フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

非被災地域に住む外国人の行動と情報支援の問題ー千葉市の事例から

2012-03-10 22:50:30 | research

今日は東京の西の端、桜美林大学で開催された社会言語科学会大会。

千葉大グループも上記タイトルで、昨年5月に実施した千葉市調査の報告をした。

ポイントは「非被災地域」ということで、従来からの被災地域の外国人の調査ではなく、非被災地域でも外国人はさまざまな問題を抱えていたことを報告したもの。「非被災地域」とは、被災の外部ということではなく、内部と外部の中間地帯(中井久夫さんの言葉)をさす。

そもそも被災地域とは何かを問うてみると、それが簡単に定義できないことがわかるだろう。被災と非被災は明確に分けられるわけではなく、ある点からすればある場所は被災地でありある場所は非被災地になるが、べつな点からはどちらも被災地であることがあるわけだ。メディアに流れる被災地、被災者という言葉もまた安易な線引きで、実際を見ていない。つまり「被災地域」とは極端に単純化したイメージにすぎないのだと思う。

千葉市のような場合、目に見える被災は実感できないが、ぼくらは震災の大きなプレッシャーを感じさせられながら、3月中は半避難生活をしていたようにも思うのだ。東日本大震災にみまわれた非被災地域において外国人はすっかり忘れられていた。ボランティアの人々だけが彼らを気にしていたが、国も市も一般の日本人もほとんど顧みることがなかった。そこからさまざまな問題が生まれていた。

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久しぶりに京都へ

2011-12-05 23:02:10 | research

土曜日から開催されていた言語政策学会に、日曜日の朝早く新幹線にのって参加。

日曜日の太平洋側は完璧な晴天で、白く雪をかぶって富士山が裾野まで姿をみることができた。会長選挙をする理事会に出席することが第1の目的だったけど、午後の講演とシンポジウムも興味深く聞くことができた。

晩秋の京都らしい光と空気は、放射能の関東から出てきた身としては、なにかとても懐かしい気がする。

講演はカンドリエ教授(フランス・メーヌ大学)の「欧州評議会から外国語の教室へ:言語・文化の多元的アプローチの長い歩み」というもの。多元的アプローチというのは、学習者の複言語能力のメタ言語知識に気づきを与えて、それぞれの学習者がもっている諸言語の知識を体系的に整理させる活動を目指すもの。複数の言語の諸側面を同時に考えさせる活動が試みられているそうだ。ただし、欧州評議会のプロジェクトである複言語主義も、その中に含まれる多元的アプローチもまだ実際には諸外国の言語教育にはほとんど採り入れられていないことにも言及されて、それが面白かった。言語使用の場面から出発しない言語教育政策の試みは多かれ少なかれそういった結果に陥る気がする。しかし、アイデアには興味がある。

シンポジウムは「移民コミュニティの移民言語教育—オールドカマーを中心に」というテーマで庄司博史教授が概要を述べたあと、在日韓国・朝鮮人、朝鮮人学校のイマージョン教育、そして神戸の中国人学校の報告があった。先日の浦安の講演で日本では「外国人政策」といって「移民政策」とは言わないという話があったが、ここでもその話がでておやっと思った。しかし、さらに「住民」という言葉が最近は法務省で使われ始めたことが紹介されて、この言葉はくせ者らしく、住民票で外国人も日本人も一括して管理したいために住民という言葉を使いたがっているだけで、外国人登録票などで区別することには何も変わりがないということらしい。「住民」という言葉もその法的意味合いを考えて使わなければならない。

朝鮮人学校はかなりうまく行っていて、コミュニティの中心的な場になっており、アイデンティティの確立にも貢献しているらしい。授業や課外授業の様子などフィールド調査のビデオが見れて、興味津々だった。これは発表では言及されなかったが、そこで学ばれている朝鮮語は、韓国語でも、朝鮮族が使う朝鮮語でもない。どちらかというと、クレオールのような特徴を持っているらしい。中国朝鮮族は少数民族として認められて朝鮮語を保持できたが、在日朝鮮人は少数民族とも認められなかったためか朝鮮語から隔たったコミュニティ言語としての変種を使うことになった、ということなのだろうか?一方で、中華学校の報告では、授業以外で中国語が使われていないようで、自分自身も中国人であると思わない生徒のほうがずっと多いらしい。グローバルなアイデンティティとも解釈できるけれど、やや疑問である。

