桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

青天の霹靂

2009年12月05日 13時07分09秒 | つぶやき

 先月の二十日、突如入院、ということになりました。
 原因は胃潰瘍と出血過多による貧血で、ちょうど二週間の入院生活を送って、十二月三日に退院。

 兆候は遙か以前に現われていたのでしょうが、現実に現われたのは十一月十八日のことでした。朝、目覚めたときからなんともいえない妙な感じだったのです。
 前日は充分に眠っていて、疲労も残っていないはずなのに、無性に眠いのです。とはいえ、いつまでも眠っているわけにもいかないので、いつもどおり出勤に及びました。

 変調はすぐに現われました。マンションを出た途端に胸焼けのような症状に見舞われて、何歩も歩かないうちに息が切れ、坐り込まずにはいられなくなったのです。
 20メートルほど歩いて隣のマンションの石組みに腰を下ろし、立ち上がって20メートルほど歩くとまた腰を下ろし……。
 こうして休み休み行くので、いつもなら九分ほどで歩いてしまう駅まで、なんと二十分も要してしまいました。

 勤務先までは電車を降りてからまた十五分ほど歩かなくてはなりません。とても歩く気力はなく、バスを利用することにしました。
 バスがくるのを待っている間も、立っていることが苦痛で、しゃがみ込んでいました。

 勤務中は坐っていることが多く、坐っているぶんには格別の変調は感じないのです。ただ、食欲はまったく沸かなかったので、昼食は食べませんでした。第一、外に出ようという気力が湧かない。それなのに、夕方になっても空腹を覚えません。

 帰りは勤め先を出た途端にギブアップです。
 タクシーがきたら拾おうと思いながら歩きましたが、こういうときに限ってタクシーはこないものです。背後を振り返りながら腰を下ろし、諦めて歩き出してはまたすぐ腰を下ろし……。
 そういう繰り返しで、いつもだったら十五分ほどで歩くところを、四十分ほどかけてようやく駅に到達。
 朝に較べると、息のつづく距離が俄然短くなっているし、腰を下ろしている時間も長くなっています。夜になって冷え込んで、風も出てきていたのに、ところ構わず腰を下ろさずにはいられない。

 帰りの武蔵野線はそこそこのラッシュです。空席なぞありません。坐っている人たちを恨めしげに眺めながら、吊り革にぶら下がるようにして、下車駅の新松戸へ。
 プラットホームに硝子張りで、暖かそうな待合室ができていたので、ヨッコラショと腰を下ろしたら、ついウトウトとして、十~十二分に一本しかない電車を二本もやり過ごしていました。

 歩いては休み、休んでは歩きして、ようやく自宅前に辿り着きました。
 我がマンション入口には五段ほどの上り階段があるのですが、目の前にするとヤレヤレと思うばかりで、そのわずかな段差を上ろうという気力が沸かない。
 夜の冷気の中で、冷たい階段に腰を下ろしたまま、身体が冷え切るのに任せていました。

 気力を振り絞ってなんとか帰り着いたときには、100%精も根も尽き果てた感じでした。衣服はもちろんコートも着たまま布団にもぐり込んで、十二時間眠りこけました。
 目覚めたときは治ったかと思ったのですが、トイレに行こうと立ち上がると、足取りが覚束ない。調子は少しもよくなっていません。

 結局、翌日は勤めを休んでウトウトと眠りつづけ、二十日の朝を迎えました。
 前夜、近くの病院に電話を入れ、朝九時に内科を訪ねるようにいわれていました。
 しかし、目覚めたのは九時半でした。いけない、と思いましたが、枕許に置いた携帯電話すら手に取る気力がなく、また眠りこけました。

