時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

絶対的貧困の解決を

2007年08月12日 | 格差社会
先に行われた参議院選挙の争点の一つとして、格差や貧困の広がりも争点の一つとして、国民の関心を集めた。
この選挙直前だっただろうか、北九州市で生活保護を打ち切られた50歳代の男性が餓死するという悲惨な事件が起きたが、この事件はけっして特別な事例ではない。この10年で餓死件数は800件以上あるという。遠い歴史上の出来事ならともかく、この現代日本において餓死する人がいるということは、想像もつかないことだ。
いま、生活に困窮し、生活保護を受給している世帯数は100万を超えている。多くが単身の高齢者や母子家庭であり、これ以外に、病気などの特別の理由により就業不可能な世帯が受給しているのだろうが、こういう世帯が100万軒以上もあることは大変な事態だ。
また、生活保護の受給にまでは至らないものの、その予備軍を含めれば相当な数になるだろう。預貯金を有さない国民は、約20%と言われている。突然の出費(病気やケガによる入院など)があれば、直ちに生活に困窮する層がこれだけ増えているということだ。
今までの記事でも述べてきたが、編集長は、格差の存在がおかしいと言っているわけではない。封建社会であろうが、資本主義社会であろうが、共産主義社会であろうが、個人間の格差を完全に解消することは不可能である。
しかし、その格差の広がりによって、生活ができないような絶対的貧困が生まれていることは許されないことである。
生産力が低く、できるだけ平等に分配しても、全体に生産物が十分に行き渡らないような社会ならば一部の構成員には生命を維持できない少量の生産物しか行き渡らないことがあり得るだろう。しかしながら、この高度に発達した資本主義国である日本において、日々の食事にも事欠くような国民が存在することは異常な事態である。
昨今の格差の広がりというのは、多くの国民を下層に追いやり、それに伴い、食事さえ満足に取れない最下層の人たちを大量に生み出してきた。
格差そのものの存在(相対的な貧困)を解消することは不可能であろう。しかし、絶対的な貧困の根絶はそれほど難しいことではない。
ある所からない所へ、所得を分配すれば済むことである。
しかしながら、日本政府は徴税権を正しく機能させることができていない。口を開けば、「お金がない」というが、これはまともな徴税能力がないことを意味している。ある所から取ってない所に回す、この単純な機能そのものを失っているのが、自民・公明の政権である。
しかも、何億円も収入や資産のある者から根こそぎ取り上げて、500万円で生活しろというような無茶なことを言っているわけではない。
生活ができないような同胞を救済するために、税金や社会保険料を仲立ちにして必要な拠出を行い、生活保護などのセイフティネットを充実すべきだと述べているだけである。
格差の縮小は望ましいことだが、それよりも絶対的な貧困、あるいは、こういう貧困に陥る不安を解消することが急務であると思われる。


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