フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

日録:運営委員会初出席

2009-02-28 23:35:08 | Weblog
毎日、試験業務や会議で大学に通っている。今日は週末だが、午後から早稲田で開かれた言語政策学会の運営委員会に出席。今月から運営委員ということで、末席に連なることになる。

会議はとくに発言もせず静かに終わったが、それからメンバーの方々に簡単な挨拶。その中に、先生お久しぶりですと声をかけられたので誰かと思ったところに、大阪で先生の授業を受けていましたと言われ、じつに驚く。とすれば、田中望先生が大阪大学から立教大に移られた後、代わりに大学院を担当することになって始めた最初のクラスだったかもしれない。同僚2人といっしょに授業をやっていたときのことだ。何をやったのか、もうほとんど覚えていないけれど、すっかり虚を突かれてしまった。その人物は大東文化大の前田理佳子さん。今後ともお手柔らかに。

言語政策学会は学際的で、さまざまな学会を横断的にまとめたようなところ。だからこそなおさら専門性が重要になる。ぼくとしてはもっぱら言語管理研究の立場から貢献できればと思っている。

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上野千鶴子の多文化共生

2009-02-23 23:23:56 | research
上野千鶴子「共生を考える」(朴鐘碩・上野千鶴子ほか『日本における多文化共生とは何か』新曜社、2008年)を考えているところ。上野の論点をまとめるとおおむね次のようになる。

1. 多文化共生は統合モデルではなく分離モデルである。
2. 多文化共生によって持ち上げられるマイノリティは、その本物らしさが問われることになる。
3. 多文化共生も、共生も、それ自体に確たる意味はなく、文脈、言う人の意図によって、逆のことを指すこともできる。

多文化共生がいっしょに仲良く暮らそうと言うことだとすれば、それはハタノが言うように、マイノリティ側からの主張ではなく、支配者側の思惑であると言わざるを得ないだろう。マイノリティにとっては、社会的、政治的参加、そして機会の均等、言語権などが要求の中心にあり、仲良く暮らすことが大切なのではない。

多文化共生がマイノリティの生活を支援しようとするとき、必ずといってよいほど、民族や外国出身者やある言語の母語話者であることをそのカテゴリーに結びつけてしまう。だから、多言語使用者や、ハイブリッドなアイデンティティは、多文化共生の支援対象にはならない。また、日本国籍を取得した外国人についても、顧みることはない。

多文化共生がネオリベラリズムと結びつくと、そこでは外国人の区別につながっていく。1つのグループは日本人と同様の日本語を操り社会参加が許される人々、そしてもう1つは日本語もできず経済的にも不安定な人々のグループ。後者は社会的統合の対象とされず、単に生活者として存在することが許されるだけにすぎない(経済状況が悪ければ帰国を余儀なくされる)。

さて、ここからベトナム人について考えていきたいのだけど、それは次回に。
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引き続き

2009-02-10 23:52:54 | Weblog
昨日とは打って変わって穏やかな日。大学で仕事。

その間、二人ほど訪問者あり。1人は湖南大卒業生で談話分析をやっていた人で、これから都心の大学の研究生をして心理学を学ぶとのこと。ホントは千葉大の私のところに来るはずだったが諸事情で来られなくなった。もう1人は大学を去ろうとする人。病弱で15週間授業に出席できない学生さんだったが仕事を見つけて大学を辞める決心をしたとメールがもらったのが先週の始めだった。それで今日は退学願いにぼくの判をもらいにきたわけだ。元気でと見送る。

昨日から引き続き、共生関係の本2冊を紐解く。1冊は『共生の内実』(三元社、2006年)、もう1冊は『ことばと共生』(三元社、2003年)のうちクールマスの「日本の多文化社会への道程」という論文。『共生の内実』は批判社会言語学、『ことばと共生』は言語政策の立場からのもの。『共生の内実』には、木村護郎クリストフさんの言語権の論文をおいておくと、国際化から共生へと消費される日本の社会的文脈を取り上げた植田論文、そして「多文化共生とはマイノリティ側から言い出した言葉ではありえない」とするハタノ論文が面白い。ハタノさんはぼくが大阪にいた頃、大学院にいた人。

どちらの文献も社会言語学の広がりの中で書かれたものだが、共生についてはやはり構成主義的社会学から斬りつける昨日の上野千鶴子が嚆矢か。
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ここ数日

2009-02-09 23:17:18 | Weblog
先週土曜日は卒論発表会あり。朝から4年生の発表を聞く。書かれた論文と違って、質疑応答で相手に向かい合ってしっかりと自分の研究の中から適切な答えを見つけていく学生が自分の指導した中にいて感心する。ほとんど指導しなかった気がする年度ではあったけれど、それが功を奏して、学生は自分で考えていたのかとも思ったり。

