フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

native language再び

2005-10-29 00:16:04 | Weblog
昨日は、中国からいらしている客員研究員のお二人の歓迎会を行い、中国の反日からタイで食べているのはゴキブリではなくてタガメである、までじつに縦横無尽の話題で盛り上がりました。

その中で、お隣の奄美方言研究というよりは大碩学の松本先生にmother tongueとnative languageの違いを日本ではどのように区別すべきかと伺ってみました。先生の研究グループはよく和語を研究の概念として利用していますが、さすがに言語感覚が鋭く、しばし考えると、

<<うまれ言語、そだち言語、それから書き言葉や外国語などはまなび言語、かな>>

と答えてくれました。native languageをそだち言語と言うのはかなりいい線だと思いますが、皆さんはいかがでしょうか?
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文化的表現の多様性の保護と促進のための条約

2005-10-25 00:10:00 | today's focus
ちょっと遅くなりましたが、今月21日、ユネスコは上の条約を賛成143カ国、反対2カ国、棄権4カ国で、採択したそうです。新聞では指摘がありませんでしたが、これはじつは2001年に9.11の惨劇を受けて、同じくユネスコで採択された「文化の多様性」宣言の実効をせまる採択と言えそうです。2001年の採択ページに行くと、文化の多様性とは何か、について4つのポイントが挙げられています。

(1)文化の多様性は事実である(Cultural Diversity is a fact)
(2)文化の多様性はわたしたちの毎日の現実である(Cultural Diversity is our everyday reality)
(3)文化の多様性は基本的権利の尊重を反映している(Cultural Diversity reflects the respect of fundamental rights)
(4)文化の多様性はわれわれの集合的な強さである(Cultural Diversity is our collective strength)

9.11を受けて行われた宣言と先週の条約ということですから、反対したのがどこの国かはわかるでしょう。アメリカとイスラエルが反対しました。棄権したのは、キリバス、オーストラリア、そのほか2カ国ということだそうです。日本もイギリスも賛成をしています。新聞では世界の映画館の90パーセント以上がハリウッド映画を上映していることをあげて、それに対して各国が自国の映画産業を保護するような宣言にアメリカが反対するのは当然だと論評を加えていました。しかし、イスラエルという名前をみつけたとき、アメリカの反対が単にハリウッドを守るためだけではないことは明らかではないでしょうか。

文化の多様性は事実である、とありましたが、文化の多様性とは政治であると言えるでしょうか?
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接触場面と言語管理研究会第6回

2005-10-16 00:35:23 | research
昨日は、第6回の研究会でした。
プラハのアメリカ人研究者に、プラハのアメリカ人伝道者の言語管理と、インターアクション・インタビューの課題について話をしてもらいました。私は司会だったのですが、英語で四苦八苦していたと言ってよいでしょう。なぜかと言うと、計画せずに英語が出てくる場面と、計画していた英語の話をしようとする場面とが入り交じって、頭の中でうまく調整ができなかったのです。たぶん、前もって計画しないほうが話はもっとスムースだったと思うのですが、そうするときっと細かな話ができなかったわけで、中途半端な能力は困ったものです。

インターアクション・インタビューではinformantsはこちらの期待に沿って特定の時間と場所の行動とそこでの言語管理について話してくれるとは限りません。むしろ、日常的に行っていることや規範的なこともよく口に出すのです。しかし、それはinformantsがだめだからではなく、さまざまな表現と内容を駆使することで、インタビュアーが強いてくる枠組みとは違う、自分の経験のリアリティを維持しようとしていると考えるべきだと思います。どのような内容と表現を使っているか、インタビューの文字化資料を検証することで、インターアクション・インタビューの欠点であるcross-examinationが出来ないという事実を補うことが出来るだろうと思っています。
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native speakerは母語話者か?

2005-10-16 00:24:05 | today's seminar
今学期の大学院講義は昨年に引き続き、Neustupny先生の論文の翻訳と注釈を行っています。その中での議論はまたどこかで触れることがあると思いますが、今日はnative speakerの訳語について少しだけ書きます。

じつはこれは学部1年生の教養科目で言語政策について話している中での話題だったのですが、問題は次のようなところにあります。mother tongueはまさに母語であって、親や育ててくれた人から習得したものです。しかし、native languageと言うと、これは国語とも言えないもので、かなり使われている範囲に制限があるようです。つまり、育った地域で話されている言葉というニュアンスがありそうです。つまり、これは母語ではなく、地域共通語のようなものなんですね。

日本にいるとわからなくなるのですが、学生の中に朝鮮族の人がいて、彼女は家や近所で話していたのは朝鮮語だけれど、それから買い物などでは中国語を話さなくてはならないようになり、最初は下手だったけれど今では血となり肉となっていると言うわけです。この場合、母語は朝鮮語であり、native languageは中国語ということになるのでしょう。

オーストラリアの知り合いの娘さんは8歳で香港からオーストラリアに渡り、両親は中国文化と中国語(広東語)を教育したつもりだったのですが、20歳のあるとき、自分の机の中から何を書いているかわからないノートが出てきたそうです。両親に「これは何」と聞いたところ、今度は両親のほうが驚いてしまったのです。なぜならそれは8歳まで彼女が中国語で書いていた日記だったのです。つまり、自分で書いた日記が読めなくなっていたわけです。母語はこのように消滅することもあるのです。

native speakerについての疑問はかなり頻繁に社会言語学では指摘されているようで、そうした著作では、fluent speakerという言葉のほうが適切だろうと言われています。
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What can I do for you?

