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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

携帯メールあれこれ

2010-11-29 23:48:47 | today's seminar
今学期は1,2年生用の教養授業で「コミュニケーションと社会」という科目を開いている。

2年ぶりの授業なのだけど、これがめずらしく当たりの授業で、こちらは何もしないのに学生たちが次から次へと発言する。
これまでやったのは言語景観、マニュアル言葉、モバイル・コミュニケーションの話題で、こちらがまず話題提供でいろんなところから持ってきた素材を紹介して、翌週は学生たちに素材をもってこさせて紹介してもらう。あとはどちらのときもディスカッション、という形式。

大学の授業というと教えることが中心なのだが、教えないで考える授業という逆の方向でやっている。

今日は学生の発表で、携帯メールについて三人の発表があって、なぜ絵文字や顔文字を使うのか、道具的コミュニケーションを重視する人間は簡潔なコミュニケーションになってしまうのか、そしてネットスラングとは何か、といった興味深い発表が続いて、思わずぼくも身を乗り出してしまう。

絵文字や顔文字は密接に話し言葉のコミュニケーションと関連している。ぼくらが対面コミュニケーションにいかに非言語や表情や相手の反応を頼りに自分の足場を示していくかは日々の生活で実証済みだ。そして携帯メールはその話し言葉のコミュニケーション要素を文字に取り込むことが必須になっているのだと思う。だから相手や話題が変わると、書き言葉モードになって、顔文字や絵文字は姿を隠してしまう...そんなことを考えながら、でもそんなまとめはせずに議論は続いていく、というのがこの授業での鉄則なわけだ。
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小春日和、渋谷

2010-11-28 23:58:59 | Weblog
11月もそろそろ終わりだが、ここ数日小春日和が続いている。

ブログを書こうとしながらなかなかまとまらないことが多くて、書けずじまい。その間に、『日本語学 臨時増刊号 言語接触の世界』が発行された。大阪大の渋谷先生が監修したもので、日本語史上の言語接触から言語権まで、その幅広さはまさに渋谷先生の博識そのもの。ぼくも1章を書いているので、ご興味のおありの方はどうぞ手に取ってみて下さい。

土曜日は渋谷の國學院大學を会場として行われた言語政策学会地区大会に足を向ける。道玄坂とは反対側の渋谷は坂が多くて、一歩、広い道から外れるとごくふつうの住宅街になるところが面白い。理事会で来年の大会のテーマの話があったが、シンポジウムのほうはかなりこれから揉まないと苦しそう。まだあまり言えないのでこの話題はまたいずれ。

会場のロビーで某出版会社の人とこれまた来年の鬼が笑う話をする。こちらは鬼に笑われないように急いで仕事をする必要があり。某出版の人はじつは田中望先生のところで大学院を出た人だそうで、久しぶりに田中先生の近況を伺った。いよいよ沖縄移住の夢の実現間近ということらしい。

そういえば、金曜日には早稲田の宮崎先生と会議をして、来年の言語管理シンポジウムの計画を考えていた。オーストラリアのマリオット先生やチェコのネクバピル先生などをお呼びして、2年ぶりの国際シンポジウムをやろうというもの。じつはいろいろ経緯があったのだが、なんとかまとまりそう。こちらも鬼に笑われないように進める必要有り。

というわけでだんだん年も押し迫ると、来年のための仕込みがいろいろある。
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グローバル時代の社会言語学を講読中

2010-11-12 22:39:07 | today's seminar
まあ、いろいろあるが、だんだん学部のゼミも大学院ゼミも面白くなりつつあるところ。久しぶりにカメラを持ち出して、キャンパスの秋を撮ってみた。




大学院博士課程の授業で読んでいるのは、Jan Blommaert (2010) The Sociolinguistics of Globalization. CUPという今年出たばかりの本。最初はグローバリゼーションなどとあって流行物かと思ったけれど、なかなかだ。

One can follow norms or violate them at any step of the process, and sometimes this is willfully done while on the other occasions it comes about by accident or because of the impossibility of behaving in a particular way. (p.40)

people do not just move across space; we also realize that they move across different orders of indexicality.
Consequently, what happens to them in communication become less predictable than what would happen in ‘their own’ environment. (p.41)

こちらの考えていることとこれほど近い問題意識とアプローチを持っているものをあまり読んだことがない。Blommeartはさらに記号論的な視点ももっているので、この時代の社会言語学を考えるうえで多くの示唆をあたえてくれそうだ。今年後半の収穫。(たぶん)
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Michael Clyne教授亡くなる

2010-11-02 16:34:22 | Weblog
オーストラリアのモナシュ大学名誉教授Clyne先生が先月29日に亡くなられたと知らせをもらった。

Clyne教授は言語接触論、多文化主義について多くの著作を書き、オーストラリアの多文化主義政策にも貢献してきたモナシュ大学の言語学の巨星だった。分厚い眼鏡のレンズの奥でいつも目がいたずらっ子のように輝いていた気がする。ぼくはネウストプニー教授を通じてClyne先生を知っているだけだが、論文などは大学院の授業でときどき使わせてもらっていた。Community Languagesに関する本の末尾には、多言語主義がオーストラリアの豊かな言語資源を意味していると高らかに宣言していて、将来はきっと他の国々にもオーストラリアのモデルは広がっていくだろうと書かれている。

モナシュ大学のサイトでは、Clyne教授が亡くなる前日まで講演会に出席していたことが伝えられているし、お悔やみを述べている人もその週の月曜日に会ったばかりだったと述べている。

Clyne教授の冥福をお祈りします。
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