フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

別荘にあそぶ

2010-08-26 21:54:29 | Weblog
3週間余りのメルボルンはあっという間に終わってしまう。

例年よりずっと冬がつづいて、雨も多かった気がする。さくらやこぶしがようやく咲き始めているが、ここ2,3日はまた寒さがぶりかえしている。

メルボルンでふつうに生活をしたり、スーパーで買い物をしたりしていると、いわゆるイギリス系のオーストラリア人が多民族・多言語に寛容であることに感心する。こんなにたくさん、アジア系移民がきて、わからない言葉で勝手に話しているというのに、少しもいやな顔をせず、静かにつきあおうとしている。それはオーストラリアでもとびきり多文化がすすんだメルボルンだけの話かもしれないが、ぼくにはなかなか自然に振る舞えるとは思えない。

ほとんどアパートにいてコンピュータの前に座っていたが、とりあえず接触場面のコミュニケーションに関する論文の第1稿を書き上げ、それから長くなってしまった教室のfootingの論文の執筆がようやくはじまったところ。それぞれほんのすこしだけ思考がすすんだかもしれない。このへんのことはまたあらためて書くことにしたい。

先週末は最後の週末ということで、連れ合いの香港移民の友人がたてた別荘におじゃま。80年代半ばからメルボルン大に留学して哲学で博士をとって、数年、香港にもどっていたが、92年から移民になってこちらで暮らしている。だからもう18年になるのだと思う。移民としてながく暮らすのであれば、自然の中の別荘を購入して生活をたのしむのはごくしぜんなことだろうと思う。薪にするために木の根っこをオノで切ったり、それをストーブで燃やしたりしながら、みんなでオーストラリア総選挙の開票を見ていた。そして翌日は近くの川で釣りに挑戦。みんなでやってようやくうなぎが一匹つれたのはご愛敬だ。うなぎはなかなか死なないし、あごが強くてへたにさわると怪我をするというので、結局、冷凍庫で凍死させてしまった!

写真は帰り道で、道に迷って、相談に入った田舎の雑貨屋。いかにも古典的な風情がよろしい。
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Cityの小路

2010-08-23 17:15:57 | Weblog
先週金曜日は久しぶりにCityに出向く。英語学校に通う娘が放課後、ドイツ人のクラスメートとCityに遊びに行くというので、夕方、落ち合うことにしたのだ。

じつはメルボルンにいた頃から、その中心部を流れるヤラ川の西側のCityはほとんど歩いていない。ESLの本をそろえた本屋ぐらいしか用を思いつかなかったのだ。川の東側は植物園があったのでよく散歩したのだけど。

フリンダース駅はメルボルンの近郊電車のすべての始発駅だが、そこからヤラ川までの場所が再開発されている。茶色の岩を模したような外見の建物には、昔、アフリカ映画祭などを見に行ったState Film Theatreが、映画の歴史を見て楽しめる博物館に拡大して入っていたりする。ここ1週間ばかりはインドネシア映画祭をしているようで、この州営の映画研究所の精神はいまも健在。同じ建物の上の階には多民族放送局SBSがある。

メルボルンの天気はめまぐるしく変化することで有名だが、このときも突然、驟雨のような雨が落ちた。そしてすぐに青空が拡がり夕日が輝くというわけだ。

どこにいく当てもなかったので、メインの通りを少しだけ歩くが、意外に人であふれかえっている。横の道にそれ、建物の中にのびたアーケードからビルとビルの間のさっきの雨に濡れた小路に入った。

こんなところがあるとは知らなかったが、そこは最初はイタリアかスペインの小路っぽく、レストランのテーブルが置かれていたり、イタリアの封筒や立派な家族記録の台紙の売っている店があったりするが、道を隔ててつづく小路は微妙にアジア化して、暗くなると香港かどこかの小路の雰囲気だ。店は小路と一体化していてどちらからも自由に入ったり出たりできる。

とある店に入って、小路に向いてすわるカウンターに席をとった。窓というか、ただ矩形にあいた穴だけど、その向こう側にも店のテーブルがおいてあって客がすわっている。最近の流行でテーブルと窓のあいだにガス・ストーブがいかめしい煙突か行灯のようにおいてあって、暖かいのはいいが、これはエコじゃない。

となりにすわった人は大学院生風の青年で、一人で手書きの手帳をみて少し書き物をしたり、iPhoneで調べ物をしたりしていたが、簡単な食事をとって出て行った。その青年と横にかかっていた写真の人物がよく似ていておかしかったが、写真の人物がだれかは思い出せなかった。

