阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

駅や図書館へ行く路傍の家々の前の花が美しい

2022年05月26日 | 花・草・木・生き物

 

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唐津市街を「領布振山」(鏡山)から見る  肥前の旅その10。      13年前の今日  2009年5月26日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年05月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

海抜284mの「領布振山」(ひれふりやま)に登ると眼下に「虹の松原や唐津市街地及び唐津湾」が見えました。

唐津の町は緑が多く、落ち着いた雰囲気の歴史のある町でした。
 唐津くんちの曳山14台を唐津神社の西隣にある「曳山展示場」で見ました。
この画像はwebから借用。

長さ5kmあるという「虹の松原」は見事なものでした。一本の松くい虫の被害もないというのは、自然環境の良さと樹勢の強さの両方でしょう。

 

河口の先端に遠くこんもりと緑の塊りが見えますが、ここに唐津城があります。


唐津城から見えるこの島の向うに壱岐対馬が見えるそうです。


この展望台の笑顔が語るように、肥前の旅はこのスポットで楽しくお開きになりました。



肥前の国の観光スポットの選択や宿の予約など事前に、一手に準備してくれた中尾君ありがとう。

関西からの切符手配をまとめてくれた小川君ありがとう。そして全行程の運転、お二人さんお疲れ様でした。

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阿智胡地亭には実体がなかった。

2022年05月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2008年02月10日(日)  「阿智胡地亭の非日乗」掲載


寒い日が続き雪が降ったりもするので、前に買って積んでおいた本を続けて2冊読みました。

全然別のジャンルだと思っていたのですが、読んでいたら、両方の本に「阿智胡地亭には実体がない」と取れるような文章が出てきました。いまさらそんなこと言われても・・

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 
講談社現代新書2007年12月5日第13刷

「生物とは要素が集合して出来た構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。」p154


「よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき、〔お変わりありませんね〕などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、

分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。かってあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。

 肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外部と隔てられた個物としての実体があるように感じている。

しかし、分子のレベルではその実感は全く担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。

しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出て行く分子との収支があわなくなる。」p162~p163

「現代語訳般若心経」玄侑宗久 

ちくま新書2006年9月10日第1刷

「つまりあらゆる物質に自性はなく、単独で固定的に実在するものではない、ということです」p042

「世尊が宇宙にも実体はないと考えたということです。

実体はないと言っても、内部では絶えざる変化が繰り返されています。その絶えざる変化こそが宇宙の創造原理です。

ある意味では、人間も一つの宇宙です。常に無限の関係性のなかで変化しつづけています。」p053

紀元前5世紀に仏陀が気付かれたことと、1940年代から現代までの分子生物学が気付いたことのよく似ていること。

    もう一年以上会っていない紅(こう)さんも、もう前の紅(こう)さんではないと思うと、未練は断ち切った方がいいのかも! 

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5月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

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竹橋のパレスサイドビル地下の洋食店「タカサゴ」の二回目はヒラメのフライを食べに行った。

2022年05月25日 | 食べる飲む

前回行った時は相方がめざした「ヒラメのフライ」は時間的に既に売り切れで残念な思いをしたので 今回は開店時間早々の11:40分ごろ着くように行った。

「ヒラメのフライ」は人気アイテムらしく 入ってくるサラリーマンの多くがオーダーしていた。

私はエビフライをオーダー。立派なエビだった。

ゆっくり食べ、大満足で店を出るともう入店待ちの人がいた。

パレスサイドビルには毎日新聞社が入っているのでこうしてその日発行の新聞が掲示されている。

 

 

