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●《沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」》…「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」

2019年09月13日 00時00分03秒 | Weblog


阿部岳記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]八紘一宇の塔】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/459522)。
同紙の【社説 [ 昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460401)。
琉球新報の【<社説>昭和天皇「拝謁記」 戦後責任も検証が必要だ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html)。

 《▼よく見ると、土台部分には「南京」や「河北省」の文字がある。礎石は侵略した地域からも集められた。中国の博物館が4年前に返還を求めたものの、管理する宮崎県は「塔の取り壊しはできない」と断っている ▼実は、八紘一宇の文字は敗戦後、米軍の指摘を受けていったん削られた。ところが65年にはもう地元経済界主導で復元された。名前だけは平和の塔と呼び換えられた》。
 《改憲による再軍備の必要を主張…。…資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある》。
《本土で米軍基地反対闘争が起きていた1953年、昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる…」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(引用部は一部原文のまま)などと述べていた。 昭和天皇が47年、米軍による沖縄の長期占領を望むと米国側に伝えた天皇メッセージの根本にある考え方と言っていいだろう。沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある》。

   『●類は「ト」を呼ぶ、朱に交われば「ア」になる
        ~三原じゅん子議員「八紘一宇」予算委発言~』 


 琉球新報のコラム【<金口木舌>「一部の犠牲」はやむを得ないか】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-975540.html)によると、《昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之(これ)がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる」と述べ、代わりに補償するしかないと論じている…▼75年の訪米後の会見で昭和天皇は、広島への原爆投下を遺憾としつつ「戦争中であることだから、どうも広島市民に対しては気の毒だが、やむを得ない」と答えた…だが一連の言葉からは「一部の犠牲はやむを得ないとの観念は共通して持ち続けていたことが分かる》。

 《戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した》。沖縄イジメの原点。
 《沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」》が。「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」…それを沖縄に押し付けた、その原点だ。

 「八紘一宇の塔」(「平和の塔」)。「忠魂碑」や「教育塔」が思い出された。

   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(1/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(2/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(4/4)
   『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~
   『●「敗戦特集」 『週刊金曜日』
     (2014年8月8日・15日合併号、1003号)についてのつぶやき
    「境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 
     「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「原体験としての
     箕面忠魂碑違憲訴訟…父・(さとし)さんと母・玲子さん…父の後を
     継ぐように、進行中の訴訟に原告補助参加人として加わった」。
     『ドキュメント 憲法を獲得する人々』…。「違憲判決を出したがために、
     抜き身の日本刀をもった男に襲われそうになった古崎慶長裁判長の
     存在は、神坂さんが裁判官を志望する強い動機の一つになった」…。
     本誌に連載された田中伸尚さんの名著『反忠 ~神坂哲の72万字~』」

   『●「教育再生」という名の教育破壊…「子どもから変えていこう
                  という動きは実に悪賢い」(小澤俊夫さん)
    「教科書検定や「ト」な歴史教科書の採択強要 ハタやウタの強制
     道徳の教科化(文科省道徳教育教材『わたしたちの道徳』)、
     教育勅語の復活、古くは忠魂碑訴訟現代の教育破壊は着実に
     進む…。大変に憂慮すべき現状なニッポンの教育環境」
    「《戦争屋》のアベ様らには、侵略戦争への反省も無く、壊憲して再び
     「戦争のできる国」へ…、《自分たちの加害をはっきり残し
     『もう絶対にやらないと世界に約束している》ドイツと彼我の差。
     そして今、「教育再生」という名の教育破壊が進む。札束で頬を
     打つように、最高学府の研究・教育にまで侵食」

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/459522

[大弦小弦]八紘一宇の塔
2019年8月19日 07:25

 今年の8月15日は宮崎市にいて「八紘一宇(はっこういちう)の塔」を訪ねた。仰ぎ見る36メートルの存在感。何より、侵略戦争のスローガンが21世紀の空に突き立っていることに圧倒される

▼刻まれた八紘一宇は「世界を一つの家にする」意味。神武天皇の伝説に由来し、宮崎はゆかりの地とされる。塔は太平洋戦争を始める前年の1940年に建てられ、日本主導の世界秩序実現を宣伝した