翌日が選挙ということもあって、ここ1週間テレビや新聞は接戦の選挙の番組ばかりだったが、カウンターに座りながら前首相のRudd一家の話を思い出した。かれはオーストラリアの外交官として北京に長かった人だが、その娘は香港人の男性と結婚して、小説家になったという。元首相にはお兄さんがいて、お兄さんはベトナム戦争に従軍したのがきっかけでベトナム人の奥さんと結婚している。そのふたりの間に生まれた青年はチリから移民してきた女性と結婚していて、オーストラリアのPeople's revolutionary partyから民族差別反対をとなえて今回、立候補していたと言う。Rudd一族はまさにオーストラリアの片方の代表みたいな人々だったのだ。

しばらく向かいのレストランを眺めながら(向かいも窓も壁もなく、キッチンも食事のところも丸見えなのだ)、なんだか映画か芝居を見ている気がした。

紅茶を飲み終わって席を立ち、店のレジのほうをふりむいたとき、赤い木の壁に流れるようにLorkaと書いてあるのをみて、突然、写真の人物と結びついた。ガルシア・ロルカだったんだ。

こんなアジア風の袋小路みたいなところで出遭うとは思わなかった。ロルカはスペインの暗殺された詩人だけど、スペイン語がわからないぼくには彼の詩はさっぱりわからなかった。山口昌男さんが何本も論文を書いていたっけ。
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Springvale再訪

2010-08-16 09:03:27 | Weblog
Springvaleは、メルボルンの東の郊外にあって、昔からベトナム人の移民の町として知られている。アジアからの移民としては古株になる。

当時住んでいたときも、家から車で20分もかからないところだったのでときどき買い物にいったものだ。そこで久しぶりにベトナム料理を食べようと思って出かけることにした。メインの通りの両側は基本的に昔のままだ。漢字の看板も多いが、同様にあのヒゲのような音調を示すしるしのついたベトナム語の看板も少なくない。果物店、食肉店、魚屋、八百屋など小さな店が軒を並べている。メルボルンで一番上手にフランスパンを焼くベトナム人のパン屋もある。

裏のほうに車を駐車して、冷たい雨の中、ベトナム料理のレストランをさがす。多くの店は、蛍光灯を使っていて少し肌寒い感じがするのだが、1軒、暖かな電球色の光を使っているところがあったので、そこに入ることにした。ガラスのドアにはベトナム料理、カンボジア料理とある。店は細長くて、左がtake away用のカウンター、右は4人掛けのテーブルが奥まで並んでいる。前のほうで3人くらい、若者たちが注文の途中。そのあとにインテリ風の青年が一人。奥のテーブルに赤ん坊と若い母親、その母親の母親がいて、きっと常連なんだろう、賑やかに店の人と話ながら食事をしていた。

奥の方、赤ん坊のいるテーブルの隣に座って、料理の注文。メニューには写真がほとんど載っていないので、英語の名前をたどるけど、麺の種類や、ご飯もののパターンはマレーシアやシンガポールや香港とも共通している部分があるので何とかなる。アボカドジュースが有名だと聞いたのでそれを注文。これはアボカドにアイスクリームを少しまぜてシェイクのようにした感じで、なかなかいける。あとは卵麺とライス麺、それに娘は牛肉の揚げ物をのせたご飯の皿を頼む。

後ろのテレビではカラオケ番組の録画ビデオが流れている。バンドをバックに歌手が歌い、スタジオに集まった人々がダンスをしているもの。一見、アメリカのダンス・パーティー風だけど、仕草がおだやか過ぎるし、指がつい反って手首をひねるようにうごいてしまう。ヒゲの文字がスーパーで出ている。日本ならさしずめ演歌とダンスということになるだろう。

店のひとはみなやさしい。やさしい言い方とものごしで、しかも自然に近くにきてくれるような感じなのだ。

30歳ぐらいの店の男性がテーブルにきて、どこから来たのか、旅行者か、どのくらいメルボルンにいるのかとか聞いてくれる。日本と言うと、去年、新婚旅行で行きましたよ、寒かったよと答えてくれる。

もう一人の女性もやってきて話が続く。女性はカンボジアから移民したと言って、ここの料理はカンボジア料理が多いという。この店を新しく買ってレストランを開いたのだとも話してくれた。

雨が止んでいた。外に出て、窓に張られている手書きの紙の読めない文字を指していると、カンボジアの女性がガラス越しに発音を教えるように口を動かして笑っていた。

ベトナム料理を食べに行ってカンボジア料理を食べてきた。正直言って、注文したものはとくにカンボジア料理という感じでもなかった。しかし、お金を払い料理を食べる、ということ以上のことがあるから、ぼくらはレストランに行くわけだ。ウェイターにもウェイトレスにも移民の事情について聞くことは出来ないが、その夜実際にぼくらはよい食事をしたのだ。
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またもやメルボルン

