Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●<金口木舌>《「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」。伊江島…阿波根昌鴻さんが反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家の前に掲げた言葉だ》

2022年02月27日 00時00分49秒 | Weblog

[※ ↑ 【「空からの写真は一目瞭然」埋め立て進む辺野古の海 ドローンで監視する技術者の思い】(沖縄タイムス21.12.14、https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/879026)]

※2022年02月24日(木)、ロシアがウクライナに侵攻・侵略した。
 東京新聞の記事【なぜプーチン氏は破滅的な決断を下したのか ウクライナ侵攻の背景にある「帝国」の歴史観】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/162144)によると、《ロシアのプーチン政権がウクライナ侵攻に踏み切った。欧米や日本のロシア専門家や外交関係者の間では全面的な軍事侵攻には否定的見方が有力だった。公然たる「侵略国」となり国際的信用は失墜、巨大な制裁を招くことで疲弊している経済に大打撃となるからだ。合理的な判断を超えて破滅的ともみえる決断を下したプーチン大統領は、「帝国復活」の執念にとらわれているようだ。(元モスクワ支局長 常盤伸)》。
 「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」《伊江島の土地闘争のリーダー、故・阿波根昌鴻さんが反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家の前に掲げた言葉だ》、《中村哲さんに重なる。…「暴力によって立つ者が暴力によって滅びることは、人類史上の鉄則である」》。
 例えば、北方四島が独立を宣言し、キシダメ氏がその独立を承認し、住民保護・自衛を口実に、憲法9条に反して「敵基地攻撃」としてミサイルを発射する…プーチン氏はそれを支持・歓迎するのかね? 国際社会はニッポンを非難すると思いますが? アベ様、いまこそ、同士・盟友ウラジーミル氏を諫めに出かけられては如何か? 懲罰委員会の委員などやっている場合ではない。

   『●アベ様の害交・害遊の大きな成果 ―― 「ゴールまで、ウラジーミル、
        二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。」
    「琉球新報のコラム【<金口木舌>日本外交の病】…。
     日刊ゲンダイのコラム【適菜収 それでもバカとは戦え/安倍前首相が
     ぶち壊し 北方領土の返還可能性はほぼゼロだ】」

   『●「ゴールまで…駆けて、駆け…」…害交のアベ様はよくもこんなクッサイ
          科白が言えたものだ、ウラジーミルもドッチラケだったことだろう
   『●害交・害遊のアベ様…《首相ポストを放っぽり投げた者が黙っておれば
      いいものを…アジア近隣諸国との外交関係を閣外からぶっ壊している》



(2022年02月19日[土])
琉球新報のコラム【<金口木舌>命どぅ宝】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1470501.html)。

 《1969年製作の映画「沖縄」の舞台は伊江島銃剣とブルドーザーで先祖から受け継いだ土地を奪う米軍に「1坪たりともわたすまい」と非暴力で立ち向かったのが阿波根昌鴻(しょうこう)さん(1901~2002年)だ》

   『●多分、アベ様は沖縄で三度敗れる……
                踏みにじられる沖縄の民意
    《全てを失った沖縄戦から70年のできごと。伊江島で土地を
     守るために戦った阿波根昌鴻さんから、米軍の統治の横暴さに
     抵抗して投獄された瀬長亀次郎さんから、脈々とこの島で
     生きるものたちが受け継いできたもの

   『●写真家・嬉野京子さん…
     「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」
    《人間らしい生き方を求めて~阿波根昌鴻さんと非暴力平和運動~
     嬉野さんが沖縄の中でも大切にしている場所がある。
     伊江島の一般財団法人「わびあいの里」だ。
     ここには反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」があり、
     戦争と基地被害の証拠が所狭しと並べられている。
     「ヌチドゥタカラの家」は農民の立場から非暴力平和運動を提唱し、
     基地反対闘争の先頭に立ってきた故・阿波根昌鴻さんが1992年に
     建立した平和をつくる実践活動の拠点である。
     非暴力平和運動はその名の通り、暴力に頼らず、話し合いによって
     問題を解決していくというもの。
     沖縄戦やその後の様々な運動による経験で「暴力は何も生まない
     と実感した阿波根さんの精神が産んだ運動方針である》

   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て
            宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
    《三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌 …阿波根昌鴻
     (あはごんしょうこう)さんに象徴される伊江島の闘い。
     沖縄戦の後、真っ先に土地も畑も米軍に取り上げられた伊江島の
     住民たちはその惨状を県民全体に訴えるために沖縄本島で
     ムシロ旗を掲げて「乞食行進」をした。そして島では
     完全非暴力で、農民の誇りを失うことなく堂々と抵抗を続け、
     そのあと次々に勃発する沖縄基地闘争の手本となった
     この闘いとて「勝った」わけではない。伊江島は今現在も
     米軍基地だらけだ。しかし「負けてもいない抵抗の旗を
     降ろしてもいないし、辺野古に、高江に、宮古に、石垣に、
     その精神は確実に受け継がれているから》

   『●《現地の慣習や風土、文化を尊重…平和主義を貫いた医師の理念》
       《治安が悪化しても人々を見捨てず、見下すこともなかった》
    《「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」。》

 「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」…《伊江島の土地闘争のリーダー、故・阿波根昌鴻さんが反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家の前に掲げた言葉だ…▼阿波根さんの生き方は、非政府組織(NGO)「ペシャワール会」代表の中村哲さんに重なる。「非暴力による平和の貢献として沖縄県民が認めてくれた」「暴力によって立つ者が暴力によって滅びることは、人類史上の鉄則である」》(琉球新報)。


   『●無謀な辺野古破壊開始から3年…たとえ万に一つも新基地が完成しても、

       普天間飛行場は返還されることは無く、辺野古は単なる破壊「損」

   『●長周新聞《まるで地獄の沙汰もカネ次第 名護市を丸ごと買収する国
     ミサイルの標的と引き換えの「繁栄」》…渡具知武豊名護市長再選の闇
   『●長周新聞【『命どう宝県民の会』設立 沖縄の知識人やジャーナリスト
     琉球弧の島々を攻撃の標的にさせない為に】《…事務局長・山城博冶》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1470501.html

<金口木舌>命どぅ宝
2022年2月15日 05:00
金口木舌 劇団文化座 命どぅ宝 阿波根昌鴻

 1969年製作の映画「沖縄」の舞台は伊江島銃剣とブルドーザーで先祖から受け継いだ土地を奪う米軍に「1坪たりともわたすまい」と非暴力で立ち向かったのが阿波根昌鴻(しょうこう)さん(1901~2002年)だ

▼阿波根さんを演じた地井武男さんが亡くなって10年。伊江島の土地闘争がテーマの「命どぅ宝」が上演された。「沖縄」で地井さんと共に主演を務めた劇団文化座代表の佐々木愛さん肝入りの作品だ

▼13日の名護公演には伊江島から足を運ぶ人も。佐々木さんは「沖縄で合格点をもらえるか心配だった」と上演後に吐露したが、伊江島での入念な取材に基づいた台本は、当時を知る人たちもうならせた