▼よく見ると、土台部分には「南京」や「河北省」の文字がある。礎石は侵略した地域からも集められた。中国の博物館が4年前に返還を求めたものの、管理する宮崎県は「塔の取り壊しはできない」と断っている

▼実は、八紘一宇の文字は敗戦後、米軍の指摘を受けていったん削られた。ところが65年にはもう地元経済界主導で復元された。名前だけは平和の塔と呼び換えられた

塔の姿が、日本と二重写しになる。大日本帝国は崩壊し、「平和国家」に生まれ変わったことになっている。しかし実態はどうか。元首だった昭和天皇は皇位にとどまり、戦犯が首相になった。日本は本当に変わったのか、周辺国の信頼はいまだに得られない

自民党議員の一部は八紘一宇を「建国の理念」「家族主義」などと称賛し続けている。空っぽな戦時スローガンが繰り返しよみがえり、平和国家の空っぽな内実を問うている。(阿部岳
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460401

社説 [昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想
2019年8月21日 08:39

 戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇の言葉や、やりとりの様子を克明に記した「拝謁(はいえつ)記」が見つかり、内容の一部が公開された。

 昭和天皇が戦争への反省を表明しようとしていたことや、改憲による再軍備の必要を主張していたことが明らかになった。

 拝謁記は田島が、宮内庁(当時は宮内府)長官に任命された翌年の1949年2月から退官した53年12月の間に昭和天皇とのやりとりを書き留めたものだ。手帳やノート18冊分になる。

 その一部を、保管していた遺族から提供されたNHKがメディアに公表した。

 昭和天皇との対話を詳細に記録した貴重な資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。

 「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある。

 53年といえば、米軍統治下にあった沖縄では、米国民政府の「土地収用令」が公布され、「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まったころだ。

 本土でも米軍基地反対闘争が起こっていた。反基地感情が高まり、本土の米海兵隊の多くが沖縄に移転した。

 「一部の犠牲が沖縄に負わされる形で、今も、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約70%が固定化されている。

 国の安全保障を沖縄が過重に担う現在につながる源流ともいえる言葉だ。

    ■    ■

 戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。

 47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した

 今回明らかになった一部の犠牲はやむなしの思考はこれらに通底するものだ

 米軍の駐留について「私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」(53年6月)と語ったとの記録もあり、今につながる米国とのいびつな関係性を想起させる。

    ■    ■

 昭和天皇は、日本の独立回復を祝う52年5月の式典への言葉に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と語ったという。 「戦争を御始めになった責任があるといはれる危険がある」と当時の吉田茂首相に反対され、削除された。

 昭和天皇がこのときに戦争責任を認め、反省を表明していれば、植民地支配したり、侵略したアジア諸国に対する戦後の外交も違ったものになっていたのではないか

 拝謁記で明らかになった事実は、歴史の空白を埋める新たなピースだ。戦争責任を巡る反省は今なお日本の問題として目の前にある
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html

<社説>昭和天皇「拝謁記」 戦後責任も検証が必要だ
2019年8月21日 06:01

 初代宮内庁長官の故田島道治氏が昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」の一部が公開された。それによると、本土で米軍基地反対闘争が起きていた1953年、昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる…」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(引用部は一部原文のまま)などと述べていた。

 昭和天皇が47年、米軍による沖縄の長期占領を望むと米国側に伝えた天皇メッセージの根本にある考え方と言っていいだろう。

 沖縄を巡り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある歴史を正しく継承していく上で、これらの検証は欠かせない。

 45年2月、近衛文麿元首相が国体護持の観点から「敗戦は必至」として早期和平を進言した。昭和天皇は、もう一度戦果を挙げなければ難しい―との見方を示す。米軍に多大な損害を与えることで講和に際し少しでも立場を有利にする意向だった。

 さらに、45年7月に和平工作のため天皇の特使として近衛元首相をソ連に送ろうとした際には沖縄放棄の方針が作成された。ソ連が特使の派遣を拒み、実現を見なかった。

 そして47年9月の「天皇メッセージ」である。琉球諸島の軍事占領の継続を米国に希望し、占領は日本に主権を残したまま「25年から50年、あるいはそれ以上」貸与するという擬制(フィクション)に基づくべきだ―としている。宮内府御用掛だった故寺崎英成氏を通じてシーボルトGHQ外交局長に伝えられた。

