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●(沖縄タイムス)《軍事的な必要性が全てにおいて優先…沖縄は憲法が適用されない「軍事植民地」だった》…50年経っても変わらない

2022年05月16日 00時00分56秒 | Weblog

[※ 沖縄復帰50年 利用され続けた海と大地/西山太吉 「密約」を語る (週刊金曜日、2022年5月13日1376号)↑]


(2022年05月14日[土])
沖縄タイムスの【社説[復帰50年・戦争と基地]軍事要塞化に反対する】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/957301)。

 《今から50年前の1972年1月、佐藤栄作首相とニクソン米大統領は、日米首脳会談で、沖縄の施政権返還の日付を「5月15日」とすることに合意した。実はこの時、日米首脳会談とは別個に、福田赳夫外相とロジャーズ米国務長官との会談が行われ、本土の米軍基地に関する重要な取り決めが交わされていた》。

   『●《権力欲に駆られた政治家》アベ様やカースーオジサンによる《含羞》
      なき、《廉恥》欠く、破廉恥な政権が8年8カ月も続いてしまった…
    《来年は沖縄の施政権返還日本復帰)から50年の節目を迎える。
     50年前の「沖縄国会」で、衆議院は在沖米軍基地の縮小決議を
     全会一致で決議したが、いまだに実現していない。岸田首相に
     国会決議を実現し、繰り返し民意が示された名護市辺野古の
     新基地建設見直しを求める》

   『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
     殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》
    《72年の日本復帰後も沖縄の人々は基地の自由使用に抵抗し、抜本的な
     整理縮小や日米地位協定の改定を求めてきた。その意思を尊重せず
     国益や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする日米政府の手法は
     植民地主義だ。県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても
     建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を
     侵害する植民地主義の象徴である》

   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…
    《72年5月15日の日本復帰記念式典で屋良朝苗知事は「沖縄がその
     歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」すると述べた。
     日本復帰から半世紀。日米に利用されてきた立場に終止符を打つ時期が
     来ているのではないか。》

   『●来年の「5・15」で50年…屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての
        復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…
   『●<金口木舌>《コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず、米兵は
     基地の街をマスクをせず闊歩している。これが復帰から半世紀の沖縄》
    《2022年を迎えた。今年は沖縄の施政権返還日本復帰)から
     50年の節目に当たる。半世紀前に琉球政府が日本政府と国会に求めた
     のは、自己決定権の確立であり、民意を尊重することであった》

   『●「思いやり予算」として小さく生んで、いまや「同盟強靱化予算」
     として大きく育った番犬様の「お財布」、とっても気前の良いニッポン
    《▼沖縄は来年日本復帰50年を迎えるのに、過重な基地負担と沖縄戦や
     米軍統治下から続く特殊事情に今も苦しんでいる思いやりなどなく
     札束で頬をたたくような政府を想像すれば、予算の増減に一喜一憂せず、
     新時代を自ら切り開く県民の気概を見せたい。(吉川毅)》

   『●長周新聞《まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国
     ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」》…渡具知武豊名護市長再選の闇
    《今年で復帰50年を迎えるが、なんのための日本復帰だったのか
     ドルが円に変わっただけではないか。いまだに米軍の統治下に置かれ、
     問答無用で踏み台にされていると思わざるを得ない。人殺しの基地の島
     ではなく、人を生かす島にならなければならないし、そのために
     もたらされる豊かさは砂上の楼閣でしかない」と憤りを込めて話した》

   『●ニッポン〝復帰〟50年…《沖縄の自然が破壊され、民意が踏みにじら
     られて軍事基地ができていく現実》、辺野古は単なる破壊「損」な現実
   『●番犬様のものじゃない…《基地負担の軽減は遠く、米軍は今も島全体を
      自由使用する。よもや「返したけれど俺のもの」と思ってはいまいか》
   『●《元山仁士郎さん…「半世紀たっても、米軍基地の押しつけは変わって
      いない」…言葉には、沖縄にずっとのしかかる負担の重さがにじむ》

 沖縄は、番犬様のものじゃない…《基地負担の軽減は遠く、米軍は今も島全体を自由使用する。よもや「返したけれど俺のもの」と思ってはいまいか》。一方で、ニッポン「本土」は〝生贄〟として、《標的》として、〝植民地〟として、《人柱》として、喜々として沖縄を差し出す。自公政権やお維に壊され行く沖縄…沖縄「屈辱の日」を「主権回復の日」と言う元首相、恥ずかしげもなく沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…。政権の交代無くして、辺野古破壊は止まらないし、沖縄差別は止まらない。でも現実は、オール沖縄の選挙での連敗が続く…。
 目取真俊さん《「日本復帰」50年というのに、新たな米軍基地が造られつつあるのが沖縄の現実》。在りもしない《在日特権》にはバカ騒ぎする人々は、明確に存在する〝在日米軍特権〟には沈黙する卑怯者。
 《沖縄にずっとのしかかる負担の重さ》。元山仁士郎さん「半世紀たっても、米軍基地の押しつけは変わっていない」。

 沖縄タイムスの【社説[辺野古訴訟 県敗訴へ]納得できぬ「弁論なし」】によると、《高裁判決は…迷惑施設が自分の家の近くに来るのは嫌だという日本本土のNIMBYNot In My Back Yardニンビー)は認め、沖縄には基地を押し付けるとしか読めないくだりもあった…最高裁は人権の砦である。…これでも主権国家といえるのだろうか》。政府や自公お維コミ、その支持者らは《本土側のNIMBYニンビー)症候群》。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/957301

社説[復帰50年・戦争と基地]軍事要塞化に反対する
2022年5月13日 07:02

 今から50年前の1972年1月、佐藤栄作首相とニクソン米大統領は、日米首脳会談で、沖縄の施政権返還の日付を「5月15日」とすることに合意した。

     (米軍の大規模演習「フォートレス・ゲイル(要塞の嵐)」
      =1979年8月)

 実はこの時、日米首脳会談とは別個に、福田赳夫外相とロジャーズ米国務長官との会談が行われ、本土の米軍基地に関する重要な取り決めが交わされていた。

 関東平野の米軍基地の大部分を整理し横田基地に統合する、という大がかりな返還計画である。

 米海軍が那覇基地に配備していたP3C対潜哨戒機の移転問題も取り上げられた。福田外相は、本土に移転すれば政治的問題を引き起こすと指摘し、沖縄の別の基地に移転するようロジャーズ長官に要請したという。

 返還後も沖縄の米軍基地はほとんど減らなかったのに対し、本土の米軍基地は、「関東計画」の実施によって急速に減少した。

 その結果、本土と沖縄の米軍専用施設の面積比率も逆転する。約7割が沖縄に集中する現実は今も変わらない。

 復帰前年の71年には、横田基地のF4戦闘爆撃機が嘉手納基地に移転している。

 基地はなぜ沖縄に集中しているのか。歴史をさらにさかのぼると、戦後一貫して沖縄の基地を容認し、その必要性を強調してきた政府の姿勢が浮かび上がる。

■    ■

 サンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約は51年9月8日、同じ日に調印され、いずれも52年4月28日に発効した。

 講和問題と安保問題は不可分の関係にあった。

 戦争放棄条項(9条)を盛り込んだ憲法が施行された時、連合国最高司令官のマッカーサーは沖縄を軍事要塞(ようさい)化することで日本の安全保障は保てると考えていた。

 「天皇メッセージ」を発信した昭和天皇も、講和・安保両条約の交渉を進めていた吉田茂首相も、米軍による沖縄の基地化を容認していた。

 沖縄戦で捨て石とされた沖縄は、米軍統治の下で土地の強制接収と基地建設が進み、共産圏封じ込めのための「太平洋の要石」に変貌していく。

 ベトナム戦争当時、沖縄の米軍基地は訓練、作戦・発進、補給、通信などの機能を備えていた。

 米軍が何より重視していたのは、核兵器の搬入・貯蔵・移動などを含め行動の自由が保障されていたことだった。

 軍事的な必要性が全てにおいて優先された。厳密な定義はともかく生活実感からすれば、沖縄は憲法が適用されない「軍事植民地」だった

 アジア冷戦の最前線基地となった戦後の沖縄では、米軍による事件事故や暴力沙汰、人権侵害など、「戦争」に関連するさまざまな問題が後を絶たなかった。

■    ■

 ロシア軍によるウクライナ侵攻と、東アジアの安全保障環境の悪化、台湾有事への懸念。新冷戦とも呼ばれる国際情勢の中で、再び沖縄の軍事要塞化が主張され始めている。

 復帰50年にちなんでメディア各社が実施した意識調査などでは、日米安保を評価する一方で「自分の庭に基地を置かれては困る」という本土側のNIMBYニンビー)症候群が相変わらず顕著だった。

 沖縄への基地の集中は、中国のミサイル攻撃を考えれば標的となりやすく、さらなる分散が必要だ。

 負担の不公平が広がれば、安全保障政策そのものが不安定化する。

 緊張緩和に向けた努力が語られないのが気がかりだ。軍事力にすがるだけでは新たな秩序形成は難しい。
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●番犬様のものじゃない…《基地負担の軽減は遠く、米軍は今も島全体を自由使用する。よもや「返したけれど俺のもの」と思ってはいまいか》

2022年05月11日 00時00分05秒 | Weblog

[↑ 辺野古破壊反対広告 (2021年06月06日、朝日新聞)]


(20220428[])
琉球新報の二つのコラム【<金口木舌>沖縄は住民のもの】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1509031.html)と、
【<金口木舌>沖縄と日本の関係は対等?】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1508332.html)。

 《▼沖縄が米国の施政権下に置かれた対日講和条約の発効からきょうで70年。そしてもうすぐ日本への沖縄返還から50年を迎える。基地負担の軽減は遠く米軍は今も島全体を自由使用する。よもや「返したけれど俺のもの」と思ってはいまいか》。
 《▼地方自治分権の確立が求められる時代。国と沖縄の関係を親子になぞらえることに異論もあろう。本来は対等の関係だ。であるならば、自立を求める沖縄の願いを、もう少し尊重してはどうだろう》。

   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復
     の日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…

 番犬様の《もの》じゃぁない。一方で、ニッポンは〝生贄〟として、《標的》として、〝植民地〟として、《人柱》として、喜々として沖縄を差し出す。自公政権やお維に壊され行く沖縄…沖縄「屈辱の日」を「主権回復の日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…。政権の交代無くして、辺野古破壊は止まらないし、沖縄差別は止まらない。でも現実は、オール沖縄の選挙での連敗が続く。

   『●《権力欲に駆られた政治家》アベ様やカースーオジサンによる《含羞》
      なき、《廉恥》欠く、破廉恥な政権が8年8カ月も続いてしまった…
    《来年は沖縄の施政権返還日本復帰)から50年の節目を迎える。
     50年前の「沖縄国会」で、衆議院は在沖米軍基地の縮小決議を
     全会一致で決議したが、いまだに実現していない。岸田首相に
     国会決議を実現し、繰り返し民意が示された名護市辺野古の
     新基地建設見直しを求める》

   『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
     殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》
    《72年の日本復帰後も沖縄の人々は基地の自由使用に抵抗し、抜本的な
     整理縮小や日米地位協定の改定を求めてきた。その意思を尊重せず
     国益や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする日米政府の手法
     植民地主義だ。県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても
     建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を
     侵害する植民地主義の象徴である》

   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…
    《72年5月15日の日本復帰記念式典で屋良朝苗知事は「沖縄がその
     歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」すると述べた。
     日本復帰から半世紀。日米に利用されてきた立場に終止符を打つ時期が
     来ているのではないか。》

   『●来年の「5・15」で50年…屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての
        復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…
   『●<金口木舌>《コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず、米兵は
     基地の街をマスクをせず闊歩している。これが復帰から半世紀の沖縄》
    《2022年を迎えた。今年は沖縄の施政権返還日本復帰)から
     50年の節目に当たる。半世紀前に琉球政府が日本政府と国会に求めた
     のは、自己決定権の確立であり、民意を尊重することであった》

   『●「思いやり予算」として小さく生んで、いまや「同盟強靱化予算」
     として大きく育った番犬様の「お財布」、とっても気前の良いニッポン
    《▼沖縄は来年日本復帰50年を迎えるのに、過重な基地負担と沖縄戦や
     米軍統治下から続く特殊事情に今も苦しんでいる思いやりなどなく
     札束で頬をたたくような政府を想像すれば、予算の増減に一喜一憂せず、
     新時代を自ら切り開く県民の気概を見せたい。(吉川毅)》

   『●長周新聞《まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国
     ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」》…渡具知武豊名護市長再選の闇
    《今年で復帰50年を迎えるが、なんのための日本復帰だったのか
     ドルが円に変わっただけではないか。いまだに米軍の統治下に置かれ、
     問答無用で踏み台にされていると思わざるを得ない。人殺しの基地の島
     ではなく、人を生かす島にならなければならないし、そのために
     もたらされる豊かさは砂上の楼閣でしかない」と憤りを込めて話した》

   『●ニッポン〝復帰〟50年…《沖縄の自然が破壊され、民意が踏みにじ
     られて軍事基地ができていく現実》、辺野古は単なる破壊「損」な現実

 《地方自治や行政手続きをゆがめ、環境を破壊する暴挙》がひたすら続く…そして、《標的の島》に。琉球弧の島々が攻撃の《標的》に。
 在りもしない《在日特権》にはバカ騒ぎする人々は、明確に存在する〝在日米軍特権〟には沈黙する卑怯者。沖縄での番犬様の《特権》には沈黙なのね?

   『●台湾有事を煽り《ロシアのウクライナ侵攻のような軍事衝突にまで
     エスカレートさせてはならない…外交による対話を強めなければならない》
    《基地による「標的の島」へ 沖縄戦の教訓 馬毛島問題と自衛隊の関係
     について考えるうえで、まず沖縄戦の教訓に触れておきたい。77年前に
     民間人を巻き込む地上戦となった沖縄戦では、軍がいない地域や島では
     住民が無傷であったり、被害が軽微に済んでいたのに対して、軍が
     配備されていた場所では地域全体が原形を留めないほどに猛攻撃を
     受けたつまり基地をつくるということは、その地域は「標的の島
     になるということを教えている

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1509031.html

<金口木舌>沖縄は住民のもの
2022年4月28日 05:00
金口木舌 沖縄返還 基地負担 対日講和条約

 「お前の物は俺のもの。俺の物も俺のもの」。国民的アニメで有名なこのせりふ、多くの人が耳にしたことがあるはずだ

▼近代社会は所有権や占有権、管理権や利用権などさまざまな権利を基盤にルールが定められている。自分と他者の平穏を守り、社会の調和を維持する仕組みだ。冒頭のせりふは、そうした前提条件を全く無視してみせる横暴さがインパクトを生み、人々の脳裏に残るのだろう

▼アニメの中ならば笑えるが、現実世界だとたまらない。在沖米軍が日米で合意した提供区域や訓練区域の外で訓練を実施する事態が相次いでいる

▼北谷沖では漁船が操業する近くでヘリの低空飛行を実施した。人命救助の訓練だと米軍は正当性を強調するが、海人が身の危険を感じるようでは元も子もない

▼沖縄が米国の施政権下に置かれた対日講和条約の発効からきょうで70年。そしてもうすぐ日本への沖縄返還から50年を迎える。基地負担の軽減は遠く米軍は今も島全体を自由使用する。よもや「返したけれど俺のもの」と思ってはいまいか。
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1508332.html

<金口木舌>沖縄と日本の関係は対等?
2022年4月27日 05:00
金口木舌 沖縄振興

 戦争の傷の痛みに泣く子を、かつての敵である米軍に委ねた日本。その間に、世界にも例を見ない急速な経済成長を遂げ、経済大国となった

▼復帰前には、沖縄と日本を、里子と親との関係になぞらえる人もいた。里子は、米軍の暴力でさらに痛めつけられた人権と平和を保障する親元の憲法に憧れ、ようやく戻った

▼その親は子の面倒は見るが、在日米軍専用施設の7割を押し付ける。子がもう少し基地負担を減らしてほしいと、普天間飛行場を「県内でなく県外へ」と訴えても背を向ける

50年前も今も変わらない。それどころか新たな国の「沖縄振興基本方針」では、沖縄の「自主性を尊重」の文言を削り、自立を阻む力を強める。他県が用途別にもらう費用を、沖縄は首相直属の機関から年間分まとめてもらうから「特別な予算」と誤解される

地方自治分権の確立が求められる時代。国と沖縄の関係を親子になぞらえることに異論もあろう。本来は対等の関係だ。であるならば、自立を求める沖縄の願いを、もう少し尊重してはどうだろう。
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●ニッポン〝復帰〟50年…《沖縄の自然が破壊され、民意が踏みにじられて軍事基地ができていく現実》、辺野古は単なる破壊「損」な現実

2022年04月27日 00時00分19秒 | Weblog

[↑ 辺野古破壊反対広告 (2021年06月06日、朝日新聞)]


(2022年04月17日[日])
沖縄タイムスの【社説[復帰50年の国会決議]基地負担軽減の決意を】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/942383)。
琉球新報の【<社説>復帰50年国会決議へ 「空手形」にしない努力を】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1501448.html)。

 《決議は国会の意思を表明する行為であり意義は重い。ただし決議するだけでは十分とは言えない》。
 《しかし、この決議は未だに実現していない。今回の決議も「空手形」に終わらせてはならない。名護市辺野古の新基地建設断念日米地位協定の抜本見直しなど、沖縄側の要望を取り入れた内容にするよう強く求める》。

 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/「日本復帰」50年というクソのような節目に沖縄で起こっていること】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/30df4bba6833d2492397deddbd4954d5)によると、/《「日本復帰」50年というのに、新たな米軍基地が造られつつあるのが沖縄の現実だ。これからまた、大きな岩が海に投入される様子を間近に見なければならない日が続く。それだけで大きなストレスになる。現場にいれば嫌な現実を目にするだけでなく、音もあれば臭いもあり、暑い日差しや寒さにも耐えないといけない。インターネットで情報を得て分かった気になってはいけない。ぜひ多くの人がカヌーに乗って海に出て、沖縄の自然が破壊され、民意が踏みにじられて軍事基地ができていく現実を、自分の目で確かめてほしい》。
 《インターネットで情報を得て分かった気になって》…あぁ、いつも胸が苦しくなる…。

 目取真俊さん《「日本復帰」50年というのに、新たな米軍基地が造られつつあるのが沖縄の現実》。在りもしない《在日特権》にはバカ騒ぎする人々は、明確に存在する〝在日米軍特権〟には沈黙する卑怯者。

   『●《権力欲に駆られた政治家》アベ様やカースーオジサンによる《含羞》
      なき、《廉恥》欠く、破廉恥な政権が8年8カ月も続いてしまった…
    《来年は沖縄の施政権返還日本復帰)から50年の節目を迎える。
     50年前の「沖縄国会」で、衆議院は在沖米軍基地の縮小決議を
     全会一致で決議したが、いまだに実現していない。岸田首相に
     国会決議を実現し、繰り返し民意が示された名護市辺野古の
     新基地建設見直しを求める》

   『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
     殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》
    《72年の日本復帰後も沖縄の人々は基地の自由使用に抵抗し、抜本的な
     整理縮小や日米地位協定の改定を求めてきた。その意思を尊重せず
     国益や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする日米政府の手法は
     植民地主義だ。県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても
     建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を
     侵害する植民地主義の象徴である》

   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…
    《72年5月15日の日本復帰記念式典で屋良朝苗知事は「沖縄がその
     歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」すると述べた。
     日本復帰から半世紀。日米に利用されてきた立場に終止符を打つ時期が
     来ているのではないか。》

   『●来年の「5・15」で50年…屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての
        復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…
   『●<金口木舌>《コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず、米兵は
     基地の街をマスクをせず闊歩している。これが復帰から半世紀の沖縄》
    《2022年を迎えた。今年は沖縄の施政権返還日本復帰)から
     50年の節目に当たる。半世紀前に琉球政府が日本政府と国会に求めた
     のは、自己決定権の確立であり、民意を尊重することであった》

   『●「思いやり予算」として小さく生んで、いまや「同盟強靱化予算」
     として大きく育った番犬様の「お財布」、とっても気前の良いニッポン
    《▼沖縄は来年日本復帰50年を迎えるのに、過重な基地負担と沖縄戦や
     米軍統治下から続く特殊事情に今も苦しんでいる思いやりなどなく
     札束で頬をたたくような政府を想像すれば、予算の増減に一喜一憂せず、
     新時代を自ら切り開く県民の気概を見せたい。(吉川毅)》

   『●長周新聞《まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国
     ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」》…渡具知武豊名護市長再選の闇
    《今年で復帰50年を迎えるが、なんのための日本復帰だったのか
     ドルが円に変わっただけではないか。いまだに米軍の統治下に置かれ、
     問答無用で踏み台にされていると思わざるを得ない。人殺しの基地の島
     ではなく、人を生かす島にならなければならないし、そのために
     もたらされる豊かさは砂上の楼閣でしかない」と憤りを込めて話した》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/942383

社説[復帰50年の国会決議]基地負担軽減の決意を
2022年4月14日 06:49

 沖縄の復帰50年に当たり国会決議の調整が進んでいる。21日の沖縄・北方特別委員会で与野党の案について質疑が行われ、その後、衆院本会議で決議する見通しだ。

 「強い沖縄経済」「平和創造拠点」「万国津梁」といった文言を盛り込む方向で調整しているといい、全会一致での決議を目指す。

 復帰に関する国会決議は過去に2度あるが、全会一致が実現すれば初となる。

 決議は国会の意思を表明する行為であり意義は重い。ただし決議するだけでは十分とは言えない

 復帰に関する初の決議は1971年、沖縄返還協定の審議中に採択された「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」だ。沖縄の米軍基地の速やかな整理・縮小を政府に求めたが、復帰を前後して本土の米軍基地が急速に減少し約3分の1となったのに対し、沖縄の米軍基地は数%しか減らなかった

 復帰という局面に際しても沖縄に基地を集中させる形で、本土の米軍基地が整理統合されたことになる。71年決議は、なんら具体化されなかった。

 2度目の国会決議は97年に県側の提案で実現。ここでも基地の整理・縮小、移転に全力で取り組む-などが盛り込まれた。前年96年の日米特別行動委員会SACO最終報告で11施設の返還が合意されたこともあり、ようやく道筋が見えたと思われたが、実態は違った。

 返還とうたわれた大半は県内移設で、合意が実行されていない施設も多い

■    ■

 結果として復帰50年の日を目前にした今も、在日米軍専用施設の約7割が沖縄に集中している。

 基地派生の事故は一向になくならず、逆に、米軍機の緊急着陸や米軍機からの落下事故の報告、有毒なPFOS(ピーホス)・PFOA(ピーホア)を含んだ排水の漏出など、県民生活を脅かす事故が相次いでいる。

 最近は基地や訓練区域以外での訓練も目立つ。それなのに政府は、過去に「違反」「協定外」としてきた区域外訓練について、日米地位協定の解釈を変更し「認められている」との見解を示している

 例外的な米軍の運用を追認するのみで、米軍と交渉する姿勢は見られない

 国会では、こうした政府の弱腰を追及する声も少なく、決議の趣旨は全くと言っていいほど顧みられていない。政治の怠慢と言われても仕方ない。

■    ■

 3度目の決議はどうなるのか。

 基地負担の軽減は、復帰後、県民が一貫して要求してきた課題の一つである。国会もそれに応え、過去2度の決議に「基地の整理・縮小」の文言を盛り込んできたはずだ。

 しかし現状を見れば、決議の目的が達成されたとは到底言えない。引き続き、はっきりとした基地負担軽減への意思を示すべきだ。

 加えて何よりも重要なのが、県民の目に見える形でその実現に力を尽くすことだろう。それこそが国会や政府の責務である。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1501448.html

<社説>復帰50年国会決議へ 「空手形」にしない努力を
2022年4月14日 05:00

 与野党は、国会で沖縄の施政権返還日本復帰)50年についての決議を行う方向で調整している。

 国会での沖縄に関する決議は、「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」がある。沖縄返還協定を可決した1971年11月24日、全会一致で可決した。

 しかし、この決議は未だに実現していない。今回の決議も「空手形」に終わらせてはならない。名護市辺野古の新基地建設断念日米地位協定の抜本見直しなど、沖縄側の要望を取り入れた内容にするよう強く求める。

