桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

紅花(末摘花)記念日

2019年11月09日 21時20分15秒 | 

 紅花の種を播きました。本当は八日に播きたかったのですが、八日は毎月恒例の薬師詣での日。帰ってきたのは薄暗くなった時刻だったので、翌日に播いたのです。
 十月中に、通販で種を手に入れておきました。
 九年も前のことになりますが、その年の十一月八日に紅花の種を播いた、ということを思い出したので、久しぶりに育ててみようかという気になったのです。
 九年前、なぜ紅花を播いてみようと思ったか、ということは淡い記憶しか残っていません。NHK総合の正月時代劇「上杉鷹山 ― 二百年前の行政改革 ― 」を視たのがきっかけです。いま、インターネットで検索してみると、放送されたのは1998年の一月二日でした。出演者は上杉鷹山を演じた筒井康隆、改革の主導者・竹俣当綱は中村梅雀らでした。このドラマに紅花が登場してきたかどうかは、じつは私の記憶にありません。
 最上川地域の紅花生産量は江戸時代中期の享保年間(1716年-36年)には全国の四割を占めていたという記録がありますから、竹俣当綱(1729年-93年)が藩政に登場する前に、すでに特産品としての地位を占めていたことになるので、藩の財政を豊かにするために栽培が始まったわけではありません。なんとなくイメージが残っていて、このドラマというと紅花、と思い込んだのかもしれません。

 当時はマンション住まいでしたから、プランターで栽培するほかなかったのですが、同じ日にしようと思った、ということに特別な意味はありません。語呂合わせをしようか、という程度のことです。



 種の入った袋の説明書きを読もうとして、紅花の別名が末摘花だということを初めて識りました。なぜ末摘花と呼ばれるのか、そこまでは記されていないかったので調べてみると、茎の先端につく花を摘み取って(末摘む)、染色に用いることからそう呼ばれるようになった、ということです。



 種は白くてこんな感じ。

 末摘花といえば「源氏物語」五十四帖のうちの第六帖に登場する女性です。すこぶる醜女であったとされています。加えて、高貴な家柄であるのに貧乏。
 しかし、常陸宮というれっきとした皇族で、昔はお金があったので、「表着には黒貂の皮衣、いときよらにかうばしきを着たまへり」と奇抜なファッションであるが、非常に高級なセーブルの毛皮に香を焚き染めて着ていることによって、父宮ありし日の裕福さと亡きあとの没落が見事に表現されています。

 そうしてふと四十年以上も前のことを思い出しました。
 バブル期でした。私より少し年上の女性社長としばらく付き合ったことがあります。付き合ったといっても、交際したわけではありません。家庭用品を販売する会社を経営していて、雑誌記者だった私にパブリシティの仕方とか、効果的な広告の打ち方とか、自分や自分の事業を記事として取り上げてくれそうな雑誌や新聞はないか等々……もろもろご教示願いたいといってきたので、付き合うことになったのです。
 いまどきそんな人はいないだろうと思うのですが、豹(本物)の毛皮のコート、それもハイヒールを履いて歩いても、裾が路面を撫でているのではないかというほどの、超々ちょ~マキシのロングコート(¥ウン十万、では済まず、もしかしたら、¥ウン百万の代物であったかもしれません)を着て闊歩する姿は見ていて惚れ惚れしました。

 その当時、アート引越センターの寺田千代乃さんが経団連に入ったことがヒントになったのでしょうか、ある保険会社が先物買いをして、女性経営者の会のようなものをつくりました。たまたまその保険会社の広報担当者を知っていたので、彼女は私の推薦でメンバーの一人になりました。
 久しぶりに思い出したついでに、なぜ付き合いがなくなったのかを思い出そうとしましたが、どうしても記憶の糸が繋がりません。

 することがないので、昼間っからビールを呑んでいます。  齢とともに堪え性がなくなってきているので、記憶を取り戻そうという気持ちも途中で切れてしまいました。




 紅花と一緒に桔梗の種子も買っておきました。桔梗のほうはもう何十年も前から栽培していますが、ここ数年は栽培するのをやめていました。
 折角庭のあるところに棲むようになったので、庭の一角を桔梗畑にしてやろうかと考えたこともあるのですが、庭の土が適していないのでしょう。桔梗は宿根草で何年かはつづけて花を咲かせるはずなのに、一年目はなんとか花をつけたのに、二年目は芽を出さない。おかしいと思って土を掘り返してみると、小さな大根を思わせるような根があるはずなのに、すっかりなくなっているのです。
 素人が研究したところでわからないかもしれませんが、昔はそこそこ旺盛だった研究心も、齢とともに衰えています。



 我が庭の一角です。三つ葉が生い茂り、年々広さを増しています。
 三つ葉が一年草か多年草か、などということは考えたことがありませんでした。はっきりとした記憶はありませんが、真冬のころには姿を消し、春がくるといつの間にか芽を出しています。
 何年か前、ここに植えた、という記憶は朧気にあります。
 かつ丼の添え物か、お吸い物に入れようと思ったのか、スーパーで買ってきて、使わなかった残りを、根っこのところのスポンジがついたまま土に埋めた記憶があります。



 忍者の里、三重県は伊賀生まれの斑なしのツワブキ(石蕗)です。
 九年前、奈良に棲む友が送ってくれたものですが、八年の間、なかなか大きくならず、去年グイと大きくなったと思ったら、初めて花を咲かせてくれました。今年も蕾を載せた茎を伸ばしていますが、どれほど咲いてくれるのでしょう。



 玄関前にある、やはり忍者の里生まれのツワブキ。こちらは斑入り。まだ蕾が見当たりません。



 いつも通る径にある斑入りのツワブキ。日当たりと関係があるのか、それともそれぞれの花の個性なのか。すでに満開に近い咲きっぷりでした。


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