▼圧倒的な力で住民を抑え込んだ米軍に対し、諦めず立ち向かった1950年代の市井の人たちが確かにそこにいた。ホールには観客のすすり泣く声が響いた

▼「沖縄だけでなく、日本、世界が良い方向ではない今こそ原点を見詰めてほしい」。作品に込められた劇団の思いは、「命どぅ宝の言葉を世界に伝える道しるべになる。
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●来年の「5・15」で50年…屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…

2021年06月01日 00時00分18秒 | Weblog

[※ 辺野古は破壊「損」 【米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]


(2021年05月22日[土])
琉球新報の【<社説>日本復帰49年 自らの未来は自ら決める】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1321637.html)。
沖縄タイムスの【社説[5月15日に]復帰50年の焦点化図れ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753909)。

 《日本復帰に際し、沖縄が求めたのは「国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎて」きた地位からの脱却だった。「5・15」は、自らの未来は自ら決めることを宣言したことを再確認する日としたい》。
 《軟弱地盤の問題を抱える辺野古の新基地建設は、常識で考えれば、「万事休す」のプロジェクトである。…復帰50年は本来、こうした状況を改め、沖縄問題への関心を高める絶好の機会であった。沖縄問題は何一つ終わっていない、ということを、説得力をもって政府に示し、焦点化することが重要だ》。

   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
    「コラム「筆洗」の云う「仲井真弘多沖縄県知事は欠席する。当然だ。
     沖縄にとっては、祖国から切り離された「屈辱の日」なのだから
     ▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。
     保守系の翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の
     耳には聞こえないようだ」、に全く同感。
      「屈辱の日」を祝う神経を疑う。
      「安倍政権を礼賛している右寄りの人たちは、実は自分たちも
     切り捨てられる側にいることに気づいていない」、これってハシズム
     大絶賛している人たちにも言えます」

   『●屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ…
                …モノクロから「天然色」に変わっても現実は…
   『●「空疎で虚飾に満ち」た弔辞を代読する
     最低の官房長官に怒声…「翁長氏の遺志に応える唯一の道」とは?
   『●《権力をほしいままにし、国家を私物化してきた安倍首相も官邸を
      出てしまえば“ただの人”…司直の手に落ちることになるのか》?
   『●独裁をサポートさせるための《安倍政権の「未来投資会議」を解体し、
       菅政権が新たに始動》した「成長戦略会議」…その面子の悍ましさ
    「沖縄イジメオジサンは、かつて、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は
     なかなか分からないが、19年前の日米合同会議の辺野古が唯一というのが
     私の全てです」…あぁぁ…。」

   『●《そんなふうに静かに始める抵抗にこそ、人々を変える力があるの
      かもしれない》(北原みのりさん)――― 辺野古破壊と《人柱》
   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…

 来年の「5・15」で50年。半世紀経っても、《屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…》何も変わらない沖縄。《施政権返還後も沖縄が抱える最大の課題は基地問題だ日本政府が沖縄に米軍基地の負担を押し付ける結果、米兵が引き起こす事件や事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害が続く沖縄に矛盾をしわ寄せする仕組みは「構造的差別」に他ならない》。特に、元最低の官房長官=現首相の沖縄イジメは目を覆うばかりだ。典型が高江や辺野古。

 目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/沖縄の施政権返還=日本への再併合から49年、日米両軍の殺戮と破壊の訓練が続けられている】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/5f6b3eeaeefc09c00f5ca12f697b63b6)によると、《上に紹介した動画は、2013年から16年にかけて、東村高江のヘリパッド建設反対の取り組み中に撮影したものだ。私のような素人にもこういう映像が撮れるのは、住民が生活に使用している道路のすぐそばで、小銃を手にした米軍の訓練が行われているからだ。…どんなきれいごとを並べようと、軍隊が行うのは殺戮と破壊であり、住民も必ず巻き添えになる。現代戦は無人の荒野で行われるのではない。沖縄で訓練を積んだ米軍の兵士たちが、朝鮮やベトナム、アフガニスタン、イラクなどで何をやってきたかどれだけの市民が米軍によって殺されてきたか。沖縄の施政権が返還され、日本の支配下に再併合されてから49年になる。日米安保条約にともなう米軍基地の負担を沖縄に集中させることで、日本人の多くは基地がもたらす負担と犠牲から免れ、あたかも日米安保体制が自分たちに平和と安全を与えているかのような幻想に浸ってきた。そして、米軍の侵略戦争を支持、支援しながら憲法9条があるから「平和国家」であるかのような欺瞞を重ねてきた。そういう幻想と欺瞞の上に今度は、中国に対抗する軍事拠点として沖縄で自衛隊の強化を進めている。仮に尖閣や台湾をめぐって日米中で紛争が発生しても、被害を被るのは沖縄・奄美であり、日本「本土」まで軍事的被害は及ばないだろう。それが日本人の大多数の本音である。日本にとって沖縄は、いざとなれば切り捨てられるトカゲのしっぽでしかない本土復帰という欺瞞に満ちた言葉といい加減決別すべきだ。沖縄にとって日本・ヤマトゥは本土であるはずがない》。

   『●写真家・嬉野京子さん…
      「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」
    《1964年に初めて行われた祖国復帰行進が、復帰協としての
     コンセンサスを取れずに、沖縄人民党だけが取り組んだ結果、
     米軍の弾圧を受けたため、「祖国復帰の思いは共通。取り組むなら、
     やはり統一してやるべき」という声が強まり、1965年に実現。
     嬉野さんはこの初めての祖国復帰行進に参加している最中、
     米軍トラックによる女児轢殺事件の写真を撮影した》

 《少女れき殺現場を映した1枚の写真は全国に衝撃を与えた》。
 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]脱「沖縄の問題」】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753919)によると、《1冊の本の中の写真に胸がかきむしられた。あおむけに倒れた女児の姿、脇に立つのは数人の米兵。復帰前の1965年、宜野座村で米軍のトラックに女児がひき殺された事故だ▼報道写真家の嬉野京子さんが撮影した。「撮ったらあなたの命はない」という周囲を説得して撮影し、米軍統治下の沖縄の実態を本土へ知らしめた》。

 琉球新報のコラム【<金口木舌>正しく恐れる】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1321638.html)によると、《▼コロナ禍と米軍基地被害はどこか似ている。人命に害を及ぼす。人権を傷つける。教育環境を台無しにする。沖縄の自立的発展を妨げる。いくらでも列挙できよう。基地と長年暮らしていると、そんな被害に慣れてしまうのだ ▼基地との共生・共存を沖縄に求めた人がいた。宝珠山昇防衛施設庁長官である。県民の怒りを買った「宝珠山発言」から27年。そして沖縄はきょう、施政権返還から49年を迎えた。「基地との共生・共存」の強要が続く ▼県民や国民の生命を守るべき政府の無責任が目に付く。コロナと米軍基地被害の最大の共通点であろう。困っている人や苦しんでいる人が放置されている。それを黙認するような空気が広がるならば怖い。正しく恐れたい》。
 東京新聞の【<社説>沖縄復帰から49年 米軍基地の跡地に花を】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/104497?rct=editorial)によると、《沖縄の施政権が米国から日本に返還されて、十五日で四十九年がたちました。この間、米軍基地の返還は本土では進みましたが、沖縄県では遅々として進まず、県内にある在日米軍施設の割合はむしろ増えているのが現状です。茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園にある小高い「みはらしの丘」は、この春もネモフィラの青い花で埋め尽くされました。花が終わるとコキア(ホウキグサ)に植え替えられ、夏には緑色の、秋には紅葉した赤い束が訪れる人々の目を楽しませています。…◆増える沖縄の基地負担 …沖縄の米軍基地も花があふれる公園にできないでしょうか沖縄の人々と本土の私たちの力を結集して政府を動かせば、返還が実現し、憩いの場に変えることができるそんな可能性や希望を、ネモフィラの青い花は示しています》。

