フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

春来たる

2007-03-30 23:13:03 | Weblog
千葉には3月27日(火)から春がしっかりと来ました。その日私は自転車で大学の行き来をしていて花粉の中を16キロも走ったため、数日、ぼーっとなってしまいました。29日には桜が急に花開いて8分咲きまできたようです。写真は千葉大キャンパスの桜並木の桜。

私の育った頃の北海道、5月の遅い春には桜だけでなくあらゆる花が咲き誇って、むしろタンポポや菜の花なんかが、足下が近い子どもの頃は印象的でした。桜だけで春が来た気になるのはマジョリティ感覚を確認するにはよいとしても、細部を見ないというのはもったいない気がします。

今日、研究室にいると、卒業生のTさんが貸していた本を返しに来てくれました。4月からは某大学の教育系の大学院に進学するとか。教師になろうと思っていたけれど、もう少し勉強をしてみたいと思ったのだそうです。彼女、急に「4年間で先生の3年のときのゼミの共同研究が一番厳しかったんです。そのあともっと研究してみたいと思うようになって...」と打ち明けてくれました。今年度の最後の最後に、こんな言葉をもらって嬉しくないはずがありません。

君の新しい未来に夢多かれ。
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小林信彦 「うらなり」

2007-03-26 00:26:04 | my library
先週購入したばかりの本で、2006年6月に講談社から出版されています。

小林信彦さんについては私は何も読んでいないのですが、エンターテイメント系の本や評論が多いのですね。こういう人は一癖も二癖もあって、しかも実力者が多いように思います。

さて、この本は漱石の「坊っちゃん」の登場人物中、もっとも印象の薄い「うらなり」を主人公にして、昭和に入って老年に近づいた「うらなり」から松山での坊ちゃんの事件を回想するという設定で書かれています。「坊っちゃん」が書かれたのが1906年ですから、それから実に100年後の作品となります。

小林氏によると、「坊っちゃん」で起こる話の中では、校長・教頭対山嵐・うらなりの戦いが本筋であって、坊ちゃんはそこに軽薄に関わっているに過ぎないということなのだそうです。校長も教頭も坊っちゃんに殴られたりするのですが、実際には校長・教頭が勝利して、山嵐とうらなりは中学を首になったり左遷されたりします。事件はうらなりが左遷されてから起きているので、この小説では、老年に近づいたうらなりが東京で山嵐(堀田)と出会い、事件のあらましを聞くと同時に、左遷されてからの半生を回想するという流れで出来ています。

渋い落ち着いた文体でうらなりが語る半生はどこにでもある、主人公になるような性格を持たない多くの人々と共通したものです。しかし、それだけに、人の半生というものがよく感じられるように思います。さらに言えば、智に働いて角を立てたわけでもなく、情に棹さして流されたのでも、意地を通して窮屈になったわけでもないのに、時代に流されていくしかなかった人の哀感も感じます。(ただ、大阪船場のお金持ちに嫁いだマドンナに30年ぶりに再会した時、そのマドンナの指がささくれだって荒れていたという描写には疑問があります。船場の奥さんが洗い物なんてするでしょうか?)

最後に長めの後書きがあって、執筆の舞台裏が書かれています。その中で面白かったのは、ある時、これも漱石好きだった大岡昇平と会話をしたときの話でした。「坊っちゃん」は何よりB型ヒーローだ、というのです。つまり、そそっかしやの正義派という意味らしく、じつは大岡も小林信彦もともにB型なんだそうです。それだけではなく、かの漱石もB型だった(ほんとか?)なんて話が出てきます。こんな与太話を面白がる私もじつはB型なわけですが。
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春分の日

2007-03-21 23:49:53 | Weblog
春分の日。
高層マンションに住んでいる知り合い宅でパーティーをするというので家族でおじゃまして楽しい一時を過ごしました。

とってもきれいに飾られたお部屋は西向きで天気がいいと富士山が見えるそうです。反対側はウォーターフロントで、39階の展望台からはパノラマの眺めで、レインボーブリッジからお台場のフジテレビ、左手には海ほたるの通気口が見えています。夕方、西向きの窓に夕焼けが映えました。

なぜ春分の日が休みなのか?春分の日はよく昼と夜の長さが同じになるという言われていて、それが厳密には違うという話は別として、そんな天文学的な事実を休日やお祭りにしているというのはおかしいなあとふと思いました。

しかしウェブで調べてみると、やはり古来から農作業にかかわって祝われていたようですね。もう1つの重要なモメントは、やはり浄土教で、西方浄土が関連しているようです。つまり、太陽が真西に沈む、まさにその方向の彼方に浄土があるわけです。

では、その日はなぜ祝日か?それは戦前は春季皇霊祭として神武以来の天皇の誕生日を民間のお彼岸と重ねてこの日にまとめてお祝いをするようにしたとのこと。

というわけで、こんなことは考えてもいませんでしたが、ちょうど今日は、そのお宅から真西に沈む太陽を眺めていたわけです。
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多言語使用者パネルセッションの予稿集原稿完成!

