フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

卒論中間発表終わる

2005-07-29 23:21:19 | today's seminar
昨日の高く澄んだ空から、今日は少し蒸し暑くよどんでいます。しかし、そのゆらゆらとまぶしい光の中を子どもや若いお母さんが赤や白の服をひるがえして視野を横切ると、やはり夏の盛りなのだと思います。

さて、午後から学部ゼミで卒論中間発表の3週目が無事終わりました。

一人は接触場面会話における待遇表現の意識について。意識というのはくせ者です。それは規範の言語表現の上層にいたったものを言うのか、それとも待遇表現の使用を管理したストラテジーの側面を言うのか?言語意識の文献を紹介する必要ありですね。それでも上級の非母語話者が年配の日本人を相手にしながら、ですます体という安全圏に止まろうとする管理の傾向はよく現れていました。

二人目は韓国人準日本語母語話者の言語使用について。上達するのが早く、しかしその高いレベルで止まってしまうことも多い韓国人日本語話者がそれでもやはりさまざまな管理をしている様子がわかります。他の母語話者と最も違う点は、言語間ストラテジーが頻発することです。たとえば韓国語にある外来語をさらに発音を日本語化して使うといったことが起こるわけです。さらにあまりに似ているために逸脱に気がつかないことも結構あるのですね。

4年生は5人いますが、3年の始めの頃は皆同じようなテーマを話していたのに、1年後はみな本当に違うテーマとアプローチを模索している姿がすばらしいと思います。成長したんだなあ。

では学生の皆さん、充実した夏休みを!
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タイムスリップ

2005-07-29 22:36:27 | old stories
先日実家に帰ると3つの段ボール箱がまっていた。長年置いていたのだけどもう何が入っているか忘れていたけど、開けてみたらあなたのだったよ、と母親。開けてみると大学時代の本、本、本。しかし何よりも驚いたのは、もう20年も見ていなかった留学から戻ってくるときに持ち帰った記念の品々と、写真のフィルムだった。

否応なくタイムスリップがぼくの頭の中で始まる。留学先の大学の大学新聞とか、大学町の本屋のしおりと紙袋とか、町の地図とか、毎週徹夜で書かされたレポートとか、そんなものがぞくぞく出てきたのだ。そう言えば、最後のニューヨークで購入したニューヨーカーの額入りポスターは今年の1月にぼくの家の壁に復活したし、何よりも鉄製のキーホルダーは留学の時から変わらない。そうして今回はいっきにいろんなものが出てきたというわけだ。

とりわけ喜んだのは写真のフィルム。今、少しずつスキャナーでコンピューターに取り込んでいる。

ぼくはどうしてアメリカに行ったのだったろう?
ぼくはそこで何を経験したのだったろう?
ぼくの接触場面研究にはどのような制約やカタヨリがあるのだろう?

うまくいくかわからないけど、遠い夕暮れに飛び立ってみよう...
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