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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1321637.html

<社説>日本復帰49年 自らの未来は自ら決める
2021年5月15日 05:00

 沖縄の施政権が日本に返還(日本復帰)されてから49年を迎えた。そして沖縄返還協定の調印と、返還協定の批准を決定する「沖縄国会」から50年の節目である。

 日本復帰に際し、沖縄が求めたのは「国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎて」きた地位からの脱却だった。「5・15」は、自らの未来は自ら決めることを宣言したことを再確認する日としたい。

 軍事植民地のような米国統治を終わらせた最大の要因は、圧倒的な力を持つ米国に立ち向かった沖縄側の民意だった。自治権拡大の象徴として琉球政府行政主席の直接選挙を認めさせた。1968年11月の初の主席公選で当選した屋良朝苗氏は、就任後初の佐藤栄作首相との会談前にこう語っている。

 「私が当選したことによって具体的に示されている沖縄県民の本当の願いとか、要求とか、民意を率直に確認してもらって、国の政治に、外交に十分反映していただきたい」

 屋良主席は「民意」という言葉を使っている。しかし佐藤首相は、その後の施政権返還交渉で、屋良氏の公約「即時無条件全面返還」を選択した沖縄側の民意をくみとらなかった

 佐藤首相は「核抜き」返還を実現する代わりに、有事の際に沖縄への核再持ち込みを認める密約を結んだ。米側は支払うべきコストを日本に肩代わりさせて沖縄に投入した資産を回収、「思いやり予算」の原型となる財政密約に合意した。そして米軍は基地の自由使用権を手放さなかった。

 1971年の「沖縄国会」は「非核兵器並びに沖縄米軍基地縮小に関する決議」を全会一致で可決している。しかし、基地の過重負担は変わらず国会の総意は半世紀たっても実現していない

 施政権返還後も沖縄が抱える最大の課題は基地問題だ日本政府が沖縄に米軍基地の負担を押し付ける結果、米兵が引き起こす事件や事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害が続く沖縄に矛盾をしわ寄せする仕組みは「構造的差別」に他ならない

 今年4月の日米首脳会談で「台湾の平和と安定」に言及したことは看過できない。台湾有事の際、沖縄が直ちに最前線となる可能性をはらんでいるからだ。宮古、石垣、与那国への自衛隊配備と合わせ、沖縄が再び戦場となる可能性を県民は危惧している。沖縄の平和と安全を度外視した日米同盟は認められない。

 屋良主席に託された民意は、現在に受け継がれている。

 復帰後、沖縄は琉球王国のグスクおよび関連遺産群が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。先日、世界自然遺産への登録が確実視されるなど、島の宝は無尽蔵にある。豊かな自然を生かし、未来の沖縄どうつくるか。「復帰の日」にいま一度、沖縄の姿がどうあるべきかを考えたい。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753909

社説[5月15日に]復帰50年の焦点化図れ
2021年5月15日 08:11

 「5月15日」と聞いて、直ちに「復帰」を思い浮かべる県民は、今、どのくらいいるだろうか。

 戦争で破壊され尽くした沖縄県は、講和条約が発効して日本が独立を回復した後も、同条約3条に基づいて米国の統治下に置かれた

 米国は冷戦下の沖縄に巨大な基地群を建設し、いざというときに備えて核兵器や毒ガスまで貯蔵していた

 憲法は適用されず、1970年に国政参加選挙が実現するまで、国会に代表を送ることもできなかった。

 施政権が日本に返還され、沖縄の復帰が実現したのは1972年5月15日、今から49年前のことである。

 来年は復帰50年という節目の年に当たる。沖縄振興特別措置法(沖振法)も来年3月末に期限が切れ、新制度がスタートする。

 本来であれば今の時期は、政治・経済・暮らしなどの分野で復帰の総括が進み、沖縄の将来像を巡る議論が熱っぽく交わされているころだ。

 だが復帰50年を巡る議論はいたって低調である。新型コロナウイルスの猛威に、行政も市民生活ものみ込まれてしまった。

 労働団体などによる平和行進は昨年に引き続き中止となった。各種の大型イベントも軒並み中止に追い込まれた。

 絶好調だと言われた観光関連産業は、一転して絶不調の谷底に突き落とされた。

 豚熱、首里城火災、コロナと、災厄の対応に追われ続ける県から明確なメッセージはなく、復帰50年を焦点化し切れていない。

■    ■

 軟弱地盤の問題を抱える辺野古の新基地建設は、常識で考えれば、「万事休す」のプロジェクトである。

 最終的な総工費も完成時期も不透明で、普天間飛行場の「一日も早い危険性除去」という当初の目的が、事実上、実現不可能になったからだ。

 政府は、工事を中断して県と話し合うことなく、ひたすら工事を強行するだけ。それなのにコロナ禍と米中対立の激化で、沖縄の基地問題は、本土側の関心を呼ばなくなった。

 復帰50年は本来、こうした状況を改め、沖縄問題への関心を高める絶好の機会であった。

 沖縄問題は何一つ終わっていない、ということを、説得力をもって政府に示し、焦点化することが重要だ。

 県は1月に「新たな振興計画(骨子案)」をまとめ、公表した。各種制度の継続を前提とした案で、変革の強い意志は伝わってこない。

■    ■

 政府や自民党の中には「単純延長なし」という空気が強い。「末永く特別措置を」という発想はもはや限界だ。

 なぜ高率補助が必要なのか、復帰特別措置をいつまで継続するつもりなのか。次期計画で優先されるべき事業は何か。

 沖縄の米軍基地について、当面、専用施設面積の50%以下を目指すという方針は、具体的にどの基地の返還を想定しているのか。

 こうした論点は、まだ議論が尽くされたとはいえず、議論が低迷すれば変革のエネルギーは生まれない。
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●「今の政治家は、戦後アメリカが利用するために地位を残した人間の子孫で、アメリカにへつらうのが家業」

2018年06月04日 00時00分13秒 | Weblog

青木理さん『情報隠蔽国家』…「客観的な事実すら隠蔽し…ねじ曲げて恥じない為政者たちの姿」を報じも… ↑】



日刊ゲンダイのインタビュー記事【HOT Interview 「戦争経済大国」 斎藤貴男氏】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/230155)。