2007-03-17 21:53:04 | research
今週はどうやってサバイブできるかと思っていましたが、何事も終わるときが来るようです。

月曜日は入学試験業務、木曜日は日帰り旅行、金曜日は研究会、という感じでしたが、その合間に5月のパネルセッションの予稿集原稿を書いて編集して学会に提出するという仕事をやっていました。他の3人の先生達からも原稿をもらい、自分自身も金曜の夜に書き直しを続けたりと修羅場でしたが、とにかく今日のお昼には速達で出すことが出来ました。「多言語使用者の言語管理と日本語教育ー「多言語社会」から「多言語使用者」の社会へ」というタイトルで4人でセッションを行います。

予稿集原稿が出来て、だいたいの発表の見通しは出来たので、これから調査を継続して肉付けをしていきます。

終わった後のご褒美で、家族3人でソフトクリームを食べました(笑)。
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授業コーパス科研の研究会

2007-03-16 21:42:35 | research
今日は科研の研究会を朝から、お茶の水の東京医科歯科大学留学生センターの教室をお借りして開催しました。このところ、研究やら仕事やら重なって準備が不十分なまま参加することになってしまって反省しきりです。研究グループそれぞれの研究の報告や5月のパネルセッションの発表内容など話し合いました。

私はあるベテラン教師の授業について、これまで分析の糸口さえ見つからない、しかし素晴らしい授業のデータがあって、その中から、教師の役割から逸脱していると思われる談話の例を出して、役割から逸脱する発話行動を教師が取っていくことによって、学習者にはこの読解授業がいわゆる「読解の練習」をしているのではなく、まさに「読解」そのものをしていることを確認するようになるといったことを(これも上手なまとめではないのです)話しました。面白かったのは、次に話した田中さん(彼女とはいっしょにこの先生のデータを取ったのですが)が相談もしなかったのに、まったく同じ談話箇所を取り上げて同じようなところに焦点をあてようとしていることがわかったことでした。

あれは偶然の一致だったのか、それとも論理的な帰結だったのでしょうか?
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留学生日帰り旅行

2007-03-15 23:10:38 | Weblog
今日は朝、自転車を飛ばして8時に大学正門に行き、バス旅行の付き添いです。毎年夏と冬に1回ずつ関東近辺に留学生といっしょに日帰り旅行をしています。私は今年初めて参加しました。

関東近辺だと、鎌倉、日光あたりが常道なのですが、毎年同じところではだめなのでそこが頭の痛いところなのだそうです。そんなこんなで、今年は茨城県に行くことになりました。行き先は、江戸ワープステーション、大洗の海岸のレストラン、イチゴ狩り、そして水戸偕楽園です。ちょっといろいろ欲張ってしまったので移動時間がかかってしまい、一つ一つのところでゆっくり居られなかったのが残念でしたが、結構、楽しい旅行でした。

茨城も初めてだったのですべて初めてだったのですが、帰りのバスでみんなに感想を話してもらったところ、イチゴ狩りが一番人気でした。自分の指でイチゴを摘んで、口に入れるのが初めてという人ばかりで、しかも私もそうですが、高くてそうそうイチゴをお店で買うわけにもいかないわけで、おなか一杯食べられたのが一番だったのではないでしょうか?

私は偕楽園を楽しみにしていて、広い池の畔の岡の上に梅園が拡がっていてほのかに梅の香りがしました。梅はすでに散り始めてはいましたが、まだまだ楽しめました。奥に立つ好文亭の2階からの眺めは視界が開けて、とても気持ちの良いひとときでした。
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試験業務ほぼ終了

2007-03-12 23:44:45 | Weblog
今日は高気圧の空の下に冷たい風が吹き込む冬に逆戻りの日でした。入学試験の採点業務が午後一杯ありましたが、とりあえず私の試験業務は終わりです。

話は変わりますが、昨日はヨドバシカメラに行ってステレオ・スピーカーを見てきました。なんだか音が満足できなかったためです。そこで年配の店員さんに小さなスピーカーなどを紹介してもらっていたのです。そこで、「いまB&Wのスピーカーを使っているんですけど」と言ったとたん、態度がガラッと変わって、後ろにある高級スピーカーのコーナーに連れて行かれました。なるほど、B&Wのものが並んでいます。今持っているのは友人に15年ほど前にもらったものなので価値など知らなかったのです。店員さんは「B&Wお持ちなら買う必要はないですよ」と言います。「スピーカーは古くなるとだめってことはないんですか」「ないですね」ふむふむ。

というわけで、何も買わずにちょっとがっかりして家に戻ったのでした。そこで少し考えて、今まで1.5メートルも離れていなかった二つのスピーカーを、4メートルほど離したところ...あら不思議、音が格段に良くなったではないですか。

