時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

格差の源泉

2007年06月24日 | 格差社会
以前に、富の源泉や労働力商品のことについての記事を書いておいたが、ざっとおさらいしておこう。
アダム・スミスが着目し、マルクスがその仕組みを明らかにしたように、富の源泉は労働にほかならない。
たとえば、1000万円の資金を元手に会社を作ったとする。200万円は当初の人件費であり、800万円が工場や事務所、備品、機械、原材料などに当てられたとする。
何年か会社経営を行ううちに、経営が軌道に乗り、会社の金庫には、2000万円、3000万円という現金が積まれたとしよう。
800万円の設備投資は、ただ原価償却するのみで、何物をも生み出すわけではない。労働力の使用によって、原料が加工され、新たな商品を生み出すことによってのみ、会社は利益を上げることができたわけである。その際、労働力という商品は、労働者の生命に付随しているため、この価格は労働者の生命を維持し、労働力を再生させるための経費(生活費、賃金)として計算されるわけであるが、労働力は、その使用によって、この賃金分だけでなく、余剰の価値を生み出す。マルクスはこれを剰余価値と名づけた。
労働者は、自らの労働力を維持するための費用を賃金として受け取るわけだが、実際にはその5倍、10倍もの剰余価値を生み出しているわけである。
こうして生み出された剰余価値は労働者の物とはならず、工場や原材料を提供した会社の持ち主の物となる。これが合法的な搾取の仕組みであり、貧富の差の根源である。
しかし、現在の経済格差を仔細に眺めると、こういう合法的な搾取による富の蓄積だけでなく、不法な事例が数多く認められる。
たとえば、サービス残業がそれである。労働者を規定の時間以上に働かせておきながら、賃金を支払わないという、もっとも原始的な搾取方法の一つである。
また、そもそも労働力の再生産ができないような低賃金での雇用が横行していることである。
地方では最低賃金が610円というところがある。1日8時間、月に22日間働いても、額面でわずか107,360円である。ここから、税金、社会保険料などを差し引いて、まともな暮らしができるだろうか。
さらに、大企業による中小零細企業への単価切り下げなども、もう限界に達しているのではなかろうか。乾いたタオルを絞ると言われた大企業もあるが、中小零細の下請け企業の経営者も、命を縮めながら経営を維持しているのが実情であろう。
これでは、労働力が宿っている人間の生命すら維持することはできない。
まさに、生命の維持すら難しいような状態で労働者を長時間、低賃金で働かせる一方で、企業は富を蓄積し、一部の経営者のみがその分配に与(あず)かっているのが現在の格差の根源なのである。
誰にでも大企業の経営者になれる、大金持ちになれるチャンスがあるのだから、そうなればよいではないか、という議論があるが、誰が資産を形成するかを論じているわけではない。
誰が頂点に立つかということに、編集長はまったく興味はない。結局は、一握りの資産家と多くの貧困者という根本的な図式は、まったく変わらない。適切な富の分配によって、あるいは、この貧富が発生する図式そのものを解消しなければ、格差も根絶できないのである。


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