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詩 「子供について」    カリール・ジブラン

2022年05月25日 | 音楽・絵画・映画・文芸

「こどもについて」

 あなたのこどもは、あなたの子ではありません

絶えることなく続こうとする生命、それが息子や娘になったのです

こどもはあなたを通過する存在であり、あなたから生じた存在ではありません

こどもはあなたと共にいますが、あなたに属しているわけではありません

こどもに愛を与えることはあっても、あなたの考えをおしつけてはなりません

こどもにはこどもの考えがあるからです

こどもの体を家に住まわせることはあっても、こどもの魂までをそうしてはなりません

こどもの魂は未来という家に住むからです

その家をあなたは訪れることはできません。たとえ夢の中であっても

あなたがこどものようになろうとすることはあっても、こどもをあなたのようになるよう強いてはなりません

命は過去にさかのぼることも、留まることもできないからです

あなたは弓です。そこからあなたのこどもが生きた矢となって、解き放たれるのです

神の射手は無限の道の彼方にある的を見

神の力を使ってあなたをしならせるのです

その矢が勢いよく遠くまで飛んで行くように

あなたが射手の手によってしなることを喜びとしなさい

なぜなら、神は飛んでいく矢を愛しているだけでなく

そこに留まっている弓をも愛しているからです。    

 カリール・ジブラン『預言者』より

英文

On Children by Kahlil Gibran

Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life’s longing for itself.
They come through you but not from you,
And though they are with you yet they belong not to you.
You may give them your love but not your thoughts,
For they have their own thoughts.
You may house their bodies but not their souls,
For their souls dwell in the house of tomorrow,
which you cannot visit, not even in your dreams.
You may strive to be like them, but seek not to make them like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.
You are the bows from which your children as living arrows are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite,
and He bends you with His might that His arrows may go swift and far.
Let your bending in the archer’s hand be for gladness;
For even as He loves the arrow that flies, so He loves also the bow that is stable.

引用元。

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5月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

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東京都北区にある旧古河庭園のバラ園が3年ぶりに公開された。   その四    京浜東北線 上中里駅と平塚亭

2022年05月24日 | 東京あちこち

旧古河庭園への往路は 歩くのに一番近い 京浜東北線 上中里駅からのルートを取りました。

駅からは平塚神社の横の蝉坂を上りますが 上り切った所の神社の入り口に、ドラマ「おかしな刑事」で毎回必ず登場するお団子屋さんの平塚亭があります😉。

 ドラマではそこの庭の緋毛氈の掛かった縁台で、伊東四朗と羽田美智子の親子がお団子を食べながら事件の話し合いをするのですが、

実際のお店はテイクアウトのみで、お団子は買って帰って家でたべました😋。 コンビニの和菓子と違って、昔ながらの材料で昔ながらの作り方で

造られた みたらし団子や柏餅は 防腐剤が入っていないのがわかるのか 5歳児もおいしいと喜んで食べました。

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イケン判断はイケンぞなというイケンもあるが・・

2022年05月24日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2008年04月18日(金) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載


航空自衛隊のイラク派遣は憲法9条に違反と名古屋高裁が判断したそうです。記事の全文はこちら。

 「自衛隊イラク派遣差し止めなどを求める集団訴訟の控訴審判決のなかで、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は17日、

