フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

延辺とはどこか

2010-01-26 23:28:29 | Winter walk in Yanji
延辺朝鮮族自治州と聞いてピンと来る人はまずいないだろう。朝鮮族という言葉は大学では日本語が妙に上手い留学生とほぼ同義で、英語が出来ないと付け加われば、ほぼ間違いがない。しかし、彼らがどこから来たか理解している人は少ないように思う。

私もまたちょっと前までは同じ認識しか持っていなかったわけだが、論文の共同執筆者になったおかげで、彼らが中国東北地方に散らばっており、とくに吉林省の東、長白山の北側の裾野からつづく盆地を中心とした延辺朝鮮族自治州は、朝鮮族のもっとも集住する地域であることがわかったわけだ。

朝鮮族の多言語使用については、論文執筆の過程である程度は理解したとおもっていたが、なにせ実際の多言語使用を見てはいないわけで、やはりこれは実際に行ってみるべしと思った次第。丁度、出張予算もいただけたので、韓国語がわかる学生、延辺大学出身の朝鮮族の学生、それに共同執筆者のM先生と総勢5名で18日に成田を発つことにした。私以外はみな、韓国語が出来るというわけ。

自治州の首府がある延吉市までは直行で行ける便がなく、ソウルで一泊せざるをえない。夕方、仁川空港に着く。韓国は2年ぶりの2回目。みんなにつれられて、地下鉄でソウル市内を目指す。たどりついたのは清渓川の夜の散歩道だ。ちょっと前に大雪に見舞われたソウルの街のところどころに雪が固まっている。空気が凛として、冬の札幌のよう。そこを散歩し、それから近くのレストラン街で焼き肉をいただく。

ホテルにもどる地下鉄の入り口に行く前、光化門に通じる広大な世宗路の交差点に立った。ここは戦争のときに飛行機の滑走路になりますよとM先生。右側には東亜日報社、向かい側には朝鮮日報社。ときどき日本語版の朝鮮日報を読みますよと言うと、あれはあまりよくないと言われる。もっぱらキムヨナの話だけどと言い訳をする。

世宗路(Sejongdaeno)の向こう、道の真ん中には李舜臣将軍像がライトに照らされて青く見えていた。M先生によれば、この通りはワールドカップのときに、スクリーンがたくさん設置されてみんな集まったところだと言う。赤いTシャツで通りがまっかになったところだ。もっと前には民主化運動で大学生たちによって埋められた道でもある。東亜日報社は独裁政権とたたかったが、大学生たちの時代にはガラスを割られたりしたものだ。ちょうど金大中氏の奥さんの本を読んだばかりでもあり、「韓国現代史に敬意を」とつぶやいて、ホテルにもどったのだった。

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