 《第2次世界大戦後、日本は復興を遂げ、平和と自由を享受し、平和憲法の下、戦争にも参加せず、先進国の一員として国際社会に貢献している、などというのは寝言でしかない。実態はアメリカ主導の戦争で、他国の不幸を踏み台に繁栄したのが日本なのだ…日本にとって朝鮮戦争ベトナム戦争は対岸の火事。しかし、せっせと油を注いでいたのが日本なのだ。積極的かつ自発的にアメリカに寄り添い、特需を享受した日本。その醜い姿は、現代史教育でもほぼ語られていない》。

   『●壊憲「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」、
                   そして、緊急事態条項を絶対に許してはダメ
   『●壊憲への暴走: シビリアンが暴走し、
      アベ様の「我が軍」も既に暴走を始めているようだ…戦慄を覚える
   『●「戦争放棄を定めた憲法九条を支持する宣言や声明が
          繰り返されてきた…九条は世界で必要とされている」
    「いまや、基本的人権国民主権さへも怪しいけれども、
     《基本的人権国民主権は先進国では標準装備だから、
     戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる》のに、
     ニッポン《国の在り方を決定付けている》その《アイデンティティー》さへも
     失おうとしている」

 風前の灯火のアイデンティティーさへ壊憲しようとしている。加えて、そのアイデンティティーを守る過程において…《積極的かつ自発的にアメリカに寄り添い、特需を享受した日本。その醜い姿は、現代史教育でもほぼ語られていない》。さらに、アベ様らの醜き歴史修正主義者の噴出。

   『●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、 
      血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?
   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
   『●【NNNドキュメント/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―
                 …「消し去られた事実の重み…現代に警鐘」

   『●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…
      「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」

 斎藤貴男さんは、さらに、《戦争で儲ける構造そのものは恥ずかしく罪深いこの史実の上に立って『これからもそれでいいのか』と問いたいです》と。そして、《本当は、本土の利益のために犠牲にするのが常態化した沖縄についても触れなければいけない。ただ、一冊のごく一部で書ききれる話ではないので、続編は沖縄を中心に必ず書きます》とも。
 青木理さんの言葉を思い出した…「日本は戦後、朝鮮戦争を梃子にして経済発展の土台を築いた基地は沖縄に押し付けたんですよ。つまり、今のこの米朝の対立も分断も、日本は歴史的な責任からは逃れられない。…朝鮮半島が平和になるために日本は努力をしなくてはいけない、ということは忘れてはいけない」

   『●「竹やりで…」「特攻艇・震洋」「人間機雷・伏龍」…
         「最も戦争に接近した八月」に「愚かな戦争に学ぶ」
    「青木理さんの言葉(【サンデーモーニング】、2017年9月3日)に全く同感
     …「日本がどう向き合うか。先の大戦で、ドイツは敗戦して分断された。
     ところが、アジアでは解放された朝鮮が分断された。プラス、日本は戦後、
     朝鮮戦争を梃子にして経済発展の土台を築いた。
     基地は沖縄に押し付けたんですよ。つまり、今のこの米朝の対立も分断も、
     日本は歴史的な責任からは逃れられない。歴史を考えた時に、
     北朝鮮と単に対峙しているだけではなくて、どう向き合うかというのは、
     自ずから明らかになってくる。むしろ、朝鮮半島が平和になるために日本は
     努力をしなくてはいけない、ということは忘れてはいけない」」

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」…
                   米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その2)
    《高江という地域に暮らす人びとは北部訓練所に囲まれながら生き、
     そして60年代には米軍がベトナム戦争のゲリラ戦の訓練のために
     「ベトナム村」というものをつくり、高江の住民はゲリラ訓練に現地民の
     代わりとして動員させられていた。こんなにも屈辱的なことがあって、
     いままた違うかたちで訓練の標的にされようとしていることに対して、
     「本土から移り住んでいる人が多いでしょ」と言うことは、まったく道理が
     合わない。だってその人は県民だし住民なんですよ》

   『●柴田鉄治さん「キナ臭さが一段と増した年」、
      マスコミから失われる「ジャーナリズムの義務」…な1年
    《戦前・戦中のメディアは政府のお先棒を担いで戦意の高揚を図ったが、
     その反省から戦後の50~60年代はなんとか野党精神も健在で、
     ベトナム戦争にはメディアはこぞって反戦を貫いた
       ところが、80年代になると、読売・産経新聞が政府・与党寄りに
     論調を転換湾岸戦争を経て、イラク戦争でははっきり賛成の主張を
     打ち出して、自衛隊がイラクにまで派遣される事態を招いた》

   『●写真家・嬉野京子さん…
        「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」
    《アレン・ネルソン~『沖縄に基地はいらない』を提唱した元・米軍海兵隊員~
     元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1966年に沖縄のキャンプハンセンで
     訓練を受けて、ベトナム戦争に投入された》

   『●「日米地位協定が米軍に“特権”を与えているからだ。
         「半分主権国家」…編集者で作家の矢部宏治氏」
    《日本は戦後、数多くの米軍の戦争を支援してきましたが、そのことで
     日本国民が生命や財産を脅かされる心配はなかった。いくら米軍の
     爆撃機が日本から飛び立って北朝鮮やベトナム、イラクを攻撃しても、
     相手国には日本を攻撃する能力がなかったからです。しかも、
     米軍の戦争に全面協力することで日本が手にした経済的な見返りは、
     非常に大きかった》

 最後に、 斎藤貴男さん《今の政治家は、戦後アメリカが利用するために地位を残した人間の子孫で、アメリカにへつらうのが家業》…すごく納得。

   『●タンカ記念日と15年「「獣医学部いいね」と安倍さんが言ったから、
                        2月25日は加計記念日」で滅公奉僕
   『●「3本の矢」「女性活躍」「1億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」
                            …そんなものを有難がってる…
   『●《愛僕者》らの暴走と無責任さを放置して平気?
      野党の批判の前に、《愛僕者》や与党・癒党の批判を
   『●《もはやカルトだ》…《もはやこの国の総理は
      カルト教団の教祖のような絶対的存在となっているらしい》
   『●『銃を持つ権利は子どもが生きる権利より重い』?
       普天間で起きている、辺野古で起きようとしていること
   『●《消費増税…2兆~3兆円を増税対策に計上する構想》…
              《企業救済策に消費税を流用》…《本末転倒》

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/230155

HOT Interview

「戦争経済大国」 斎藤貴男
2018年5月31日

     (斎藤貴男氏(C)日刊ゲンダイ)

 第2次世界大戦後、日本は復興を遂げ、平和と自由を享受し、平和憲法の下、戦争にも参加せず、先進国の一員として国際社会に貢献している、などというのは寝言でしかない実態はアメリカ主導の戦争で、他国の不幸を踏み台に繁栄したのが日本なのだ

 本書は、朝鮮戦争ベトナム戦争の特需に焦点を絞り、戦後日本の真の姿をあぶり出した労作である。

昭和史や戦後史の本はたくさんありますが、特需を中心に書いた本はない。僕は20代の頃、日本工業新聞の鉄鋼担当記者で、鉄鋼系企業の社史を読む機会も多かったのです。そこではとにかく『朝鮮特需で儲かった、我が社の礎ができたと自慢げに書いてあって、すごい違和感を覚えました。この本の構想の芽生えは、その違和感です