 今回自民党が衆院本会議での決議を目指す決議案には、琉球王国時代の鐘に刻まれた碑文に由来する「万国津梁」、岸田文雄首相が政府方針に掲げる「強い沖縄経済」、沖縄戦の経験を踏まえた「平和創造拠点」などの文言を盛り込む見込みだという。

 一方、野党案は子どもの貧困、労働生産性の低さなどを課題として挙げ、自立的発展に役立つ振興策を求めている。政府に在沖米軍基地の整理縮小や早期返還に努めるよう求め、日米地位協定見直しの検討が盛り込まれている。

 日本復帰から50年を振り返れば、日本政府が沖縄側に期待させて、結果的に期待を裏切る事例が目立つ。1996年4月に日米合意した米軍普天間飛行場の返還は典型的な例といえるだろう。

 民主党の鳩山由紀夫氏は、2009年、普天間の「最低でも県外移設」を主張し、県民の期待を高めた。だが、首相に就任すると官僚の抵抗に遭い県内移設に回帰した。鳩山氏は「防衛、外務官僚は米側を通して辺野古でないと駄目だという理屈を導いた」と証言している。

 自民党の安倍晋三首相は13年、当時の仲井真弘多知事から辺野古新基地建設に伴う埋め立て承認を得る際に、仲井真氏が提示した「普天間飛行場の5年以内の運用停止」などの条件に対し「全力で取り組む」と強調した。仲井真氏は埋め立てを承認した。

 仲井真氏を破って当選した翁長雄志知事は「5年以内運用停止は辺野古埋め立て承認を得るための話のごちそう、話くゎっちー、空手形」であり、最後は「知らんぷり」すると批判した。翁長氏の指摘通り安倍氏は米国と交渉せず運用停止は実現していない

 そもそも1971年の非核・基地縮小決議は、妥協の産物である。自民党が特別委員会で沖縄返還協定を強行採決して以来、国会は空転した。国会を正常化し衆院本会議で返還協定可決を目指す自民党は、野党側が提案した決議案を受け入れたのだった。

 沖縄返還交渉に際し、佐藤栄作政権は核密約基地の自由使用米国と合意していた。政府にとって国会決議は受け入れられない内容だった。「空手形」に終わった過去の決議を繰り返してはならない。与野党とも肝に銘じてほしい。
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●長周新聞《まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国 ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」》…渡具知武豊名護市長再選の闇

2022年02月07日 00時00分31秒 | Weblog

[※↑ 「辺野古」はどうなる? 名護市長選 (週刊金曜日、2022年01月14日1360号)]


(20220130[])
日刊スポーツの記事【政界地獄耳/「米軍悪者にするな」の幼稚な理屈】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202201080000082.html)。
長周新聞の記事【まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国 ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」】(https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/22564)。

 《★自民党入りした細野豪志は昨年末、ツイッターで「台湾有事が現実となった場合、与那国島石垣島など先島諸島は戦闘機が飛び交う空域となり住民避難が必要。同時に中国が尖閣諸島を攻める可能性が高い。日米同盟により中国を抑止する以外、沖縄県を守る道はない」と書き込んだが、れ以前の外交努力をどう尽くすかが政治家の本来の役割ではないか。台湾有事の前に沖縄県民はコロナから避難したいのではないか》。
 《新基地建設を推進する政府与党(自民・公明)の全面バックアップを受け、前回市長選で稲嶺前市長を3400票差で破って当選した現職の渡具知武豊氏と、基地建設反対を訴えるオール沖縄が支援する名護市議の岸本洋平氏が出馬を表明しており、市長選は前回同様、新基地建設の是非をめぐって争う二陣営の一騎討ちとなる。だが前回は東京司令部がフル稼働し、組織や資金を投入して、前市政に対するネガティブキャンペーンや劇場型選挙をくり広げた自民党や公明党も、今回は表向き鳴りを潜め、あえて選挙を盛り上げずに逃げ切りを図る姿勢を見せている》。

 まず、どう見ても、またしても番犬様が《震源地》化したというのに、《「米軍悪者にするな」の幼稚な理屈》。
 また、軍隊は市民を護らない。島嶼部の市民が避難できる訳がない。《それ以前の外交努力をどう尽くすかが政治家の本来の役割ではないか》。自公お維コミは、そんなに戦争したいのかね?

 さて、名護市長選。前回の悔しさを晴らすことが出来ず。『横田一さん前回名護市長選ルポ:「詐欺集団の安倍自民党が“フェイク演説”で市長ポストを騙し取った──』。勝たせてはいけなかった市長渡具知武豊と負けさせてはいけなかった稲嶺進さん。今度こそは岸本洋平さんに勝ってもらわねばならなかったのだけれど…。とても残念な結果になりました…まさに《『与党が勝てば予算はつく』という兵糧攻めで露骨な嫌がらせ》で名護市長選で再選してしまいました。
 《どれだけ国の予算で潤ったとしても、新たな基地をつくってしまえば、福島の原発立地町と同じように故郷を捨てなければならないことを覚悟しなければならない》…福島と沖縄、構図としては同じだ。《人殺しの基地の島ではなく、人を生かす島にならなければならないし、そのためにもたらされる豊かさは砂上の楼閣でしかない》。

 岸田文雄首相は「在日米軍が原因と断定するのは難しい」と…正気? どう見ても、またしても番犬様が《震源地》化したにきまっているというのに。
 AERAのコラム【姜尚中「米軍基地での感染のスプレッダーが日米地位協定の歪さを露呈した」】(https://dot.asahi.com/aera/2022011800033.html)によると、《1月9日、日米両政府は在日米軍のコロナ感染拡大の対処策に関する共同声明を出しました。あまりにも遅すぎる対応に国民の不信感が募っています。米軍基地問題では沖縄と「本土」の温度差がありました。しかし、今回の感染拡大は山口県の米軍基地と、広島県も加わっています。広島は岸田文雄首相、山口は安倍晋三元首相、林芳正外務大臣のおひざ元であり、政権中枢の地盤です。もしこれが沖縄だけの問題であれば「本土」と切り離されて、地域的な「特殊性」として処理されたかもしれません》。
 琉球新報の【<社説>基地からの感染拡大 米軍任せの対策は限界だ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1456193.html)によると、《2020年夏に県内で流行していた新型コロナウイルスが米軍由来ではなく、東京の感染と同じグループだと説明されてきた件について、その根拠となるゲノム解析の結果が残されていないことが判明した。なぜ失われたのかを明らかにしなければならない。米軍内での感染について情報が得られず、県が国立感染症研究所に解析を依頼していた。米軍の対策はあまりに不備が多い国民の命を守るため、防疫に関する措置の網を米軍にかぶせる必要がある。21年12月には、クラスター(感染者集団)がキャンプ・ハンセンから拡大し、県内で感染が広がった。20年の解析結果がさらに検証されていれば、その後の対策に資する部分もあったと考えられる》。

 デモクラシータイムスで横田一さんも指摘していた問題。勝たせてはいけなかった市長・渡具知武豊氏、さらに再選してしまった…。取り返しのつかないことをしてしまったのでは?
 長周新聞の記事【名護 消防跡地がなぜか市長親族企業に 大和ハウス工業からの転売 市議会が百条委員会で検証中】(https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/22545)によると、《…と、「オール沖縄」が推薦し、辺野古新基地建設反対を唱える名護市議の岸本洋平氏(49)との一騎討ちとなる公算が高まっている。1期4年間に対する市民の評価が問われる渡具知市政だが、現在、同市がおこなった市有地売却をめぐって名護市議会が紛糾し、百条委員会が設置される事態に至っている。主な内容は、市の一等地にある旧消防庁舎跡地の売却をめぐり、議会が知らないところで、渡具知市長の親族企業子会社に土地所有権が移転されていたというものだ。だが、百条委員会が設置されるほど重大な市政問題でありながら、議事や資料が非公開とされ、その内容が市民に知らされていない状況にあるため、本紙は議会議事や名護市が公開している資料、関係者からの取材をもとに事実関係を整理した》。

   『●《「本土復帰50年に予算の大幅減額とは驚いた。政府は…県内選挙を
       優位に進めるために『与党が勝てば予算はつく』という兵糧攻め》

 悔しく、そして、虚しい。二期続けて、なぜこんな結果になるのだろうか…。
 日刊ゲンダイの記事【沖縄選挙イヤー初戦・名護市長選は政権側が制す 基地移設反対「オール沖縄」退潮のワケ】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/300346)によると、《沖縄国際大教授の前泊博盛氏はこう言う。「世論調査では基地問題と経済への関心が大きな比重を占める中、コロナ禍で生活を優先する傾向が現役世代を中心に強まった結果とみています。渡具知市長は『無償化3点セット』(保育料、学校給食費、高校卒業までの医療費無料化)の実績を強調し、現職の強みを生かした。基地問題に触れない争点外しの選挙戦を徹底したため、新基地建設反対の県公明党も支援に動きやすかった」 「無償化」の主な原資は国の米軍再編交付金だ。移設に反対した稲嶺市政下の10~16年度は不交付だったが、18年に渡具知氏が初当選すると復活。17年度分も合わせ、21年度までの4年間で74.5億円が支給見込みだ》。
 東京新聞の記事【【解説】名護市長選に自公系現職 辺野古新基地「信任」とは言えず】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/155998)によると、《だが、渡具知氏は辺野古移設について、4年前の前回市長選と同様に今回の選挙戦でも賛否を明言しなかった。再選によって辺野古移設に「信任」を得られたと政府・与党が認識しているのであれば、大きな誤りだ。渡具知氏は選挙戦で、米軍再編交付金を財源にした子育て支援策の実績を前面に打ち出した。その一方で、移設の是非は「国と県の訴訟の推移を見守る」と繰り返し、辺野古問題への言及を避ける戦術を取った。辺野古新基地の建設反対を表明した前任の稲嶺進市長時代、政府は市への交付金凍結で圧力をかけ、建設を強行した。住民は政府の露骨な「アメとムチ」で分断され、翻弄された苦い記憶がある。沖縄では米軍由来とされる新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」の感染拡大で、主要産業の観光業が大打撃を受け、地域経済は疲弊。住民にとって、建設反対の意思を示せば、政府から再び交付金を止められ、日常生活に影響しかねないとの不安もあったとみられる。今年で日本復帰50年の節目を迎える沖縄は、いまだに米軍の事件や事故など基地問題に苦しめられている。政府は「辺野古が唯一」と負担を押し付けるのではなく、住民の気持ちに寄り添った解決策が今こそ求められている。(村上一樹)》

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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202201080000082.html

コラム
政界地獄耳
2022年1月8日8時36分
「米軍悪者にするな」の幼稚な理屈

★コロナ禍で政治がまた足を引っ張り出した。感染が急拡大している沖縄県知事・玉城デニーや岩国基地を抱える山口県知事・村岡嗣政はコロナの第6波は米軍由来との見方を示しているし、その状況は官邸や外務省も認めている。政府は「まん延防止等重点措置」適用を感染が急拡大している沖縄、広島、山口に決めた。ところが自民党の元参院外交防衛委員長・北村経夫(参院山口選挙区)は6日、わざわざ山口県庁で会見を開き「米軍基地から拡大したことにより(米軍が)悪者という見方をするべきでない」と幼稚な理屈を言い出した。

★残念ながら政府が続けてきた水際対策の最大の抜け穴が在日米軍の米国と日本国内の基地の行き来での検査なき自由行動や、クラスターが発生したのちも基地外の往来の制限がないことが大きい。そこは冷静に行動制限や検査の拡充を適切に確実に履行してもらい、感染拡大を防ぐ努力をするのが当たり前ではなかろうか。ところが北村は在日米軍への不当な悪感情を持たせぬことが大切だという。その結論が「極東における平和の安定のためには米軍の果たす役割は大きい」となるならば、自民党保守政治家は冷戦構造から進歩していない

★自民党入りした細野豪志は昨年末、ツイッターで「台湾有事が現実となった場合、与那国島、石垣島など先島諸島は戦闘機が飛び交う空域となり住民避難が必要。同時に中国が尖閣諸島を攻める可能性が高い。日米同盟により中国を抑止する以外、沖縄県を守る道はない」と書き込んだが、それ以前の外交努力をどう尽くすかが政治家の本来の役割ではないか。台湾有事の前に沖縄県民はコロナから避難したいのではないか。(K)※敬称略
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https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/22564

まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国 ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」
2022年1月16日

 辺野古新基地建設問題を抱える沖縄県名護市の市長選(16日告示、23日投開票)が迫っている。新基地建設を推進する政府与党(自民・公明)の全面バックアップを受け、前回市長選で稲嶺前市長を3400票差で破って当選した現職の渡具知武豊氏と、基地建設反対を訴えるオール沖縄が支援する名護市議の岸本洋平氏が出馬を表明しており、市長選は前回同様、新基地建設の是非をめぐって争う二陣営の一騎討ちとなる。だが前回は東京司令部がフル稼働し、組織や資金を投入して、前市政に対するネガティブキャンペーンや劇場型選挙をくり広げた自民党や公明党も、今回は表向き鳴りを潜め、あえて選挙を盛り上げずに逃げ切りを図る姿勢を見せている。前回とは打ってかわって静けさが漂う名護市現地を取材した。

 選挙告示を間近に控えた名護市内では、両陣営の支援団体がそれぞれ数台の宣伝カーを回しているものの、前回までのように街頭で政党幹部や支援議員らが辻立ち演説をしたり、ポスターや横断幕による宣伝合戦が展開される様子もなく、市民のなかでは「かつてなく静かな選挙」と語られている。新型コロナの再拡大で挨拶回りも制限され、人を集めるイベントはすべて中止となり、総決起集会や演説会はオンラインに切り換えられた。

 現職の渡具知氏を全面的に支える自民党は、昨年末に本部から菅義偉前首相、茂木敏充幹事長、松野博一官房長官、遠藤利明選対委員長などがあいついで名護市入りし、公明党本部からも古屋範子副代表などの幹部が訪れて、支援団体や業界団体などへの引き締めをおこなったが、年明けから新型コロナ感染が再拡大したこともあり、東京からの大物議員の訪問はとりやめとなっている。

 最近では宣伝カーや掲げていた幟の数も減らし始めており、関係者からは「あえて選挙戦を盛り上げない戦略に切り換えている」とも語られる。国会議員らの為書きが壁一面に張り出された選対事務所では、与党市議が「今回は接戦ではなく、大差での勝利を目指している」と自信ありげに語っていた。

 渡具知陣営は、今回も前回と同じく辺野古新基地建設問題については「国と県の係争を見守る」(議会での市長答弁)というのみで賛否は明らかにせず、自身の政策パンフレットでも、陣営の宣伝活動でも基地問題には一切触れない方針を貫いている。

 基地問題を争点にすることを避ける一方で、強調するのは、国からの交付金を財源にした市民サービス拡充やインフラ開発の実績だ。自民党政府は、「辺野古新基地反対」を唱える稲嶺前市政時代には交付を凍結していた米軍再編交付金(年間約15億円)を、渡具知市政の誕生と同時に再交付し、市はそれを財源にして、高校生までの医療費、市立の幼稚園・小中学校の給食費、保育料の無償化を実施。渡具知陣営はこれを「無償化三本柱」とし、「前市政に比べて市民生活は豊かになった」と実績アピールの中心に据えている。

 渡具知市長は2018年の市長当選から現在まで、辺野古新基地建設を「容認する」とは一度も表明していない。だが、それを前提とした政府は再編交付金の恩恵を受けさせることで、既成事実化を図ろうとしている。それは、名護市への米軍再編交付金の推移に露骨にあらわれている。

 基地建設推進の立場だった島袋吉和市政時代の2008年に13億9000万円(07年度分を含む)、09年には3億7700万円が交付されていた米軍再編交付金は、新基地建設反対を唱える稲嶺進市政の2期8年間(10~17年)は一切交付されなかったが、渡具知市政が始まった18年には17年度分もあわせて29億8000万円が交付され、翌年からは毎年14億9000万円が交付されている。その額は4年間で75億5000万円にものぼり、歳入約400億円の名護市にとっては、その有無が政策を大きく左右する規模だ。

 これによって渡具知市政は「再編交付金基金事業」として、市立の幼稚園・小中学校での学校給食の無償化に4年間で10億2198万9000円。子ども医療費無償化に4年間で3億9465万9000円。保育料無償化には6年間で26億1383万5260円を充てた。米軍基地によって有事だけでなく平時でもあらゆる危険に晒され続けることは、普天間のみならず沖縄県や全国の基地所在自治体が経験してきたことであり、将来にわたってその犠牲を被ることになる子どもたちの施策に米軍受け入れを前提とした交付金を充てるという、極めて歪(いびつ)な予算措置となっている。


インフラ開発急ピッチ 高速道路延伸など

 また、名護市内では今回の選挙に合わせるようにインフラ開発も急ピッチでおこなわれてきた。なかでも自民党が力を入れたのが、那覇市のある県南部と名護市とを結ぶ高速道路の延伸事業だ。

     (昨年7月に供用開始された名護東道路)

 県北部の高速道路は、名護市の入り口である許田ICまでしかなく、名護市では海岸沿いを走る国道58号線の交通混雑に悩まされてきた。昨年7月、それを解消する目的で2012年から工事がおこなわれてきた「名護東道路」(全長6・8㌔、総事業費962億円)が開通した。高速規格でありながら無料区間であるため、名護市街を回避して北部に抜けることが可能になり、渋滞を生み出していた信号交差点も廃止された。

 前回市長選前に現地を訪れた菅官房長官(当時)が、予定より1年半前倒しで完成させることを指示したといわれ、今回の選挙では「渡具知市政の実績」としてフル活用している。権限や財源を握る国が前面に出て、各種サービスの無償化や開発といったアメを駆使した自治体買収が選挙戦略の中心となっている。

 名護市内を走ると基幹道路である国道58号線もあちこちで拡幅工事がおこなわれている。かつては郊外だった大北や宮里などの国道沿いには、24時間営業のマックスバリューやイオンモール、ドン・キホーテなどの本土の量販店や飲食店が次々に進出した一方、中心市街地である名護十字路周辺は空き店舗が目立ち、「街の中心が変わってしまった」といわれて久しい。

     (コロナ禍の煽りも受けてシャッターが目立つ
      名護市の中心市街地)

 政府与党をバックにした渡具知市政は、国の後押しがなければ実現できない国道58号線の付け替え(海側への移動)と中心市街地の再開発も公約に盛り込んでおり、政策パンフレットには東京のコンサルが作成したと見られる具体的なイメージ図も掲載されている。なんの説明も受けていない住民からは困惑の声も聞かれ、すでに大規模な開発を見越して本土企業やゼネコンが鵜の目鷹の目であることなども語られている。現在、「市有地の私物化」として市議会を紛糾させている、旧消防跡地を渡具知市長の親族企業に売り飛ばしていた問題も、この開発区域の一角で起きていることであり、「防衛マネーによるヒモ付き事業では必ず本土企業のつかみどりや利権政治がはびこる」とも語られている。


コロナ休廃業や解散率 名護市は県内最悪

 だが、市民生活の実態は必ずしも向上したわけではない。コロナ禍における事業所の休廃業や解散率は、名護市は3・34%で県内最悪であり、健康保険料の滞納による国民健康保険証のとりあげは2020年度には79件と前市政時代の6・6倍に上昇。他市では据置きや値下がりした介護保険料は名護市では値上がりし、各種無償化政策にもかかわらず待機児童数は2020年度は142人となり、4年前に比べて6倍に増えていることが指摘されている。

 辺野古新基地建設が浮上して25年にわたって翻弄されてきた名護市民からは、複雑な思いとともに市長選に対する問題意識が語られる。

 名護市内で自営業を営む女性は、「今回の選挙は、騒乱状態だった前回に比べるととても静かだ。両陣営とも姿が見えず、直接政策を聞く機会もない。前回は創価学会員がチームを組んで訪れて、“イエス”というまで帰らないほどの猛烈な勢いだったが、今回はまだ一度も来ない。聞こえてくるのは、現職市長側が四年間の実績をアピールし、“基地反対だけを唱える前革新市政では成し遂げられなかったことであり、相手候補が勝てばすべてなくなる”と宣伝し、対する岸本陣営が“自分が市長になっても継続できる”と応戦していることだ。でも、いくら一時的に暮らしが楽になったり、道路が立派になっても、新しい米軍基地をつくることを容認するようなことは絶対にできないと私は思っている。基地問題が最大の争点だと思っている人の判断はぶれないだろうが、日々の生活に余裕がない若い人たちがどれだけそのことを考えて判断できるだろうか」と心配を口にした。

 「“基地問題よりも経済”というが、今回の新型コロナも米軍基地があるがゆえに沖縄でまん延した。ただでさえ苦しいところにコロナまでやってきて、商店街ではさらにシャッターが増え、更地にして駐車場になった店もある。本来は国が米軍に対して抗議しなければならないのに、基地に由来する他の事件や事故と同じように国は動かない。本当に日本や沖縄県民を守るために基地があるなら毅然とした措置がとられるべきだが、米軍はルール違反だろうが、人に迷惑をかけようが何とも思っていない。今回の防疫対策も“やる、やる”といって平気で嘘をつく。辺野古新基地についても、県民投票で反対が7割以上を占め、県知事があれほど反対を表明しても国も裁判所も門前払いだ。どんなことがあろうと基地をつくろうとするのが政府だが、だからといって名護市が米軍のために身売りをするような市でいいはずがない」と口調を強めた。

 商店を営む40代の女性は、「なぜ名護という人口6万人程度の小さな街に、世界規模の問題である米軍基地建設の是非が委ねられ続けるのだろうかと思う。市長選のたびに振興策や交付金と引き換えに新基地建設の容認を迫られるという状態が25年も続いてきた。ただでさえ所得の低い状態に置かれているのに、基地を受け入れるか否かで国の予算が増えたり、削られたりすること自体が理不尽だし、市民の生活は人質にとられているような状態だ。確かに子育て世代としては保育料や給食費が無償になればありがたいし、助かるというのが本音だ。でも、新たにつくられる米軍基地から人殺しのための戦闘機が飛び立っていくことを他人ごとのように考えることはできない」と複雑な心境を語った。

 また「北朝鮮のミサイル実験はすぐに大きなニュースになるのに、身近な場所に新しい軍事基地が強引につくられていることはニュースにもならないし、当たり前のように問題にもされない。どれだけ県民が反対の意志を示しても、それは見て見ぬ振りをされ、市長選のたびにそのことが浮上する。選挙中は辺野古新基地には触れないのに、自民候補が勝てば“市民が容認した”と報じられること自体がフェイクだと思う。本来は市町村ではなく、国レベルの問題として解決されなければいけないことではないか」と胸の内を話した。

     (古くからの市民の台所・名護市営市場)

 「札束で頬を叩くようなことが続いた4年間だった」と語る70代の男性は、「広島の参議院選で自民党の1億5000万円の政党交付金を使った選挙買収事件が問題になったが、名護でおこなわれてきたこともそれと変わらないし、それ以上のものがある。昨年の総選挙でも自民党候補を当選させるために多額の現金が動いたと自民党関係者ですら語っている。土建業者に対しては、辺野古の埋め立て事業に総動員して刃向かえないようにさせ、翁長前知事亡き後、オール沖縄の中心にいた金秀グループに対しては、本土企業が“絶対に金秀とはJVを組むな”と徹底的に締め上げて公共事業からも排除し、国がカネの力でねじ伏せた格好だ。今年は10年単位の沖縄振興予算の節目でもあり、予算減額をちらつかせて知事選に向けて圧力をかけている。今回、米軍基地からのコロナ感染で県知事が“基地が感染源だ”というと、メディアは“差別的だ”と騒いだが、どちらが差別的なのか」と語気を強めて語った。

 建設業を営む男性は、「辺野古新基地など防衛関連の事業は工期が長く、その恩恵を受けているのは、東開発、屋部土建、沖縄道路など建設業協会の役員クラスの特A業者くらいで、中小零細としては正直あまり受けたくない仕事だ」という。「それでも選挙になれば、上からの指示で期日前投票にいつ何人連れて行ったかを確認するカードが回ってくるが、渡具知市政になってからは、稲嶺市政がやっていたような中小企業向けの公共事業はむしろ減っている。必ずしもみんなが現職を積極的に応援するような選挙にはなってない」と実感を語った。