これで少しは地球に良いことをしたのかなと、思うにはささやかすぎるでしょうね。
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言語管理研究会 第1回年次研究発表会

2007-03-10 23:40:06 | research
今日は言語管理研究会の第1回年次研究発表会を午後いっぱい使って神田外語大のきれいなプレゼンテーション・ルームをお借りして開催しました。研究発表会は発表応募を募って審査をした3人の研究発表と、ワークショップをやってみました。

ワークショップではお茶の水女子大の博士課程の楊虹さんに話題提供をしてもらって、その後3つのグループで、4人の提案の会話で目に見えないところとしてどこに注目したらよいかを話し合いました。研究発表の時とはちがって、みな積極的に話をしてくれてとてもたのしかったです。写真はワークショップの話題提供者楊さんです。

私は最後にまとめるように言われたのですが、プロセス研究とは場面の当事者に接近する方法で、当事者の視点から相互作用を理解しようとする試みでしょうと話しました。とっさに話したのでうまくは言えなかったのですが、そんな内容でした。

それにしても小さな研究発表会でしたが、それなりに研究発表の募集からワークショップの計画、ポスター作り、などなどけっこう手間がかかります。それだけに中身の濃い時間が過ごせたかなと評価しています。

いっしょに研究発表会をつくってきた先生方、学生さんたち、また、遠く千葉まで来てくれた方々にも感謝したいと思います。
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多言語使用者調査3

2007-03-09 23:12:57 | research
今日は浦安の国際交流センターに出向いて、少しインタビューをしました。
新浦安駅のすぐ横に立つ市の建物ですが、そこにセンターがあって、そこの二人の職員の方に暖かく迎えていただきました。お二人とも国際交流に実績のある方々なので、対応が全然違うのです。

そこで前もってお願いしていた日本語教室におじゃまして、多言語を使っている方の協力を募りました。私はフィリピン出身の女性に少しだけ時間をとってもらって話を伺いました。フィリピンの大学を出ている人で、英語とタガログ語のバイリンガルであり、そこに第3言語として日本語の使用があります。フィリピンなら英語でどんな仕事も出来るけれど、日本ではそれが出来ないのですね。今は子どもの学校からの配布物や先生の話を理解するために漢字の勉強を始めたと言っていました。家庭では子ども達と英語と日本語で話し、タガログ語でも話しかけるそうです。子どもはだいたい日本語か英語で返してくるとのこと。フィリピンの友人とは英語とタガログ語をまぜて話している。それはフィリピンの言語使用そのままだそうです。日本人とは職場で日本語を使っている。ただし、休憩などのときは日本人から英語で話しかけてきたりするので相手をしてあげる。しかし仕事では日本語だけになるとのこと。

この人もまた多言語使用の1つのかたちなわけです。むしろこういう人が多いのかもしれません。やはり10人いれば10人とも異なる多言語使用があるというべきでしょうか。
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あいづちの対照研究

2007-03-08 23:12:21 | research
Clancy et.al (1996)は英語、日本語、中国語の会話における聞き手の発話の頻度と位置について対照研究した重要な文献です。何が重要かというと、話順交替の位置をComplex Transition Relevance PlaceとしたFord and Thompson (1996)の枠組を使って、それぞれの言語使用者が、聞き手になったときにどのような場所でどのような発話をしているかを明らかにしようとしているためです。

話順交替の位置として、次の4つを想定します。
(a)上の統語的な完成位置、イントネーション的な完成位置の2つが重なった位置をCTRPの位置
(b)統語的完成の位置
(c)イントネーション的完成の位置
(d)どのような完成もない位置

そして、聞き手としての発話を、backchannel(非常に短い非語彙的音声、うん、えー、など)、反応的な表現(短い語彙的な発話)、そのほか3つの分類をしてこれらすべてをReactive Tokensと呼んでいます。このbackchannelと反応的な表現という分け方は日本語の実態をよく理解したすぐれた分類です。

このRTが現れたら話者交替が起きたと判断します。もちろん、それ以外に、何も発話をしない、フルの話順を取って話してとなる、という選択もあるわけです。

さて、3つの言語ではどのような違いが出てくるでしょうか?
(1)RTは日本語と英語で多く、中国語で少ない。
(2)日本語はどのような完成の位置もない、つまり、話し手が話をしている途中で、backchannelが非常に多い。
(3)英語では統語的完成、CTRPの位置で、つまりひとまとまりの話が終わったところで、反応的な表現を使って反応することが多い。
(4)中国語では、RTそのものが少ないが、現れるときはCTRPの位置であり、しかも語彙的に意味のある発話をするか、フルの話順を取って話し手になる。

これがClancyたちの分析です。この対照研究はとても説得的なものだと思います。ただし、ぼくの研究はここから始まります。つまり、こうした規範を持っている日本語と中国語の話者が接触場面に入ったとき、上の規範とは異なる現象が現れてくるということ、それを何とかして表現したいのですね。
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