩くと、前方に「←金剛寺入口」という標識が見えてきました。



 標識前に到って、目を左に転ずると、長さが150メートルほどもありそうな参道の奥に茅葺きの山門が見えました。およそ四百年前に構築された四足門(桃山様式)で、川口市内ではもっとも古い門だということです。



 寺の創建は室町時代中期の明応五年(1496年)。

 当時、この地方を支配していた豪族・中田安斎安行という人物が開創。安行という諱の読みは「やすゆき」ですが、音読みにした「あんぎょう」という地名の由来はこの人物なのだそうです。

 当時は戦乱の世です。安行は多くの人々を殺傷していたので、夜な夜な罪業に苦しんでいました。その苦しみから救ってくれたのは、たまたま当地を行脚していた禅僧だったそうです。その教えに従って草庵を結び、金剛般若経(金剛般若波羅蜜経)を唱えて供養。
 この縁により仏門に帰依して、この地に伽藍を造営し、その禅僧(埼玉県越生町にある龍穏寺七世・節庵良筠大和尚)を開山とし、みずからは開基となって、寺名は金剛経に求め、金剛寺として開創したということです



 ここでも歴住の墓を訪ね、焼香して三拝九拝。



 墓域には安行植木開発の祖・吉田権之丞の墓がありました。
 吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしませんが、若いときから草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めて栽培をするようになったということです。

 金剛寺をあとにして再び328号線に戻り、この日の本来の目的地である慈林薬師を目指します。



 金剛寺から十五分、慈林寺に着きました。石段の先には文政八年(1825年)建築の仁王門が見えます。



 六年前に改築されたばかり。真新しい薬師堂です。
 この日は拝観することができませんでしたが、御堂の中にはお前立ちにやはり薬師如来の立像。



 慈林寺本堂。
 略縁起によれば、聖武天皇の勅願にて、行基の開創。本尊薬師如来は慈覚大師の作。



 帰りは鳩ヶ谷駅から帰ることとなりました。

この日歩いたところ