 朝鮮戦争時は、金ヘン景気・糸ヘン景気と呼ばれ、鉄鋼業と繊維業を筆頭に日本経済全体が発展の基礎を築いた。ベトナム戦争時は、兵器や物資の製造・輸送に積極的に加担し、「死の運び屋」とも呼ばれた。問題は直接特需よりも、民生品取引による間接特需だという。

直接特需の実態がうかがいしれる資料はアメリカが提供するもののみで、非公表の部分も大きい。さらに間接特需はデータ化しにくく、経済学者も実態が掴みにくいんです。要はアメリカが戦争協力の見返りに、アメリカ市場を開放してくれたおかげで、対米輸出が驚異的に増え、高度経済成長となったわけです。一般的な高度経済成長のイメージは『三丁目の夕日』や『プロジェクトX』なんでしょうが、本来なら貿易摩擦が起こるレベルですし、公害などの高度経済成長のマイナス面は語られなくなってきています

 日本にとって朝鮮戦争ベトナム戦争は対岸の火事。しかし、せっせと油を注いでいたのが日本なのだ。積極的かつ自発的にアメリカに寄り添い、特需を享受した日本。その醜い姿は、現代史教育でもほぼ語られていない。

戦後史なんて学校教育でやってもダメですよ。仮に今教育したら、ひたすら対米従属を洗脳されるだけあとは対韓国・対中国の差別と、いかに日本はすごいか、と体制側に都合よくつくられるそもそも今の政治家は、戦後アメリカが利用するために地位を残した人間の子孫で、アメリカにへつらうのが家業なんですそれ以外のアイデンティティーがない安倍はその典型。大臣も大企業の経営者も、当事者意識や当事者能力が最初からない。どうせ決めたのはアメリカだから、と何の責任も感じないんでしょうね

 もちろん、市民が立ち上がり、戦争に加担しないための闘いもあった。石川県の内灘村議会を機に起こった基地反対運動(内灘闘争=1952年)、兵器製造に反対した活動家が起こした日特金属襲撃事件(66年)、戦車の輸送に反対した市民が96日間通行を阻んだ戦車闘争(72年)。教科書では決して詳しく語られない史実があるのだ。

 本書では当時の活動家だけでなく、通産省の元官僚や、朝鮮戦争時に掃海作業艇に乗った船員にもインタビューを敢行。

特需を享受した人々に罪の意識はないですね。ただ、僕の世代の視点から彼らを一方的に断罪するつもりはない。知らず知らずに、または仕方なく国に誘導されていたのだから。ただ、戦争で儲ける構造そのものは恥ずかしく罪深い。この史実の上に立って『これからもそれでいいのか』と問いたいです

 取材・執筆に10年。だが、達成感はないと言う。特需もまだ書き足らず、湾岸戦争に至るまでの現代編という課題もある。一生をかけて書くテーマだと覚悟したそうだ。

本当は、本土の利益のために犠牲にするのが常態化した沖縄についても触れなければいけない。ただ、一冊のごく一部で書ききれる話ではないので、続編は沖縄を中心に必ず書きます」(河出書房新社 1800円+税)

▽さいとう・たかお 1958年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学商学部卒業。英国・バーミンガム大学大学院修了。「日本工業新聞」入社後、「プレジデント」編集部、「週刊文春」の記者を経て独立。弱者の視点に立ち、権力者の横暴を徹底的に批判。本紙コラム「二極化・格差社会の真相」を連載中。「機会不平等」「ルポ改憲潮流」「戦争のできる国へ 安倍政権の正体」「ちゃんとわかる消費税」など著書多数。
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●あの島尻安伊子氏の下、《内閣府副大臣として沖縄を担当していた人物》松本文明氏の眼には何にも見えて…

2018年02月09日 00時00分40秒 | Weblog

[※ 三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



リテラの記事【松本内閣府副大臣スピード辞任はただの選挙目当て! 沖縄米軍機事故に「何人死んだんだ!」卑劣ヤジは安倍自民の本音だ】(http://lite-ra.com/2018/01/post-3760.html)。

 《辞任の理由は「不適切発言」だ…松本副大臣はあろうことか、第3次安倍第1次改造内閣では島尻安伊子・沖縄及び北方対策担当大臣の下、内閣府副大臣として沖縄を担当していた人物だ》。

 あの島尻安伊子氏の下、《内閣府副大臣として沖縄を担当していた人物松本文明氏の眼には何にも見えていなかったらしい。大臣辞任なんて生ぬるく、議員辞職モノでしょう。《無知識、無教養、差別思想、時代錯誤が露呈》。

   『●アベ様ご夫妻…そして、《それ以外でも自民党は相当ひどい…
                 無知識、無教養、差別思想、時代錯誤が露呈》
   『●横浜米軍機墜落事件: 「米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外。
                       被害者のための救急車は一番最後に…」
    《▼墜落前に脱出し、傷一つない米兵救出のためだけに自衛隊ヘリは出動した。
     米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外被害者のための救急車は
     一番最後に来たという石川・宮森小沖国大安部墜落であらわに
     なった不条理さと変わらない》。
    「《不条理の連鎖》は、今もなお沖縄では続く。《米軍機は沖国大墜落など
     「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。
       「在日米軍特権」も、「日米共犯」も、何も変わらない沖縄。
     《沖縄の人たちは逃げられない》《墜落であらわになった不条理さ》…
     今もなお、何も変わらない。」

   『●「米軍の活動にもイタリアやドイツの国内法が適用される」…
                   「日米地位協定」「日米合同委員会」の異常


 沖縄タイムスの【社説[日米「不適切発言」]苦しむ県民に追い打ち】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/201176)によると、《04年8月、米軍ヘリが沖縄国際大構内に墜落炎上したときは、ワスコー在日米軍司令官が「ベストな対応」だと言い放った。これらはすべて「軍の論理」である…内閣府の松本文明副大臣は25日、共産党の志位和夫委員長が衆院本会議の代表質問で米軍機事故などに触れた際、「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばした。開いた口が塞がらないまるで問題を起こした米軍よりも県民を責めるような口ぶりである》。
 《子どもたちの日常にある「異常」を放置しているのはだれなのか》?