航空自衛隊が首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示した。

ただ、結論は原告側の敗訴とした。

各地で提起された同種訴訟で違憲判断が示されたのは初めて。「実質的な勝訴判決」と受け止めた原告側は上告しない方針を表明している

勝訴した被告の国側は上告できないため、今回の高裁判決は確定する見通しだ。 」asahi.comから一部引用。

〈憲法9条1項〉(戦争の放棄) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

担当の裁判長はこの3月31日で定年退職とか。

この判決で一番喜んでいるのは、お国が下請け仕事を引き受けたため、思いがけず知らぬ他国で日々輸送業務をやっている航空自衛隊員の家族かも。

事態は変わらないらしいが、違憲と公にされたことで、日本の現憲法下で、ある意味軍事的関係では安定している中国や韓国、アジアの各国が一番安堵しただろう。

彼らは日本の武力の運用範囲がなし崩し的に拡大するのを恐れているからだ。

こうしてみると、アメリカの国益次第でいいように日本の国益が左右されるのをかろうじて制動している現在の日本国憲法は、世界の一定の平和のためにも、

当時の日米の制定者たちが予想もしなかった貢献をしているのかもしれない。

一方この判決が出たことで、憲法を変えたいという一派のアクションがもっと大きく動き出すだろう。

どんな大義をふりかざそうとも憲法を変えた方がお得になる方々、集団、組織、企業群があるのでしょうが、

「粘菌俗」の阿智胡地亭には、現在の憲法を変えて得をすることはただの一円もありません。

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5月23日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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大分県・国東半島の「平川農園」さんから頂いたグリーンピースとツタンカーメン。豆ごはんがおいしい。

2022年05月23日 | ある日の肴/夕食

大崎のゲートシテイに向っている車中の錦糸町駅の手前で携帯が鳴った。平川さんから宅急便を送ったという電話だった。

届いたグリーンピースとツタンカーメンは瑞々しくて見事な出来だった。

早速豆ごはんと

グリーンピースとツタンカーメンとベーコンとポテトの蒸し炒めを頂いた。旨かった。

頂いた豆はもう一軒にもお裾分けでまわりやはり豆ごはんを楽しんだそうだ。

    ■ツタンカーメンのエンドウ豆(古代エンドウ豆)とは

●古代エジプトに馳せるロマン

 この濃い紫色のさやをしたエンドウ豆は、古代エジプトのツタンカーメン王の墓から出土した豆の子孫といわれています。

1922年にカーター氏がツタンカーメンの墓を発掘した際に数多くの副葬品の中から見つかったとされ、それを持ち帰ったカーター氏が発芽、栽培に成功し、

「ツタンカーメンのエンドウ豆」として各地に広めたとされています。

 日本には1956年にアメリカから伝わり、古代エジプトにまつわるエンドウ豆として主に学校関係など教育機関を中心に広がったようです。

 3000年も大昔の豆がはたして生きていたのかどうか、その真偽はともかく、ロマンを感じさせてくれるエンドウ豆で、いろいろな種苗メーカーから

「ツタンカーメンのエンドウ豆」として種が販売されています。

●ツタンカーメンのエンドウ豆の特徴と食べ頃の見分け方

 このツタンカーメンのエンドウ豆、蔓の様子は普通のエンドウ豆と変わらないのですが、エンドウの花が白いのに対して、このツタンカーメンのエンドウ豆の花は紫色をしています。そして何よりも、サヤの色が濃い紫色なんです。この紫色は熟すにつれ少し薄れて、地の緑色が透けて見えるような感じになってきます。そうなった頃が収穫時です。引用元

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 グリーンピースとツタンカーメンを宅急便で送って下さった平川さんとは お互い1995年1月の阪神淡路大震災を大阪支社勤務時代に体験した仲だ。

 会社で平川さんが所属した事業本部は東京・田無にあり、私も自分が所属した事業本部が東京・神田だったせいか、

大阪支社の各営業部の社内配置では 二人が所属したそれぞれの営業部は フロアーのはしっこの隣同士になった。

 二人は 出会ってすぐに互いに話をかわすようになり 定時過ぎに在社していて目が合えば 隣のビルの地下にある「小ぼけ」で飲むようになった。

他の人と飲む時より平川さんと飲む時は結構な量の日本酒を飲んでいたような気がする。薩摩人である平川さんは酒も強かった。

 呑み助同士ということで知り合ったが、彼も私も会社の「久富さん」という方をリスペクトしていたのも共通していた。

1997年に阿智胡地亭は大阪支社から広島の中国支社に転勤になったので、現役時代に一緒に飲むのはその時点で終わった。

 初めて飲みだしてから30年近く経ったが、互いにその後 退職してからも連絡を取り合って、機会があれば神戸、大阪、東京と一杯やるご縁が続いているのはありがたい。

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国語教師だった「大村はま」さんは「ノンちゃん雲に乗る」の著者「石井桃子」さんと同年生まれの人だった。

2022年05月23日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年04月06日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

