フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

『西遊記』(岩波・中野美代子訳)

2008-08-28 16:07:23 | my library
あっと言う間にメルボルン滞在も最終日になりました。

今週に入ってようやく春の気配が感じられるようになって、久しぶりに冬らしかった雨のメルボルンも終わりというところで、日本に戻らなければなりません。

休暇中、中野美代子訳の『西遊記』を2巻だけ読んでいましたが(じつは80年代前半に最初の訳者が亡くなり、中野美代子が代わって完成させたものです。こういうことは結構あるのですね。ドン・キホーテの訳も同じ運命を辿っています)、いろいろストーリーということについて考えさせられていました。2巻の中盤に至ってようやく玄奘三蔵が現れるので、いったいそれまでの天宮での大騒ぎと五行山への幽閉、唐の皇帝の黄泉の国行きと生き返りなどはどのような意味を持つのかと思ったのです。しかし、もしこうした物語がなぜあるのか、なぜ物語るのかを考えるなら、そこにはきっと人が生きていくことと並行的な関係が現れているからに他ならないのだと思います。それは人生はいくつもの物語の重なりなのだということ、だからこそ作者はいくつもいくつも物語を語っていくのだと思うのです。

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