時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

「国旗」、「国歌」について

2006年09月22日 | 教育
入学式や卒業式で、起立や「国歌」斉唱を定めた東京都の通達について、東京地裁で違憲判決が出た。この判決では、通達に従わない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは思想、良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だと断じている。そして、明治時代から終戦まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、国旗、国歌と規定された現在でも、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えないとし、教職員が起立や斉唱を拒否しても、式典の進行や、国旗と国歌に対する正しい認識を生徒に教えることを阻害するものではないと述べている。まずは妥当な判決との印象を持っている。
さて、この判決については、賛否両論があるだろうが、今日は、日の丸、君が代についての意見を書いておこう。
日の丸、君が代が法律によりそれぞれ「国旗」、「国歌」と定められたのは1999年であるが、この判決が明らかにしているように、国民の間で「中立的な価値」が認められたとは言えまい。
日の丸は、日本人にとってはあまり違和感がないかもしれないが、アジア諸国民にとっては、やはり日本の侵略行為と切っても切れない存在として記憶されているであろう。しかも問題なのは、アジア諸国民の感情を逆なでするように、総理大臣が靖国神社を参拝し、自衛隊を海外に送るような歴史に逆行する行動が続いていることである。なおさら、日の丸への理解は進まないに違いない。
日本が、先の侵略戦争を心底から反省し、アジアを含む国際社会において、憲法や国連憲章に則った平和原則に従って行動してこそ、日の丸が平和の象徴として世界から受け入れられる日が来るのである。
さて、君が代であるが、こちらは日の丸と違って、歌詞の内容そのものに大きな問題を含んでいる。君が代とは、「天皇が支配する世の中」という意味であり、これが末永く続くようにというのが歌の主旨であり、明治憲法下の世の中なら許されるが、国民主権を標榜する現憲法下では許されない内容である。
また、異説ではあるが、この歌のルーツに関する研究も進んでいる。君が代は古今和歌集の賀歌の冒頭に掲載されているが、作者は不明である。いわゆる「読み人知らず」だ。天皇の世を祝賀し、賛美する第1番目の歌の作者がわからないというのはどういうことだろうか?
古田史学によれば、この歌に登場する「君」とは、現在の近畿天皇家ではなく、7世紀末まで博多湾岸に存在した九州王朝の王(筑紫君という言葉は、天皇家の正史である日本書紀にも登場する)のことであり、この地には、千代(ちよ)町、細石(さざれいし)神社、井原(いわら)山、井原遺跡、苔牟須売神(こけむすひめ)が祭られた若宮神社など、古代より歌詞と関係の深い地名や遺跡、神社が多数残っていることもこの説の根拠となっているようである。なかなか面白い説と思われる。もしそうなら、天皇家は8世紀初頭に日本の支配を確立した後に、博多湾岸で口伝えに歌われていたか、もしくはその地方の権力者の歌集に記載されていたこの「君が代」を拝借して、古今和歌集に「読み人知らず」として転載したと考えられる。
話はそれたが、いずれにせよ、現憲法下では容認できない内容の歌であることは明白である。
また、スポーツの国際試合などで、外国人選手から「今の曲は葬送曲か?」と質問されることも多いと聞いている。それほどリズム感がなく、メロディーも暗い。
したがって、国歌については、改めて日本にふさわしい歌詞やメロディーを公募し、真に国民が親しめる歌を定めることが望ましいと考えている。
卒業式、入学式などで、「国旗」、「国歌」が強制される以前には、教育現場が混乱を来たすことはなかった。それぞれの学校で、生徒や教職員が主役になって思い出に残る式が行われていた。お役所の都合や強制、来賓の希望ではなく、主役である生徒や教職員の気持ちを大切にこれらの式が進められることを希望したい。最後に、東京都が控訴することがないように切望するものである。