 既に新憲法が施行され「象徴」になっていたが、戦前の意識が残っていたのだろう。

 これまで見てきたように、昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3度切り捨てられている。根底にあるのは全体のためには一部の犠牲はやむを得ないという思考法だ。

 こうした考え方は現在の沖縄の基地問題にも通じる

 日本の独立回復を祝う52年の式典で昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたところ、当時の吉田茂首相が反対し「お言葉」から削除されたという。だからといって昭和天皇の責任が薄れるものではない。

 戦争の責任は軍部だけに押し付けていい話ではない。天皇がもっと早く終戦を決意し、行動を起こしていれば、沖縄戦の多大な犠牲も、広島、長崎の原爆投下も、あるいは避けられたかもしれない

 「拝謁記」で、昭和天皇が戦前の軍隊を否定しつつも、改憲による再軍備を口にしていたことは驚きだ。憲法99条は天皇や国務大臣など公務員に「憲法尊重擁護の義務」を課している。象徴である天皇自身が憲法改正を主張することは許されないはずだ。

 「拝謁記」で明らかになった昭和天皇の発言が、現政権による改憲の動きに利用されることはあってはならない
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●「敗戦特集」 『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号)についてのつぶやき

2014年08月11日 00時00分05秒 | Weblog


週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号)について、最近のつぶやきから、AS@ActSludge。

 今週のブログ主のお薦めは、境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】と三宅勝久さん【政調費で靖国参拝の杉並区議 国連報告を〝曲解〟】。

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■①『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 「敗戦特集」。「終」戦ではないところがミソ。奈良本英佑氏【パレスチナ・ガザ 死者は一般市民1800人以上、国連の学校も攻撃するイスラエル 非対称の一方的虐殺】、「中東最強の軍隊・・当事者の立場や力の間にそれなりの対称性がある場合にだけ通用する」

■②『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 藤原亮司氏【イスラエルの兵器開発に日本も加担 圧倒的な軍事力による抑圧】、「「共同研究・開発」には、兵器開発が含まれない理由はない・・「防衛装備移転三原則」」。戦争でお金儲けをする「死の商人」に成り下がった我国(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/09b33c5cb2343b93e0213b839b896773

■③『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 藍原寛子氏【原発事故で東電元幹部の責任めぐり検審が判断 検察は再捜査・処分再検討へ】、「無責任体質は変わらず、被曝線量限度引き上げも・・被曝の「自己責任」化・「個人責任」化が加速」。世界一の無責任(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/1f7015c54ba2555c7e39252bc3da8794

■④『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 横田一さん【政府、劣勢の沖縄県知事選対策か 佐賀県にオスプレイ配備要請】、「県外や国外・・「辺野古」地区に固執するのは、防衛予算増額や埋め立て利権のためとしか・・」。丸腰の市民に掃海母艦を派遣する野蛮な国(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/d3a5b0693972f7fcde981dcf111b31b7

■⑤『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 三宅勝久さん【政調費で靖国参拝の杉並区議 国連報告を〝曲解〟】、「吉田あい区議会議員・・を「タクシー参拝」したほか、靖国を参拝しない閣僚は日本から出て行ってほしい――という趣旨のことも公言」。一体誰が投票!?

■⑥『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 【大村アスカの政治時評/今度は「たくましい国」 安倍首相の想像力欠如】、「今度のキャッチフレーズは・・だそうである。冗談ではない。・・閣議決定したあと、7月の講演での話である」。「勇ましい国」でしょ?(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/c5aecf5f3f80e3bdca64d1b8b6603ed0

■⑦『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 伊田浩之氏【野中広務・元官房長官が集団的自衛権反対で熱弁 「憲法でできた内閣が憲法を無視し解釈を変えるのは本末転倒だ!」】、「公明陥落の背景・・沖縄の痛みを実感」。「憲法があり、9条があったからだ」http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/b5ec237ffa622e58275db9253f8da9b5

■⑧『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「しかしその後も神坂さんは、任官のための模索を通じ、裁判官人事政策の不透明性を鋭く批判してきた。その原動力とは。・・」

■⑨『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「原体験としての箕面忠魂碑違憲訴訟・・父・(さとし)さんと母・玲子さん・・父の後を継ぐように、進行中の訴訟に原告補助参加人として加わった」。『ドキュメント 憲法を獲得する人々』(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/317369791dbecc7b1133e0240f72dab7