   『●消された放射能汚染:米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件
   『●普天間「番犬様」基地:「毎日頭上を飛ぶヘリの機体に
            ストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
   『●「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件」でも
        「沖縄は放ったらかし」……アベ様らは、今も、沖縄差別継続中
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
        そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●高江ヘリ「墜落」、何時もの如く「見え透いた
      “茶番劇”が再び繰り返されるようなら、事故はまた起きる」
   『●「在日米軍特権」…《事故の検証すらできない日本は
         むしろ、法的従属を“放置”した国家》<金口木舌>
   『●ストロンチウム内部被曝…翁長雄志知事「悲しい、悔しい。
                 沖縄にとって“国難”とはこういった状況だ」
   『●本土ではアベ様が「さらなる強硬手段に出る権力基盤を手に」し、
                       《強烈な異義申立》が続く沖縄は無視…
   『●沖縄の心は踏みにじられっぱなし…
      「在日米軍特権」「日米共犯」の下、《牧草地から土をどっさり》と盗難
   『●写真家・嬉野京子さん…
      「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」
   『●「辺野古が唯一の解決策」という呪文を唱えることしか 
         能の無いアベ様ら…消えた「辺野古」の「へ」の字?
   『●普天間米軍のCH53E大型輸送ヘリの窓落下…
      「子どもを園庭で遊ばせたい」「当然の日常がほしいだけ」
   『●(コラム【金口木舌】)「沖縄版「今年の漢字」」は『落』…
          「いずれの「落」も県民の命に関わる」、抜本策は「撤兵」

   『●「本土」のデマ・ヘイトなオトナ達…《子どもたちの
         日常にある「異常」を放置しているのはだれなのか?》
   『●沖縄版「今年の漢字」」も『落』: 
     「県民の命が脅かされ続ける現状より、軍事優先の現実に愕然」
   『●「まるで空襲に襲われた戦時下のような異常な訓練」に加えて、
                      アベ様は沖縄にさらなる「我慢」を強いる


 東京新聞の社説【副大臣やじ辞任 政権の姿勢こそ問題だ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018013002000169.html)によると、《交代は当然としても、沖縄県民の気持ちに寄り添うと言いながら、米軍普天間飛行場の県内移設を強行する安倍政権の姿勢こそ問題ではないか…安倍内閣は「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減に全力を尽くす」とするが、その方針が政府内で共有されていないことが明白になった。安倍晋三首相の任命責任は免れまい》。
 議員辞職モノ、アベ様の任命責任…でも、どうせ選挙が終わりほとぼりが冷めればね…。

 日刊ゲンダイのコラム【室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」/本音が出た安倍首相は官僚のペーパーをただ朗読している】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/222373)によると、《「地元の懸念を軽視する」(安倍晋三首相)  これは安倍首相が、先月26日の参院本会議で、沖縄県で相次ぐ米軍ヘリコプターの不時着に関して、述べた言葉。なんでも「地元の懸念を軽減する」と言おうとしたところ、間違えた…》。
 まぁ、アベ様の本心がポロリ…沖縄では、「軽視」される《不条理の連鎖》。

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http://lite-ra.com/2018/01/post-3760.html

松本内閣府副大臣スピード辞任はただの選挙目当て! 沖縄米軍機事故に「何人死んだんだ!」卑劣ヤジは安倍自民の本音だ
2018.01.26

     (自由民主党HPより)

松本文明内閣府副大臣が辞任の意向を固めた──。本日夕方、突然報じられたこの一報に、驚いた人も多いだろう。辞任の理由は不適切発言だ。

 じつは昨日25日の衆院本会議での代表質問において、沖縄で多発している米軍事故について言及している最中に、松本副大臣はこんなヤジを飛ばしたのだ。

   「それで何人死んだんだ

 この卑劣なヤジは、共産党・志位和夫委員長の代表質問のなかで起こった。志位委員長は昨年10月、東村高江の民間牧草地に米軍の大型輸送ヘリCH53が墜落・炎上した事件、12月には宜野湾市の保育園の屋根にやはりCH53Eの装置カバーが、さらに同市の小学校のグラウンドに同機の重さ約8キロの窓枠が落下するという重大事故が立てつづけに起こった問題を取り上げ、「恥ずべき米軍追従姿勢をあらため、沖縄のすべての米軍機の緊急総点検と飛行停止を米国に要求すべき」と主張。その上で、米軍は基地周辺だけではなく沖縄全土で事故を起こしている事実を突きつけ、「普天間基地の無条件撤去、辺野古新基地建設の中止、海兵隊の沖縄からの撤退こそ、県民の命と安全を守る唯一の解決策」として安倍首相に見解を求めた。

 沖縄県民が命の危険に晒されるなか、至極当然の主張だが、しかし、まさにこのとき、自民党席から松本副大臣は「それで何人死んだんだ」というヤジを飛ばしたのである。松本副大臣はあろうことか、第3次安倍第1次改造内閣では島尻安伊子・沖縄及び北方対策担当大臣の下、内閣府副大臣として沖縄を担当していた人物だ。

 松本副大臣のヤジは死人も出ていないのにごちゃごちゃ言うなという意味としか受け取れない。それとも死人が出たら考えるとでも言うのか。ともかく、沖縄県民の命について何とも考えていないことだけは確かで、昨年4月、今村雅弘復興相による「(東日本大震災が起こったのが)東北で良かった」という暴言に匹敵する国民を冒涜するものであり、即刻辞任すべき発言だったことは間違いない。


松本副大臣は、熊本地震でも「俺に差し入れしろ」「政府に文句言うな」とワガママ・暴言の前科

 しかし、意外なのは、これほどまでに素早く松本副大臣の辞任を決めたことだろう。実際、この暴言ヤジについて報じたのは、本日付のしんぶん赤旗のみ。沖縄の琉球新報、沖縄タイムスの2紙でさえ報じておらず、無論、全国紙やテレビでも一切伝えていなかった。

 しかも、松本副大臣の暴言はいまにはじまった話ではない。2016年4月に起こった熊本地震の際には、内閣府副大臣として政府代表の現地対策本部長を務めたが、本震の後におこなわれた県と政府のテレビ会議において、被災者対応を差し置いて「食べるものがない。これでは戦えない。近くの先生(国会議員)に差し入れをお願いして欲しい」と要求。その上、西日本新聞の報道によると、松本副大臣は配給がおにぎりのみだった際に「こんな食事じゃ戦はできない」と述べるなど〈待遇の不満を何度も口に〉し、地元の自治体職員に対しても、「物資は十分持ってきているので足りているんだ。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」と発言していたという。

 「俺に差し入れしろ」「政府に文句は言うな」……。災害発生時に政府の代表がこの態度とはまったく怒りしか覚えないが、このときも安倍首相は松本副大臣を辞任させるどころか、昨年8月の内閣改造で松本氏を再び内閣府副大臣に引き立て、総選挙後も続投させてきたのである。

 それが一転、暴言ヤジが大きな話題になる前に、あっさり辞任させる──。辞任は当然の措置だが、これまで閣僚たちにどんな失言や不祥事が発覚しても意に介することなく居座らせてきた安倍政権にしては異例の素早さと言わざるを得ない。

 だが、この異例の対応をとった理由は、じつにわかりやすい。言わずもがな、辺野古新基地建設が最大の争点となっている、28日告示、2月4日投開票の沖縄県名護市長選への影響を考えてのことだ。移設反対の現職・稲嶺進氏に対し、自民党は渡具知武豊氏を推している。


松本副大臣スピード辞任は名護市長選目当てのアピール、でも安倍政権の本音は…

 安倍政権の名護市長選への力の入れようは異常なもので、昨年末には菅義偉官房長官二階俊博幹事長が相次いで沖縄入り。本サイトでジャーナリストの横田一氏がお伝えしたように、自民党は〈公共事業推進(予算増加)の“アメ”をちらつかせつつ基地受け入れを迫る“ムチ”を振るう手法〉を繰り出している。