2005-10-11 00:51:18 | old stories
アメリカ留学の第6回目になるが,前回のタバコの臭いとどこかで関連していそうな話を思い出した。じつはぼくの車の免許の始めはアメリカで取得したものだった。当時も日本では海外で取得した免許についてはその国に少なくとも6ヶ月滞在していなければならないという規定があったのだが,1年の留学ではまったく問題がなかった。留学を半年も過ぎた頃に,ぼくは友人のオートマチックのゴルフを借りて,空き地で1,2回動かしてみただけだったが,2回目の試験で何とか受かったのだった。そんな危なっかしい技術にもかかわらず,学期休みのときに友人に誘われてカナダ旅行に出かけたのだった。

マサチューセッツから西に車を走らせて,すっかり凍ってしまったナイアガラの滝をみたり,そこからカナダに入って,トロントの日本人移民のおじいさんのところに泊めてもらったりして,楽しく何とか運転をしていた。その移民の日本人は日本語のイントネーションが英語化して,語彙もかなり英語にスイッチが起きていて,ぼくは不思議な人を見るようにその人の話を聞いていたものだ。しかし,なによりも驚いたのは,おじいさんの家の3階には畳が2畳分,敷いてあり,壁には教育勅語が飾られていた...。そしておじいさんは教育勅語をその時まで敬っていたのだった...

トロントからフランス語圏のケベックに入り,そこからセント・ローレンス川を渡ってアメリカのメーン州の山道を戻っていたときだった。夜の山道は暗く,鹿が飛び出してくるのを恐れながら,走っていった。しかし,どうにも車の調子が悪かった。ヘッドライトは暗くなるばかりで,峠を何とか越えて,平野に入ったところで,とうとう光が消え,やむなく車を止めるしかなくなったのだ。車を脇に置き,電話を探したが,見つからない。途方に暮れて1時間も経った頃,パトカーが止まってくれたのだ。ああ,助かった!とぼくはすっかりうれしくなって警官のところに行ったのだが,そのときの警官の言葉が上のタイトルのものだった。それもやはり大きく響く声で。ぼくがとっさに悟ったのは,あ,ここでは道の脇に車を止めて呆然としている人間でも助けて欲しいかどうかを説明しなければならないということだった。警官が事情を察してくれるわけではなく,事情を察してもらうためにこちらが説明しなければならないのだ。自分を守るのは自分であって,警官ではない。先生でもない。他の誰でもない。

そんなことをあのやすいレンタカーを借りたためにぼくは学んだのだが,この経験もまたタバコの強い臭いのようにドスの効いた経験だった気がする。


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チェコからのアメリカ人研究者

2005-10-10 00:18:22 | today's seminar
10月6日(木)は,お昼にアメリカ人の研究者と落ち合ってお昼ご飯をいっしょに食べました。彼女はなんとチェコのカレル大学で言語管理で博士課程の論文を書いている人です。ネクバピル教授の学生さんですが,私や連れ合いが執筆に参加することになっている計画中の本の共同編集者でもあります。

メールで数回やりとりをしただけで,どんな人なんだろうと思っていたのですが,ごくふつうのアメリカ人女性でした。コネチカット州出身ということで,私にはとても聞きやすい英語でもありました。プラハを訪れてその美しさに憧れて,大学卒業後にカレル大学の大学院に入ったそうです。それから8年の滞在になるそうです。

しかし,どうでもよいことかもしれませんが,英語母語話者であるアメリカ人が言語管理の用語を使って,論文を書いているのを読むのは少し感動します。これも言語管理が,外国人として生きている人にとって,とても魅力のあるものだということのもう1つの証明なのでしょう。連れ合いにしても,リサさんにしても,高さんにしても,皆,外国人として接触場面を生き,さまざまな管理をせざるを得ない環境にいた優秀な人たちが言語管理理論の中心にいるということと,同じことなのだと思います。
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客員研究員の先生の出迎え

2005-10-05 17:07:24 | Weblog
3日の月曜日は、中国政府派遣客員研究員の先生をお迎えに成田空港まで行ってきました。山東省の半島の先にある煙台大学の日本語研究者の先生です。90年頃、千葉大学に留学されていたことがあり、今回は2度目の日本滞在ということだそうです。中国では珍しく語用論に関心がおありということで、私の現在の研究とも接点がありそうで、1年間楽しみです。