いまだに米軍の統治下 何の為の本土復帰か

     (辺野古新基地建設がおこなわれているキャンプ・シュワブの
      ゲートには物々しく多数の警備員が並んでいた)

 中心市街地で商売を営んでいる年配の男性は、「自分は米軍統治下で育ってきた世代で、生まれたときから基地があるが、ウチナンチュ(沖縄県民)には誰一人として基地賛成のものはないと思っている。私の父は沖縄戦のときに鉄血勤皇隊として動員され、本部の八重岳で米軍の機関銃乱射を受けて多くの同級生を失っている。そして戦後、生き残った同窓生で山の麓に慰霊碑を建てている。父はそのことを多くは語らなかったが、胸に秘めた思いがあることを感じてきたし、その思いは県民誰もが持っているはずだ。だが、基地問題という日本とアメリカという国同士の問題が、沖縄県民に押しつけられ、同じ住民同士が分断されてきた基地と生活が秤に掛けられ、名護でも苦しい選択が迫られてきた。私たちの世代はベトナム戦争でも嘉手納基地から飛び立った米軍が何をしてきたかを知っているし、そんなものを名護につくることは絶対に許されない。最近も沖縄ではコロナだけでなく、米軍が使う泡消火剤のPFOSで土壌や水源が長年汚染されていたことも明らかになってきた。どれだけ国の予算で潤ったとしても、新たな基地をつくってしまえば、福島の原発立地町と同じように故郷を捨てなければならないことを覚悟しなければならないいつ黒い鉄の塊が空から落ちてくるかという不安に常に晒される恐怖を子や孫に引き継いでいいとは思わない」と話した。

 また「受け入れるものが危険であればあるほど、政府はそれを考えさせないような手厚い予算措置をする。昔は、自民党でも“(沖縄戦で犠牲を強いた)琉球には足を向けて寝られない”という政治家がいたが、今では県民が何度声を上げても無視し、情け容赦なく財源を使って揺さぶってくる。県民所得はいつも全国47番目、さらにはコロナ禍で“今年をどう乗り切るか”というより、“今日、明日をどうするか”というほどみんなが追い詰められている。そんながんじ絡めの状態に置かれているため、簡単に答えを出せないというのが正直な市民の心境だと思う。“中国の脅威があるから基地が必要”というが、沖縄の文化の多くは中国から来たものであり、歴史的に兄弟のような関係だ。そのなかで“しなやかに、したたかに”付き合ってきたのが沖縄だ。今年で復帰50年を迎えるが、なんのための日本復帰だったのか。ドルが円に変わっただけではないか。いまだに米軍の統治下に置かれ、問答無用で踏み台にされていると思わざるを得ない。人殺しの基地の島ではなく、人を生かす島にならなければならないし、そのためにもたらされる豊かさは砂上の楼閣でしかない」と憤りを込めて話した。
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●「思いやり予算」として小さく生んで、いまや「同盟強靱化予算」として大きく育った番犬様の「お財布」、とっても気前の良いニッポン

2022年01月21日 00時00分47秒 | Weblog

[※ ↑ 【「空からの写真は一目瞭然」埋め立て進む辺野古の海 ドローンで監視する技術者の思い】(沖縄タイムス21.12.14、https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/879026)]


(2021年12月31日[金])
沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]思いやり予算と沖縄振興予算】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/883983)と、
【社説[思いやり予算合意] 見えない沖縄の負担減】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/883963)。
【<社説>思いやり予算増額 対米追従の犠牲強いるな】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1444347.html)。

 《在日米軍駐留経費負担の通称「思いやり予算」は皮肉の効いたネーミングで定着しているが、外務省は「同盟強靱(きょうじん)化予算言い換えると表明した。米側に過剰な負担をしているとの批判を避ける狙いがあるようだ》。
 《在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」について、日米両政府は2022年度から5年間で総額1兆551億円とすることで合意した。単年度では約2110億円となり、本年度より100億円近く増える》。
 《日米両政府は2022年度から5年間の在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)を、総額1兆551億円とすることで合意した。年平均では2110億円で、21年度に比べ約100億円の増額となる。米国が求めた増額改定日本が受け入れた形だ》。

   『●4野党の共通政策は《米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の
     新基地建設中止》…自公お維に投票=《人柱》を許容することを意味する
   『●N値がゼロ、工期と費用は「∞」…今日もドブガネし、
       ジャブジャブと大量の土砂を美ら海にぶちまけている
   『●あとの祭り…自公お維政治屋は《民を飢えさせない、安全な食べ物の
      供給、そして絶対に戦争をしないことが政治家の役目》を担い得ない
   『●沖縄タイムス《大浦湾…2015年4月…「土木的問題が多い地層が
     厚く堆積している」…「長期の沈下が考えられる」と施工上の懸念も》
   『●《日本全土を米軍の鉄砲玉として…》…【解決策ない辺野古の軟弱地盤
         できもせぬ基地建設で翻弄する一方、日本全土の基地化が進行】
   『●《沖大東島での実弾射撃、宮古島のミサイル部隊による対艦攻撃、
     電子戦部隊配備計画がある与那国島での電子戦などの各訓練が展開》
   『●《SACO合意とは、事件に対する沖縄県民の怒りをはぐらかし、沖縄の
      中で基地をたらいまわしする欺瞞でしかなかった》(目取真俊さん)
   『●本土と沖縄を一緒にするなとでも? 《…燃料タンクと数十センチの
      水筒という落下物によって事故の重大性を比較するのは無意味だ》
   『●無謀な辺野古破壊開始から3年…たとえ万に一つも新基地が完成しても、
       普天間飛行場は返還されることは無く、辺野古は単なる破壊「損」
   『●沖縄タイムス《自衛隊と米軍が、台湾有事を想定した新たな日米共同
     作戦計画の原案を策定…南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置く…》

 小さく産んで大きく育てる金丸信氏の頃の数十億がいまや数千億。5年間で1兆越え。歯止めのかからぬ上納金。ドイツやイタリア、韓国でもそんな巨費で「思いやり」? ついには「同盟強靱化予算」だそうだ。軍事費は巨大化し、沖縄どころかニッポンを「思いや」らずに、番犬様をオモテナシとはねぇ。

   『●番犬様の(ウラアリな)オモテナシは随分とお高い
    《そもそも、思いやり予算とは何なのか。日米地位協定では、基地地主の
     地代などを除いて、在日米軍の駐留経費は米国が負担することに
     なっている。しかし「78年6月に当時の故・金丸信防衛庁長官が
     『思いやりの精神で米軍駐留費の分担増に応じる』と発言。
     『思いやり予算』という変わったネーミングはここから取られた。
     要は、法的に義務がないけれど自発的に払います、という意味合いだ」
     と『週刊朝日』は説明する。当初は62億円だったが、拡大の一途を
     たどり、今年度予算では1890億円にもなる。この税金が1カ月
     つけっ放しのエアコン代や、あまり乗る人のいない各米軍基地と
     成田空港を結ぶリムジンバスの運行に使われていく。
     日本は「世界一気前のいい同盟国」といわれているそうで、
     思いやり予算ではなく、いっそ「お・も・て・な・し予算」とでも
     呼び方を変えてはどうか。こっちのほうがずっと実態に近い》

   『●《思いやり予算日本要請…必死に米軍を引き留めつつ、沖縄に負担を
     押し付け続ける日本政府の手法はかつての植民地主義をほうふつさせる》

 「思いやり」した末の非道…番犬様には《水際作戦》関係なし。しかも基地から自由に出入り…またしても番犬様が《震源地》化
 【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/辺野古ゲート前抗議行動と埋め立て工事の様子】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/768368ac6de81d688ed787c7e7d95ee3)によると、《キャンプ・シュワブでも基地従業員の1人がオミクロン株に感染したと報じられている。キャンプ・ハンセンのクラスターは23日午前の段階で227人に達しているが、同じ海兵隊基地としてキャンプ・シュワブの兵士とも訓練や日常的な交流がある。従業員が基地内で感染し、市中に広げていく危険性が大きくなっている。大阪に続き京都でもオミクロン株の市中感染が報じられている。沖縄のそれは米軍基地から広がっている点でヤマトゥとは違う。それが意味する問題の深さを問うべきだ》。
 日刊ゲンダイの記事【新型コロナ「水際対策」決壊!在日米軍基地の出入国は“フリーパス状態”の大甘】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299172)によると、《これでは防ぎようがない。すでに「水際」は決壊しているのではないか。松野博一官房長官は23日の記者会見で、日本に向かう米軍人らが出国時のPCR検査を行っていなかった、と明らかにした。松野長官などによると、沖縄県の米軍キャンプ・ハンセンで発生した新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)をめぐる感染防止策の運用実態を米側に照会して判明。これを受け、林芳正外相は在日米軍のラップ司令官に「遺憾の意」を伝え、キャンプ・ハンセンに限らず、全ての在日米軍基地で対策を取るよう求めたという。在日米軍基地に直接到着する軍人やその家族らの検疫は現在、米側に委ねられており、ラップ司令官は出国前検査の実施を約束したというが、「今さら」感は否めないだろう》。

 軍事費、こんな巨費を投じている余裕がニッポンにあるのか? 自公お維に一票を投じた代償…あとの祭りだ
 東京新聞の記事【防衛費8年連続で過去最大、膨張止まらず 一般会計107兆円の22年度予算案を閣議決定】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/150819)によると、《政府は24日、一般会計の総額を107兆5964億円とする2022年度予算案を閣議決定した。前年度当初予算から1兆円近く増え、10年連続で過去最大を更新した。年金や医療、介護などの社会保障費が36兆円を突破。防衛費は5兆3687億円となり、安倍・菅政権から継続する形で8年連続の過去最大を更新した。(坂田奈央)》。



 デモクラシータイムスの映像記事【沖縄米軍200人超のクラスター 水際打つ手なし【半田滋の眼 No.47】20211222】(https://www.youtube.com/watch?v=U99l8HcsuFU)によると、《防衛ジャーナリスト半田滋の深層レポート。オミクロン株の市中感染が確認されましたら、沖縄では、基地従業員、市中にすむ米軍人からオミクロン株が確認され、さらにキャンプハンセンを中心に200人を超える感染者のクラスターが発生していることが判明しました。米軍は、地位協定で日本への入国手続きに関する法律の適用を受けません。検疫もなく、世界各地から直接在日米軍基地に数百人規模で日常的に転勤してきます。そして、基地のゲートから日本にでいるするのに、何の規制もなく、日本から検査を求めたり行動を制限する権限はありません。今回に限らず、この問題は、これから繰り返されるパンデミック現象を考えるうえで避けて通れません。まずは、沖縄の現状と問題の背景をレポートします。2021年12月22日 収録》《収録後に、松野官房長官が、米軍が検体を本土に送りゲノム検査をすること、地元自治体と協力して変異株検査をし結果を報告する と発表たとの報道がありました。しかし、これまでの対応を見ると、その約束が国民の感染予防に役立つだけの迅速さと詳細さをもって果たされるのか、疑念を持たざるを得ません》。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/883983

[大弦小弦]思いやり予算と沖縄振興予算
2021年12月23日 07:30

 在日米軍駐留経費負担の通称「思いやり予算」は皮肉の効いたネーミングで定着しているが、外務省は「同盟強靱(きょうじん)化予算言い換えると表明した。米側に過剰な負担をしているとの批判を避ける狙いがあるようだ

▼本来、日本に思いやり予算の支払い義務はないが、政府は来年度から5年間に年平均約2110億円の負担で米側と合意した。この予算を含めた同盟維持のための経費は2021年度で総額6千億円を超える

ネーミングを考えるなら、政府が使う「沖縄振興予算」こそ変えるべきだ。他県より突出した予算でも別枠でもないが、基地の見返りで過度な予算を得ているという誤解を与えている

▼政府が「21年度まで毎年3千億円台」と県に約束した13年、当時の知事は「有史以来の予算」と絶賛し、新基地建設の埋め立てを承認した。そこから見えたのは沖縄振興のゆがみだった

▼約束が切れる来年度は10年ぶりに3千億円を下回る見通し。来秋の県知事選をにらみ、新基地建設に反対する現県政にゆさぶりをかけているのだろう

▼沖縄は来年日本復帰50年を迎えるのに、過重な基地負担と沖縄戦や米軍統治下から続く特殊事情に今も苦しんでいる思いやりなどなく札束で頬をたたくような政府を想像すれば、予算の増減に一喜一憂せず、新時代を自ら切り開く県民の気概を見せたい。(吉川毅
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/883963

社説[思いやり予算合意] 見えない沖縄の負担減
2021年12月23日 07:20

 在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」について、日米両政府は2022年度から5年間で総額1兆551億円とすることで合意した。

 単年度では約2110億円となり、本年度より100億円近く増える

 負担増を求める米側に対し、日本側は中国や北朝鮮への抑止力強化につながるとして増額要求を受け入れた。

 合意を受け、岸信夫防衛相は「厳しい安全保障環境に、日米が肩を並べて立ち向かっていく決意を示すことができた」と語った。増額とともに様変わりを印象付けたのは同盟強化を強く打ち出した予算内容である。

 今回の合意では、新たに「訓練資機材調達費」の項目が盛り込まれた。

 自衛隊と米軍の連携力を高めるため、共同訓練に使う最新システムの調達費に充てられる。5年で最大200億円を支出する。

 米軍駐留経費に関し、日本は当初、日米地位協定で定められた施設の借料を負担していた。

 円高による米側負担増を背景に、1978年度に基地従業員の福利費を負担したのが思いやり予算の始まりで、87年度以降は新たな特別協定を結び、地位協定にない経費まで肩代わりするようになった

 特別協定は5年ごとに更新され、従業員の給与から光熱水費、訓練移転費など負担の範囲は広がっている

 ただ今回の合意は、自衛隊を含む抑止力・対処力の強化のための費用という点でこれまでとは質が大きく異なる

■    ■

 米中対立が深まる中、在日米軍の即応性向上や日米の高度な訓練の実施は何をもたらすのか。沖縄への影響が懸念される。

 地位協定に規定のない思いやり予算と合意議事録によって、米軍はさまざまな恩恵を受けている。本土の人たちは沖縄に基地を集中させることで安全保障の利益を享受している

 この構図があるために沖縄の負担軽減は一向に進まないのだ。

 2022年度の沖縄関係予算は約2680億円で、本年度比330億円の大幅減となる見通しだ。沖縄予算と思いやり予算が示す数字は象徴的でもある。

 今から四半世紀前、米軍普天間飛行場をはじめ県内11施設の返還が盛り込まれた日米特別行動委員会SACO)の最終報告が発表された。合意の狙いは沖縄の負担軽減と米軍の機能維持を同時に実現することにあった。

■    ■

 最終報告に深く関わった当時のペリー米国防長官が、辞任の送別会で語ったというのが次の言葉だ。

 「矛盾する内容で、神様だってできない」(大田昌秀著『沖縄の決断』)。本音だったのだろう。実際、沖縄の負担軽減は遅々として進んでいない。 

 政府は思いやり予算として定着する通称を、同盟強靱(きょうじん)化予算言い換えるという。

 変更するのであれば、沖縄の負担軽減に向けた道筋、実施計画も同時に示すべきだ。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1444347.html

<社説>思いやり予算増額 対米追従の犠牲強いるな
2021年12月24日 05:00

 日米両政府は2022年度から5年間の在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)を、総額1兆551億円とすることで合意した。年平均では2110億円で、21年度に比べ約100億円の増額となる。米国が求めた増額改定を日本が受け入れた形だ

 日本の財政が借金を膨らませている中で、米国の言うままに軍事支出を拡大する余裕はない。日米同盟強化の旗印は対抗する相手国の軍備増強をあおるなど、かえって安全保障上の危機を高め防衛関係費を際限なく膨張させる。対米追従から抜け出し、外交によって東アジアの緊張緩和に努めることが必要だ

 思いやり予算は、日米地位協定上は日本が負担する必要はないにもかかわらず、原則5年ごとの特別協定を締結して米軍に代わって日本が支出する駐留経費のことだ。日本人基地従業員の労務費から始まり、米軍基地内の光熱水費や訓練移転費にまで肩代わりする項目が拡大してきた。

 思いやり予算による駐留経費の負担割合は15年度に86%にも上っている米軍が駐留する韓国やドイツと比べて突出して高い。「居心地の良い国」として米軍の駐留を引き留め、在日米軍の多くが集中する沖縄の基地負担が続く一因となってきた。

 米軍は中国の軍拡に対抗するため、日本にさらなる財政負担だけでなく、同盟国として軍事的な役割の強化も迫っている。今回の思いやり予算の改定では「訓練資機材調達費」が新設され、自衛隊と共同で使用する在日米軍の機材やシステムなどの購入費も日本が支出することになった。

 訓練資機材調達費は5年間で総額200億円を上限とするとしているが、自衛隊が米軍の指揮の下で運用されていく中で、日本に肩代わりさせる経費の範囲が次々に広がっていく恐れがある。

 日本の長期債務残高は21年3月末の時点で1千兆円を超え、国内総生産(GDP)の2・4倍近い借金を抱えている。その比率は米国の2倍超であり、主要先進国の中で最悪だ。米軍の負担を肩代わりする財政状態ではなく、思いやり予算は削減すべきだ。将来は廃止を含め抜本的に見直す必要がある。

 日本政府は、本来は根拠がない米軍駐留経費への支出を、「思いやり」という詭弁(きべん)で押し通してきた。その「思いやり予算」の通称を、同盟強靱(きょうじん)化予算言い換えるという。「米国の財布というイメージを隠そうという言葉遊びだろう。「同盟」の言葉を連呼し、周辺国に対して勇ましく振る舞おうとする政治家の感覚に危うさを覚える。

 米軍は南西諸島周辺で同盟国との対中包囲の演習を激化させ、自衛隊も離島へ部隊配置を進める。日米一体の訓練増強に加担する思いやり予算の増額と変質は、沖縄に負担と犠牲をさらに強いるものだ。対米追従に歯止めをかけなければならない。
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コメント
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●来年の「5・15」で50年…屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…

2021年06月01日 00時00分18秒 | Weblog

[※ 辺野古は破壊「損」 【米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]


(2021年05月22日[土])
琉球新報の【<社説>日本復帰49年 自らの未来は自ら決める】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1321637.html)。
沖縄タイムスの【社説[5月15日に]復帰50年の焦点化図れ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753909)。

 《日本復帰に際し、沖縄が求めたのは「国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎて」きた地位からの脱却だった。「5・15」は、自らの未来は自ら決めることを宣言したことを再確認する日としたい》。
 《軟弱地盤の問題を抱える辺野古の新基地建設は、常識で考えれば、「万事休す」のプロジェクトである。…復帰50年は本来、こうした状況を改め、沖縄問題への関心を高める絶好の機会であった。沖縄問題は何一つ終わっていない、ということを、説得力をもって政府に示し、焦点化することが重要だ》。

   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
    「コラム「筆洗」の云う「仲井真弘多沖縄県知事は欠席する。当然だ。
     沖縄にとっては、祖国から切り離された「屈辱の日」なのだから
     ▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。
     保守系の翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の
     耳には聞こえないようだ」、に全く同感。
      「屈辱の日」を祝う神経を疑う。
      「安倍政権を礼賛している右寄りの人たちは、実は自分たちも
     切り捨てられる側にいることに気づいていない」、これってハシズム
     大絶賛している人たちにも言えます」

   『●屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ…
                …モノクロから「天然色」に変わっても現実は…
   『●「空疎で虚飾に満ち」た弔辞を代読する
     最低の官房長官に怒声…「翁長氏の遺志に応える唯一の道」とは?
   『●《権力をほしいままにし、国家を私物化してきた安倍首相も官邸を
      出てしまえば“ただの人”…司直の手に落ちることになるのか》?
   『●独裁をサポートさせるための《安倍政権の「未来投資会議」を解体し、
       菅政権が新たに始動》した「成長戦略会議」…その面子の悍ましさ
    「沖縄イジメオジサンは、かつて、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は
     なかなか分からないが、19年前の日米合同会議の辺野古が唯一というのが
     私の全てです」…あぁぁ…。」

   『●《そんなふうに静かに始める抵抗にこそ、人々を変える力があるの
      かもしれない》(北原みのりさん)――― 辺野古破壊と《人柱》
   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…

 来年の「5・15」で50年。半世紀経っても、《屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…》何も変わらない沖縄。《施政権返還後も沖縄が抱える最大の課題は基地問題だ日本政府が沖縄に米軍基地の負担を押し付ける結果、米兵が引き起こす事件や事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害が続く沖縄に矛盾をしわ寄せする仕組みは「構造的差別」に他ならない》。特に、元最低の官房長官=現首相の沖縄イジメは目を覆うばかりだ。典型が高江や辺野古。

 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/沖縄の施政権返還=日本への再併合から49年、日米両軍の殺戮と破壊の訓練が続けられている】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/5f6b3eeaeefc09c00f5ca12f697b63b6)によると、《上に紹介した動画は、2013年から16年にかけて、東村高江のヘリパッド建設反対の取り組み中に撮影したものだ。私のような素人にもこういう映像が撮れるのは、住民が生活に使用している道路のすぐそばで、小銃を手にした米軍の訓練が行われているからだ。…どんなきれいごとを並べようと、軍隊が行うのは殺戮と破壊であり、住民も必ず巻き添えになる。現代戦は無人の荒野で行われるのではない。沖縄で訓練を積んだ米軍の兵士たちが、朝鮮やベトナム、アフガニスタン、イラクなどで何をやってきたかどれだけの市民が米軍によって殺されてきたか。沖縄の施政権が返還され、日本の支配下に再併合されてから49年になる。日米安保条約にともなう米軍基地の負担を沖縄に集中させることで、日本人の多くは基地がもたらす負担と犠牲から免れ、あたかも日米安保体制が自分たちに平和と安全を与えているかのような幻想に浸ってきた。そして、米軍の侵略戦争を支持、支援しながら憲法9条があるから「平和国家」であるかのような欺瞞を重ねてきた。そういう幻想と欺瞞の上に今度は、中国に対抗する軍事拠点として沖縄で自衛隊の強化を進めている。仮に尖閣や台湾をめぐって日米中で紛争が発生しても、被害を被るのは沖縄・奄美であり、日本「本土」まで軍事的被害は及ばないだろう。それが日本人の大多数の本音である。日本にとって沖縄は、いざとなれば切り捨てられるトカゲのしっぽでしかない本土復帰という欺瞞に満ちた言葉といい加減決別すべきだ。沖縄にとって日本・ヤマトゥは本土であるはずがない》。

   『●写真家・嬉野京子さん…
      「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」
    《1964年に初めて行われた祖国復帰行進が、復帰協としての
     コンセンサスを取れずに、沖縄人民党だけが取り組んだ結果、
     米軍の弾圧を受けたため、「祖国復帰の思いは共通。取り組むなら、
     やはり統一してやるべき」という声が強まり、1965年に実現。
     嬉野さんはこの初めての祖国復帰行進に参加している最中、
     米軍トラックによる女児轢殺事件の写真を撮影した》

 《少女れき殺現場を映した1枚の写真は全国に衝撃を与えた》。
 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]脱「沖縄の問題」】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753919)によると、《1冊の本の中の写真に胸がかきむしられた。あおむけに倒れた女児の姿、脇に立つのは数人の米兵。復帰前の1965年、宜野座村で米軍のトラックに女児がひき殺された事故だ▼報道写真家の嬉野京子さんが撮影した。「撮ったらあなたの命はない」という周囲を説得して撮影し、米軍統治下の沖縄の実態を本土へ知らしめた》。