 その上、自民党陣営は稲嶺市政に対して「名護市は税金が高い」などというデマ攻撃を仕掛けているほか、地元では稲嶺氏を誹謗中傷するビラも撒かれている始末。さらにネット上では、安倍応援団の櫻井よしこが2014年に流した“名護市は選挙前に有権者が約2000人、不自然に増えている”“本土から基地反対勢力が住民票を移してきた結果だ”というデマを、この市長選でもネトウヨたちが拡散させている。

 しかし、名護市長選の前哨戦となった南城市長選では、自・公・維新が推薦していた現職・古謝景春氏を、「オール沖縄」勢力系の新人・瑞慶覧長敏氏がなんと65票差という接戦で破って勝利。名護市長選への自民党の焦りは相当なものとなった。

 そのため、最近では多発する米軍の事故に対しても、小野寺五典防衛相は「整備が本当に十分なのか問いただしたい」「(米軍ヘリの不時着が)繰り返されている。あまりに多い」「極めて遺憾」などと発言。実際は飛行停止要求も米軍に突っぱねられており、まったく意味をなしていないのだが、一見、沖縄に寄り添っているかのような演出をおこなっている

 そして、今回の暴言ヤジでの松本副大臣の辞任──。つまり、普段ならばどれだけ世論が反発しても大臣を辞任させないのに、選挙を控えているがためにスピード辞任させたにすぎないのだ。

 そもそも、「それで何人死んだんだという暴言は安倍政権の本音。もしほんとうに沖縄県民の命について真剣に考えているのなら、もっと粘り強く米軍に飛行停止を求めるのが筋で、ひいては不平等極まりない日米地位協定の見直しに踏み込んでいるはずだからだ。選挙目当てで殊勝な態度をとっても、結局、安倍政権は沖縄を捨て石にしようとしていることに変わりはないのである。

(編集部)
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●横浜米軍機墜落事件: 「米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外。被害者のための救急車は一番最後に…」

2018年01月30日 00時00分35秒 | Weblog

[※ 三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



沖縄タイムスの磯野直氏によるコラム【[大弦小弦]米軍機が横浜市青葉区の住宅街に墜落してから27日で40年…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/147920)。

 《▼墜落前に脱出し、傷一つない米兵救出のためだけに自衛隊ヘリは出動した。米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外被害者のための救急車は一番最後に来たという石川・宮森小沖国大安部墜落であらわになった不条理さと変わらない》。

 「本土」の神奈川では…

   【横浜米軍機墜落事件 - Wikipedia

 《不条理の連鎖》は、今もなお沖縄では続く。《米軍機は沖国大墜落など「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。
 「在日米軍特権」も、「日米共犯」も、何も変わらない沖縄。《沖縄の人たちは逃げられない》《墜落であらわになった不条理さ》…今もなお、何も変わらない。

   『●消された放射能汚染:米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件
   『●普天間「番犬様」基地:「毎日頭上を飛ぶヘリの機体に
            ストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
   『●「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件」でも
        「沖縄は放ったらかし」……アベ様らは、今も、沖縄差別継続中
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
        そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●高江ヘリ「墜落」、何時もの如く「見え透いた
      “茶番劇”が再び繰り返されるようなら、事故はまた起きる」
   『●「在日米軍特権」…《事故の検証すらできない日本は
         むしろ、法的従属を“放置”した国家》<金口木舌>
   『●ストロンチウム内部被曝…翁長雄志知事「悲しい、悔しい。
                 沖縄にとって“国難”とはこういった状況だ」
   『●本土ではアベ様が「さらなる強硬手段に出る権力基盤を手に」し、
                       《強烈な異義申立》が続く沖縄は無視…
   『●沖縄の心は踏みにじられっぱなし…
      「在日米軍特権」「日米共犯」の下、《牧草地から土をどっさり》と盗難
   『●写真家・嬉野京子さん…
      「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」
    「司法の正義は機能せず、「本土」は無関心…。
     《沖縄の人たちは逃げられない》《今も続く沖縄と本土の“溝”
     …何も変わりなし。」

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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/147920

[大弦小弦]米軍機が横浜市青葉区の住宅街に墜落してから27日で40年…
2017年9月26日 08:22 米軍事故 在日米軍 神奈川県 神奈川新聞 米軍機墜落 磯野直 横浜市

 米軍機が横浜市青葉区の住宅街に墜落してから27日で40年がたつ。炎の塊と化したエンジンが、母子3人のいる90メートル先の民家を直撃した 

▼墜落翌日、3歳の裕一郎ちゃんは「バイバイ」、1歳の康弘ちゃんは覚えたての「ハトポッポ」を歌い亡くなったという。大やけどから奇跡的に一命を取り留めた母和枝さんに、家族は子の死を隠した

▼和枝さんの父、故土志田(どしだ)勇さんは著書「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」(七つ森書館)で、うそをつき続けた苦しさをつづる。子に宛てた和枝さんの手紙は痛切極まりない。「ママとどっちが早くよくなるか競争だね」

▼和枝さんが事実を知らされたのは墜落から1年4カ月後。4年以上の闘病の末、失意のまま31歳で逝った。港の見える丘公園に、2人の子を抱く愛の母子像」が建つ

墜落前に脱出し、傷一つない米兵救出のためだけに自衛隊ヘリは出動した。米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外。被害者のための救急車は一番最後に来たという石川・宮森小沖国大安部墜落であらわになった不条理さと変わらない

▼神奈川新聞は24日付で連載「米軍機墜落“事件” 横浜と沖縄」を始めた。「沖縄は、遠い問題ではない」と問う試みだ。27日午後1時20分、沖縄からも3人の冥福を祈りたい。不条理の連鎖を断つと改めて誓いたい。(磯野直
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●写真家・嬉野京子さん…「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」

2017年12月15日 00時00分45秒 | Weblog

[※ 三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



琉球新報のコラム【<金口木舌>27度線の分断』(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-606578.html)。

 《写真家、嬉野京子さん…「自分は逃げられるが、沖縄の人たちは逃げられない」 ▼嬉野さんの写真と証言を基に沖縄戦後史をつづった記録映画「OKINAWA1965」が東京で公開された…今も続く沖縄と本土の“溝”に思いを重ねて》。


 記録映画「OKINAWA1965」の公式サイトは以下の通り:

   《OKINAWA1965
    (http://longrun.main.jp/okinawa1965/index.html

 作品情報によると…:

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
http://longrun.main.jp/okinawa1965/film.html

作品情報

▶『OKINAWA1965』を紐解く3つのキーワード

祖国復帰行進

日本への本土復帰を掲げる広範な団体が、それぞれの主張の違いを脇に置き、「祖国復帰」という一点で共同した沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が、主催した初の統一した行進運動。復帰協には、沖縄人民党、社会党、社会大衆党などに加え、保守系の会派も参加。労働組合や県内各地の青年団や婦人連合会、宗教者の団体も参加していた。

1964年に初めて行われた祖国復帰行進が、復帰協としてのコンセンサスを取れずに、沖縄人民党だけが取り組んだ結果、米軍の弾圧を受けたため、「祖国復帰の思いは共通。取り組むなら、やはり統一してやるべき」という声が強まり、1965年に実現。嬉野さんはこの初めての祖国復帰行進に参加している最中、米軍トラックによる女児轢殺事件の写真を撮影した。