夜遅く、とんぼ返りで千葉に戻った。

 

 

 

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規範再考2

2011-06-22 23:58:46 | research

今日は梅雨の晴れ間で30度近くまで気温も上昇。今年はぼくも教員の定期評価なるものに付されることになっているため、そのための提出資料を1日かかって作成。いかにちゃんとやっているかを示すわけだ、やれやれ。

さて、規範だが...

Neustupný (1985): Nromsには、「ある場面で適切な規範を選択する一般ストラテジー」について、まずは「その場の母語話者の規則が通常はその場面の規範に対する基盤(the base for the norm of that situation)となる」という表現がある。さらに、「この一般ストラテジーを用いて接触場面の規範の基底(the base of the norm of contact situation)が確立されるが、細かく見れば相当程度のバリエーションがある」と指摘している。

つまり、母語話者の規則がその場面の規範を確立するための基盤を提供するとしても、確立される基底規範は母語話者の規則とかなり異なっているということになる。逸脱はこのかなり異なっている基底規範を基準にして留意され、評価されることになるわけだ。...このあたりを考えると、Neustupný(2005)が規範の種類を母語規範、接触規範、二重規範、普遍規範、共有規範、グローバル規範などと分類したのは、興味深いと同時にある種の単純化の結果のようなところがあるような気がする。これはFairbrotherや加藤にも言えることだが。

一方で、基底規範が参加者相互に共有されるとしても、母語話者が想定する規範と非母語話者が想定する規範には自ずから不一致があるし、基底となった規範だけが適用されるわけでもないだろう。接触場面に向かう管理がありうるとすれば、こうしたズレや基底規範の狭間にこそあるのだろう。

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規範再考中

2011-06-19 23:03:07 | research

ドライブから梅雨空が続いている。大学は今、図書館の増築工事の真っ最中で、去年までその脇の池のほとりに大きな紫陽花が咲いていたのだが、もはや池も紫陽花も消失している。写真は大学院横の紫陽花。光が射さないので、なんだか沈んでいる。


さて、言語管理研究の覚え書き:

Neustupný (1985)  Language norms in Australian-Japanese contact situations. In Clyne, M. (ed.) Australia, meeting place of languages. pp.161-170. Pacific Linguistics.には、言語規範の諸相が事例と共に検討されている。たとえば、62ページには次のような考察が見られる。


MF normally does not want her English to sound too Australian, and she pre-corrects her speech. However, she denied to have consciously used pre-correction within conversation 1.

It is a common experience that speakers pre-correct their English in certain categories of contact situations in order to present themselves in a particular way. The maintenance, expansion and the redirection of this ability is of great importance for language policy.


ここの事例は、MFという話し手が英語を使うときに、自分自身の表出を管理するためにその場のディスコースに入る前から事前調整をしているとあって、これはまさに接触場面に向かう管理の一例である。ただし、上の例ではそのような管理をしているにもかかわらず、収録した会話の中ではそうした管理をしなかったことがMFによって報告されているわけだ。当該場面のディスコース上の何らかの制約が管理をさせなかった要因になるのだろう。


同じ年に書かれた、Neustupný, J.V. (1985) Problems in Australian-Japanese contact situations. In Pride, J. B.(ed.), Cross-cultural encounters: communication and miscommunication. pp.44-84. Melbourne: River Seine.では、ディスコース上での言語管理に集中して事例が紹介されているのと、対照的。


また、上のような接触場面に向かう管理の焦点は調整に当てられている点にも注意が必要か。Fairbrotherの接触規範が母語話者の評価規範(母語場面と明らかに違う、接触場面特有の外国人に対する期待)であるのと、明瞭に区別する必要がある。

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言語管理研究会特別講演会(3/11)