そのあと、会議で大きな交渉を1つ。それから日曜日にはまた大きな契約を1つする。どちらも緊張を強いられる場面だったけれど、そこでやはり問わなければならなかったことは自分が何者であるかということであり、また果たして自分は真と思うことを言葉で適切に述べているかということだった。そこがぐらつけば交渉を首尾良く終えても後味が悪いし、契約にも影が落ちる。具体的なことがここでは書けないけれど、結果としてぼくはまた大きな仕事を引き受け、そして1つ肩の荷を下ろすことができた。

今日月曜日は別件で、接触場面に基づいた日本語教育についての会議に出席。こちらはかなり有益で、とくに実際使用という接触場面経験のプログラムを考えるときに、そこに至る経路はどうあるべきかという話が面白かった。

モナシュ大などで実験をしていたときには、実際使用から逆算して練習や解釈の活動をつくっていったものだけれど、それだけでは学習者に接触場面の経験をさせることができないことがよくわかった。つまり、実際使用場面で使用する表現や語彙、そして社会言語的ストラテジーなどを教えて使用させるとすると、学習者は自分の言語レパートリーからその場面に適切なことばを選び出していくプロセスをまったく経験しないままになってしまうのだ。だからそれは実際使用場面の練習にしか過ぎないことになってしまう。

必要なことは、実際使用場面のデザインとそれに向かう解釈や練習の工夫と同時に、それとは無関係にインターアクションに必要な言語、社会言語、社会文化能力に関する体系的な授業を提供することなのだと思う。そこで自分の言語レパートリーを豊かにして初めて、実際使用場面では選択のプロセスが使えることになるわけだ。

これは今日の収穫である。

夜、上野千鶴子の「共生を考える」(『日本における多文化共生とは何か』新曜社2008年所収)を読む。なぜぼくは多文化共生を胡散臭く感じ、なぜ言語管理研究会では多言語使用者を対象にしようと考えたのか、その理由が極めて明快に語られている。この講演録についてはいずれまた詳しく書きたい。

メルボルンの猛暑と近郊の山火事ニュース。メルボルンの友人に聞いてみるとじつに大変なことになっているようだ。我々家族の桃源郷とも言って良かった山間の町、Marysvilleが山火事で文字通り壊滅したことを知る。
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2名の修論審査が終了

2009-02-02 23:41:10 | today's seminar
先週金曜日と今日で修論審査が終わった。

一人は中国語母語場面と、日本語母語場面での、不満談話の特徴を明らかにした論文。片方に落ち度があることを双方ともに理解している場合の不満表明から人間関係の修復までの談話をロールプレイで収集したデータについて分析している。映画を見ようと、映画館の前で待っていたが友達が遅れてきた、その友達が遅れたのはこれで3回目だ、という設定。面白いのは、中国人同士の場合には、不満を持っている側はとにかく相手が何を言おうと自分の不満な状態を相手にわかってもらいたいと思っていることがはっきりと出ているところだろう。相手が謝罪をしようがしまいが、不満表明は何度繰り返すわけだ。しかし、後半になると、同じ不満表明を使いながら今度は近しい間柄であることを確認していく。あんた今度遅れたら絶交だよ!うんわかった、ほんとごめんね....。他方、日本人同士では、落ち度のある側が謝罪をすると、それに対応して理由を聞く応答が続くことになる。そして最後まで不満と謝罪の関係が解けずに終了を迎えてしまうのだそうだ。関西人では、中国人と同様の相互作用があるかもしれないけれど、関東圏では不満よりも謝罪中心の談話が続くのだと思う。

もう一人はベトナム人居住者のコミュニケーション問題を分析したもの。生々しい事例がたくさん出てきて、ベトナム人が長く住んでも日本人の行動に逸脱を留意していることが報告されていた。しかも日本人もまた差別観をそのまま表明するような例もあって、なかなか大変な場面だった。日本人はベトナム人とわかると、ベトコンや難民のことを思い浮かべてしまうし、大笑いをしたり、ベトナム人ってもっと色が黒いんじゃないの?などと言ったりするのだ。論文では分析されていなかったけれど、日本人の逸脱を留意し続けたり、日本人の逸脱を日本人一般のものと考えてしまうことから見ると、どうやらベトナム人自身が日本のコミュニティに入ろうとしない態度が予想される(これは論文を書いた本人も言っていた)。同時に、日本人がベトナム人をコミュニティに入れようとしない社会構造もほの見える。

ともあれ、二人とも2年で意義のある論文を書き終えたのは立派。母国での活躍を期待したい。
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