石井桃子さんが亡くなった年齢を見て、ふと2005年に亡くなった大村はまさんが同年齢ではないかと思った。調べると早生まれか否かの違いはあるが、同学年のお二人だった。

二人の生涯に共通するのは幼年、少年少女たちに対する「言葉」を通じた働きかけだ。

大村はまさんは74歳まで現役の中学校国語教師として、日々工夫を重ねた国語教育に打ち込んだ。

99歳で亡くなる寸前まで推敲していた大村さんの詩がある。

優劣のかなたに
                    大村 はま

優か劣か  
そんなことが話題になる、
そんなすきまのない
つきつめた姿。
持てるものを
持たせられたものを
出し切り
生かし切っている、
そんな姿こそ。

優か劣か、
自分はいわゆるできる子なのか
できない子なのか、
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れて、
学びひたり
教えひたっている、
そんな世界を
見つめてきた。

学びひたり
教えひたる、
それは 優劣のかなた。
ほんとうに 持っているもの
授かっているものを出し切って、
打ち込んで学ぶ。
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない、
優劣を忘れて
ひたすらな心で ひたすらに励む。

今は できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。

成績をつけなければ、
合格者をきめなければ、
それはそうだとしても、
それだけの世界。
教師も子どもも
優劣のなかで
あえいでいる。

学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。

                 大村はまさんの人となりはこちらです。

*大村はまさんが新卒の教師として勤めて 初めて受け持った諏訪の二葉女学校のクラスに阿智胡地亭の亡母がいた

 

2008年04月05日(土)石井桃子さんが101歳で亡くなった。

石井桃子さんは私の中では長い間「ノンちゃん雲に乗る」の著者としてあった。

しかし後年知ったところでは「クマのプーさん」や「ピーター・ラビット」の翻訳者であり、また海外のたくさんの児童文学の翻訳をされた人でもあった。

小学校の何年生のときに彼女の創作小説「ノンちゃん雲に乗る」を読んだのかはもう覚えていない。また、どんな内容だったかももう殆ど覚えていない。

ただ、この本を読んで50年以上前に子どもながら初めて知ったことが二つある。

一つは、「いやなんだ、いやなんだ、誰がなんて言っても、私がいやだから、いやなんだ」と彼女が泣きながら言う場面が本の中にあった。

確か、誰でもそれくらいのズルはしているから、それくらいはしてもいいんだよ、とお兄さんか友達が慰めてくれたことに対して、ノンちゃんが言ったのだと思う。

普通で言えばまあ許される範囲のことだから、問題ないよといくら人が言ってくれても、自分はそうするのがイヤだからいやなんだとノンちゃんは言う。

人にはそういう考え方もあるのだと初めて思った。

ことの善悪は親や他人が決めるのではなく、自分が決めるのだと。

二つ目は、「敵ながらあっぱれ」と言う言葉をこの本で覚えたことだ。確かノンちゃんも誰かから聞いて、その意味を問う場面があった思う。

子供心になんといさぎよい言葉だと思った。何回も声に出して言ってみるとますますステキな日本語に思えた。

彼女は明治の終わりに埼玉で生を受けて、男尊女卑の戦前の時代から平成の時代までまっとうにしゃんと生き通した。

本を読んで内容の全部を忘れても、本を読んだ後の自分は読む前の自分とは違っている・・ということが当たっているとすれば、

石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」に出会ったのはありがたいことだった。

石井桃子さんはこちら

 
 
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5月21/22日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東京都北区にある旧古河庭園のバラ園が3年ぶりに公開された。   その三      石造りの洋館はイギリス人の建築家コンドルの設計 

2022年05月21日 | 東京あちこち

上野の旧岩崎邸の洋館もコンドルの設計だ。

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宮崎学 著「ヤクザと日本 近代の無頼」を読む

2022年05月21日 | 乱読は楽しい
2008年02月29日(金) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載 