2010-08-10 20:36:45 | Weblog
メルボルンに来て1週間経ち、ようやく生活が落ち着いてきた。冬の雨が数日続き、週末は快晴の空が広がったが、また雨雲が戻ってきた。この雨が少なくなれば冬の終わりとなる。

2年ぶりのメルボルンはとにかくアジア系住民の数が格段に多くなった印象。中国系はもちろんだが、韓国系も少なくない。ぼくもその中の一人として見られながらここにいる。

日本を発つ前に遅れていた査読を終わらせる。こちらに来て、提出直前の博論のコメントも何とか終了。成田で買った『考える人』(新潮社の季刊雑誌)で村上春樹インタビューを読む。これは3日間にわたるものでこちらも読了に3日かかった。

そして本当に久しぶりにシェークスピアのハムレット(岩波文庫、野島秀勝訳)を読み終わった。NHK教育でイギリスの現代風ハムレットの劇がやたら面白かったので再読し始めたのだけど、やはり魅了される。それでも、魅了されるのは王に命令されてイギリスに向かうところまでだ。命からがら戻ってきたハムレットはすでに決断して人が変わっていて、あとは筋書き通り運命の破局へと突き進むだけだからだろう。それまでの、ハムレットのあらゆる言葉がだれにどのように解釈されるかもわからない中で絞り出される、その冷たさはじつに恐ろしく、際立っている。彼は多義性の中で生き延びているが、やがて一義的な言葉をもって破局を選ぶことになる。

でも批評はやめよう。野島氏の訳注や解題を読んだだけでハムレット学がどんなに高く積もり、広がっているかよくわかるから、素人には魅了されたとしか言えない。
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あれから文芸部員はどうなったか?

2010-08-03 10:07:04 | Weblog
先週末は新宿で大学時代の友人たちとの飲み会に参加。

その前に、昨年12月に結婚したH氏のために銀座松屋で絵を物色。コレットというカナダ人画家のニューイングランドの風景版画を購入。明るい湖面を畔の家の外に置いたチェアーから眺めるもの。飲み会には奥さんも来られていて、聞いてみるとハーバードに2年いたと言っていたのでこの風景版画もちょうどよかった。

さて集まったのは、鉄骨専門誌記者のH氏、経営コンサルタントでメガバンクの重役相手に講演をするM氏、精神科医で大学教授のY氏、北京大卒のH氏の奥さんで国際経済が専門の大学教員M女史、そして私。経済派が3人、コミュニケーション派が2人と相成った。

話題はなぜかグローバリゼーションから始まった。日本経済、とくに銀行はどうしようもないですよとM氏。韓国はすっかりグローバリゼーションの体制を整えたのにね。

アメリカは戦略的ですね、とM女史。中国人の学生や研究者を優遇して留学させて親米とグローバリゼーションを育てていますよ。

この話は精神科医のY氏の仕事にもとても影響しているらしい。精神科の治療も研究も、いまやアメリカの定量的な物質的アプローチは流行りでね、と言う。

仕事鬱の話も出たので、ぼくは結局、アメリカは多様性がなくなって正常の範囲が狭いから、さまざまな心の変調が病気に格上げされちゃうんじゃないのとコメント。

しかし、やがてH氏のお母様の認知症の話が始まる。○○ちゃんが電子レンジに入ってやけどするから救急車を呼んだって言うんだよ。だけどその物語をつくって生きようとする創造力はすごいんだね。

Y氏も、弱者の治療のひとつは自分のなかにもっているナラティブを発見してもらうことなんだと言って、みんなナラティブで生きるんですよ、そして突然大きな声になって「生命力だ!」と断言したのだった。

この話はさらに昨今の学生気質の話になって、ぼくも卒論指導なんかのときに、研究テーマについて自分のストーリーを作れるといいんだけど、その力がとても弱くなった気がすると発言。M女史もY氏も賛同。子供たちも大学生も新入社員もあらゆるところで上からの物語(ストーリー、ナラティブ)が支配的になって、自分のナラティブを育てられないんだよ。

話題は尽きず、夜遅くまで続いたが、新宿では深夜まではいられない。札幌の大学時代なら時間の心配などいらなかったわけだけど。当時も今日のような談論風発だったのだろうか。きっとそうだ。文芸部の飲み会で文学の話をした覚えがない。みんな文学の落第生だったんだ。

この夜の結論が、物語の復権となったところが、また落第生として面白い。
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