昨日の午前中、仕事で横浜へ行っていました。
外国からの貨物が横浜港に入るので、通称D/O(ディーオー)交換といって、船会社に船賃を払い、通関手続きをするための書類をもらいに行くのです。
貨物はほぼ毎月一度入ってくるので、書類をもらった数日後には貨物の引き取りと、一か月に二度は横浜-ごくたまに東京港のこともある-に通います。
船会社はそのときどきで異なるので、一口に横浜といっても、いろんなところへ行かなくてはなりません。
桜木町駅や横浜駅からバスを利用するしかないところ、それもバスが二十分か三十分に一本しかないようなところ、さらにさらに……最寄りのバス停から三十分近くも歩かなければならないようなところもあります。
交通の便がよくないところは本牧や大黒という埠頭の中で、倉庫と事務所が一緒になっているようなところです。ただただだだっ広いだけのところですから、冬は冷たい海風が強いし、夏は陽射しを遮ってくれる木陰もありません。
つむじ風を巻き上げて通り過ぎるトレーラーに追い立てられるようにして、トボトボと歩いている我が身は我ながら気の毒です。
仕事を終えて最寄りのバス停に舞い戻るころ、冬なら骨の髄まで凍ってしまったようだし、夏なら汗グッショリという表現を通り越した状態です。
幸いこの数か月は関内駅から歩いて行ける船会社なので助かっています。
昨日行った船会社の事務所は大桟橋近く、シルクセンターという建物の中にありました。この建物自体はおおよそ五十年の歴史しかありませんが、横浜開港当時はジャーディン・マセソンというイギリスの商社-アヘン戦争を起こした会社です-があった場所です。現在、周辺は官庁街になっていますが、恐らく開港当時は日本で一番モダンな繁華街であったのだろうと思います。
天気のよい日だと、お昼は官庁街のところどころに出る弁当屋で弁当を買い、山下公園のベンチに坐って包みを開いたりします。
しかし、昨日はあいにくの雨……。シルクセンター隣のジョナサンで昼食、とあいなって、牡蠣の卵とじ丼というのを食べました。
必ずしも昨日行かなくてもよいのでした。一昨日行こうかと考えたのですが、天気予報では夕方か夜には雨でした。翌日(つまり昨日)には雨は上がる、というようなことだったので、日延べをしたのです。
ところが、霧雨ながらも、雨はすっきりとは熄みません。それよりも何より、非常に寒かった。前の日に済ませておけばよかった、と天(というより天気予報)を恨みながらの横浜行だったわけです。
私たちは天気予報といい、テレビでも気象予報士という民間の人が出てくるようになってから、「予報」というようになりましたが、気象庁では「天気情報」というのだそうです。「予報」ではないので、当たるか当たらぬか、責任はとらないゾ、といっているように聞こえます。
いつだったか、猛暑(あるいは冷夏だったかもしれない)という予測が大ハズレしたことがありました。そのときの気象庁のコメントは「太平洋高気圧がこんなに勢力があるとは予測しなかった」というものでした。「予測しなかった」ではなく、「予測できなかった」というべきだろうと、桔梗おぢさんは無性に肚の立つ思いをしたことを憶えています。
昨日は霧雨の中を歩かされながらそのことを思い出し、雨は上がるといった天気情報に、また無闇に肚を立てておりました。
シルクセンターへ行くときは雨さえ降っていなければ、帰りは桜木町までのひと駅分を歩くことにしています。
桜木町にはユニクロがあって、隣にはベックスコーヒーもあります。
ほとんど内勤で、一日じゅう机の前に坐っていることの多い桔梗おぢさんは、ここぞとばかり、ユニクロでTシャツか、「ナニ」がピタリと納まるボクサートランクスか、靴下を買って、ほんのちょっぴり豊かな気分に満たされ、ベックスコーヒーでコーヒーを飲む、というのが月に一度の密かな愉しみなのであります。
往き帰りの電車の中で、文庫本ならかなりのページを読み進めることができるのもよい。
ボクサートランクスが古くなって、「ナニ」がピタリと納まらなくなってきているので、雨でしたが、歩くことにしました。
ところが、辿り着いてみたら、店は工事の塀で囲われていました。あとでベックスともども昨年十二月末で閉店になっていたと知りました。
私の暮らす周辺にはユニクロがありません。ユニクロどころかボクサートランクスを売っているような店がありません。当分ダルンダルンとなったトランクスで我慢しなければなりません。誰に怒りをぶつければよいものか……桔梗おぢさんは振り上げた拳の落としどころを見失って、帰りの電車の人となりました。
シルクセンター近くの開港資料館前から撮影したランドマークタワーも雨でけぶって上のほうが見えませんでした。
夕方に撮影したかのように見えるかもしれませんが、昼の十二時に撮影した画像であります。