 琉球新報のコラム【<金口木舌>正しく恐れる】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1321638.html)によると、《▼コロナ禍と米軍基地被害はどこか似ている。人命に害を及ぼす。人権を傷つける。教育環境を台無しにする。沖縄の自立的発展を妨げる。いくらでも列挙できよう。基地と長年暮らしていると、そんな被害に慣れてしまうのだ ▼基地との共生・共存を沖縄に求めた人がいた。宝珠山昇防衛施設庁長官である。県民の怒りを買った「宝珠山発言」から27年。そして沖縄はきょう、施政権返還から49年を迎えた。「基地との共生・共存」の強要が続く ▼県民や国民の生命を守るべき政府の無責任が目に付く。コロナと米軍基地被害の最大の共通点であろう。困っている人や苦しんでいる人が放置されている。それを黙認するような空気が広がるならば怖い。正しく恐れたい》。
 東京新聞の【<社説>沖縄復帰から49年 米軍基地の跡地に花を】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/104497?rct=editorial)によると、《沖縄の施政権が米国から日本に返還されて、十五日で四十九年がたちました。この間、米軍基地の返還は本土では進みましたが、沖縄県では遅々として進まず、県内にある在日米軍施設の割合はむしろ増えているのが現状です。茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園にある小高い「みはらしの丘」は、この春もネモフィラの青い花で埋め尽くされました。花が終わるとコキア(ホウキグサ)に植え替えられ、夏には緑色の、秋には紅葉した赤い束が訪れる人々の目を楽しませています。…◆増える沖縄の基地負担 …沖縄の米軍基地も花があふれる公園にできないでしょうか沖縄の人々と本土の私たちの力を結集して政府を動かせば、返還が実現し、憩いの場に変えることができるそんな可能性や希望を、ネモフィラの青い花は示しています》。

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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1321637.html

<社説>日本復帰49年 自らの未来は自ら決める
2021年5月15日 05:00

 沖縄の施政権が日本に返還(日本復帰)されてから49年を迎えた。そして沖縄返還協定の調印と、返還協定の批准を決定する「沖縄国会」から50年の節目である。

 日本復帰に際し、沖縄が求めたのは「国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎて」きた地位からの脱却だった。「5・15」は、自らの未来は自ら決めることを宣言したことを再確認する日としたい。

 軍事植民地のような米国統治を終わらせた最大の要因は、圧倒的な力を持つ米国に立ち向かった沖縄側の民意だった。自治権拡大の象徴として琉球政府行政主席の直接選挙を認めさせた。1968年11月の初の主席公選で当選した屋良朝苗氏は、就任後初の佐藤栄作首相との会談前にこう語っている。

 「私が当選したことによって具体的に示されている沖縄県民の本当の願いとか、要求とか、民意を率直に確認してもらって、国の政治に、外交に十分反映していただきたい」

 屋良主席は「民意」という言葉を使っている。しかし佐藤首相は、その後の施政権返還交渉で、屋良氏の公約「即時無条件全面返還」を選択した沖縄側の民意をくみとらなかった

 佐藤首相は「核抜き」返還を実現する代わりに、有事の際に沖縄への核再持ち込みを認める密約を結んだ。米側は支払うべきコストを日本に肩代わりさせて沖縄に投入した資産を回収、「思いやり予算」の原型となる財政密約に合意した。そして米軍は基地の自由使用権を手放さなかった。

 1971年の「沖縄国会」は「非核兵器並びに沖縄米軍基地縮小に関する決議」を全会一致で可決している。しかし、基地の過重負担は変わらず国会の総意は半世紀たっても実現していない

 施政権返還後も沖縄が抱える最大の課題は基地問題だ日本政府が沖縄に米軍基地の負担を押し付ける結果、米兵が引き起こす事件や事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害が続く沖縄に矛盾をしわ寄せする仕組みは「構造的差別」に他ならない

 今年4月の日米首脳会談で「台湾の平和と安定」に言及したことは看過できない。台湾有事の際、沖縄が直ちに最前線となる可能性をはらんでいるからだ。宮古、石垣、与那国への自衛隊配備と合わせ、沖縄が再び戦場となる可能性を県民は危惧している。沖縄の平和と安全を度外視した日米同盟は認められない。

 屋良主席に託された民意は、現在に受け継がれている。

 復帰後、沖縄は琉球王国のグスクおよび関連遺産群が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。先日、世界自然遺産への登録が確実視されるなど、島の宝は無尽蔵にある。豊かな自然を生かし、未来の沖縄どうつくるか。「復帰の日」にいま一度、沖縄の姿がどうあるべきかを考えたい。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753909

社説[5月15日に]復帰50年の焦点化図れ
2021年5月15日 08:11

 「5月15日」と聞いて、直ちに「復帰」を思い浮かべる県民は、今、どのくらいいるだろうか。

 戦争で破壊され尽くした沖縄県は、講和条約が発効して日本が独立を回復した後も、同条約3条に基づいて米国の統治下に置かれた

 米国は冷戦下の沖縄に巨大な基地群を建設し、いざというときに備えて核兵器や毒ガスまで貯蔵していた

 憲法は適用されず、1970年に国政参加選挙が実現するまで、国会に代表を送ることもできなかった。

 施政権が日本に返還され、沖縄の復帰が実現したのは1972年5月15日、今から49年前のことである。

 来年は復帰50年という節目の年に当たる。沖縄振興特別措置法(沖振法)も来年3月末に期限が切れ、新制度がスタートする。

 本来であれば今の時期は、政治・経済・暮らしなどの分野で復帰の総括が進み、沖縄の将来像を巡る議論が熱っぽく交わされているころだ。

 だが復帰50年を巡る議論はいたって低調である。新型コロナウイルスの猛威に、行政も市民生活ものみ込まれてしまった。

 労働団体などによる平和行進は昨年に引き続き中止となった。各種の大型イベントも軒並み中止に追い込まれた。

 絶好調だと言われた観光関連産業は、一転して絶不調の谷底に突き落とされた。

 豚熱、首里城火災、コロナと、災厄の対応に追われ続ける県から明確なメッセージはなく、復帰50年を焦点化し切れていない。

■    ■

 軟弱地盤の問題を抱える辺野古の新基地建設は、常識で考えれば、「万事休す」のプロジェクトである。

 最終的な総工費も完成時期も不透明で、普天間飛行場の「一日も早い危険性除去」という当初の目的が、事実上、実現不可能になったからだ。

 政府は、工事を中断して県と話し合うことなく、ひたすら工事を強行するだけ。それなのにコロナ禍と米中対立の激化で、沖縄の基地問題は、本土側の関心を呼ばなくなった。

 復帰50年は本来、こうした状況を改め、沖縄問題への関心を高める絶好の機会であった。

 沖縄問題は何一つ終わっていない、ということを、説得力をもって政府に示し、焦点化することが重要だ。

 県は1月に「新たな振興計画(骨子案)」をまとめ、公表した。各種制度の継続を前提とした案で、変革の強い意志は伝わってこない。

■    ■

 政府や自民党の中には「単純延長なし」という空気が強い。「末永く特別措置を」という発想はもはや限界だ。

 なぜ高率補助が必要なのか、復帰特別措置をいつまで継続するつもりなのか。次期計画で優先されるべき事業は何か。

 沖縄の米軍基地について、当面、専用施設面積の50%以下を目指すという方針は、具体的にどの基地の返還を想定しているのか。

 こうした論点は、まだ議論が尽くされたとはいえず、議論が低迷すれば変革のエネルギーは生まれない。
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●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…

2021年05月09日 00時00分00秒 | Weblog

[※ 辺野古は破壊「損」 【米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]


/ [2021年04月29日[木]]
沖縄タイムスの【社説[きょう「4・28」]基地押し付けを改めよ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/745315)。
琉球新報の【<社説>4・28「屈辱の日」 自己決定権を誓う日に】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1312376.html)と、
コラム【<金口木舌>われわれにパラシュートはあるのか】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1312593.html)。

 《1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と旧日米安全保障条約が発効した。 当時、アナウンサー研修のため東京に滞在していた川平朝清さん(元沖縄放送協会会長)は、その日のショックと憤りを鮮明に覚えている。「独立を祝う報道一色だった。日本はいかに幸いなことか。ドイツや朝鮮半島のように分断されずよかったと。沖縄、奄美、小笠原はどうなるのか」》。
 《4月28日を迎えた。サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)によって日本の独立と引き換えに、沖縄は日本から切り離された。米国統治が始まった日である。沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んできた》。
 《▼「琉大文学」同人で、宮森小米軍ジェット機墜落事故を取材した作品「恐怖と血の代償」を残した。子どもの命を奪った墜落機から操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。「われわれには、パラシュートはない!」…▼太平洋戦争の末期、日本は沖縄を捨て石にし、サンフランシスコ講和条約で米国に差し出した。「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の中で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか」》。

 沖縄の「屈辱の日」…どこが「主権回復の日」だ?
 《基地問題は戦後史を抜きに語れない》…沖縄「屈辱の日」を「主権回復の日」と言う元首相・アベ様、平然と沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官・カースーオジサン…。
 《子どもの命を奪った墜落機から操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。「われわれには、パラシュートはない!」 ▼身の危険から逃れる術(すべ)がない。…「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の中で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか」》。

   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
    「コラム「筆洗」の云う「仲井真弘多沖縄県知事は欠席する。当然だ。
     沖縄にとっては、祖国から切り離された「屈辱の日」なのだから
     ▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。
     保守系の翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の
     耳には聞こえないようだ」、に全く同感。
      「屈辱の日」を祝う神経を疑う。
      「安倍政権を礼賛している右寄りの人たちは、実は自分たちも
     切り捨てられる側にいることに気づいていない」、これってハシズム
     大絶賛している人たちにも言えます」

   『●「空疎で虚飾に満ち」た弔辞を代読する
     最低の官房長官に怒声…「翁長氏の遺志に応える唯一の道」とは?
    《象徴的だったのが、2015年9月に沖縄県と政府の集中協議が決裂した際の、
     菅官房長官の発言だ。翁長前知事は、講演でこのように語っている。
      〈菅義偉官房長官は4月に最初に話してから沖縄の歴史を含め
       私が一番思いを話した方だが、集中協議の最後に私の話は
       通じませんかと聞いたら、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は
       なかなか分からないが、19年前の日米合同会議の
       辺野古が唯一というのが私の全てです」という話だった〉》

   『●《権力をほしいままにし、国家を私物化してきた安倍首相も官邸を
      出てしまえば“ただの人”…司直の手に落ちることになるのか》?
   『●独裁をサポートさせるための《安倍政権の「未来投資会議」を解体し、
       菅政権が新たに始動》した「成長戦略会議」…その面子の悍ましさ
    「沖縄イジメオジサンは、かつて、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は
     なかなか分からないが、19年前の日米合同会議の辺野古が唯一というのが
     私の全てです」…あぁぁ…。」

   『●《そんなふうに静かに始める抵抗にこそ、人々を変える力があるの
      かもしれない》(北原みのりさん)――― 辺野古破壊と《人柱》
    《菅義偉首相は「ご遺骨に配慮した上で土砂の採取が行える」と
     容認の姿勢を崩していない。官房長官時代に翁長雄志前知事との会談で
     「私は戦後生まれなので、沖縄の置かれた歴史については分からない
     と述べ、翁長氏の言葉を受け止めようとしなかったことを思い出す。
     首相は沖縄戦についてどのような認識を持っているのか国会で歴史観を
     語るべきだ。歴史を顧みていかに学び取るかが政治家の仕事である
     山中貞則氏や野中広務氏ら戦争を知る自民党の重鎮が健在だったら、
     この問題にどう反応しただろうか》
    《菅義偉首相は「ご遺骨に配慮した上で土砂の採取が行える」と容認の
     姿勢を崩していない。官房長官時代に翁長雄志前知事との会談で
     「私は戦後生まれなので、沖縄の置かれた歴史については分からない
     と述べ、翁長氏の言葉を受け止めようとしなかったことを思い出す》
    《静かな夜、首相官邸前。そういえばここの主は官房長官時代の2015年、
     故・翁長雄志沖縄県知事に
     「私は戦後生まれなので、歴史をもちだされても困る」と言ったの
     だった。歴史を見ない首相に、遺骨のために座るこの声は届くのだろうか
     故・翁長知事は「イデオロギーよりアイデンティティー」と、沖縄の声を
     一つにした。沖縄の基地問題は、アイデンティティーの闘いなのだ》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/745315

社説[きょう「4・28」]基地押し付けを改めよ
2021年4月28日 07:15

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と旧日米安全保障条約が発効した。

 当時、アナウンサー研修のため東京に滞在していた川平朝清さん(元沖縄放送協会会長)は、その日のショックと憤りを鮮明に覚えている。

 「独立を祝う報道一色だった。日本はいかに幸いなことか。ドイツや朝鮮半島のように分断されずよかったと。沖縄、奄美、小笠原はどうなるのか

 日本が国際社会に復帰、高度経済成長へ向かう一方で、米軍統治が続いた沖縄では住民を追い出して、基地拡張が進められた

 本土と沖縄の距離は、復帰によって縮まったのだろうか。

 2013年「主権回復の日」を開催した安倍晋三首相(当時)は「7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調したが、そもそも政府主催の記念式典を実施することに大きな無理があった。

 辺野古新基地建設を巡る政府との集中協議で、翁長雄志前知事は、米軍圧政下の「無主権状態」で基地が造られたことを強調した。しかし、当時の菅義偉官房長官は「私は戦後生まれなので(沖縄の戦後史は)なかなか分からない。辺野古合意がすべてだ」と語ったという。

 基地問題は戦後史を抜きに語れない。安保の「負の部分」である基地負担を沖縄に押し付けている源流が4・28にあることを、いま一度、政府も国民も胸に刻んでほしい。

■    ■

 沖縄への米軍基地の「押し付け」として象徴的なのが米海兵隊の本土からの移転だ。海兵隊は当初、朝鮮戦争の後方支援のため岐阜と山梨に駐留していた。司令部を沖縄に移したのは、休戦後の1956年のことである

 新基地の土砂投入が進むキャンプ・シュワブは海兵隊受け入れのため56年に、北部訓練場も57年に使用が始まるなど、沖縄の基地は急速に拡張された。一方、日本政府は、反対運動が激しかった本土駐留の米陸上部隊を58年に撤退することを米側と合意した。この結果、講和条約発効時の52年に約13万ヘクタールだった面積は10年後に約3万5千ヘクタールに激減した。

 本土の基地縮小は、沖縄への米軍移転なしには、あり得なかったのだ

 不平等な日米地位協定の下、沖縄では米軍機の騒音や低空飛行、事件事故が後を絶たず、軍事植民地とも言える状況が今日も続いている。

■    ■

 新基地建設には膨大な土砂が必要となる。国は沖縄戦の激戦地である本島南部からの採取を検討している。

 ガマフヤー代表の具志堅隆松さんは「戦没者の血や骨粉を含んだ南部の土砂を遺骨とともに海の埋め立てに使うなど、人間の心を失った行為で遺族の心を傷つける」と訴える。国はこうした南部の土砂を新基地建設に、使わないことを明確に示す必要がある。

 講和・安保によって形成されたのは「沖縄基地の固定化」と「本土・沖縄の分断」である。沖縄依存の安保政策を見直すべきだ。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1312376.html

<社説>4・28「屈辱の日」 自己決定権を誓う日に
2021年4月28日 05:00

 4月28日を迎えた。サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)によって日本の独立と引き換えに、沖縄は日本から切り離された米国統治が始まった日である。沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼んできた。

 米国統治によって沖縄は人権より軍事が最優先される軍事植民地のような状態に置かれた。講和条約調印(51年9月)から70年たった今も、米軍は駐留し続け、事件事故、環境汚染などで県民の人権と安全が脅かされている。

 日本は自国の安全を米軍の抑止力に頼り、基地負担を沖縄に押し付けている。沖縄には自らの将来を自ら決める権利がある。今年の「4・28」は「屈辱の日」を返上し、自己決定権の確立を誓う日としたい。

 「屈辱の日」の源流に二つの提案がある。サンフランシスコ講和条約が締結される4年前、昭和天皇は沖縄を「25年ないし50年、あるいはそれ以上」米軍に提供したいと提案した。「ソ連の脅威」に対抗するためだ。沖縄を日本から切り捨てることに等しい。

 対日講和条約交渉が始まると、吉田茂首相は講和後の沖縄を「バミューダ方式」によって米国に租借する提案をした。西大西洋の英国領バミューダ諸島の一部を米国に99年間貸して、軍事基地を建設したことに由来する。

 講和条約第3条によって、米国は他国から干渉されず、沖縄基地を自由使用する権利を手に入れた。日本政府も同意している。

 1972年の施政権返還の際もこの構図は繰り返される。米国は日本に沖縄の施政権を返したが、日本政府の同意の下で基地の自由使用権は手放さなかった。

 沖縄返還から半世紀。この間、米軍は沖縄から海兵隊の撤退を検討した時期もあったが、日本政府に慰留されとどまっている。

 その結果「一つのかご(沖縄)に、あまりにも多くの卵(米軍基地)を入れている」(カート・キャンベル元国防次官補代理)現状がある。

 基地の整理縮小の目玉として日米は、米軍普天間飛行場の移設を合意した。ところがふたを開けると、名護市辺野古への新基地建設であり基地機能の強化だった

 かつて昭和天皇が理由とした「ソ連の脅威」は、今や「中国の脅威」に取って代わり、日本政府は米軍が駐留する理由を正当化している。沖縄に米軍が駐留する必要性は変わらず、むしろ大きくなっているという言説が広がる。

 しかし、米中の緊張が高まり、有事の際に沖縄が標的にされ県民の命が脅かされる危険性が高まる

 72年5月15日の日本復帰記念式典で屋良朝苗知事は「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」すると述べた。日本復帰から半世紀。日米に利用されてきた立場に終止符を打つ時期が来ているのではないか。
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1312593.html

<金口木舌>われわれにパラシュートはあるのか
2021年4月28日 05:00
金口木舌 屈辱の日 宮森小事故 米軍

 詩人で長年演劇活動に携わってきた中里友豪さんの出演作に演劇集団「創造」の2014年公演「でいご村から」がある。沖縄戦で深い傷を負った沖縄本島北部の集落が舞台。中里さんは「創造」の創設メンバーの一人だった

沖縄戦の記憶をどう継承するかを問う劇だった。学校長役を演じた中里さんは公演パンフレットで「忘れていけないものを忘れていないか」と記している。時代と向き合い、言葉を紡いだ詩人が亡くなった

▼「琉大文学」同人で、宮森小米軍ジェット機墜落事故を取材した作品「恐怖と血の代償」を残した。子どもの命を奪った墜落機から操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。「われわれには、パラシュートはない!

身の危険から逃れる術(すべ)がない。宮森小の事故現場だけでなく、沖縄中が危機と隣り合わせにあった。米統治下で県民の多くが出口のない閉塞(へいそく)感にさいなまれていたのではないか

▼県民は「祖国」に光明を見いだし、復帰を求めた。しかし、宮森小の事故で米軍を糾弾した詩人は「責任は本土政府にもある」と書くことを忘れなかった

▼太平洋戦争の末期、日本は沖縄を捨て石にし、サンフランシスコ講和条約で米国に差し出した。「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の中で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか
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●無《責任政党》内人事、大惨事アベ様政権・「官邸官僚」人事…見るに堪えないメンバーで数々の腐臭漂うアベ様案件に蓋をする気満々

2020年09月27日 00時00分35秒 | Weblog

[※《自助》大好きオジサン・元最低の官房長官と学商 (日刊ゲンダイ 2020年9月7日 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278353)↑]


リテラの記事【菅義偉“総理”誕生で政府は権力のために不正を働く「忖度官僚」だらけに! 圧力をかけられた元官僚たちが語る恐怖支配の手口】(https://lite-ra.com/2020/09/post-5633.html)によると、《菅義偉氏が自民党総裁に選ばれた。16日に臨時国会でおこなわれる首班指名選挙を経ることになるが、事実上、菅総理が誕生したということになる。だが、この新たな菅政権が安倍首相時代をはるかに上回る恐怖政権となることは火を見るよりも明らか。総裁選の最中から「まずは自分でなんとかする」という「まずは自助」を掲げたことも象徴的だったが…。…菅氏とも昵懇の関係にある橋下徹氏が「政治的に決定したあとに官僚が反対してきた場合、異動させるのか、異動させないならどうするのか。安倍政権に対する批判で内閣人事局の問題ありますが、断固異動させるのか、異動しないならどういうかたちで」などと総裁選候補者に質問。すると、菅氏はこう答えた。「私ども、選挙で選ばれてますから、何をやるかという方向が決定したのに反対するのであれば異動してもらいます」》。

 無《責任政党》内人事、大惨事アベ様政権・「官邸官僚」人事…見るに堪えないメンバーで数々の腐臭漂うアベ様案件に蓋をする気満々だ。

 アベ様が《悪夢》とお呼びになった民主党政権の終焉から7年8カ月程にも及ぶ「地獄」の第二次アベ様政権がようやく崩壊したのに…2020年9月16日、元・最低の官房長官が首相となりました。「底なしの地獄」な大惨事アベ様政権です。
 陰湿・悪質・強権化は必至。与党に入れてもらいたくて仕方のない、野党を詐称する癒着党お維・橋下徹元大阪「ト」知事がハシャグような「政」がまともなものとは思えません。

   『●【金子勝の「天下の逆襲」/野党は「消費減税で戦う」ではなく
      ニューディール議論を】…最悪な税制なんかを導入したが故に…
   『●さようならアベ総理、そして、こんにちはアベ様…数々のアベ様案件
       について真相を解明し、真の「責任」を果たしていただきましょう
    「2020年8月28日(金)午後、漸くこの日を迎えました
     アベ様が首相辞任を表明しました

   『●斎藤貴男さん【二極化・格差社会の真相】《法令を順守しなければ
     ならないのは、誰よりも貴君ら自身、警察権力なのだと自覚したまえ》
   『●前川喜平さん《数々の政策の失敗…行政の私物化について、納得できる
       説明をし、ちゃんと謝罪し、その責任をとってから、辞めてほしい》
   『●《官邸職員による“腕つかみ質問阻止”》事件…南彰さん《ついに
     質問妨害が、実力行使に発展…安倍晋三首相の記者会見での出来事だ》
   『●浜矩子さん《日本をこの狂った道から正しい道に戻さなくては
     ならない。安倍政権はそれほど激しい歪みを日本経済に遺したのです》
   『●アベ様や財務相は、赤木さんが《残したファイルとか、いま黒塗りに
     なっている夫がうつ病になった経緯であるとか、出すのは簡単なことだ》
   『●アベ様広報紙・産経《むしろ記者たちの質問する権利を奪おうとする、
         目を疑うような記事が出た》…《メディアコントロール》の成果
   『●折角の《安倍のいない世界》が達成目前だというのにトンデモない
     最後っ屁…《大切な政治判断を誤る、結果を出せない》アベ様ときたら
   『●《権力をほしいままにし、国家を私物化してきた安倍首相も官邸を
      出てしまえば“ただの人”…司直の手に落ちることになるのか》?
   『●《「安倍総裁をしっかりと継承する」「安倍政権が進めてきた改革の
     歩みをけっして止めるわけにはなりません」》…より陰湿・悪質・強権①
   『●《「安倍総裁をしっかりと継承する」「安倍政権が進めてきた改革の
     歩みをけっして止めるわけにはなりません」》…より陰湿・悪質・強権②
   『●《悪夢…民主党》総裁選では「全国で遊説することなく、国民に広く
      考えを示さず、政策論争を深めなかった」と当て擦っておきながら…
   『●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」
       という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?
   『●縁故主義の塊のようなアベ様と昭恵夫人…《「モリ・カケ・サクラ」
       …いずれも「身内」の優遇で、国政の私物化が疑われた案件だ》
   『●「教育再生」という名の教育破壊…《二つの流れには共通する
         底流があるように思う。要は「安上がり」なのではないか。》
   『●アベ様は《人事局により「縦割りを払拭」と語ったが、目立ったのは
          「功」よりも「罪」の側面だった》…《人事掌握、忖度広がる》
   『●《派閥の談合が露骨で、仲間内で甘い汁を吸うアベ政治…何より問題
       なのは、菅がやってきたことを検証せず、ヨイショ報道を流すメディア》
   『●《出来ないことを出来ると言い、やれると言ったことをやらなかったのが
       安倍―菅という最悪のタッグ…安倍と周辺一味による暗黒の時代…》
   『●斎藤貴男さん《この国の社会と人心は、主に小泉純一郎政権と安倍政権に
             よって破滅…。菅氏も安倍路線の継承を誇らしげにうたっている》