山東半島の先端というと、これは始皇帝の時代から不老不死の薬があると言われていたところですね。同時に、今も昔も重要な港でもあって、海のシルクロードの出発点だったり、現在の渤海経済圏の重点地区だったりするみたいです。日本との行き来も煙台が重要な役割を占めたようです。
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アメリカの匂い

2005-10-02 21:51:12 | old stories
アメリカ留学の昔話、第5回は匂いの話。

その国の匂いというのは確かにあるもので、その国その社会に生まれ育った人間には気がつかないことが多い。たとえば、日本で言うと、それはお醤油やご飯やみそ汁のだしの臭いだったりする。外国人はこのむっとした特有な臭いに慣れるまで、なかなかご飯が進まないもののようだ。

ニューヨークに降りたぼくにとってアメリカの匂いはまず何よりも葉巻やタバコのそれだった。JFK空港の警備員のどすの効いた声のように、タバコの強い臭いは地下鉄や駅やYMCAなど、いたるところに漂っていた。その臭いはじつに迫力のあるアメリカだったのだ。ぼくが海外でつねに周囲を注意して歩く習慣が出来たのはまさにこのニューヨークの経験からだったのではなかったかと思う。しかし、そんなニューヨークでも、鞄を持ってくれようとする中年の婦人がいたり(警戒してぼくは鞄から手を離さなかった訳だが)、初めてニューヨークを歩いているぼくに道を聞くアメリカ人がいたりと、のんびりなのか、危ないのか、よくわからないところでもあった。はっきりしているのは、ぼくがここでは外国人として扱われていないということだった。英語が話せないことが外国人の証拠でもないのだ。逆に言うと、アメリカではどうやらアメリカ以外に世界があるとは思われていないフシがありそうなのだが ...

写真はマンハッタンと島を往復するフェリーからの眺め。中米かプエルトルコあたり出身の家族をスナップ・ショットしたもの。フェリーにもタバコの臭いは流れている。
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科研研究会

2005-10-02 21:14:32 | research
28日(水)は科研研究会でした。久々ということで、勉強会として桜美林大を終えてATOSで仕事をしている大関さん、千葉大大学院の薄井さん、そして日本に一時帰国していた齊藤さんに話をしてもらいました。大関さんは、Mehanの枠組みでメキシコの大学の授業参加を調査したもの、薄井さんはEricksonの枠組みで13秒の沈黙を分析したもの、そして齊藤さんは科研コーパスのための指針をまとめて下さいました。

大関さんの研究は、非常に綿密で授業全体の教室参加から、メキシコの学習者参加が多く、しかも適切な位置での参加になっていることを明らかにしています。薄井さんは、教師が指名もせず「ほかには?」と言って教科書に目を落としながら続いた13秒の沈黙が、Academic task structureとsocial participation structure、つまり授業の内容による構造と参加順序との共有が崩れたときに、沈黙が起きたことを明らかにしています。どちらも興味深いわけですが、それでも授業の構造と、ミクロなシグナルとの両面からの調査の視点が必要というのが結論のようでした。

しかし、両方の調査分析を行うことの大変さはだれもがわかっていることではあるのです。
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松戸の園芸学部キャンパス訪問

2005-10-01 09:14:09 | Weblog
昨日は環境ISO内部監査委員ということで、松戸の園芸学部キャンパスを初めて訪れました。キャンパスは小さな山の上にあります。1日かけて3つの研究室でインタビューをしたり現場を視察したりしていました。実験系なので、薬品の管理や廃棄処分をしっかりしなければならないのですが、文句のない対策を施していると思いました。

監査に問題はなさそうで、ほっとして、昼休みに農地(圃場と言います)を1時間ちかく散歩。お茶のように背の低い葉っぱがあるので(しかし照葉ではない)、作業をしていた先生に聞くと「これが落花生ですよ」。見ると、根になるほど落花生がついています。しかし、30も40もついているのではなくせいぜい15程度なんですね。「中国に比べると、日本の落花生は高くなるんですね」との話。

しばらく歩くと、すっと伸びている木があって、何となく果樹だろうと思うのですが、なんだかわかりません。果物はついていないのです。リンゴは背の低い小さな木にいくつもなっています。もう行き止まりの崖で、そこから松戸市街が見えます。足下でバッタやコオロギが急ぎ足で横切ります。

ビニールハウスのところで女子学生が何かしているので、聞いてみると、これから企業とのタイアップでいちごの研究を始めるので、ビニールハウスの中の設計を始めるところですとのこと。よこに草の水耕をしているビニールハウスがあったので、これは?と聞くと、これはニラで、中国からの留学生たちが研究しているとのこと。中国では虫が多くてニラがうまく育たないので、土を使わないニラ栽培を研究しているのだそうです。

こうした研究も面白そうですし、木々に囲まれた研究環境というのもいいなあと思います。何よりも学生さんも先生もとてもはきはきと教えてくれるのに新鮮に驚いた1日でした。
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