 病院を訪ねたのは午後三時前でした。普通なら四~五分で歩ける近さなのですが、例によって休み休み歩くので、三十分もかかりました。

 総合受付→内科と受付を済ませましたが、なかなか順番がきません。
 やっと名前を呼ばれたのは四時半。
 ようやくと思えば、診察室前に長椅子があって、まだ待たされました。
 前は坐ってさえいれば耐えられたのですが、ここに到って、どうにも眠くてたまらなくなっていました。通りがかった看護師に「お行儀が悪いが横にならせてもらう」と宣言して、返辞も聞かず、長椅子に身体を横たえました。そうして何分待ったか、意識が朦朧としていたので記憶がありません。

 医師と遣り取りした記憶までなくしてはいませんでしたが、たったいま、交わした会話ではなかったようにも思えました。
 診察を終えて改めて気がつくと、私を診てくれた医師(♀)が慌てふためいています。ナースが飛んできて、あちこち電話をかけ始めました。「緊急! 緊急!」と叫んでいるのも聞こえます。
「○○先生は?」
「先ほどお帰りになられたそうです」
「じゃあ、××先生は?」
「まだいらっしゃるはずですが、どこにいらっしゃるのか……」
「とりあえず急いで車椅子を持ってきてッ!」
 私は診察用のベッドに腰かけたまま、慌ただしい診察室の様子をぼんやりと眺めていました。まさか自分のためにみんなが騒いでいるのだとは考えてもみずに……。

 車椅子がきて、やっと自分のための騒ぎだったのだと事情が飲み込めましたが、私は二十七歳か八歳のころ、ひどい風邪をひいて以来、検診を除けば三十年以上、医者にかかったことがありませんでした。もちろん入院などしたことがないので、すべてが狐に摘まれたようです。
 車椅子の行き着いた先で寝間着に着替えさせられ、ストレッチャーに乗せられて、心電図、腹部レントゲン、胸部レントゲンと部屋を巡り、最後は内視鏡の部屋に運び込まれました。

 胃カメラも初めての体験です。
 喉の麻酔薬を服んだあと、横向きにさせられ、口を閉じないように丸い輪っかを嵌められて、ナースに頭を押さえつけられました。
「唾は飲み込まないで、垂れ流しでも気にしない。遠くをぼんやりと見ましょう」などといわれますが、胃カメラなど飲んだ経験がないのですから、具体的にはどうしたらいいのかわからない。

 やがて部屋が薄暗くなり、シューシューという音とともに、目の前にキラキラと光る「蛇」のようなものが現われました。
 これが噂の胃カメラか、と思う間もなく喉が圧迫され、胃のあたりへ移って行き、グルグルと回っているのが感じられます。
 私にはカメラを操作する医師(技師か)の手許と、その背後で何やら企んでいるように思われる助手の動きが見えるだけです。それも、苦しさで流れ落ちる涙で次第に曇り、何もかもどうでもいいような気分になって行きました。
 蛇は目と鼻の先で怪しげな光を放ちながら、ときおりシュッシュッと音を立てて私の内臓にピストルを撃ち込んでいるようです。ははあ、と思い出したのは「スターウォーズ」に出てくるダースベーダーでした。

 夢のような十数分間が過ぎました。

 出血がひどいので、輸血をしなければならないが、輸血によって肝炎に罹る可能性がないとはいえない。検査の結果次第(あとで胃癌の疑いがあったと知らされました)では手術という事態になるかもしれないが、意識が戻ったときには手術も終わっている。

 そういうもろもろのことを矢継ぎ早にいわれ、「承諾しますか」と訊かれましたが、まだ喉の麻酔が醒めず、口をこわばらせていた上に、半分ぐらい失った意識で聞いている私には承諾もへったくれもありません。

「四階の430号室」
 ナースがいっているのが聞こえ、初めてコリャえらいこっちゃと思いました。
 注射を打つか、薬をもらって、ちょうど煙草も切らしていたので、帰りに買って……と思って出てきているので、なんの準備もしていない。
 それでもまさか……。
 我に返ると、ぼんやりとベッドに腰かけている私がいました。それから二週間も入院することになるとは想像もしていなかった私です。


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