時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

格差社会は当然?

2006年09月12日 | 格差社会
格差社会に関するブログなどを見ていると、議論の本質を履き違えて、「格差があるのは当たり前」などという的外れな主張を行っているものがある。
編集長も、まったく格差のない社会、万民が平等な社会というのはあり得ないと思っている。万民が平等な社会なんて、想像しただけでも気味が悪くて仕方がない。
いま、世間で議論になっている「格差」問題というのは、格差の存在の是非、善悪や漠然とした格差の広がりを論じているのではなく、以前から存在した格差が、この10年の間にどんどん拡大し、日々の生活にさえ困窮する家庭、義務教育さえ普通に受けられない子供たち、正規社員として就業できない青年たち、再就職できない一家の大黒柱、医療や介護も受けられない老人たち、100万世帯を超えた生活保護世帯など、人間としての最低限度の生活さえ保障されず、もはや個人の努力などでは解決不能な例が増大していることについて、多くの良識ある国民が懸念を表明しているのである。
以前は、徴収された税金が、教育や医療、福祉などに使われ、一定の格差の縮小が行われてきた。しかしながら、所得税の最高税率の引き下げ(75%→37%)、法人税率の引き下げ、マル優の廃止、消費税の導入、相続税の軽減など、所得の再分配機能を低下させる政策が次々に実行されたことが、格差を拡大する最大の原因になってきたのである。
本紙において何度も論じてきたように、労働市場での規制緩和によって非正規雇用者が増加し、今や3人に1人が、派遣社員、請負、フリーターなどの非正規雇用者であり、その年収は正規雇用者の数分の1の水準である。この規制緩和で、富を集積してきた企業に対して、必要な規制を行わない限り、格差は絶対に縮小しないのである。
自民党の杉村太蔵などは、自らのブログの中で、「ニートやフリーターが増えるのも小泉改革の責任だって。 えっ、マジかよ?」などと述べているが、このような認識では、現在の格差の広がりを是正することはできないのである。
冒頭に述べたように、相応の所得格差が生まれることを編集長は否定しない。しかし、現状のように、人間としての最低限度の生活さえ確保されない人たちが多数存在する社会はあまりにも異常ではないか。このような異常なまでの格差は子供の世代に引き継がれ、階層が固定化され、教育や職業選択の機会均等さえ保たれない。人生のスタートはできる限り平等であるべきだ。にもかかわらず、生まれた時から人生に希望が持てない社会というのはいかがなものであろう。これでは逆に、労働意欲も減退し、社会の活力も失われるのではあるまいか。
格差是正のためには、まず低所得者層の底上げが必要である。そのためには、企業に対する規制を強化し、正規労働者の雇用の促進、サービス残業の根絶、残業時間や労働時間の大幅短縮、最低賃金の引き上げなどを企業の社会的責任として、法的に規制して実行させることである。トヨタなどで行われていた違法な偽装請負などはつい最近厚生労働省が行政指導を行い、解決への道筋ができたではないか。これらのことはやる気があればすぐにでもできることばかりである。
また、ホームレスや障害者、母子家庭、病人などの社会的弱者に対しては、さらにきめ細やかな施策を講じる必要があることは言うまでもないことである。
さらに、付け加えるならば、この10年間にわたって、このような愚策を推し進めてきた自民・公明の連立与党の責任を広く明らかにし、今後のあらゆる選挙では、このような政党には絶対に1票を投じないことである。国民の良識ある態度に期待したい。