人間らしい生き方を求めて~阿波根昌鴻さんと非暴力平和運動~

嬉野さんが沖縄の中でも大切にしている場所がある。

伊江島の一般財団法人「わびあいの里」だ。

ここには反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」があり、戦争と基地被害の証拠が所狭しと並べられている。

「ヌチドゥタカラの家」は農民の立場から非暴力平和運動を提唱し、基地反対闘争の先頭に立ってきた故・阿波根昌鴻さんが1992年に建立した平和をつくる実践活動の拠点である。

非暴力平和運動はその名の通り、暴力に頼らず、話し合いによって問題を解決していくというもの。

沖縄戦やその後の様々な運動による経験で「暴力は何も生まない」と実感した阿波根さんの精神が産んだ運動方針である。

「ヌチドゥタカラの家」には、福祉施設「やすらぎの家」が併設されている。

障がいを持った人間にも老いた人間にも優しくなれる福祉の精神を持った社会づくりこそ、平和への第一歩であるという理念で造られた場所である。

阿波根さんは「福祉と平和の村」を目指していたのだ。

平和運動と福祉というと全く別なもののように思ってしまうが、よく考えて見ると両方とも、思考する能力と理性を持った「人間」でなければ出来ないもっとも「人間らしい」思考と言っても過言ではない。

まさに憲法9条(反戦平和)や憲法25条(社会保障)の精神を具現化しようとする精神がここにはある。


アレン・ネルソン~『沖縄に基地はいらない』を提唱した元・米軍海兵隊員~

元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1966年に沖縄のキャンプハンセンで訓練を受けて、ベトナム戦争に投入された。1995年に起きた12歳の少女レイプ事件について、自分で調べ、沖縄の基地が以前にもまして強化されていることを知り、翌年、沖縄で平和運動をしているグループに呼ばれる形で30年ぶりに沖縄を訪れた。アレンさんはアメリカで「沖縄駐留米軍をアメリカに連れ戻すネットワーク」を立ち上げ、年に一度はかならず沖縄に行った。

嬉野さんはアレンさんがこうした活動を日本でするのであれば、自分にできる手伝いをしたいと申し出た。アレンさんが日本で講演活動をするとき、ニューヨークから嬉野さんの家にやってきて、講演に出かけていく。移動の合間には嬉野さんの家で休息する。嬉野さんは、東北、甲信越、関東近辺は講演主催者との連絡も引き受け、会場まで案内していた。


嬉野京子(報道写真家/ディレクター)
◉ Profile
1940年東京都出身。著書に『沖縄100万の叫び-嬉野京子写真集』、『戦場が見える島 沖縄 50年間の取材から』(ともに新日本出版)等。2016年JCJ特別賞を受賞。
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   『●日本国憲法第九条「国権の発動たる戦争と、
      武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する」
    「《NNNドキュメント’15》の番組案内『9条を抱きしめて 
     ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』」
    《戦後70年、日本は国家として他国民を誰一人殺さず、
     また殺されもしなかった非戦を貫けたのは、戦争の放棄を定めた
     憲法9条があったからにほかならない。戦争は、国家間の争いだが、
     実際に戦闘に携わるのは紛れもなく人間。人殺し、殺し合いに
     他ならないアレン・ネルソンさん。ベトナム戦争に従軍した
     元米海兵隊員だ。戦場で数えきれないくらいの人を殺害し、
     帰還後PTSDに苦しめられるが、自らの過ちを認めることを
     きっかけに立ち直った。96年から日本で講演活動を開始した彼が
     最も大切にしたのが憲法9条暴力的な方法に頼らない唯一の道は
     9条の理念にあると訴え続けた。ネルソンさんの半生、証言を通し、
     9条’が日本で、そして国際社会で果たしてきた役割、意味を問い直す》

 沖縄の心は踏みにじられっぱなし。ストロンチウムは頭上をかすめ飛び、《生物多様性の生きた教科書》な沖縄の「森」や「海」を何の躊躇もなく殺しっぱなし。さらには、沖縄に番犬様を押し付け、基地の恒久化を「謀る」。「統合エアシーバトル構想」のために戦争の「防波堤」を押し付ける…。(島袋文子さん)《それをやっているのが今の安倍である/戦争のできる国を作りだそうとしている》。司法の正義は機能せず、「本土」は無関心…。
 《沖縄の人たちは逃げられない》《今も続く沖縄と本土の“溝”》…何も変わりなし。

   『●消された放射能汚染: 米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件
   『●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの機体に
            ストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
   『●「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件」でも
        「沖縄は放ったらかし」……アベ様らは、今も、沖縄差別継続中
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
        そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●高江ヘリ「墜落」、何時もの如く「見え透いた
      “茶番劇”が再び繰り返されるようなら、事故はまた起きる」
   『●「在日米軍特権」…《事故の検証すらできない日本は
         むしろ、法的従属を“放置”した国家》<金口木舌>
   『●ストロンチウム内部被曝…翁長雄志知事「悲しい、悔しい。
                 沖縄にとって“国難”とはこういった状況だ」
   『●本土ではアベ様が「さらなる強硬手段に出る権力基盤を手に」し、
                       《強烈な異義申立》が続く沖縄は無視…
   『●沖縄の心は踏みにじられっぱなし…
      「在日米軍特権」「日米共犯」の下、《牧草地から土をどっさり》と盗難

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-606578.html

<金口木舌>27度線の分断
2017年11月2日 06:00

 黒い車輪のブレーキ痕の上に幼い女の子があおむけに倒れ、うなだれている。それを軍服の米兵たちが取り囲む。少女れき殺現場を映した1枚の写真は全国に衝撃を与えた

▼1965年4月。撮影した東京都の写真家、嬉野京子さんは「祖国復帰行進団」の中にいて、事件に遭遇した。撮影するため現場に近づくと、行進団メンバーに制止された

▼行進団は米軍の弾圧を恐れたのだ。メンバーは嬉野さんに二つの条件を付けた。米兵に隠れて撮ることとフィルムを団に預けることだ。その結果、写真は白日の下にさらされた

▼2年後、嬉野さんは伊江島土地闘争の団結道場を取材し、米軍に拘束された。尋問した憲兵は「嬉野さんですね」と断定し、殺害をほのめかす脅迫をしたという。伊江島の住民は米兵の監視の目をくぐり、彼女を逃がした

▼東京へ向かう飛行機の中で嬉野さんは27度線を越えるまで強い恐怖に駆られたという。同時に自身のふがいなさと悔しさが胸に湧いた。「自分は逃げられるが沖縄の人たちは逃げられない

▼嬉野さんの写真と証言を基に沖縄戦後史をつづった記録映画「OKINAWA1965」が東京で公開された。試写会で「映画を広めてほしい」と語った嬉野さん。胸中には27度線上で、ひき裂かれた自分に気付いた時の悔しさが残る。今も続く沖縄と本土の“溝”に思いを重ねて。
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コメント
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