2011-04-21 23:55:58 | research
桜もほぼ散り、八重桜しか残っていない。今年は冬が長く居座ったせいか、桜も梅もこぶしもハナミズキもいっぺんに咲き始めた。まるで北海道のように、あるいは東北のように。

さて、もう1ヶ月以上経ってしまったが、3月11日は言語管理研究会と神田外語大学異文化コミュニケーション研究所の共催で、特別講演会「中央ヨーロッパと接触場面の変容」が行われた。

講師: Jiří Nekvapil(チェコ、カレル大学一般言語学科教授)
場所:神田外語大学
日時: 2011年3月11日(金)13:30-16:00

チェコにある多国籍企業でのインタビュー調査をもとに会社の中での言語選択がどのような言語イデオロギーとかかわるかを話してもらう。ネクバピル先生とはかなり長いつきあいだが、今回は、北大の誘いで来日し、早稲田大でも講演があり、この日が最後のレクチャーだったわけだ。日程調整で候補日がいくつかあってこの日になったが、ネクバピル先生にとってはアンラッキーとなってしまった。また、来て下さった多くの方々にとってもたいへんな1日となってしまった。

その後の簡単なご報告:

ちょうど講演が14時40分ごろ終了して、10分の休憩をとったところで、14時46分がやってきた。
急いで屋外に待避、神田外語大の学生たちのいた広場のほうに移動した。職員の方々の指示にしたがって、夕方まで待機。その間も、液状化で濁った汚水の匂いのする水が砂といっしょに湧いてきて、地面をぬらしたり、余震がきてキャンパスの芝生が波打ったりしていた。キャンパスのあちこちの舗装が落ち込んだり、崩れたりしていた。ぼくらはそれぞれ写真を撮ったり、研究会の内容について話したりしていた。ぼくだけ車で自宅に戻り、ちょうど学校から戻っていた娘と再会し、いっしょに神田外語大に戻った。途中の道も液状化でぬれている。

電車は不通でだれもどこにもいけず、結局、寒くなってきたので一番安全な大講堂に全員移動。
研究会の後、小さなお茶会を予定していた食堂に行ってみると、何事もないようにおやつやコーヒーが待っていたので、参加者のみなさんとしばしそこで暖かい飲み物で息をついた。これは助かった。それからまた大講堂にもどる。スクリーンでNHKテレビを見る。目を疑う津波。この映像でたいへんな震災になったことを理解。結局、神田外語大の200人くらいがそこで一夜をすごすことになった。

8時を過ぎても電車は動かないのをみて、遠くからの参加者5名について宿舎を照会してもらった。ぼくは講演会の手伝いに来てくれた留学生4人を稲毛のアパートまで車で送る。普段は20分程度の道のりなのに、途中、渋滞が始まり、1時間以上かかってしまった。ようやく稲毛につくと、そこは何事もなかったように明るく人通りも普通通り。やはり埋め立て地と元からの陸の上ではちがうようだ。町の明かりをみて、いささか生き返った心持ち。4人を降ろして、再び、神田外語大に戻る。今度はネクバピル先生をホテルまで送り、まだ宿泊先が決まらない参加者にも車に乗ってもらってホテルを探すが、どこも満員で無駄だった。結局、二人が大学で一夜を過ごすことになってしまった。

そんなこんなで11日は終わり、ネクバピル先生は翌日帰国するはずだったが、翌週の火曜日にようやく成田から発たれた。12、13、14日と、レストランやお店の多くがしまって人通りの絶えた幕張新都心をネクバピル先生と歩いたりしていた。チェルノブイリの話もあり、当時、共産圏に属していたチェコでは何もなかったふりをしたと話してくれたのが印象的だった。ちなみにぼくはチェルノブイリが爆発した4月26日から5ヶ月後に、ウィーンに着いている。

これが3月11日のささやかな出来事だ。
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作業進行中

2011-03-03 23:22:55 | research
3月に入ったが、今年の冬はなかなか手強い。

大学に行ったり行かなかったりしながら、進行中のプロジェクトのための作業や執筆を続けている。

他の人の論文にはたくさん口を出せるのだけど、自分のものとなると七転八倒ですね。でも例のGoffmanのfootingについて多少分析が可能になった気がする。丁寧な説明が出来ないけれど、とりあえず覚え書き。