『ヤクザと日本』 宮崎 学 ちくま新書 2008 1月25日第2刷

著者の宮崎 学の「立ち位置」は作家・司馬遼太郎と全く逆だ。

日本の国の各時代を、それがどんな時代でも、格好悪くとも、何とか生きていかねばならない下層民の目で見ていく。

 例えば、戦国時代のオリジナルな「武士道」は、新渡戸稲造が言う、武士が公務員化した時代の「武士道」とは違うことを述べている。

本来の武士道は、近世ヤクザの「任侠道」と同じであったと。そしてその「任侠道」も近代ヤクザになって変わらざるを得なくなったとも。

時代と国家のありようの変化が、ヤクザの存在を変容させていく。そしてカタチを変えながら人の世にヤクザ機能は内在していく。

司馬遼太郎のお陰で、明治と明治以前の日本が、敗戦後の日本で生きる自分となんとかつながった。


 学校で習った日本史の時間は、縄文・弥生や平安・室町あるいは徳川時代までで、三学期になった頃教科書が入る明治大正昭和の近代史は駆け足で飛ばすか、

「時間がなくなったので後は自分で教科書を読んでおいてください」、で終った。

子供に聞くと彼らも同じだったと言う。自国の歴史、特に近現代史に疎い国民をつくる。

占領軍のこの占領政策の眼目の一つは今も成功をおさめているような気がする。(国は自国語と歴史で継続していく。

自国の歴史を知らない国民が住む国は独立国とはいえない)。その近現代史を司馬遼太郎から学んだ・・。

 とはいえ、彼の「立ち位置」は、「国民国家」の為政者側の立ち位置だ。

それはある意味、敗戦国があらゆる階層の国民の力により、猛烈な勢いで復活していく時代の勢いが要請したものでもあるのだろう。

司馬遼太郎全集を買って読んで、本当に面白かった。

 彼が同時代に作家としていてくれて良かったと思う。

 しかし、日本人の数から言えば、彼の「立ち位置」ではない「立ち位置」にいる日本人の方が圧倒的に多い。

つまり“赤紙の召集令状一枚”で日常生活から突然引き剥がされる階層に所属する人間と、召集する国家側の人間の「立ち位置」の違いだ。

司馬遼太郎は後者の「立ち位置」からの国民文学を彼の司馬史観で書いてくれた。

宮崎 学は、違う面から日本を見ている。

   彼は言う、土建業、港湾荷役、火消し、目明し、芸能・・、日本人の歴史には、いわゆるヤクザ稼業というものは、必然であったし、

暴力装置というのは権力にも反権力にもカタチを変えつつ今も機能していると。

歴史に裏側だけも表側だけもない。上流も下流もない。それらを全て含んだ全面が一国の歴史になっている。

目からウロコの本ではあるが、後半の山口組の叙述の部分は、同じ作者の「近代ヤクザ肯定論 山口組の90年」があるせいか、この本では粗っぽい内容に思えた。

   出版社の惹句から;

ヤクザとは何者なのか?法の支配がおよばない炭鉱・港湾などの最底辺社会に生きた者たちが、生きんがために集まり発展したのが近代ヤクザの始まりといえる。

 彼らの存在が日本社会の近代化を下支えしたという現実。日雇い派遣、ワーキングプアなど、あらたな下層社会が形成されつつある今こそ、

ヤクザの歴史を振り返ることで、現代社会の亀裂を克服する手がかりがみつかるにちがいない。

序章 ヤクザ観の相剋
第1章 ヤクザの源流―カブキ者から博徒まで
第2章 近代ヤクザの成立―川筋から、港から
第3章 親方・子方関係とヤクザ―下層労働力統括者としての近代ヤクザ
第4章 ヤクザと芸能の世界―周縁仲介者としての近代ヤクザ
第5章 ヤクザと近代国家―社会的権力としての近代ヤクザ
第6章 義理と人情、顔と腹―日本的社会関係と近代ヤクザ
第7章 山口組概略史―近代ヤクザ

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