 無残な党内人事、無《責任政党》は人材の宝庫ですねぇ。《粛々》と壊れ具合が酷くなる不自由民主党。
 日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/菅内閣は昭和の妖怪政治でしかないのか】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202009170000094.html)によると、《ただ、党総裁・菅義偉が71歳。幹事長・二階俊博81歳、総務会長・佐藤勉68歳、政調会長・下村博文66歳、国対委員長・森山裕75歳、選対委員長・山口泰明71歳。我が国の法律では74歳までが前期高齢者、それ以降は後期高齢者で、警察庁が発表した19年の免許返納者の平均年齢は76.96歳。しかし政府は「人生100年時代構想」を打ち出しており、官房長官時代の菅の口癖を使えば全く問題はない」「指摘は当たらないということになるのだろうか》。

   『●《人材の宝庫》のはずが…《「経産省内閣」と揶揄される
     安倍政権は歴史に残る犯罪者集団と言われても仕方あるまい》

 デタラメな何もかもを《継承》。腐敗も《継承》、アベ様案件の放つ腐臭にも蓋。
 週刊朝日のコラム【古賀茂明「安倍総理個人の倫理規範も継承した菅政権」】(https://dot.asahi.com/wa/2020091400014.html?page=1)によると、《安倍政権では、官僚たちが、良心も正義感も、不正と闘う勇気も失ってしまったのではないかと思わせるような事件が相次いだ。その原因はいくつかあるだろう。「官僚支配」もその一つだが、もう一つ大きな影響を与えたのが、安倍総理個人の「倫理規範」だ。官僚たちは、常に自分たちの上に立つ最高責任者の言動を見ている。その安倍総理は、今度こそ終わりだと思われるような個人的スキャンダルが起きるたびに非常におかしな言い訳をしてきた最も典型的なのは、森友学園問題でよく出てくる「検察が捜査を行い、結果が出ている」という言葉だ。また、野党の追及に対して、「証拠があるのかというような態度を示すこともよく目にした》。

 韓国は韓国、ニッポンはニッポンなのですが…産経系(や読売系)の広報員の皆さん、「度が過ぎている」数々のアベ様案件について、「ニッポン・アベ様政権スキャンダルまみれ」とどうして報じてくれなかったんですか? (《記者》ではないので、仕方ないのでしょうが。)
 産経系のWebに出ていた記事らしきもの【韓国・文政権スキャンダルまみれ 第二の“タマネギ男”に?法相息子が兵役で特別待遇か 識者「度が過ぎている」】(zakzak)。

 政権中枢の高官が民間企業に便宜供与を打診し、行政をゆがめた》方・和泉洋人首相補佐官経産省内閣色が表向き弱まるものの、それにしても醜悪な「官邸官僚」人事。
 リテラの記事【菅政権で「公費不倫出張」の和泉洋人首相補佐官が再任、“官邸官僚”のトップに! 虎の威を借る恫喝と行政の私物化が再び】(https://lite-ra.com/2020/09/post-5638.html)によると、《その顔ぶれは麻生太郎財務相や萩生田光一文科相をはじめ安倍内閣から続投が8名、3名が横滑りという代わり映えのなさ。発足前から「居抜き内閣」「第三次安倍政権」と呼ばれる始末だが、こうした組閣の一方で注目すべき人事がある。それは安倍政権を象徴する「官邸官僚」たちの人事だ。まず、安倍政権では「影の総理」と言われ、絶大な権力をふるってきた今井尚哉・首相補佐官兼秘書官は、菅政権では内閣参与に。他方、菅氏の最側近である和泉洋人首相補佐官はそのまま再任し、さらに元エリート警察官僚である杉田和博官房副長官と、内閣情報室(内調)のトップから国家安全保障局局長に登り詰めた北村滋氏も再任となった。安倍政権下で菅氏が“官僚の監視”を担わせた杉田官房副長官や、野党やマスコミの監視謀略情報の仕掛け人として暗躍させてきた北村氏をそのまま再任させたことからも、官僚の人事を掌握して忖度を引き出す「官邸主導」がさらに進められてゆくことがはっきりとしたが、問題は今井氏と和泉氏の処遇だ》。

   『●巨大新基地建設による辺野古破壊…プーチン氏に《主権を行使できて
                   いない実例》と指摘されてしまう始末
   『●和泉洋人首相補佐官…《日本の民間企業に建設協力を打診し、
     便宜供与を匂わせていた…徹底的に民意をないがしろにする政権の姿》
    「《これは安全保障政策ではない。日本をぼろぼろにすることと
     引き換えにした米国への隷従であり、「売国的」ですらある》…
     ホシュやウヨクの皆さんの大好きな売国奴という言葉。でも、一体誰が
     《売国》奴なのでしょうか? 皆さんのお嫌いなプーチン氏に
     《主権を行使できていない実例》と指摘されてしまう始末ですよ?」

 《自民党ネットメディア局長として、ヘイトまがいの政権批判者叩きを展開する…ネトサポ…の元締め的な役割》を担ってきたデジタル担当相・平井卓也氏。
 リテラの記事【デジタル担当相・平井卓也は古巣の電通を使って自民党のネット操作を始めた張本人! 自ら福島瑞穂に「黙れ、ばばあ!」の書き込み】(https://lite-ra.com/2020/09/post-5639.html)によると、《平井氏といえば、検察庁改正案の審議がおこなわれていた5月13日の衆院内閣委員会に出席していた最中に、タブレットで「ワニ動画」を閲覧していたことで批判を浴びたばかりの人物。しかも、本サイトでも取り上げてきたように、平井氏は自民党ネットメディア局長を務めていた2013年、「ニコニコ動画」で党首討論が生放送された際、国会議員であることを隠してスマートフォンであべぴょん、がんばれなどといったコメントを投稿。さらに、社民党の福島瑞穂党首が発言したときには「黙れ、ばばあ!」などと書き込んでいたことが発覚したのだ(この事実は当時、東京新聞が報道し、本人も事実を認めている)。…だが、問題は「デジタル庁の創設」そのものにもある。この「デジタル庁」が、新たな利権の温床になる可能性が極めて高いからだ》。

   『●主犯A…『A Few Good Men』のように
     ネイサン・R・ジェセップ大佐を証人台に座らせろ!
    《【閉会中審査でネトウヨ自民党議員たちが前川前次官に卑劣な質問
     浴びせるも次々返り討ちに! 逆に詭弁と嘘を暴かれる醜態】…衆院で
     質問に立った平井卓也議員は、「文書を流出させたのは前川さんか?」
     と尋ね、前川氏は回答を差し控えた。すると平井議員は「自分ではない
     と答えられないのか」などと責め立てた。
      平井議員といえば、ネトウヨの巣窟とされるネットサポーターズクラブ、
     通称「ネトサポ」の代表で、2013年に行われたニコニコ生放送の
     党首討論会では福島瑞穂議員の発言中に「黙れ、ばばあ!」と書き込んだ
     ことが発覚したこともある人物。そんなネトウヨ脳では前川氏が守ろう
     とする公益通報者の保護の意味などわかるはずもないのだろうが、
     そのあとも平井議員は前川氏を個人攻撃。
      たとえば、獣医学部の定員抑制の告示が53年間も変えられなかった点を、
     前川氏は「…」とごく当たり前の見解を示し、加計学園ありきの
     決定プロセスの不透明さを問題だとしたが、平井議員はその弁を
     「話のすり替えだ」と攻撃。さらには、定員抑制は「天下り
     と関係しているのでは?」と質問したのだ。》

   『●政府広報費予算は(第二次)アベ様政権発足以降、《悪夢のような》
       民主党政権時の倍増で約83億円…その増加分の約40億が電通へ
    《また、2013年の総選挙で自民党はネット対策の特別チーム「Truth Team」
     (T2)を立ち上げ、専門の業者に委託するかたちでTwitterやブログの
     書き込みなど24間監視自民党に不利な情報があれば管理人に削除要請
     したり、スキャンダルなどネガティブな情報が検索エンジンに
     引っかかりにくくさせるための「逆SEO」(検索エンジン最適化)まで
     おこなったが、当時、自民党のデータ分析を担当していた小口日出彦氏は
     著書『情報参謀』(講談社)のなかで〈T2の元請けは電通だった〉
     と明かしている。…「ほかにも、大きな選挙や対立する政治課題が
     持ち上がったときは、SNS分析や対策などを電通にやらせている。
     たとえば、先の沖縄県知事選挙でも、電通が請け負って電通デジタルなどが
     SNS対策をやっていた。あのときは、玉城デニー知事をめぐってさまざまな
     デマ情報が拡散したが、これらのなかにも電通が仕掛けたものがいくつも
     あるはずだ。新型コロナでも、自民党の特設サイトをつくらせて、
     コロナ対策を自分たちの手柄にするような情報を発信している」》

   『●「フィクション」「伊藤さんと関係ない」は通用せず。一方、アベ様を
      《サポート》するための《Truth》無き《Team》《Club》は一体何を?
    「アベ様らは、《ネトウヨの巣窟とされるネットサポーターズクラブ
     通称「ネトサポ」の代表》達、腐った自民党議員らに、一体何を
     やらせたいのか? リテラの記事【自民党のネット誹謗中傷対策の
     メンバーに絶句! 委員長の平井卓也議員は福島瑞穂議員に
     「黙れ、ばばあ!」と匿名で書き込み】…。《自民党はネット対策の
     特別チーム「Truth Team」(T2)》って、悪い冗談としか思えません。
     〝FAKE team〟(FT)では? アベ様を批判する人たちを
     抑え込むためには何でもする…。アベ様の政で〝唯一上手くいっている〟
     《メディアコントロール》。」

 もう一転懸念されることは、沖縄イジメが陰湿・悪質・強権化すること。沖縄イジメの張本人が首相になってしまった。沖縄関連人事も酷いもの。
 琉球新報の【<社説>菅内閣発足 沖縄政策の見直し急務】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1192590.html)によると、《菅氏は安倍政権の「沖縄政策責任者」として名護市辺野古の新基地建設反対の民意を無視し、建設を強行した。そして安倍政権は県政が新基地を容認するかどうかの態度いかんで沖縄関係予算を増減させる手法などを使って、沖縄社会を分断した》。
 【社説[菅内閣発足]真に「寄り添う」政治を】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/633597)によると、《菅氏のスローガンは「既得権益を打破し、国民のために働く内閣をつくる」である。行政改革・規制改革担当相には、河野太郎前防衛相を充てた。沖縄担当相も兼ねる。…沖縄担当相に就任した河野氏は、防衛相、外相として基地問題にも関わった。この間、安倍内閣は、新基地賛成の知事には予算を増額し、反対の知事には減額する「基地と振興のバーター」を強めた。振興計画は、沖縄戦による甚大な被害と27年間に及ぶ米軍統治によって生じた本土との格差是正が出発点だ。離島における経済格差や子どもの貧困問題など課題は残る。コロナ禍で戦後最悪とされる経済低迷。中でも沖縄は「全国で最も大きなダメージを受けている地域の一つ」(日銀審議委員)だ。…加藤勝信官房長官が沖縄基地負担軽減担当相を兼ねる。まずは一日も早く、沖縄に足を運んでもらいたい。住宅や学校に囲まれ世界一危険といわれる普天間飛行場、名護市辺野古の新基地建設周辺の生物多様性を誇る海。安倍政権は「県民に寄り添う」としながら、民意に背を向け、かたくなに辺野古が唯一と繰り返してきた》。

   『●辺野古は単なる破壊「損」…《普天間飛行場の危険性を除くためだ
     としても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず》

 だからぁ、辺野古は破壊「損」だってばっ。
 琉球新報の記事【辺野古新基地「着実に進める」 岸信夫防衛相、安倍政権の方針を堅持】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1192838.html)によると、《岸信夫防衛相は17日未明の就任会見で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画について「唯一の解決策であるとの方針に基づいて、着実に工事を進めることこそが一日も早い返還につながる」と述べ、安倍政権での政府方針を引き続き堅持する考えを示した。岸氏は安倍晋三前首相の実弟で、16日に発足した菅内閣の防衛相に就任した。菅義偉首相から沖縄の基地負担軽減の実現に取り組むよう指示を受けたと説明し、その上で「普天間飛行場の危険性除去と辺野古移設の考え方、沖縄の基地負担軽減を目に見える形で実現する政府の取り組みを丁寧に説明し、地元の理解を得る努力をしていきたい」と語った》

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●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

2020年09月14日 00時00分57秒 | Weblog


『論座』の記事【「6・23」で終わらぬ沖縄戦 絶えぬマラリア死、実態追う/大矢英代】(https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter)。

 《「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。…そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》。

   『●斎藤貴男さんの不安…《財界人や自民党の政治家たちが、いつか近場で、
       またああいう戦争を始めてほしい…と願っているのではないか、と》
    《休戦までの3年余で死者300万人を出した戦闘そのものについても、
     すでに憲法9条が施行されていた当時の日本は、占領者としての
     米軍の出撃基地となり、数千人が戦場に出動して、輸送や上陸作戦に
     備えた掃海作業などに従事した》

 『報道特集』(2020年8月29日)にて金平茂紀さんの言葉、「…あとは、沖縄ですよね。歴代の政権の中で沖縄に対して最も冷淡な政権だった」。アベ様や最低の官房長官、その取り巻き連中による沖縄イジメ沖縄差別な7年8カ月。

 さて、『論座』に掲載されていた、映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵さんとの共同監督)の監督で、「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)の著者・大矢英代さんによる長文の論考。

   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

 「戦争や軍隊の本質」の記憶。沖縄での番犬様の居座りや、嬉々として沖縄を差し出すアベ様や最低の官房長官ら。一方、島嶼部では自衛隊が〝防波堤〟や〝標的〟に。《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。
 《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。

 この長い論考の結びの言葉《軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う》。

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https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

「6・23」で終わらぬ沖縄戦
絶えぬマラリア死、実態追う

大矢英代 ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督
2020年08月28日
沖縄スパイ戦史|沖縄戦|8月ジャーナリズム


■今も戦争の延長線上に

 「大矢さん、あなたの番組企画案は沖縄戦についてですよね? なんで今回の会議に持ってきたんですか?」

 2015年11月、テレビ朝日で開かれたドキュメンタリー番組会議でのこと。プロデューサーは、意味が分からないという表情で私に問いかけた。当時、沖縄の系列局で報道記者をしていた私は、かねて構想を温めていた番組の全国放送枠を求め、渾身の企画書を抱えて会議に望んでいた。記者4年目の私にとって、初めてとなる番組企画。主人公は沖縄戦に従軍した96歳の元日本兵だ。番組内容を説明した直後、プロデューサーから開口一番に問われたのが冒頭の質問だった。私は質問の趣旨が分からず困惑した。企画案のねらいが不明瞭だったのかもしれない。改めて、体験者の高齢化が叫ばれる今、どうしても証言を伝え残したいと強調した。

 「いや、それは分かるんですけど……」とプロデューサーは言った。

 「今回の会議では冬季の番組ラインナップを決めるんですよ。戦争の番組なら夏ですよね?」

 企画案はあえなくボツになった。内容に懸念があるならまだしも、季節がずれているという理由で不採用になるとは想像もしていなかった。「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。

 それは、沖縄メディアと本土メディアの間に横たわる戦争への意識の違いを露骨に表していた。沖縄メディアにとって、戦争は避けることのできない永久のテーマだからだ。

 例えば、米軍基地問題の取材のためには、原点である沖縄戦の歴史を学ばねばならない。沖縄の子どもの貧困率は29.9%(沖縄県・2016年)で、全国平均の約2倍といわれているが、深刻な貧困や社会格差の取材をすれば、県民の生活を破壊し尽くした沖縄戦と米軍統治からの社会保障の遅れの問題に行き着く。戦後70年以上が経って戦争トラウマ(PTSD)を発症し、苦しんでいる戦争体験者たちの取材では、彼らにとって「終戦」など決して訪れないのだということを知った。

 今年4月には那覇空港の滑走路近くで不発弾3発が見つかった。沖縄が日本に復帰した1972年から2018年までに処理された不発弾は、3万8003件(沖縄県・平成30年版消防防災年報)に上り、1年間で平均約800件もの不発弾処理が行われていることになる。そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。

 沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている

 その上で指摘したい。沖縄にも本土の「8月ジャーナリズム」なるものが確かに存在するということだ。6月23日の慰霊の日である。毎年6月が近づくと慰霊の日に向けた特集が組まれ、6月23日には県内メディアは総力をあげて取材にあたる。早朝、糸満市摩文仁の平和祈念公園の朝日から始まり、戦争体験者や遺族たちによる平和行進の取材、式典の中継と、報道は沖縄戦一色になる。

 私は5年間、毎年慰霊の日の取材に全力を投じながらも、心のどこかで一抹の疑問を抱いていた。それは私が記者になる以前の学生時代、「6月23日では終わらなかった沖縄戦」を取材してきたからだろう。「もうひとつの沖縄戦」とも呼ばれる八重山諸島の「戦争マラリア」である。


■地上戦なき島々で、なぜ

 その朝、私は手に取った新聞に聞きなれない言葉を見つけた。「戦争マラリア」。初めて聞く言葉だった。

 今から11年前の09年8月。終戦記念日の翌朝、私は石垣島の地元新聞社・八重山毎日新聞社の編集部にいた。将来のジャーナリストを目指して早稲田大学ジャーナリズム大学院で学んでいた私は、夏休みの間、新聞記者のインターンシップをしていた。

 千葉県で生まれ育った私にとって、終戦記念日は広島・長崎など戦争の犠牲者を追悼する日であり、当然、地元メディアも同様のニュースを伝えるものだと思っていた。ところが、実際に伝えていたのは、戦争マラリア犠牲者の慰霊祭だった。

 戦争マラリアは、沖縄戦最中の八重山諸島(波照間島、石垣島、黒島などの離島からなる日本最南端の地域)で起きた。当時、八重山諸島に駐留していた日本軍は、「米軍上陸」を口実に、軍命により一般住民たちを山間部のジャングル地帯へ強制的に移住させた。熱病・マラリアの有病地として、昔から住民たちに恐れられてきた場所だった。粗末な丸太小屋をたてて2~5カ月間の移住生活を続けた住民たちだったが、医療も食糧も乏しい中で、次々とマラリア蚊の犠牲になり、3600人以上が死亡した。

 戦争マラリアを初めて知った当時の私は衝撃を受けた。米軍の上陸も地上戦もなかった島々で、大勢の一般住民が犠牲になったこと。なによりも、相手国の軍隊ではなく、自国軍によって犠牲がもたらされたこと。そして、これほど重大な歴史を22歳になるまで知らなかった自分自身の無知を恥じた。体験者から直接、真実を聞きたいと思った。彼らの肉声を伝え残せるのは、今が最後の機会だ。私は証言をドキュメンタリー映像として記録することに決め、ビデオカメラを抱えて石垣島で取材をはじめた。無論、家族が犠牲になったつらい体験を、突然やってきた若僧に気軽に話してくれる体験者などいなかった。口を開いてくれた体験者たちも「本当は言いたくないんだけど……」と苦しみながら、ときに涙しながら、強制移住の記憶を語ってくれた。取材は体験者たちの傷口を開くことなのだと知ったとき、本土と八重山を短期間で行き来する「パラシュート取材」を続けてきた自分を反省した。本腰を入れて取材をしようと決意し、大学院に休学届を出した。向かったのは日本最南端の島・波照間。戦争マラリアで人口の3分の1(552人)が死亡し、最も大きな被害を受けた島だ

 ここで私は8カ月間を過ごした。自宅に受け入れてくれたのは、サトウキビ農家の浦仲浩さん、孝子さん夫妻だった。孝子さんは13歳で戦争マラリアを体験し、家族11人のうち9人を失った。唯一、共に生き残った妹(当時9歳)と2人で力を合わせて戦後を生きてきた。体験者と共同生活をしながら、一緒にサトウキビ畑で働き、少しずつ心を開いてくれる姿をカメラに記録した。

 「戦争体験者」「証言者」と呼んでいた人たちを、やがて「おじい、おばあ」と呼ぶようになり、さらに島の言葉「ベスマムニ」で「ブヤー(おじい)」「パー(おばあ)」と呼ぶようになった頃、「ウランゲーヌアマンタマ(浦仲家の女の子)」と、私は島の人たちから呼ばれるようになった。


■「慰霊の日」報道に疑問

 11年6月、波照間にきて半年が過ぎた頃、慰霊の日がやってきた。私は朝からビデオカメラを回した。孝子おばあは、いつも通り朝6時過ぎに起きて、庭の草むしりをしていた。昼には好物の氷ぜんざいを頬張る。いつもと何も変わらない淡々とした日常があった。

 孝子おばあは、慰霊祭に一度しか参列したことがないという。考えてみれば、当然のことである。戦時中の6月23日、住民たちはまだ強制移住先のジャングルの中にいた。猛威をふるうマラリアで次々と絶命し、終戦後の9月になっても死者は後を絶たなかった。沖縄本島で牛島満司令官らが自決しても、それは住民たちにはなんら関係のないことだった。

 戦争マラリアの取材で私が見つめたのは、6月23日で終止符が打たれた沖縄戦とは全く異なる戦争の実態だった。沖縄戦=沖縄本島での地上戦という一般的なイメージからこぼれ落ちてきた戦争マラリアの歴史は、「もうひとつの」「第二の」などと呼ばれることで、沖縄戦と区別されてきた。単なる戦病死と勘違いされることも多かった。多くの体験者たちが「自分たちはつらかったけど、それでも沖縄本島の人たちよりは、まだよかったんだ。つらいなんて言っちゃいけない」と心に鍵をかけ、苦しみを語れずに戦後を生きてきた。そんな体験者たちに出会うたびに、学生時代の私は、慰霊の日を戦争・平和報道のピークとする沖縄の報道のあり方に疑問を抱いた。地上戦がなかった島々で、自国軍によって甚大な被害を受けた一般住民の存在こそ、沖縄戦の最暗部の歴史だからだ

 17年、私はフリーランスに転身し、翌年7月、ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵氏との共同監督)を公開した。テーマは沖縄戦の「裏の戦争」だ。地上戦の背後で活動していた日本軍のスパイ・陸軍中野学校卒業生たちによる作戦の実態を描いた。陸軍中野学校とは、ゲリラ戦や情報戦を専門とする特殊教育をおこなっていた極秘機関である。

 彼らによって訓練され、銃を持って米軍と戦わせられた少年兵・護郷隊。「米軍のスパイではないか」と疑心暗鬼になり、互いを監視し、傷つけあった住民たち。そして日本軍に故郷を追われてマラリアで絶命した八重山の人々日本軍がどのように住民たちを作戦に利用し、時に武器を持って戦わせ、そして住民たちが軍にとって「不都合な存在」となった時、一体何が起きたのか。戦後これまで語られてこなかった沖縄戦の最も深い闇を「スパイ」というキーワードで描いた。

 なぜ今、私は沖縄戦を取材するのか。それは他でもない、現代社会を読み解くための鍵が埋もれているからである。私にとって、それはある男の姿を追うことで明確になっていった。波照間の強制移住を指揮した山下虎雄である。


■優しい顔で死を強いた

 「とっても優しい人だったよ。子どもたちはみんな『先生! 先生!』と呼んで親しんでいた。おもちゃの飛行機も作ってくれたよ。教えるのも上手だったさ」

 「非常にユーモアのある人でね、フラダンスとかいって、僕らが見たこともないような面白い踊りをして笑わせてくれたよ」

 波照間島の体験者の多くは、幼い頃に山下虎雄と過ごした楽しい日々を今もはっきりと覚えている。

     (映画「沖縄スパイ戦史」から ©2018「沖縄スパイ戦史」製作委員会)

 山下が青年学校指導員として島にやってきたのは、沖縄戦が始まる約3カ月前だった。教員になりたての若者で、身長180センチほどのがっしりとした体格。色白の顔。住民たちは、遠路遥々やってきた「ヤマトゥーピトゥー(大和人=日本人)」の青年を盛大な歓迎会を開いてもてなし、手厚く世話をした。

 山下先生の来島から2カ月後、沖縄本島で地上戦が始まった頃、山下先生が豹変する。住民たちに「西表島へ移住せよ」と迫ったのだ。波照間と海を隔てた対岸約20キロにある西表島は、全土がマラリアの有病地だった。移住を拒む住民たちに対し、山下先生は軍刀を振りかざし、「これは天皇陛下の命令だ。聞かない奴はぶった切る」と脅した。故郷を追い出された住民たちはマラリアに斃れ、仮埋葬地となった砂浜は足の踏み場もないほど遺体であふれ返った。