この概念はなかなか一筋縄でいかないもので、まずどのレベルにfootingを捉えるかがどうしても揺れてしまう。会話の役割を果たす中で、非優先的な応答やコードスイッチングなどのリソースが使われると、そこに話題に対して距離を取ったり、優位な立場を選んだりするといった参加者の姿勢が分析できるのだが、それが相手との位置調整としてのfootingでは、非関与の立場や言語ホストの立場を示すことになる、というふうに、言語リソースのレベルから、参加者の姿勢、相手との位置調整としてのfootingと、3つのレベルを渡っていかないと、footingまで行き着かない。しかも、非関与のfootingが社会的に何を意味するのかというふうにまだ先がある。つまり非関与と言っても、それが相手への配慮に基づくのか批判に向かっているのかは、参加者の歴史からしかわからない。(すみません、例もなくて)

木村護朗クリストフ先生から論文集『言語意識と社会』(三元社)をいただく。昨年の夏に草稿を読ませていただいたもの。立派な装丁でちょっとまぶしい。これからじっくり読みたいところ。

さて、以前から同僚のMさんが韓国では入試のカンニングがいくらでもあって問題なのに、日本ではほんとになくて不思議ですねと言っていたのだが、日本も例外ではなかったようだ。ぼくも昨年は入試の仕事をしていたので人ごとではない。ただ、彼が個人としてやったことはカンニング以上でも以下でもない。試験とカンニングはおそらく2000年前から切っても切れない関係にあるわけで、手法が新しかったというに止まる。大騒ぎがどうも腑に落ちないのだけど、大学としてはちゃんと入試監督をするというに尽きるのではないか?
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第25回言語管理研究会定例研究会開催

2010-12-14 23:43:03 | research
先週の土曜日(12/11)は言語管理研究会を千葉大で行った。

今回は、国立民俗学博物館外来研究員の金美善氏に「在日コリアンの言語からみた日本の移民言語環境」というタイトルで講演をしてもらった。いわゆるオールドカマー1世を中心に、かれらのエスノグラフィックな言語環境の紹介から、接触コードの混交や切り替えの実例、そして在日コリアンの言語をethnolectとして日本語の言語共同体の中に位置づけてはどうかという提案が、1時間ほどの話のなかで展開された。

1世の言語を不完全で中途半端な言語と見なすのではなく(本人たちがそう思い込んでいたりする)、ethnolectとして、日本語の中に位置づけること、ただし、標準語>方言>ethnolectという縦並びの関係があることもその概念には含まれていることにも注意する、というあたり、大学院生と読んでいるグローバリゼーションの社会言語学の本と見方が一致しているのが面白い。とかく多文化共生というと、水平的な方向に、対等関係として描かれる社会が、ここでは垂直的な、権力的な関係が指摘される。1世の言語を含めた言語共同体内のレパートリーに対する価値付けによって序列を形成されているということなのだろう。

接触場面の変容ということで言えば、韓流と韓日ワールドカップ以降、日本人の韓国イメージはぐっとあがっているわけだが、その恩恵はニューカマーは受けていても、オールドカマーの1世には届かない。ただ、彼らの家族の嫁や孫がしょっちゅう韓国に行くようになってしまい、世話をしてくれないというだけだ。1世が自分の言語を再評価したりできるような影響までは届いていない。要するに、1世の日本語がなまっていると在日と呼ばれてしまうが、ペ・ヨンジュンがなまると「ステキ~」となるわけだ。

刺激的な2時間、ありがとうございました。
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言葉を中心的なアイデンティティとしないことの意味

2010-10-17 23:10:07 | research
朝鮮族の調査をまた少ししているが、会話データを録ろうとすると、それはなかなかうまくいかない。韓国人となら韓国語と日本語を切り替えるかと思うと、日本語だけになるし、中国人とは中国語と日本語を切り替えるかと期待すると、日本語ばかりかになるか中国語ばかりになるというように、多言語話者としての秘密を簡単には出してくれない。

