時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

日本という社会の本質を見極めよう

2006年09月21日 | 政治問題
今までにいろいろと記事を書いてきたが、それぞれの政治的あるいは社会的な事件、事象の本質をなす日本と言う国の社会体制について論じておきたい。
ソ連が崩壊するまでは、世界を資本主義と社会主義の対立として描く論評が多かった。少なくとも、資本主義とは何か、社会主義とは何かということを各論者が(その認識の内容に差はありつつも)念頭に置いて論じられてきた。
ところが、ソ連崩壊後は、資本主義、社会主義という社会体制の決定的な違いさえ理解しない論調が生まれ始めている。(もっとも、ソ連という国が社会主義国だったのかどうか、編集長は大いに疑問を持っているが。)
いくつかのhomepageやブログでは、「日本は社会主義国になってしまった」という記載さえなされている。この論者によれば、銀行などを国有化しているから、日本は社会主義国だというのである。
社会体制というのは、どういう階級が生産手段(土地、工場、機械、原材料など)を所有し、権力を握り、どういう階級を支配しているかによって定義されるものである。
資本主義体制とは、一握りの資本家階級が生産手段を所有し、労働者を働かせ、その生産物を搾取するとともに、中小業者などを収奪する社会体制であり、社会主義体制とは生産手段を社会的に所有する社会体制である。
資本主義社会では、資本家階級が自らの言いなりになる政党を育成、支配し、資本家にとって都合の良い法律、教育、税制、経済的な仕組み、マスコミへの支配等々を作り上げている社会である。
銀行に税金をつぎ込んで、国有化したことをもって資本主義体制はけっして崩壊しないのである。それどころか、放漫経営によって膨大な不良債権を抱え込んで倒れかけた銀行資本に、国民の血税をつぎ込み、経営者の責任はうやむやにしたまま、これを立て直し、その支配を再び資本家に委ねた行為は資本主義の経済体制の延命を図るという資本家、財界の要求そのものである。
高度経済成長の最中には、さまざまな公害問題なども起こった。有害な廃液の垂れ流し、工場の煤煙などによって、国民に大きな健康被害を与えてきた。イタイイタイ病、水俣病、六価クロム、四日市喘息、光化学スモッグ、種々の薬害事件のほか、つい最近もアスベスト問題や原発問題、産業廃棄物などのゴミ問題、自然破壊も然りである。こういう事件は枚挙に暇がない。政府も公害企業も種々の法律に守られて、国民からの批判の声に押されて何十年もかかった後にしぶしぶ救済の手を差し伸べる。これが資本主義社会の本質である。
はっきりと言っておこう。日本は、純然たる資本主義社会であり、少なくともヨーロッパなどに比べて大企業に対する規制が極めて不十分な資本主義社会である。
資本主義社会は、生産手段を所有する少数の資本家が、多数の労働者やその他の階層を支配する社会であるため、非常にムダの多い非効率な社会体制である。財界は、その支配を維持するために、支配の請負人である政党の代議士、企業の管理職などに多少高額な報酬を与え、おだて上げ、企業活動への忠誠を誓わせるとともに、労働組合運動やさまざまな社会運動を妨害し、国民の階層間の分断を図り、資本主義体制の延命のために躍起になっているのである。
そして、長期的に見ると国民の支持が失われつつある自民党に代わる資本主義政党として、民主党の育成に取り組んでいるのである。資本主義を擁護する2大政党制の実現、そのための小選挙区制の導入も、財界が戦後からずっと準備して実現してきたことである。
今の日本は、資本主義社会であるが故の矛盾がさまざまな形で噴き出している。この資本主義に変わる新しい社会体制について、国民の間に、積極的な討論が巻き起こることを期待したい。
今日は誌面が尽きようとしている。日本の歪んだ資本主義の実態やソ連「社会主義」とは何だったのか、中国などはどんな社会を建設しようとしているのかを、稿を改めて検討したい。