 青年学校指導員・山下虎雄の正体は、陸軍中野学校の卒業生だった。

 「殺してやりたいくらい憎い。あの人のせいで、みんな死んでしまったのに……」

 波照間の戦争体験者たちは、戦後75年となる今も、山下への怒りを抱えていた。家族を失った当事者ならば当然のことだろう。

 戦争マラリア取材を始めた頃の私は23歳。波照間に潜伏していた頃の山下と皮肉にも同じ年頃だった。果たして、彼は狂気の軍人だったのだろうか。彼を強制移住に駆り立てたのは、何だったのか。


■なぜ残虐行為ができるのか

 私たちは幼少期から「人を傷つけてはいけない」と倫理観を教わり育つ。にもかかわらず、なぜ軍人になると残虐行為ができるようになるのか。軍隊は人間をどう変えるのか

 疑問を抱えて、米国ドレクセル大学のエリック・ジルマー教授を取材した。軍隊における人間心理を研究するジルマー教授は、「人間を殺人や破壊行為ができる『マシーン』に作り替えるためのキーワード」として三つの指摘をした。

 ①命令の存在。「たとえどんなに残虐な行為だとしても、命令があればできてしまう」とジルマー教授は言う。

 ②残虐行為を集団で行うこと。初年兵訓練では「私=I」という主語が禁止されているという。個を奪い、命令にだけ従うロボットに変えることで、一人前の兵士が出来上がる。

 ③行為を細分化すること。例えば殺人という目的を果たすために、兵士Aは弾を用意し、兵士Bは弾を銃に詰め、兵士Cは引き金を引く。残虐行為を細分化することで個々人の倫理は薄れる。

 山下の行為は、これらにぴたりと当てはまる。

 まず命令の存在について、強制移住は山下の単独行動ではなく、日本軍の作戦計画に基づくものだった。

 沖縄戦開戦の4カ月前、1944年11月、陸軍省と海軍省は、全国の沿岸警備の方針を定めた「沿岸警備計画設定上ノ基準」を沖縄をはじめ全国の軍司令官らに通達した。その中で八重山地域は「主要警備ノ島嶼」と位置づけられ、「在住民の総力を結集して直接戦力化し、軍と一体となり国土防衛にあたるべき組織態勢を確立強化する」とされた。これに基づき、軍事作戦の円滑化のための官民の協力体制づくりと、非常事態における住民の移住を含めた住民対策が計画された。最前線に住民がいては戦闘の邪魔である。ましてや住民が敵の捕虜となれば日本軍の配置や軍施設の情報などが敵に漏洩してしまう。そう懸念した日本軍は、基地建設や食糧生産、戦闘に住民を利用すると同時に、情報漏洩を恐れて住民を監視下におくという矛盾に陥っていく

 45年1月1日付で作成された日本軍の作戦計画書「南西諸島守備大綱」では、住民の移住についてこう取り決められた。

 「直接的戦闘に参加できない老人や子どもなどは、事前に近くの島、もしくは島内の適切な場所に移住させること。これは日本軍の作戦を容易に遂行するため、また混乱を防止し、被害を少なくするためである」

 住民の移住先は「日本軍が配備されている島に限る」とされた。波照間から最も近い島は、マラリア有病地の西表島だった。


■山下が担った秘密作戦

 ジルマー教授が指摘した集団と細分化についても、山下の行動に当てはまる。実は、沖縄戦に送り込まれた陸軍中野学校卒業生は、山下だけではない。総勢42人にも上っていた。彼らの任務は遊撃戦(ゲリラ戦)の展開。沖縄の正規軍である第32軍が壊滅したあと、山間部にこもり、「皇土防衛のために、一日でも長く沖縄で米軍を足止めせよ」という大本営の「沖縄捨て石作戦」を遂行することだった。

 45年6月23日は、牛島司令官らの自決日であり、沖縄戦の組織的終結日とされている。しかし、正規軍壊滅後の作戦遂行を任務とする中野学校卒業生たちにとって、この日は本来の任務開始日に過ぎず、最後の一兵に至るまで戦い抜くという終わりなき沖縄戦の幕開けだった。そのために地元の少年たちでゲリラ部隊「護郷隊」を組織し、米軍との戦闘や、米軍戦車に爆弾を背負って体当たりする自爆作戦を取らせるなど、子どもたちを酷い作戦へと巻き込んでいった。

 その中で「離島残置諜者」と呼ばれていた山下の任務は、「民間人の立場で情報を収集し、万が一、米軍が上陸してきた場合、それまで訓練していた住民を戦闘員と仕立て上げ、遊撃戦を行うことだった。第32軍は、そのために県知事島田叡と交渉し、彼らに正式な国民学校指導員と青年学校指導員の辞令書を出させ、偽名を使い、各島々へ潜伏させたのである」(『陸軍中野学校と沖縄戦』川満彰著、吉川弘文館、2018年)

 山下が優しい先生を演じて、住民の信頼を得たのは、作戦遂行のために住民を懐柔する必要があったからである。

 山下は、波照間の子どもたちで「挺身隊」を組織し、手榴弾の使い方を指導した。しかし、それは「米軍との戦闘のためだけではなかった」と、元挺身隊員の銘苅進さん(取材当時87歳)は語った。

 「自決。手榴弾で死ねなかった時のために、『喉元刺しなさい』と山下から短刀を持たされていた。住民が米軍に捕まったらスパイになるからですよ。山下は結局、日本軍のことを米軍に聞き取りされると思ったんじゃないか」

 取材を進めるごとに見えてきたのは、徹底的に軍の作戦と命令に従い、与えられた任務を着実に遂行したエリート軍人の姿だった。

 しかし、疑問は残る。人間は本当にロボットになりきれるのだろうか。一抹の罪悪感も疑問も抱かなかったのだろうか。


■嘘で固められた正義

 私は2018年秋から取材拠点を米国に移した。プロジェクトのひとつとして元米兵たちの取材を続けている。

 「突然『イラクへ行け』と命令が下った。なぜイラクに攻め込むのか、分からなかった」

 そう語ったのは、元海兵隊員のカイル・ロジャースさん(36)だ。04年、沖縄のキャンプ・ハンセンからイラク・ファルージャに出撃した。

 「世界地図で米軍の配置図を見ると、中東には米軍基地がほとんどない。米軍が行かなければ、どこかの国が基地を造ってしまう。ならば世界一優秀な僕らが行くべきだ。そんな理由づけを自分なりに考えて、納得しようとした」

     (イラク・ファルージャで、米軍の発砲で14人が死亡した事件に
      抗議する市民を監視する米兵=2003年4月)

 出撃前、沖縄ではマシンガンやハンヴィー(軍用車両)などの準備に追われた。「生きては帰れない」「どうせ死ぬんだから」と浴びるように酒を飲んだ。イラクでは、米軍司令部から受信した情報や命令をチームに伝えるラジオ・オペレーターとしての任務についた。

 「ハンヴィーで街中を巡回中、僕らを狙って砲撃が始まったら、敵が逃げ込んだ民家に乗り込んで殺した。怪しい人物は拘束して尋問部隊に引き渡す。でも大抵は容赦なく殺した。僕らはまるで『リトル・ブルドッグ』だった。暴れまくって、たくさんの犯罪をやった。たばこがなくなったら、近くの商店を襲撃した。米軍ヘリは、民間地上空を低空飛行しながらヘビーメタルを大音量で流していた。なんのためって? ただ、イラク人を怖がらせるためさ」

 退役後、PTSDを発症し、退役軍人病院に1年間入院した。今も銃撃事件のニュースが流れるたびに、「次は自分がやってしまうのではないか」という恐怖に苛まれるという。

 カイルさんをはじめ、これまで30人ほどの元兵士たちを取材した。気がついたのは、全ての米兵たちが米国の正義を信じて戦場に向かった訳ではなかったということだ。むしろ多くの兵士たちが、対テロ戦争に疑問を持っていたにもかかわらず、様々な理由づけを考えて、なんとか自分を納得させようとしていた。そして自分が信じた正義が嘘で塗り固められたものだったと気がついたとき、彼らは心を病み、PTSDを発症していく。ジルマー教授が指摘した「命令」「集団」「細分化」がそろってもなお、兵士たちには捨て去ることのできない人間性が残されているように私には思えた。


■民衆の弱さを問う

 「戦争になると、国家は『国』というものを大事にして『民』を犠牲にする。でも『国』は『民』があって初めて成り立つものでしょう? 戦争になるとね、そんなことも国民は忘れてしまうんですよ

 12歳で強制移住を経験した石垣島の潮平正道さんは、私に何度もこう語り、民衆の弱さを問い掛けた。

 「八重山の人たちも、『お国のため』『天皇のため』と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」

 また、波照間島の強制移住について、当時の島のリーダーであり元村議会議員の仲本信幸さんは、戦後のインタビュー取材でこう回想した。

 「慶良間に米軍が上陸し、島人がスパイになったから、沖縄本島が上陸された。だから、波照間でも同様のことが起こりかねないから、日本全体のため、八重山全体のために、波照間島民は犠牲になっても構わないと(山下が言っていた)。(私は)それなら仕方がないということで……」

 強制移住を「仕方がない」と言った仲本さん。国家のために命を捨てることが正しいとする価値観と、軍命に逆らうことなどできない環境の中で、住民は死を覚悟で軍命に従った。それは75年前の昔話なのだろうか。日本軍からの「命令」であれ、現在の国会が次々と生み出す「法律」であれ、行政や警察、自衛隊から求められる「協力」であれ、権力は様々なかたちを変えて私たちを取り巻いている。もしも、それに従うことが私たちの命を危険にさらすことになるとしても、絶対的な権力を振りかざされた時、私たち―あなた、私―は、果たして、どこまで抗うことができるのか

 私たちは、いつでも次の犠牲者にも、次の「山下」にもなり得る。無意識のうちに、あるいは「正義」の名の下に率先して、残虐行為の片棒を担ぎかねない。私たちの中にある普遍的な弱さを、今、ひとりひとりが問わねばならない。


■「尊い犠牲」からの脱却

 「戦争体験者の高齢化による戦争の風化」。日本のテレビや新聞がこう叫びはじめて何年が経つだろうか。体験者がいなくなれば、証言を直接聞く機会が失われ、戦争体験の継承が不可能になるという。しかし、本当にそうだろうか

 対テロ戦争が20年目に突入した米国では、毎年、若い戦争体験者が増え続けている。もし、戦争体験者が増えることで、戦争の恐ろしさが市民に伝わり、平和な社会が実現するならば、米国はとっくに戦争のない国になっているはずである

 〝Thank you for your service.(従軍に感謝します)〟。米国では、軍関係者に感謝の言葉をかける文化がある。serviceをsacrificeに言い換えて、「犠牲を払ってくれて感謝します」という人も多い。今年5月には、毎年恒例の「米軍感謝月間」と戦没将兵記念日「メモリアルデー」が祝われた。戦争と軍隊を賛美する価値観が、文化の根底にある。「米国の自由と民主主義を守ったヒーロー」の名声と共に一生を過ごす元兵士たちが大多数だが、私が取材をした元兵士たちの多くは、「感謝されるのが一番つらい」と胸の内を明かした。「自分が戦場で何をしてきたのか、何も知らないくせに……」と。

 元兵士たちの声を聞く中で気づかされたのは、戦争体験の継承において、体験者の減少は本質的な問題ではないということだ。問題は、戦争体験をどう評価するのかである。米国市民が、元兵士や戦没者を「尊い犠牲」と見なす価値観から脱却することなしに米国政府がいう「正義の戦争」の殻を破ることは不可能だ

 これは日本も他人事ではない。私自身、子どもの頃から受けてきた平和教育では、「戦没者たちの尊い犠牲の上に、今の平和な日本がある」と繰り返し教えられてきた。しかし、戦争の歴史をひもとけば、自国軍の存在ゆえに死亡した3600人以上の八重山の住民たちがいる。彼らを「尊い犠牲」と呼ぶことで、放免されるのは国家と軍隊の責任であり、命令や集団に従う人間の普遍的弱さは学ばれないまま、個人の命を切り捨てることによって国体を守ろうとした歴史は忘却されていく

 軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う。


※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』8月号から収録しています。同号の特集は「8月ジャーナリズム」です。
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●辺野古は単なる破壊「損」…《普天間飛行場の危険性を除くためだとしても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず》

2020年07月27日 00時00分07秒 | Weblog

[※ 辺野古は破壊「損」米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]



東京新聞の社説【本土復帰から48年 「沖縄の心」届く日は】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020051402000144.html)。
週刊朝日のコラム【室井佑月「絶対に必要だった?」】(https://dot.asahi.com/wa/2020070800014.html)。

 《沖縄県が日本に復帰してから四十八年がたちますが、県内には在日米軍専用施設の約70%が残り新しい基地すら造られようとしています。「基地なき島」を切望する県民の心は、いつになったら日本政府に届くのでしょうか。…政府の枢要を占める政治家や官僚にはぜひ、かつて岸氏のような官僚がいたことを思い起こしてほしい。本土に住む私たちも同様に、沖縄の現実から目を背けてはならないのは当然です》。
 《(てか、戦争になったら、イージス・アショアが配備されている地域が真っ先に敵のミサイルに狙われるだろうしな)…もうこうなったら、「絶対に必要だ」と言い張った人たちの今の意見が知りたいよ。…軟弱地盤の改良で、いくらかかるかわからない辺野古の新基地も、怪しい》。

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
     従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
    「『マガジン9』に鈴木耕さん…【風塵だより 鈴木耕/番外編:
     大田昌秀さんへの、さびしい最終便】…《1999年、21世紀を
     目前にして、ぼくは集英社新書の創刊準備に大忙しだった。その中で、
     ぼくがどうしても作りたかった本の1冊が『沖縄、基地なき島への道標
     だった。沖縄の新書、それは絶対に大田昌秀著でなければならないと、
     ぼくは思い定めていた。……沖縄は、大田さんの思い描くような
     進み行きとは、まったくほど遠い現状だ。「基地なき島への道標」を
     あれほどしっかりと示してくれたのに、
     それを無視して基地を押しつける日本政府。》」

   『●「敗戦後」も戦争は続き、「唯一の地上戦があった沖縄は
                  いわば「捨て石」同然だった」
    《風塵だより 鈴木耕 沖縄熱風篇:大田さんへ、花を捧げに……
     7月23日~27日、ぼくは沖縄へ行ってきた。26日の
     「大田昌秀元沖縄県知事県民葬」に参列したいと思ったからだ。
     …新書『沖縄、基地なき島への道標』(集英社新書=これはいま
     読んでもとても示唆に富んだ名著だと思う)の編集担当としてから
     だから、もう18年ほどのおつき合いになる》

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
      城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」
    「琉球新報の【<社説>「沖縄のこころ」 基地なき島の実現誓おう】
     …によると、《戦後73年の沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で、
     翁長雄志知事は昨年に続いて「沖縄のこころ」という言葉を口にした。
     それは悲惨な戦争の体験から戦争の愚かさ、命の大切さという教訓を
     学び、平和を希求する県民の思いのことだ》。
     大田昌秀さんは、「軍隊は人を守らない」と。
     そして、島袋文子さんも「基地を置くから戦争が起こる」と。」

   『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
     殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》

 沖縄で切望されている《基地なき島》とは程遠く…《差別的な構造は…今なお続く》。

   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
         宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を
          着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●直ぐに辺野古破壊の中止を! 《最悪の場合、埋め立てた盛り土が
          崩れ、護岸が崩壊する恐れ…安全な施工は保証できない》
   『●防衛省と「技術検討会」による《ずさん》な《「結論ありき」の
     出来レース》…《軟弱地盤調査せず…何のための「検討会」か》?
   『●地上イージス計画停止、遅すぎる《当然の帰結》…辺野古の工事は
     中止してください! 海を殺すな! 辺野古も白紙にして原状回復を!
   『●どうしたらいいんですかね? 沖縄で、アベ様や最低の官房長官らが
     やることなすことがデタラメばかり…選挙が終われば、辺野古破壊再開
   『●N値がゼロ、工期と費用は「∞」…今日もドブガネし、
        ジャブジャブと大量の土砂を美ら海にぶちまけている
   『●「敵基地攻撃能力」保有、《安倍首相はアショア断念を「反転攻勢と
          したい。打撃力保有にシフトするしかない」》…狂った発想
   『●COVID19人災でさらけ出され、ここでも《政治家や官僚が国防を
     語れば語るほど、自らの無為無策がさらけ出される》(吉川毅記者)

 #辺野古の工事は中止してください! #海を殺すな! #辺野古も白紙にして原状回復を#辺野古は破壊損! 《にもかかわらず、日本政府は新しい米軍基地を名護市辺野古沿岸部に建設中です。貴重なジュゴンやサンゴ礁が生息しようとも、海底地盤が軟弱でどんなに工期や税金がかかろうとも、お構いなしで土砂を投じます。米軍普天間飛行場の危険性を除くためだとしても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず、です》…普天間は返還されることはありません。辺野古は、単なる破壊「損」なんです

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020051402000144.html

【社説】
本土復帰から48年 「沖縄の心」届く日は
2020年5月14日

 沖縄県が日本に復帰してから四十八年がたちますが、県内には在日米軍専用施設の約70%が残り新しい基地すら造られようとしています。「基地なき島を切望する県民の心は、いつになったら日本政府に届くのでしょうか。

    ×    ×

 昨年十二月二十五日、外務省が公開した外交文書の中に、一九六九年十一月二十二日、当時、米軍施政下にあった沖縄から愛知揆一外相に宛てた公電がありました。発信者は日本政府沖縄事務所長の岸昌(きしさかえ)氏。旧自治省から初代所長として派遣され、復帰準備に当たっていました。


対話と理解求める公電

 公電発信は、佐藤栄作首相とニクソン米大統領がワシントンでの日米首脳会談で、七二年に沖縄を「核抜き・本土並み」で返還することに合意し、共同声明を発表した直後。現地沖縄の反応を政府に報告するためのものでした。

 岸氏は公電で「沖縄百万の県民は予想通り『共同声明』を平静裡(り)に受け止めた」としつつ、県民の心には「二十四年間にわたる米国の統治から、いよいよ解放される解放感」や「復帰後も現実に米軍基地が残ることから来る不安」などが「雑然と混在し、平静さの底に複雑な陰影を作り出している」と指摘しています。

 その上で、「政府としてはこのような『沖縄の心』にきめ細かな配慮」をしつつ、(1)本土と沖縄との間の「対話」を広げ理解を深めること(2)祖国復帰を「第二の琉球処分」視されてはならないこと(3)沖縄を政治的、財政的な「重荷」と受け取らず、沖縄の復帰を全国的視野から積極的に活用すること-の三本柱を中心に具体的政策の決定を急ぐよう進言しています。

 当時、政府内には沖縄への特別の措置は不要との意見がありましたが、岸氏は「束(つか)の間の特例措置を惜しんで、復帰を琉球処分の再現と思わせるのは、当を得たこととは思えない」と退けます。


変わらぬ基地への不安

 岸氏は自著に「大学を出ていらい特権に擁護されて、立身出世のエリート・コースを走ってきている日本の官僚に真の沖縄の心がわかるだろうか。困窮と挫折と不安のなかから祖国を呼びつづけてきた沖縄の心が――」と記します。

 岸氏が、当初拒んでいた沖縄赴任を決心したのは、太平洋戦争末期、戦艦大和の沖縄特攻に参加できなかった負い目、そして心の支えとなったのが戦局が悪化した沖縄県に最後の官選知事として赴任し、戦火に倒れた内務官僚の大先輩、島田叡(あきら)氏の存在でした。

 岸氏は沖縄事務所長の後、旧自治省の官房長や大阪府副知事を経て、大阪府知事を三期十二年務めます。この間、府の財政赤字解消や関西国際空港を手掛ける一方、「憲法否定の発言をしたり、太平洋戦争を『聖戦』と呼んだり」(岡田一郎「革新自治体」)して批判もされます

 それでも岸氏の言動から読み取れるのは、戦争で県民に多大な犠牲を強いたことへの贖罪(しょくざい)意識と、県民の苦悩を理解しようとする公僕としての良心です。琉球処分が沖縄県民の傷となって残っていることにも思いを寄せています。

 今、日本政府の官僚や政治家に岸氏が沖縄に対して抱いたほどの心情があるのでしょうか

 確かに、四十八年前のあす施政権が返還された沖縄県は日本に復帰し、苛烈な米軍統治は終わりました。しかし、沖縄には今なお在日米軍専用施設の約70%が残り、米軍による訓練や運用中の事故や騒音、米兵らの事故や事件も後を絶ちません。県民は変わらず重い基地負担を強いられています。

 にもかかわらず、日本政府は新しい米軍基地を名護市辺野古沿岸部に建設中です。貴重なジュゴンやサンゴ礁が生息しようとも、海底地盤が軟弱でどんなに工期や税金がかかろうとも、お構いなしで土砂を投じます

 米軍普天間飛行場の危険性を除くためだとしても、同じ県内に基地を移しては負担軽減にならないにもかかわらず、です。

 県民が選挙で新基地建設反対の民意を繰り返し示しても耳を傾けようとしません。県知事が異議を申し立てても、政府は法の趣旨をねじ曲げてでも退けます。


第二の琉球処分を懸念

 県民の抵抗を排し、新基地建設を強行する姿勢は、岸氏が懸念したように「第二の琉球処分」を想起させます。故翁長雄志知事は、軍政下の沖縄を強権的に統治し、「沖縄の自治は神話」と言い放った米陸軍軍人、キャラウェイ高等弁務官に例えたこともあります。

 「沖縄の心」はいつになったら本土に届き、理解されるのでしょうか。政府の枢要を占める政治家や官僚にはぜひ、かつて岸氏のような官僚がいたことを思い起こしてほしい。本土に住む私たちも同様に、沖縄の現実から目を背けてはならないのは当然です。
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https://dot.asahi.com/wa/2020070800014.html

室井佑月絶対に必要だった?
連載「しがみつく女」
室井佑月 2020.7.9 07:00 週刊朝日 #室井佑月

室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中


 作家・室井佑月氏は、イージス・アショア配備計画の停止を受けて、導入当時のことを振り返る。

この記事のイラストはこちら
イラスト/小田原ドラゴン

*  *  *

 河野太郎防衛相が陸上配備型迎撃ミサイルシステム、イージス・アショアの配備計画を停止すると発表した。山口県と秋田県の反発と、費用の高騰からそうなったといっていた。

 そりゃあ、反発するよね。ミサイル発射後に切り離されるブースターが、落ちてくる可能性が否めないんじゃ(てか、戦争になったら、イージス・アショアが配備されている地域が真っ先に敵のミサイルに狙われるだろうしな)。

 忘れられない出来事がある。2017年12月にイージス・アショアを導入すると安倍政権は閣議決定するんだけど、それに前後して、安倍首相やその応援団がテレビなどに出まくって、「イージス・アショアは絶対に必要なもの」といいまくっていた

 そのとき、テレビに出ていたあたしは、「破片が落ちたりしないのか?」と質問し、共演していた専門家に鼻で笑われ、その後、ネットやユーチューブで、「あんな無知な女を出すな」とか、さんざんいわれたのだ。

 結局、時間を置いたら、あたしの質問はまっとうだったわけである。

 もうこうなったら、絶対に必要だと言い張った人たちの今の意見が知りたいよ

 ちなみに、6月23日の日刊ゲンダイDIGITAL、「イージス・アショア計画中断 肝心のレーダーにも問題あり」という記事によれば、

「1基800億円から始まった取得費は、2基で2474億円と膨らみ、30年間の維持・運営費を含めて4459億円。それに(略)実験費、造成費や建屋、1発30億円のミサイル取得費……。さらに2000億円もの改修費となれば1兆円を超えるのは確実で、導入時、『約800億円で最新鋭イージス艦より安いという訴えが、まるでウソだったことになる」という。

 けど、1兆かかろうがいくらかかろうが、この国に絶対に必要ならば、絶対に必要なのだろう。しかし、そうではなかったということではないの?

