桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

カメラ片手にいずこへ行かむ

2009年05月03日 22時07分37秒 | のんびり散策

 今日三日から四日間のゴールデンウィークです。しかし、どこへも行くところがない。
 というか、行けない。我が勤め先の給料日が十日だからです。一昨年までは月末だったのですが、昨年から十日に変わりました。
 よって、正月もゴールデンウィークも、数えてみるまでもないほどの紙幣しか入っていない財布と睨めっこしながら過ごさねばなりません。

 情けなや情けなや、侘びしや侘びしや、と嘆いていても仕方がない。写真撮影が得意なわけでもないけれど、カメラ片手に近隣の散策にでも出てみませう、と考えて、これまで行ったことのないところを目指して歩きました。
 四日間の連休なのですから、日替わりで東西南北を歩いてみるか、と考えながら、どこへ行くとも決めずに出ましたが、足は西に向いていました。なにゆえに初回に西を目指すのか? 無意識のうちに西方浄土を目指しているのか?

 西のほう、坂川までは何度か行ったことがありますが、今日はほんの少し上流を歩くことにしました。
 
流鉄の小金城趾駅には新坂川を渡るのを兼ねた歩道橋のような橋があって、駅を通り抜け、線路の向こう側に降りられるようになっています。



 その橋から見下ろした小金城趾駅です。全線単線運転のこの路線は、この駅にしか交換できる線路がありません。
 流鉄の電車はすべて西武鉄道のお下がりです。私が西武新宿線の上石神井というところに棲んでいた三十歳前後、2000系という新しい車両の導入があって、この手の車両は次々と姿を消して行きました。そのころ乗った電車と再会していたのかもしれません。



 駅を通り抜けてしばらく歩くと、坂川です。堤防沿いに模型店がありました。
 今日はお休みらしい。
 思い返してみると、私はプラモデルに熱狂した憶えがありません。ラジコン遊びもしていません。野球ばかりやっていました。

 この模型店の少し先、新横須賀橋で坂川を渡ると、流山市です。
 小金城趾の次の駅・鰭ヶ崎(ひれがさき)に向かう道はわりと広い通りなのに、車もあまり通りません。住宅に混じってところどころに店舗があります。家具店、クリーニング店、理髪店、とんかつ屋……。
 歩いている人の姿もなく、のんびりとしていて、東北のどこかの町を思い起こさせます。なにゆえに九州や四国ではなく、東北の町を想起するのか、私にもわかりませんが……。

 鰭ヶ崎の駅で踏切を渡り、武蔵野線の南流山駅に向かう途中、東福寺というお寺を見つけました。



 石段は見た目より遙かに急で、五十一段もありました。
 高所恐怖症の私は途中から手すりを掴み、後ろを振り返らぬようにひたすら前だけ見て上りましたが、緊張感も手伝って息を切らしてしまいました。

 ここは千二百年前の弘仁五年(814年)、弘法大師が開いたお寺です。
 伝説では、大師が近くに棲む龍王の願いを聞き入れて、このお寺を開いたらしい。その龍王が残した「鰭」が鰭ヶ崎という地名の元になったということです。
 当時、周辺はまだ海だったようです。小高い丘として残っているこの地は半島の先端だったのでしょう。



 東福寺境内-。
 何が写っているのかよくわからないかもしれませんが、5メートルほど離れた竹林から地下茎を伸ばし、敷石を割って顔を出していた筍(タケノコ)です。

 急な石段を下るのは気が進まないと思っていたら、裏門がありました。短めの石段の先に、下ってまた上る道が真っ直ぐ延びていて、上り切ったところに奥の院の千仏堂がありました。
 意表をつく眺めでした。
 しかし、カメラは電池切れで、写すこと能わず。

 千仏堂の前は墓地です。土葬のころは死者を担いで坂を上ったので、その坂には「死人坂」というおどろおどろしい名がつけられています。日照権を巡って係争中のマンションがあるようで、建設反対の幟が風にはためいていましたが、これも写すこと能わず。

↓今回の散策の参考マップです。
http://chizuz.com/map/map56245.html


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