桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2019年九月の薬師詣で・さいたま市緑区(1)

2019年09月08日 23時07分22秒 | 薬師詣で

 台風15号が近づいていましたが、今朝八時の空はこんな空でした。



 今月の薬師詣では先月につづいて、さいたま市を歩きます。足立十二寅薬師と銘打たれた十二のお薬師さんのうち、八番から十一番の四つの薬師堂を訪ねるつもりです。
 すでに一~三番は2016年三月に、十二番(柳崎薬師堂)は同年十二月に参拝しています。
 この日訪ねるつもりの中で、一番遠い坊の在家薬師堂は、最寄りの東浦和駅からでも歩くと四十分以上かかるので、バスに乗ることにします。幸い東浦和駅から浦和駅東口を結ぶバスの便が頻繁にあるみたいです。



 九時過ぎには出かける心づもりでしたが、なんやかやと用を済ませているうちに、十時近くになってしまいました。天気予報では午後三時ごろには雨になるらしい。朝八時には見えていた青空が消え、怪しげな雲行きになっていました。



 いつものように、出かける前に地元の慶林寺に参拝して行きます。



 新松戸で武蔵野線に乗り換えて、降りたのは東浦和駅。



 浦和駅東口へ行く国際興業バスに乗り……。



 坊の在家バス停で下車。ここで降りたのは私独りでした。



 バス停から歩いて四~五分で、最初の坊の在家薬師堂(八番)に到着しました。
 地図には薬師会館と記されていて、どうやらこの地域の自治会館を兼ねているようです。
 鉄扉の入口は鍵がかけられているので入ることができません。どこにお藥師さんがおわすのかわかりませんが、閉ざされた門扉の前で手を合わせました。賽銭箱はないので、お賽銭は省略です。

 このあと、東に向かわなければいけないのに、なぜか私は勘違いをして、北を目指してしまいます。途中で気づいて引き返しますが、思わず遠廻りをしてしまいました。



 坊の在家薬師堂から五十分もかけて中丸薬師堂(九番)に辿り着きました。道を間違えていなければ、二十分ぐらいで着いたはずです。




 ここも地域の自治会館の敷地内で、前の画像の奥に見えるのがこの自治会館です。薬師堂はどこなのかと捜します。



 自治会館のほかに建物は見当たらなかったので、さらに奥へ進んで、「あった」と思ったら、不動堂でした。
 入口には「中丸薬師堂」という石柱が建てられているのですから、薬師如来がおられないはずはないのですが、御堂が見当たらないので、自治会館の中にお厨子があって、そこに祀られているのかも、などと勝手に判断し、会館前で合掌。当然賽銭箱は見当たらないので、ここでもお賽銭は省略です。

 中丸薬師堂をあとに、吉祥寺に向かいます。怪しかった雲行きがますます怪しくなってきたと思ったら、「パチパチ」という音が後ろから追いかけてきました。なんだ? と思ったら、雨です。雨粒がビニールハウスを打つ音だったのです。
 きなすった、と思って、トートバッグをまさぐりました。雨が降るだろうという天気予報だったので、折りたたみ傘を携帯していたのですが、カメラ、財布、スマートフォン、ティッシュペーパーなどを入れた、バッグインバッグなどの下敷きになっていたので、なかなか取り出すことができません。
 モタモタしているうちに、雨は大粒になって、取り出した傘をやっと開き終えたときには、私の上半身はずぶ濡れになっていました。
 中丸薬師堂から5分のところに東浦和図書館がありました。雨の勢いは止まらないので、駐輪場の屋根を借りて、しばし雨宿りをしたあと、小熄みになった中を再出発。



 図書館前を走っているのは越谷街道。渡るとすぐ吉祥寺です。天台宗の寺院です。



 茅葺屋根の山門がありました。総欅作り。江戸時代前記の建築だそうです。



 山門には柵があって通れなかったので、緩い坂を上って行くと長屋門がありました。



 本堂前には趣のある庭園がありました。



 寺務所前にあった見事な枝垂れ桜です。樹齢は?百年でありましょうか。



 本堂。「新編武蔵風土記稿」には「開山は慈覺大師中興を法印賴定と云へり、當寺は東叡山學寮の僧住職の寺なり、本尊は地蔵の立像にて長一尺二三寸、慈覺大師の作なり」とあります。〈つづく〉


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