 安倍応援団の声の大きさや、メディアの報道のされ方によって、多くの人がだまされるのが怖い。

 2017年にテレビのワイドショーは北朝鮮の脅威という報道が過熱し、毎日のように北朝鮮がミサイルをぶっ放すXデーとやらを予測。

 Jアラートを鳴らし、地域によっては道の隅っこに頭を抱えてうずくまる避難訓練もされた。

 ミサイルが飛んできたとき、道の隅っこで頭を抱えるって、誰が考えたのだか斬新すぎる防護方法だが、そんなことをいえないような空気が作られていった。

 

 そして、その年の秋に、安倍首相は臨時国会の冒頭で「国難突破解散」。北朝鮮の脅威をうたって。

 これらすべてに正しかったことってあるのか? 安倍政権は自分たちを守りたいだけでしょ。

 軟弱地盤の改良で、いくらかかるかわからない辺野古の新基地も、怪しい

※週刊朝日  2020年7月17日号
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●《沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」》…「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」

2019年09月13日 00時00分03秒 | Weblog


阿部岳記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]八紘一宇の塔】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/459522)。
同紙の【社説 [ 昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460401)。
琉球新報の【<社説>昭和天皇「拝謁記」 戦後責任も検証が必要だ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html)。

 《▼よく見ると、土台部分には「南京」や「河北省」の文字がある。礎石は侵略した地域からも集められた。中国の博物館が4年前に返還を求めたものの、管理する宮崎県は「塔の取り壊しはできない」と断っている ▼実は、八紘一宇の文字は敗戦後、米軍の指摘を受けていったん削られた。ところが65年にはもう地元経済界主導で復元された。名前だけは平和の塔と呼び換えられた》。
 《改憲による再軍備の必要を主張…。…資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある》。
《本土で米軍基地反対闘争が起きていた1953年、昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる…」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(引用部は一部原文のまま)などと述べていた。 昭和天皇が47年、米軍による沖縄の長期占領を望むと米国側に伝えた天皇メッセージの根本にある考え方と言っていいだろう。沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある》。

   『●類は「ト」を呼ぶ、朱に交われば「ア」になる
        ~三原じゅん子議員「八紘一宇」予算委発言~』 


 琉球新報のコラム【<金口木舌>「一部の犠牲」はやむを得ないか】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-975540.html)によると、《昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之(これ)がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる」と述べ、代わりに補償するしかないと論じている…▼75年の訪米後の会見で昭和天皇は、広島への原爆投下を遺憾としつつ「戦争中であることだから、どうも広島市民に対しては気の毒だが、やむを得ない」と答えた…だが一連の言葉からは「一部の犠牲はやむを得ないとの観念は共通して持ち続けていたことが分かる》。

 《戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した》。沖縄イジメの原点。
 《沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」》が。「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」…それを沖縄に押し付けた、その原点だ。

 「八紘一宇の塔」(「平和の塔」)。「忠魂碑」や「教育塔」が思い出された。

   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(1/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(2/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(4/4)
   『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~
   『●「敗戦特集」 『週刊金曜日』
     (2014年8月8日・15日合併号、1003号)についてのつぶやき
    「境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 
     「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「原体験としての
     箕面忠魂碑違憲訴訟…父・(さとし)さんと母・玲子さん…父の後を
     継ぐように、進行中の訴訟に原告補助参加人として加わった」。
     『ドキュメント 憲法を獲得する人々』…。「違憲判決を出したがために、
     抜き身の日本刀をもった男に襲われそうになった古崎慶長裁判長の
     存在は、神坂さんが裁判官を志望する強い動機の一つになった」…。
     本誌に連載された田中伸尚さんの名著『反忠 ~神坂哲の72万字~』」

   『●「教育再生」という名の教育破壊…「子どもから変えていこう
                  という動きは実に悪賢い」(小澤俊夫さん)
    「教科書検定や「ト」な歴史教科書の採択強要 ハタやウタの強制
     道徳の教科化(文科省道徳教育教材『わたしたちの道徳』)、
     教育勅語の復活、古くは忠魂碑訴訟現代の教育破壊は着実に
     進む…。大変に憂慮すべき現状なニッポンの教育環境」
    「《戦争屋》のアベ様らには、侵略戦争への反省も無く、壊憲して再び
     「戦争のできる国」へ…、《自分たちの加害をはっきり残し
     『もう絶対にやらないと世界に約束している》ドイツと彼我の差。
     そして今、「教育再生」という名の教育破壊が進む。札束で頬を
     打つように、最高学府の研究・教育にまで侵食」

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/459522

[大弦小弦]八紘一宇の塔
2019年8月19日 07:25

 今年の8月15日は宮崎市にいて「八紘一宇(はっこういちう)の塔」を訪ねた。仰ぎ見る36メートルの存在感。何より、侵略戦争のスローガンが21世紀の空に突き立っていることに圧倒される

▼刻まれた八紘一宇は「世界を一つの家にする」意味。神武天皇の伝説に由来し、宮崎はゆかりの地とされる。塔は太平洋戦争を始める前年の1940年に建てられ、日本主導の世界秩序実現を宣伝した

▼よく見ると、土台部分には「南京」や「河北省」の文字がある。礎石は侵略した地域からも集められた。中国の博物館が4年前に返還を求めたものの、管理する宮崎県は「塔の取り壊しはできない」と断っている

▼実は、八紘一宇の文字は敗戦後、米軍の指摘を受けていったん削られた。ところが65年にはもう地元経済界主導で復元された。名前だけは平和の塔と呼び換えられた

塔の姿が、日本と二重写しになる。大日本帝国は崩壊し、「平和国家」に生まれ変わったことになっている。しかし実態はどうか。元首だった昭和天皇は皇位にとどまり、戦犯が首相になった。日本は本当に変わったのか、周辺国の信頼はいまだに得られない

自民党議員の一部は八紘一宇を「建国の理念」「家族主義」などと称賛し続けている。空っぽな戦時スローガンが繰り返しよみがえり、平和国家の空っぽな内実を問うている。(阿部岳
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460401

社説 [昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想
2019年8月21日 08:39

 戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇の言葉や、やりとりの様子を克明に記した「拝謁(はいえつ)記」が見つかり、内容の一部が公開された。

 昭和天皇が戦争への反省を表明しようとしていたことや、改憲による再軍備の必要を主張していたことが明らかになった。

 拝謁記は田島が、宮内庁(当時は宮内府)長官に任命された翌年の1949年2月から退官した53年12月の間に昭和天皇とのやりとりを書き留めたものだ。手帳やノート18冊分になる。

 その一部を、保管していた遺族から提供されたNHKがメディアに公表した。

 昭和天皇との対話を詳細に記録した貴重な資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。

 「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある。

 53年といえば、米軍統治下にあった沖縄では、米国民政府の「土地収用令」が公布され、「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まったころだ。

 本土でも米軍基地反対闘争が起こっていた。反基地感情が高まり、本土の米海兵隊の多くが沖縄に移転した。

 「一部の犠牲が沖縄に負わされる形で、今も、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約70%が固定化されている。

 国の安全保障を沖縄が過重に担う現在につながる源流ともいえる言葉だ。

    ■    ■

 戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。

 47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した

 今回明らかになった一部の犠牲はやむなしの思考はこれらに通底するものだ

 米軍の駐留について「私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる。

    ■    ■

 昭和天皇は、日本の独立回復を祝う52年5月の式典への言葉に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と語ったという。 「戦争を御始めになった責任があるといはれる危険がある」と当時の吉田茂首相に反対され、削除された。

 昭和天皇がこのときに戦争責任を認め、反省を表明していれば、植民地支配したり、侵略したアジア諸国に対する戦後の外交も違ったものになっていたのではないか

 拝謁記で明らかになった事実は、歴史の空白を埋める新たなピースだ。戦争責任を巡る反省は今なお日本の問題として目の前にある
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html

<社説>昭和天皇「拝謁記」 戦後責任も検証が必要だ
2019年8月21日 06:01

 初代宮内庁長官の故田島道治氏が昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」の一部が公開された。それによると、本土で米軍基地反対闘争が起きていた1953年、昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる…」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(引用部は一部原文のまま)などと述べていた。

 昭和天皇が47年、米軍による沖縄の長期占領を望むと米国側に伝えた天皇メッセージの根本にある考え方と言っていいだろう。

 沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある歴史を正しく継承していく上で、これらの検証は欠かせない。

 45年2月、近衛文麿元首相が国体護持の観点から「敗戦は必至」として早期和平を進言した。昭和天皇は、もう一度戦果を挙げなければ難しい―との見方を示す。米軍に多大な損害を与えることで講和に際し少しでも立場を有利にする意向だった。

 さらに、45年7月に和平工作のため天皇の特使として近衛元首相をソ連に送ろうとした際には沖縄放棄の方針が作成された。ソ連が特使の派遣を拒み、実現を見なかった。

 そして47年9月の「天皇メッセージ」である。琉球諸島の軍事占領の継続を米国に希望し、占領は日本に主権を残したまま「25年から50年、あるいはそれ以上」貸与するという擬制(フィクション)に基づくべきだ―としている。宮内府御用掛だった故寺崎英成氏を通じてシーボルトGHQ外交局長に伝えられた。

 既に新憲法が施行され「象徴」になっていたが、戦前の意識が残っていたのだろう。

 これまで見てきたように、昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3度切り捨てられている。根底にあるのは全体のためには一部の犠牲はやむを得ないという思考法だ。

 こうした考え方は現在の沖縄の基地問題にも通じる

 日本の独立回復を祝う52年の式典で昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたところ、当時の吉田茂首相が反対し「お言葉」から削除されたという。だからといって昭和天皇の責任が薄れるものではない。

 戦争の責任は軍部だけに押し付けていい話ではない。天皇がもっと早く終戦を決意し、行動を起こしていれば、沖縄戦の多大な犠牲も、広島、長崎の原爆投下も、あるいは避けられたかもしれない

 「拝謁記」で、昭和天皇が戦前の軍隊を否定しつつも、改憲による再軍備を口にしていたことは驚きだ。憲法99条は天皇や国務大臣など公務員に「憲法尊重擁護の義務」を課している。象徴である天皇自身が憲法改正を主張することは許されないはずだ。

 「拝謁記」で明らかになった昭和天皇の発言が、現政権による改憲の動きに利用されることはあってはならない
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●沖縄の《日本復帰…米軍支配の人権抑圧から解放され、平和憲法下で共に生きる社会の実現だった》…

2019年07月08日 00時00分30秒 | Weblog

【電子号外】有権者4分の1超確実 県民投票 知事、日米通知へ (琉球新報 2019年2月24日)↑]



沖縄タイムスの吉川毅記者のコラム【[大弦小弦]復帰闘争碑に刻まれた願い】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/434992)。

 《▼碑文には「全国の、そして全世界の友人へ贈る」と題し、沖縄が日本から切り離されて米軍統治下に置かれた屈辱平和への願いが刻まれている…▼日本復帰の4年後に建立された碑には「日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された」と記され、怒りと無念さがにじむ。戦後74年、復帰47年を経ても、本土とのさまざまな格差も残り、「沖縄ヘイト」への危機感もある。県民の願いは、いつ実現するのだろうか。(吉川毅)》

   『●沖縄差別:目取真俊さん「多くの日本人が
     その嘘っぱちを信じている、というよりも、信じたいんでしょう」
   『●翁長雄志さん「那覇市長として…東京のど真ん中で体感した
                 むき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という」
   『●安仁屋眞昭さん《沖縄では民意よりも米軍が優先。
      沖縄の戦後は終わっていない》…何度事故・事件が起きようとも

 日本復帰前、《米軍支配の人権抑圧から解放され平和憲法下で共に生きる社会の実現》だったそうだ。現実には、《日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された》、そしていまでも、《沖縄では民意よりも米軍が優先》。今も嘉手納や普天間、そして、辺野古破壊…《不条理の連鎖》は今も続く。沖縄デマ沖縄ヘイトの口汚い罵りを聞いていると、まるで、「沖縄は、日本ではない」とでも言いたげだ。

   『●阿部岳さん、《基地問題への見解の違いも…
      デマで攻撃された因縁も関係ない。今回は…産経の側に立つ》
   『●《差別の歴史、力の差を無視して
     「どっちもどっち」論に持ち込む》(阿部岳さん)低民度…抗い続けねば
   ●琉球新報社説: 《違法な逮捕は国策に反対する
      人々への弾圧であり国家権力の暴走にほからならない》
   『●<金口木舌>《よほど国策ごり押しの現場を
      見せたくないらしい。それこそ基地隠蔽》、辺野古破壊隠蔽
   『●《産経新聞が「日本は人権守る側に立て」と論陣》!?
         例えば、辺野古破壊では、沖縄の人々の人権は?

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/434992

[大弦小弦]復帰闘争碑に刻まれた願い
2019年6月20日 05:00

 多くの観光客が訪れる国頭村の辺戸岬に、本島最北端の観光案内所がオープンして1カ月がたつ。やんばる3村の観光情報だけでなく、日本復帰運動の資料展示が注目されたが、今週再び訪ねると、当初展示されていた「祖国復帰闘争碑」の碑文のパネルが撤去されていた ▼案内所に理由を聞くと「展示内容は随時更新する」とし、再展示は未定という。復帰運動時の海上集会の写真は展示されているが、説明文や外国語訳もなく、観光客は素通りしていた ▼碑文には「全国の、そして全世界の友人へ贈る」と題し、沖縄が日本から切り離されて米軍統治下に置かれた屈辱平和への願いが刻まれている ▼沖縄が本土と27度線の国境で分断されていた時代、多くの県民の願いは、米軍支配の人権抑圧から解放され平和憲法下で共に生きる社会の実現だった ▼県が発表した2018年県民意識調査では、基地を巡る行政への要望は「基地返還」が最多で、「地位協定の改定」「米軍人等の犯罪や事故をなくす」と続く ▼日本復帰の4年後に建立された碑には「日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された」と記され、怒りと無念さがにじむ。戦後74年、復帰47年を経ても、本土とのさまざまな格差も残り、「沖縄ヘイト」への危機感もある。県民の願いは、いつ実現するのだろうか。(吉川毅)
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●《広大な基地の配備で県民生活はゆがめられたまま…調和のある振興策を講じ、真の意味での自治を実現》

2019年05月27日 00時00分46秒 | Weblog

[※辺野古破壊の愚行を報じる朝日新聞2018年12月15日)↑]



琉球新報の【<社説>日本復帰47年 国民主権機能しているか】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-918273.html)。

 《沖縄が日本へ復帰して47年を迎えた。米国の施政権下にあった沖縄が日本国憲法に基づき統治されるようになった日でもある。復帰と同時に県民は、この憲法とともに歩んできた。しかし憲法の三大原理である基本的人権の尊重国民主権平和主義は、沖縄では画餅のごとく、現実の実感を伴わないまま今に至っている》。

   『●辺野古破壊という大愚を続行…民意無視、
     《地方自治や民主主義、県民の尊厳をどう考えるか…自身の見解を》
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…
      「国を相手にケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
          宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●虚偽説明…《宮古島では、島民の基地負担は
      ますます重くなっている。政府がやってるのはいじめそのもの》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て
                 宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●「沖縄は米国の植民地ではない。私たち沖縄県民は、
        米国民との友好は望むが、服従は望んでいない」――。
   『●《支持者と反対者が排他的に対立》… 
     排他的に対立させているのは、与党自公や癒党お維の側ではないのか?
   『●辺野古破壊《移設方針は揺るがないとの政府の姿勢》…
        アベ様や最低の官房長官らの無為無策・無能ぶりの表れ
   『●《中国の海洋進出への対抗策というが、
       住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるの》か?

 《真のウルトラマンは憲法》であったはずなのに…。「本土」では、その憲法自体が危機に。『憲法くん』(松本ヒロさん)…《私のことを自虐的とか言う人がいる。でも私は六六年間、戦争という名前で他国の人々を殺したことがない。それが誇りです》。『憲法くん』の誇りを踏みにじる愚者達が与党や癒党内に蔓延。

   『●前泊博盛さん「在日米軍は、本土から…
      ウルトラマンに見えるが、沖縄から見ると怪獣でしかない」
    「「沖縄を守る」「負担軽減」…その実態は? 無惨の一言。
     沖縄差別・沖縄破壊の「やりたい放題」。
      《前泊博盛(まえどまりひろもり)沖縄国際大教授(55)は言う。
     「在日米軍は、本土からは外国の脅威を倒してくれる
     ウルトラマンに見えるが縄から見ると怪獣でしかない
     私たちを守ってくれる真のウルトラマンは憲法のはず》。
     その「真のウルトラマン」を殺そうとしているのがアベ様ら自公および
     「癒(着)」党の議員達。「本土」の自公・「癒」党投票者の愚かさと、
     手も足も出ない「本土」マスコミの情けなさ」

   『●前那覇市長・翁長雄志氏「(安倍首相の言う)
       『日本を取り戻す』の中に間違いなく沖縄は入っていない」
   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
   『●巨大新基地建設による辺野古破壊…
      プーチン氏に《主権を行使できていない実例》と指摘されてしまう始末
   『●前那覇市長・翁長雄志氏「(安倍首相の言う)
      『日本を取り戻す』の中に間違いなく沖縄は入っていない」
    《沖縄にとっては、祖国から切り離された屈辱の日」なのだから
     ▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。保守系の
     翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の耳には
     聞こえない
ようだ》

   『●沖縄の皆さんのお願いは何時叶えてくれるの?
      《憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復》
   『●日米地位協定では《受け入れ側》ニッポンの
      《国内法を米軍に適用している》のか? 沖縄はニッポンでは?

 番犬様の居座りを望んでいるのは歴代の政権…《歴代政権がことごとく沖縄駐留に固執》…その中で、特に、現政権や与党自公・癒党お維の国会議員である。国民主権を機能させ、地方自治を取り戻し、民主主義を沖縄に。《広大な基地の配備で県民生活はゆがめられたままだ。調和のある振興策を講じ、真の意味での自治を実現》しなければ。
 東京新聞の記事【残る基地「望んだ沖縄か」 本土復帰47年 「辺野古」対立続く】(https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019051590135508.html)によると、《沖縄県は十五日、一九七二年の本土復帰から四十七年を迎えた。敗戦後の米軍統治にあらがった人々は「即時・無条件・全面返還」を掲げて、復帰運動を繰り広げた。だが、在日米軍専用施設は約七割が沖縄に集まり、県面積の8%超を占める。令和の時代となっても、基地負担は重いままだ。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡っては、県と政府の対立が続いている》。

   『●《いま地方が学ぶべきは沖縄だ》
      《むしろ沖縄から学ぶべき時がきている》…沖縄にとって発展の足かせは?

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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-918273.html

<社説>日本復帰47年 国民主権機能しているか
2019年5月15日 06:01

 沖縄が日本へ復帰して47年を迎えた。米国の施政権下にあった沖縄が日本国憲法に基づき統治されるようになった日でもある。

 復帰と同時に県民は、この憲法とともに歩んできた。しかし憲法の三大原理である基本的人権の尊重国民主権平和主義は、沖縄では画餅のごとく、現実の実感を伴わないまま今に至っている

 国土の0・6%の県土面積に在日米軍専用施設面積の約70%が沖縄に存在する。広大な基地は依然残されたままだ。その上に名護市辺野古では新基地の建設が民意に反して強行されている。主権在民果たして機能しているだろうか。甚だ疑問だ。

 辺野古の新基地建設の賛否がまさに争点となった昨年9月の県知事選は言うに及ばず、4月の衆院3区の補選でも明確な民意が示された

 とりわけ2月に行われた、新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票は投票資格者の52%、約60万人が投票し、72・15%に当たる43万人余が反対の意思を示した

 本紙が3月に行った投票結果への県内首長、議会議長アンケートの結果では、首長の78%、議長の68%が結果を「尊重すべきだ」と回答している。

 本紙が実施した全国知事アンケートは、43都道府県から回答を得たが、日米両政府が投票結果を尊重すべきだ」と直接回答したのは静岡県の川勝平太知事だけだった。「民意の尊重こそ主権在民の根本」との考えを示している。岩手県の達増拓也知事は2月末の記者会見で投票結果を「重く受け止めるべきだ」と答えた。

 アンケートでは2県の知事以外は14人が「どちらとも言えない」と答え、28人が回答を控えた。この意識の乖離(かいり)や断絶に慄然(りつぜん)とする。

 地方自治の前提である住民主権ないがしろにすれば自治の正当性失われないか。他県の出来事と傍観をするならば主権在民の仕組みが地方自治のレベルから損なわれる。ひいては主権に基づく国家統治の正当性に疑問符がつく

 沖縄など一部地域を軽んじ犠牲を強いてきた国の仕組みを昭和、平成の時代は脱却できなかった。多様性を尊重する新たな民主国家をつくりあげる上で、政府が沖縄にどう向き合うか。日本の民主主義を問う試金石ともなろう。

 一方で復帰47年を経て克服できなかった県民的課題がある。観光産業の隆盛と失業率改善の陰で、貧困や虐待の問題が顕在化している。

 今年3月公表の県民意識調査で、県が重点的に取り組むべき施策として「子どもの貧困対策の推進」が最多の42%に上った。富の再分配をどううまく機能させるか。県民が熟慮を重ねるべき課題だ。

 広大な基地の配備で県民生活はゆがめられたままだ。調和のある振興策を講じ、真の意味での自治を実現するため新たな方策を構想したい。
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●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》

2019年04月10日 00時00分02秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



マガジン9の記事【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌 第90回:島の色が変わった日 ~宮古島に陸上自衛隊がやってきた~】(https://maga9.jp/190403/)。

 《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない。だが軍事基地の島になることを望まない住民らのあらゆる抵抗も状況を止めることはできず、ついに陸上自衛隊始動の日が来てしまった》。

   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
          宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●虚偽説明…《宮古島では、島民の基地負担は
      ますます重くなっている。政府がやってるのはいじめそのもの》
    「《いじめそのもの》。《石嶺香織さん(38)は「防衛省は、住民に事実を
     明らかにして説明する義務がある。『住民を守る』と言いながら、
     実際は安心できない生活環境を押し付けている沖縄戦の記憶から
     弾薬庫が真っ先に攻撃されるのは明らか再び島が標的にされる」と訴える》」

 琉球新報の【<社説>宮古島ミサイル配備 同意なき建設計画撤回を】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-898848.html)によると、《陸上自衛隊の警備隊が配備された宮古島市上野野原の宮古島駐屯地に、住民に説明のないまま中距離多目的誘導弾(ミサイル)や迫撃砲が保管されていた。ミサイルを置かないよう求めていた地域住民を欺くだまし討ちであり、決して許されるものではない》。

 《虚偽説明》《だまし討ち》。《軍服》を着た集団が島民を分断、市民の内心をかき乱す。《石嶺香織さん…「…憲法に戦力は持たないと掲げているのに、こんな矛盾を子どもに説明できない。矛盾の最前線に立たされてしまった」》。宮古島に「標的の島」を押し付け。《石嶺香織さん…「…沖縄戦の記憶から弾薬庫が真っ先に攻撃されるのは明らか再び島が標的にされる」と訴える》。《敵の弾薬庫を狙わない作戦などない》…標的。《火器がある場所は必ず標的になる》。

   『●言いすぎを謝罪・撤回した石嶺香織宮古島市議…
       もはや「見せしめ」、「卑劣」なイジメ、あざとい「狙い」
   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
                …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
                …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その2)
   『●三上智恵さん「結局は止められなかった」という現実…
           でも、《人々は分断されている》ことを止めなければ
   『●米中戦争の「防波堤」:  
     与那国駐屯地による「活性化」? 「島民との融和」か分断か?
   『●「武力によって平和を創造することはできない」…
       「真の平和をつくっていく…「憲法宣言」を採択」
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                      「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督
               …「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●「武力によって平和を創造することはできない」…
         「真の平和をつくっていく…「憲法宣言」を採択」
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●石垣島陸上自衛隊ミサイル部隊配備:  
       《菩提樹》を切り倒すのか? ささやかな願いさえも打ち砕くのか?
   『●事実誤認の常習犯…《聞きたくない質問、
      都合の悪い質問を遮るような、その先に国民がいることを無視…》

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https://maga9.jp/190403/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第90回:島の色が変わった日 ~宮古島に陸上自衛隊がやってきた~


https://youtu.be/I3fePYc0WOk

 宮古島には地対艦ミサイル部隊、地対空ミサイル部隊、警備隊、合わせて800人規模になる陸上自衛隊駐屯地が開設される計画だが、3月26日、先発部隊の宮古警備隊380人による「編成完結式」なるものが行われた。この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない。だが軍事基地の島になることを望まない住民らのあらゆる抵抗も状況を止めることはできず、ついに陸上自衛隊始動の日が来てしまった。