■⑩『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「違憲判決を出したがために、抜き身の日本刀をもった男に襲われそうになった古崎慶長裁判長の存在は、神坂さんが裁判官を志望する強い動機の一つになった

■⑪『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】。本誌に連載された田中伸尚さんの名著『反忠 ~神坂哲の72万字~http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/a011de065501922e6e65f94475e131f9http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/14ba130b1ae4929833c0ecf6cbbcbd59、・・)

■⑫『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】。本誌に連載された田中伸尚さんの名著『反忠 ~神坂哲の72万字~(・・、http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e6a973d3a905804e4fdd4bb0c1c16f3dhttp://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e2824d5e1e5ec02c7dfd24a21d963912

   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(1/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(2/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)
   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(4/4)


※「かみさか なおき・1963年大阪府生まれ。予備校講師。大阪市立大学法学部法学科卒。91年に司法試験合格。2年間の司法修習(当時)を経た94年、裁判官を志望したが、最高裁から任官拒否される。小学6年時に両親が始めた一連の「箕面忠魂碑違憲訴訟」に参加したことが主たる理由とみられた。同年、最高裁を相手取って任官拒否処分取消を求める行政訴訟を、翌95年には国を相手取った損害賠償請求訴訟を提起したが、いずれも敗訴確定」

■⑬『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「最高裁は、拒否理由を一切公開していない・・「箕面忠魂碑違憲訴訟」・・明らかだ。言いかえれば思想・信条による差別的取り扱いである」

■⑭『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 境分万純氏【任官拒否から20年神坂直樹さんに聞く 「裁判官になれない理由」を問いつづけ】、「いち早く神坂さん支援を表明した寺西和史・・井戸謙一・・「即位の礼・大嘗祭違憲訴訟」控訴審で、実質的な違憲判決を書いた左陪審

■⑮『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 【西岡由香☓石坂啓 漫画家対談「権力者(あいつら)を喜ばせるものは描きたくない」】、「「ピョンタくんの楽しい戦争」と「さらん日記」」「面白く読んでもらって、でもそこに反権力を練り込めるのが漫画――石坂」

■⑯『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 渡部睦美氏【取材も署名もなしで北朝鮮批判ニュースをネット配信 2ちゃんねる化する『産経新聞』の報道精神】、「ネット部門の別会社化が温床・・『毎日新聞』の英語報道サイト・・問題も、似た構造が生み出した」

■⑰『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 山口正紀さん【「福島を忘れさせない」報道を 原発再稼働阻止へ】、「「住民の避難計画を作るより、『原発の方を避難させよ』と言いたい」・・井戸川克隆・前双葉町長・・考えてみれば、当たり前の話ではないか」・・

■⑱『週刊金曜日』(2014年8月8日・15日合併号、1003号) / 山口正紀さん【「福島を忘れさせない」報道を 原発再稼働阻止へ】、「安倍政権が川内原発を突破口に全国の原発を再稼働しようとするのは、「安全な原発」を海外に売り込む一方、プルトニウム=「核武装能力」を手放したくないから
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●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(2/4)

2008年03月10日 18時35分10秒 | Weblog
田中伸尚著、『反忠 ~神坂哲の72万字~』】
神坂さんは「勝訴をほとんど確信」していたそうである。「・・・神坂さんという個性と古崎さんという個性がぶつかり合って」、そして、「司法の反動化の中で古崎という珍しい硬骨裁判官と、滾(たぎ)るようなパトスを持った戦闘的な平和の論客、哲との出逅いがスパーク」した結果 (p.428) だった。直樹さんは、「古崎慶長という裁判官の姿勢」に大きく感化されている。原告勝訴の判決を出した後、古崎さんも、嫌がらせや脅迫の電話・手紙を受けており、日本刀を持った暴漢に襲われかけたこともあるそう。でも、新聞のインタビューで「裁判官は良心に従い法解釈するだけで一切妥協しない」「私を殺しても判決は変わりませんよ」としつつ、「裁判官はそれぞれの個性を生かし、慣行や圧力に屈せず、独自の判断を下すことが、司法における『言論の自由』であり、真の司法の独立だ」、と述べたそうである。
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