 沖縄本島に住んでいると、米兵はもちろん、自衛隊駐屯地のある那覇空港周辺や南部などで、自衛隊員の姿は目に入る。軍服を着た集団を見ることへの免疫はあるほうだと思う。でも、軍事基地と無縁だった宮古島や石垣島の人にとって「迷彩服に軍帽」のいでたちというのは、身じろぐ対象だというのも、これは全くそうだと思う。親戚に自衛隊員がいるご家庭も多い。でも他府県の駐屯地にいるので視覚的にはあまり馴染みはない。島の活性化や災害救助も考えれば、受け入れてもいいのではないかと考えた島民も少なくはないと思うが、いずれにしても3月に港から軍事車両が続々と島に上陸してきたときに、宮古島の人々は度肝を抜かれたという。それらが島の道を走り、迷彩服の青年たちがコンビニにいる風景がいきなり出現してしまった。自衛隊の是非など考えてもいなかった人にも、ついに日常を塗り替える光景が目の前に展開され始めた。島の色が、変わったのだ

 私は意を決して、この前までグリーンのネットに囲まれた「千代田ゴルククラブ」だった敷地に入った。「陸上自衛隊宮古島駐屯地」という立派な看板が掲げられ、入り口付近にはいくつかの監視カメラが目に入る。パリッとした緑色の迷彩服をつけた広報担当の方が「三上さん…ですね?」と迎えてくれた。市ヶ谷から応援できているそうで、物腰も柔らかく頭脳明晰な印象だった。北海道ではヘリのパイロットもしていたというので、陸自に配備されるオスプレイはここにも飛んでくるんですよね? といきなり聞いてみたが、「宮古島に配備される計画はありません」と規定通りの回答。

 「沖縄本島にいるとオスプレイ、嫌いになっちゃうんですけど…。陸自でヘリのパイロットをされているなら、そのうちオスプレイ搭乗ってこともあるんですか?」と聞くと「はい、可能性はあります」と即答した。「シミュレーターで操縦したことはあるんですが…。優秀ないい機材ですよ」と屈託のない笑顔で答えた。

 やがて報道陣はできたての体育館に案内された。そこには「編成完結式」を待つ380人の隊員とゲストがすでに整列していた。式典の目的は、発足する宮古警備隊と諸部隊の士気高揚・団結強化、島民との一体感の醸成だそうだ。そういう割に、島から式典に招待されたのは下地宮古島市長と野津自衛隊協力会会長くらいしか見つけられなかった。たった20分の短い式だったが、独特の号令が叫ばれ、君が代が歌われ、撮影している体の軸が一瞬崩れそうになる。軍ではない、自衛隊だ。軍服ではない、隊服だというかもしれない。でも目の前に広がる光景はどう言い換えたって、日の丸に向かって敬礼し、君が代を歌う数百人の軍服集団。この島で展開される太平洋戦争以来の光景であり、そして彼らは今後、これからずっとこの島に駐留するのだ。眩暈がする。でもそれが現実なら、しっかり伝えなければならない。そのためにプレスの腕章つけてここにいるのだ、個人の感傷などどうでもいい、と自分を叱咤してカメラモニターに集中する。

 お祝いに駆け付けた下地市長が登壇。日の丸にお辞儀をした後、隊員に向かってアドリブだったのか、いきなり敬礼をした。返礼はなく、何となく会場が凍り付いたように感じた。下地市長は「災害に強い、安心・安全な宮古島…」などと祝辞を述べていたが、実はこの日重大な事実が分かった。市長は祝福ではなく怒り狂うべき日だったのだ。この千代田地区に駐屯地が選定され、受け入れるときの条件に「ヘリパッドや弾薬庫など、住民が不安を抱くものここにはおかないという約束があった。2016年9月2日、宮古島市役所を訪れた若宮防衛副大臣のその言葉を受け、「弾薬庫がない、隊員の宿舎や福利厚生施設がメインと聞いて安心しました」と言って受入れたのは下地市長本人だ。しかしこの日、なんと宮古島駐屯地にミサイルを置くということが分かったのだった。

 弾薬庫は置かないと言った2016年の動画を短く再編したので見てほしい。その後、弾薬庫と覆土式の射場は島の南東の端に当たる保良地区に作るということになり、住民が反対しているわけだが、平良市街地に近いこの場所には「弾薬庫は作らない約束は生きていた。



https://youtu.be/1HNNOSYheFM


 ところが、今回の動画にもあるとおり、ピラミッド型の、どう見ても弾薬庫という建造物ができてきて、いやミサイルは置かないが警備隊の所持する89式小銃などを保管する「保管庫」はつくるのだ、と説明は一転した。敵の弾薬庫を狙わない作戦などない火器がある場所は必ず標的になるのだから、弾薬庫の有無に住民はとことんこだわってきたのだ。ところが小銃の保管どころではなかった。この式典の前後に私と数人の記者で担当者にいろいろ聞いている中で、小銃のどんな弾を置くのか? ほかには何か置くのか?と聞いたところ「中距離多目的誘導弾は警備隊が運用するので、その誘導弾は保管します」という。「え? この敷地内ですか?」と思わず聞き返した。今年度中に設置される地対艦・地対空ミサイル部隊の「ミサイル」は保良の弾薬庫に置かれる予定だという。しかし、そのミサイル部隊というのは西部方面隊直轄の大砲も備えた勇ましい部隊で、我々第15旅団配下の、地域密着型の警備隊とは種類がだいぶ違うのです、ということだった。だから彼らの弾は保良に。でも我々の誘導弾はここに置くと。もちろん誘導弾とは、ミサイル

 第15旅団のHPを見ると真っ先に飛び込んでくる「県民のために」というキャッチコピー。そして緊急患者空輸の数、不発弾処理の数が大きく掲示され、沖縄県民の安心と安全に寄与していることが強調されている。確かに離島を抱える沖縄県でドクターヘリがカバーできないところを自衛隊が担ってくれていることに感謝しない県民はいない。不発弾だってまだ莫大な量が地中に眠る中で、自衛隊の皆さんの専門知識があって初めて安全に処理されている。自然災害にとどまらず、自衛隊の沖縄県内での活動に期待される部分は大きい。しかしそれと、南西諸島の軍事要塞化ははっきり分けて考えなければならない。かたや完全に県民の安全のため、しかしミサイル部隊を新たに島々に配置していく今の戦略構想が誰の安心のためなのか は大いに疑問が出ているからだ。

 つまり、今回ミサイル部隊に先駆けて一足早く発足した「宮古警備隊」は、第15旅団の配下であるから地域密着型で、あとから来るミサイル部隊とは性格も役割もかなり違うということらしい。島民の安全を支える、地域と連携する、住民と向き合ってくれる部隊のようだ。そして小銃、機関銃・多目的誘導弾という装備は何に使うのか? と聞いたところ、近接戦闘に対応する部隊なのだと説明があった。不審者、島へのテロ部隊の侵入などあれば接近戦をするのはミサイル部隊ではなく警備隊の仕事。そして最悪の事態、つまり敵が上陸してきたときには接近戦で真っ先に対処するのもこの警備隊だという。

 「ちょっと言い方は悪いけれどこういうことですか?」と私は前置きをして聞いてみた。

 「地対艦ミサイルや地対空ミサイルが抑止力としてもはや機能せず、敵が砲弾を降らせ接近し上陸してきたら、皆さん警備隊が島の上で闘う。せん滅されたら、水陸機動団が島を奪還しに来るわけですね。皆さんは、最初に犠牲になっちゃう部隊ということですか」

 「まあ、そうならないように事前にあらゆる手は打つわけですけれどね」と苦笑した。

 私はいよいよ彼らが気の毒になってきた。私はこの2年、改めて映画製作のために沖縄戦のことばかり考える日々を送ってきたせいか、米兵の上陸と、貧弱な火器で対処させられた日本軍の哀れな陸戦の映像が脳裏に叩き込まれている。山にこもってゲリラ戦をするしかなかった少年兵や、最後まで援軍が来ると信じて住民に協力を強いた無頼漢たちや、あらゆるイメージがあふれ出す。パリッとした迷彩服を着たこの隊員たちには、私の頭に広がる沖縄戦の悲惨な具体的なイメージはほぼないだろう。自衛隊と旧日本軍を一緒にするなとまず言われるだろう。作戦も装備も全く違う、お話にならないと。

 でも、そうだろうか。上陸される事態というのはもう、制空権も制海権もない状態だ。孤立した軍隊は奪還部隊を待つわけだが、食糧は? 水は? どこか安全な場所に住民が隔離されて充分な食糧と水が与えられるという想像は、今の私には全くできない。そもそもこの島がミサイル攻撃の拠点でさえなければ、攻撃対象にもならないだろう。制圧すべき敵の軍隊がいない島なら上陸する必要がない。よもや上陸されても戦闘がなければ犠牲者はでない。沖縄戦では軍隊が駐留していなかった島には死人は出ていない。だから、ミサイル部隊はどんなに「安心のため」と言われても「誰のための安心ですか?」と反問せざるを得ないのだ。

 そんな、不安に胸が張り裂けそうな住民たちが、早朝から駐屯地のゲートの前に集まっていた。宮古島駐屯地の田中広明司令官に直接抗議文を手渡したいと、前日から広報担当者に申し入れをし、9時半くらいに式典が終わった後に対応するという話だったようだが、その場所を巡って押し問答になっていた。ここまで出てきて受け取るということはできない規則だという。代表者数名が中に入って記者も入れずに…という広報官の提示に、集まった人たちは納得できない。なぜここに顔を見せて、みんなが抱えている不安に正面から受け止めてくれないのか。なぜ代表者だけと制限をつけるのか。口惜しさが募って声を荒らげる場面もある。対応した自衛官の困惑の表情を見たら、誰でも気の毒に思うだろう。けれども、自衛隊が来ると決まってから、この4年間に島の人々が味わってきた驚きと不安と怒りと屈辱は並大抵ではなかった。それはこの連載で過去の経緯を振り返っていただければわかってもらえると思う。決して今回の動画だけで、反対運動が過激などと判断しないでいただきたい。

 住民の不満は弾薬庫の件だけではない。軟弱地盤や活断層の存在が指摘されているのに調査もされないこと、地下水の汚染が命取りになる島なのに防衛省の対応はこれまではぐらかしやごまかしだらけだったこと、島に入ってきたと同時に弾薬庫の上から住民を監視していること、迷彩服のまま市街地に出てきて住民が怖がっていること…。そんな住民の切実な訴えに警備隊隊長であり駐屯地司令官である田中隊長がどう向き合ってくれるのか。しかし早朝から待っていた住民に姿を現したのは児玉副隊長だった。

 そのやり取りは動画を見てほしい。つらくなる場面も多かった。私は両方の気持ちがわかるなんて安易なことは絶対に言うつもりはない。ここにあるのは住民VS自衛隊員という二項対立では決してないから、「両方」とか「どっちの見方もできる」とかいう言葉は不用意に使うべきではない。そういう「中立」があるかのような架空の地点から発話するのは問題の所在を見えにくくする有害な行為だ。自分の畑の目の前が駐屯地の正面ゲートになってしまった野原の農業・仲里盛繁さんも繰り返していたように、「自衛隊員に対して怒りも憎しみもない。ミサイル基地を持ってこられることに抗議している」のであって、対峙している相手は住民不在で推し進めてきた防衛省や現政権だ。

 しかし、いざ目の前で職務についている隊員たちに向き合った時に、怒りの拳は行き先を失い宙を泳ぐ。矛先は彼らではないとわかってはいる。隊員たちは家族も連れて、新しい環境で、海がきれいだけど歓迎されていないという話も聞いている南の島で、恐る恐る生活を始める妻や子どもを抱えているのだ。幕僚たちが米軍とどんな戦略を練っているのか、そんな話は知る由もない隊員たちは、島の役に立ちたい、溶け込みたい、島を守りたいし誤解は(誤解であるかどうかはさておき)解きたいと願っているだろう。そのためにこの後あらゆる努力を重ねるのだろう。

 宮古に限らず沖縄の島々では、一緒に生活をする覚悟で島外からきた人に対してどこより温かい歓迎を示してきたし、職業によって差別するつもりなど毛頭ない。だから来てくれたのなら分け隔てなく受け入れたいのだ。けれど。人間対人間として地域に受け入れようと実践しながら、基地の存在や内実については抗議の声を上げ続けるという技は、とてつもなく難しい。追い返せなかった以上、望まずとも「共存」は始まった。毎日心に棘を出していたら自分も傷つけてしまう。だからその棘をしまう。和らげる。地域行事を率先して手伝ってくれる隊員に感謝もしたい。ママ友になり、「自衛隊の子」なんて意識もせず一緒に遊ぶ子どもを世話する。いがみ合う相手ではない。もちろんそうだ。そして「反対運動」も「運用の監視」・「情報収集や抗議」もやる気持ちは萎えていく。

 4人の子供を抱えて反対の先頭に立ってきた石嶺香織さんはこの日、いつもの元気はなかった。「これから一緒に暮らす人たち。うちの子の友達のお父さんになる人たち。この人たちが敵ではないのはもちろんだけど…。今の反対運動のやり方では島の人たちの気持ちは離れて行ってしまうかもしれない」と肩を落とした。

 「迷彩服とか軍事車両とかそういうものを子どもに見せたくないから、反対運動をしてきたのに。だから子どもを連れて現場に来るのが辛くなってきた。憲法に戦力は持たないと掲げているのに、こんな矛盾を子どもに説明できない。矛盾の最前線に立たされてしまった

 「出来てしまった施設に声を上げ続けるのはしんどいね」と、野原出身の上里清美さんは苦しそうに言う。メガホンを持つときには強い口調で気丈に抵抗の言葉をぶつけていた彼女だったが、一対一で話す声は細く、心はかなり痛手を負っていることが伝わってきて苦しくなった。

 「だから私、伊江島に行ってきたの。あそこが(軍事基地と県民が対峙する)原点だと思ってさ」

 「もう配備されてしまった軍隊と、このあとどうやって闘えばいいのか知りたくて。きっとこの闘いは長く続くでしょ。住民が分断されないためにはどうしたらいいか。これから自衛隊ももっとたくさん来て、米軍も来て、となったときに自分の感情をどうコントロールできるのかわからなくて。ちゃんと精神を保ちながら戦うのはどうしたらいいの? と伊江島に教わりたくて行ってきたんだけどね」

 「もう、人間らしく闘うということしかないね。人間らしーく。人として生きながら。相手にも接しながら。それしかないのかなっていうことを思いますね」

 阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんに象徴される伊江島の闘い。沖縄戦の後、真っ先に土地も畑も米軍に取り上げられた伊江島の住民たちはその惨状を県民全体に訴えるために沖縄本島でムシロ旗を掲げて「乞食行進」をした。そして島では完全非暴力で、農民の誇りを失うことなく堂々と抵抗を続け、そのあと次々に勃発する沖縄基地闘争の手本となった。この闘いとて「勝った」わけではない。伊江島は今現在も米軍基地だらけだ。しかし「負けてもいない抵抗の旗を降ろしてもいないし、辺野古に、高江に、宮古に、石垣に、その精神は確実に受け継がれているから。

 2019年、平成だ令和だと騒いでいる今現在、1955年の伊江島の闘いを振り返って、力を振り絞って野原に立つ女性がいる。彼女が草を摘んで遊んだ野原が、彼女を潤した井戸が、彼女が拝む神さまが住む森は、自衛隊基地になり、奪われ、踏みにじられてしまった。沖縄本島に戻ってこの情景を見ないで大半の時間を過ごす私には、彼女の味わう悲しみの百分の一も背負ってなどいない。私の憤り、悔しさの数千倍の中に野原の人たちはあるのだろう。そして、それは1955年に伊江島の人たちが味わった屈辱や絶望と大差ないことに愕然とする。沖縄県民のささやかな生活は、64年経ってもかくも見事に脆く、米軍統治下でなくなってもなお、民主主義も司法の救いも届かない。なんなんだ、これは!

 「平成が、その名の通り平和の裡に終わってよかったです」という女性タレントの言葉で我慢も限界、テレビを切った。しかし怒っている場合ではない。出来てしまった基地に対して抵抗を続けるという苦しい技を、伊江島も、辺野古も、高江もやっている。あきらめてしまったら、じゃあ、とどんどん負担を増やされるだろう。だから宮古島も今年度やってくるミサイル部隊に抵抗し、保良の弾薬庫を造らせない闘いをし、ここは使えない基地だと国にあきらめて作戦を変更してもらう。それを目指すしかない。一部工事が始まった石垣島にも繋がる、島人が望まない軍事化を止める行動を構築していかなくては。

 今回、宮古島に駐留する自衛隊員たちと直に接して一番驚いたことは、予想よりずっと人間として、誠意をもって私たちに向き合う姿勢を持ってくれていると知ったことだ。これまで説明会などで接してきた防衛省の役人とは大違いだった。私は数年来、講演会で公言しているが、自衛隊員や、機動隊員や海上保安庁の海猿たちや、基地建設を巡って対峙してしまう職業の人たちについて、彼らの仕事の尊厳も命も守りたいと思う。彼らは自ら誇りに思い、国民から感謝される仕事をするべきであり、そのために日々の鍛錬をしてくれているはずなのだ。そうでないなら私たち有権者が、「お互いを苦しめる間違った仕事を命じる狂ったシステム」を変えるべきなのだ。そのためにも、住民の側から見えにくい自衛隊の仕事や隊員の置かれている状況についても取材して知らせていく仕事をしようと思う。私にできることはあまりに小さい。でも宮古島の嘆きに向き合い続けたい。決して逃げたくはない。
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●辺野古破壊反対の明確な《結果が出る前から、安倍政権は「民意などクソくらえ!」と言わんばかりだ》!

2019年02月19日 00時00分32秒 | Weblog

[※辺野古破壊の愚行を報じる朝日新聞2018年12月15日)↑]



沖縄タイムスの西江昭吾記者によるコラム【[大弦小弦]東京で勤務していると、特に米軍基地問題で…】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/385226)。

 《▼辺野古問題の原点は何か。菅義偉官房長官は普天間飛行場の危険除去と繰り返す。果たしてそれだけか。現状認識はそうかもしれないが、そこに至る歴史認識が抜けている》。

 《それでも意思表示を放棄するなかれ。賛成でも、反対でも、それ以外でも。私たちは今、歴史をつくっている》…どうか一人でも多くの方に県民投票に足を運んでほしい。投票者の25%と言わず、辺野古破壊に「反対に○」の票が、全有権者の50%を遥かに超えることを祈念しています。

 一方で、《工期も費用も言えない》辺野古破壊は、いまも日々続いています。このアベ様や最低の官房長官らの暴挙を、「本土」の「1/4の自公お維キト支持者2/4の選挙にも行かない眠り猫な有権者」は見てみぬふりです。

 沖縄の人々を、一体どこまでバカにすれば気が済むのか。辺野古破壊反対の明確な《結果が出る前から、安倍政権は「民意などクソくらえ!」と言わんばかりだ》…《沖縄の民意へのガン無視モード全開で、過去の政権と同じように沖縄イジメに注力》。
 日刊ゲンダイの記事【結果が出る前に…安倍政権は沖縄県民投票“ガン無視”モード】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247582)によると、《来週24日に賛否が明らかになるが、結果が出る前から、安倍政権は「民意などクソくらえ!」と言わんばかりだ。菅官房長官はきのうの会見で、「(県民投票が)どういう結果でも移設を進めるのか」との問いに、「基本的にはそういう考えだと言い放った。反対票が多数を占めると予想される中、沖縄の民意へのガン無視モード全開で、過去の政権と同じように沖縄イジメに注力しているのだ。…「安倍首相は過去、『民意を問う』と言って衆院選挙に打って出ましたが、沖縄の民意についてはまるで無視です。昨年9月の沖縄県知事選で新基地建設反対の知事が誕生しても、何事もなかったかのように埋め立て工事を強行しています。国政選挙では都合よく民意を振りかざすのに、沖縄の民意を無視するのはダブルスタンダードです」。自民は、県民投票が盛り上がるのを避けるため、投票の呼びかけを行わずに“死んだフリ”作戦を貫いている「馬の耳」のいじめっ子たちを、いつまでも政権に居座らせてはダメだ》。
 《死んだフリ》? 四択・三択で散々ゴネテおきながら。「本土」自公は、正々堂々と辺野古破壊に「賛成に○」をせよ、となぜ呼びかけないのか。どこまで《卑(ミーン)》なのか。

   『●破壊「損」な美ら海への土砂投入… 
     「2019年2月までの米軍普天間飛行場の運用停止」をやってみせよ!

 《2019年2月までの米軍普天間飛行場の運用停止》の約束は一体どうなったのか? その日2019年2月18日は過ぎてしまったぞ!

   『●「普天間飛行場の辺野古移設問題」に非ず、
      息吐く様にウソをついてでもな「辺野古の新基地建設」問題
    「《投票したい人の権利を奪えるのか》? つぶやき上で、
     「○と×の二者択一批判」に対して、その首長らは、アベ様や最低の
     官房長官が繰り返す「辺野古が唯一の解決策」という究極の「一択」に
     対して批判したのか?、が指摘されていた」

   『●「『辺野古』県民投票の会」代表がハンガーストライキ…
           《沖縄で非暴力抵抗運動の歴史が若い世代に…》
   『●ハンスト=非暴力抵抗運動で抗う沖縄の市民に対して、
            「その方に聞いてください」とはどういう了見か?
   『●「日本人の誇り」について熱弁をふるう宮崎政久衆院議員(自民)は、
                          堂々と「辺野古破壊に賛成」に一票を
   『●究極の「1択」をゴリ押ししてきた「本土」与党・癒党は
            辺野古破壊に「賛成」票を投じさせるのですね?
   『●《卑(ミーン)》な「本土」与党・癒党議員らが賛成しようが、
                《安倍政権の辺野古新基地建設は憲法違反》
   『●《あからさまな「県民投票潰し」の策動だ》った…
      「どちらでもない」ではなく、辺野古破壊に「反対」票を
   『●アベ様「対話の積み重ねの上に…移設を進め」…
       《積み重ねているのは、同意なき既成事実と不信感ばかり》
   『●《工期も費用も言えない》辺野古破壊を進める 
       アベ様は息吐く様にウソを吐き続け…政権広報は訂正放送を!
   『●《国はプライバシー侵害(リスト作成)を止めさせる憲法上の義務
                 …閣議決定で隠蔽…内閣が吹っ飛ぶ大問題》
   『●辺野古破壊、米側に《地盤改良「最短で5年」と日本側伝達》?  
                     沖縄に《工期も費用も言えない》のに?

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/385226

[大弦小弦]東京で勤務していると、特に米軍基地問題で…
2019年2月15日 08:15

 東京で勤務していると、特に米軍基地問題で「沖縄はどうなんですか」とよく聞かれる。どう答えるか、いつも悩む

▼もちろん辺野古新基地への反対は根強いが、ほかの意見もある。賛成の人、迷っている人、本音は反対だけどやむを得ず賛成に回る人。ひとくくりに「沖縄」を主語にして語るのは容易ではない

▼それでも、分かりやすい解説を求められる。そんな時は、なるべく「歴史」を話すようにしている。沖縄戦米軍統治、そして日本復帰から今-。その過程に先ほどの問いの答えはあると思うからだ

▼辺野古問題の原点は何か。菅義偉官房長官は普天間飛行場の危険除去と繰り返す。果たしてそれだけか。現状認識はそうかもしれないが、そこに至る歴史認識が抜けている

本土決戦までの時間稼ぎの捨て石として犠牲を払った沖縄に、どう基地が造られ、なぜ今なお押し込められているのか。それに連なる暮らしへのひずみ。そこに目を向けてほしい

フェイクがはびこるご時世、偽らざる「歴史」は聞き手に届く。東京で抱く実感だ。辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が告示された。投票の意義は弱いと静観する向きがある。受け止めはいろいろあろう。それでも意思表示を放棄するなかれ。賛成でも、反対でも、それ以外でも。私たちは今、歴史をつくっている。(西江昭吾
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