ちょっと困ったので、朝鮮族の研究者ご夫婦に話を聞くことにしたのが先週金曜日の夕方。失敗と思ったビデオを見せたところ、これは普通ですよ、とくにビデオがあれば日本語だけで話すでしょう、と言われる。確かに接触場面での彼らの管理は、出会ったときの言語選択にあるのであって、会話が始まればほとんど一言語で進めていく。

では朝鮮族同士ではどうなるのかというと、朝鮮語であるとは言ってくれるのだが、ぼくらはふつうどのような言語を話しているかは意識できないものだ。ぼくが聞かれれば、そりゃ日本語ですと答えるにちがいない。コードスイッチングも同じような特徴があって、コードスイッチングをしていることにも意識がない場合が少なくない。

朝鮮族の朝鮮語には、周囲の言語との接触によって、多くの借用語が入っていることは当然だろう。借用語の中には句レベルや文レベルのコードスイッチングが混じってくることも多いにあるに違いない。そこに管理はないにしても、朝鮮族の朝鮮語データを録っておきたいという気持は残る。

お二人の話を聞いていると、朝鮮族というまとまりは朝鮮語を中心には意識されていないことは忘れてはならない点だろうと思う。延辺から離れた吉林省や黒竜江省であれば、朝鮮語のバラエティが違うし、中国語の能力も格段に強くなる。延辺の朝鮮族であっても漢族の学校に通った人は朝鮮語が弱い。だから朝鮮族と言っても標準的な母語話者能力を想定することができないし、朝鮮語ができないからと言って朝鮮族ではないということは言えないわけだ。

日本に暮らし始めると、少数民族と言われ続けていた中国での時以上に朝鮮族であることを意識し始める。それはとくに韓国人と出会ったとき。そして、自分の名前を書くと、韓国人ですかと聞かれるとき。日本では民族と出身の国をナイーブにいっしょに見るものだから、そんな質問に苦労することになる。ヨーロッパではそんな質問はまず回避される。

日本にいるのは一番楽です。中国でも出世の道はとざされているし、韓国ではどうしても馬鹿にされる対象だし、ここがいいんです、とうのがお二人の話だったが、それは学生という身分のために過ぎないのか、それとも事実であるのか?

日が暮れていき、話は終わったが、どのように言語を使い分けるかよりどのように自分を見せるかのほうが、彼らにとってずっと重要なことなのだろうと思いながら、家路についた。
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第24回言語管理研究会開催

2010-09-19 23:15:37 | research
土曜日は2ヶ月ぶりの言語管理研究会を千葉大で開催。

昨年からの継続で「当事者の視点から考える接触場面の変容」というテーマで、出身地域・出身国をかぎって外国人の接触場面の捉え方、参加の仕方を考えているが、今回は、京都光華女子大学教授の河原俊昭先生をお呼びして、「日本に在住するフィリピン女性の言語問題」について話を伺うことができた。

フィリピン人は、中国、韓国、ブラジルについで外国人登録数が多いが、コミュニティをもたず、フィリピン人学校ももたず、男性は少なくて、日本人との国際結婚が多い。河原先生の奥さんもフィリピン人で、ご家庭の様子なども含めて、平易な語り口で1時間強お話しいただいた。

多元的言語アイデンティティという概念が出されていたが、多言語運用能力というものがひとつの言語アイデンティティを形成しているのではないかとのこと。確かにそういった面はあるように思うが、とくに英語のアイデンティティが強いのではないかと思うがどうだろう。ただし、あとでみんなとも話していたのだが、フィリピン人の場合にはコミュニティよりは家族のまとまりや団結が強く、多くの島々からなるフィリピンでは国民意識もまた日本のような堅固なものではない。だからいきおい言語アイデンティティそれ自体、重要視されていないのにちがいない。

僕自身はフィリピン人のインタビューをわずかに1人、1時間弱しただけだったが、河原先生の長年の研究と経験から話していただいたことにかなり重なっており、意を強くした。

京都からわざわざ足を運んでいただいた河原先生に深く感謝したい。

(注記)ナショナリズムから言語アイデンティティにいきなり話が飛んでいるが、アイデンティティ概念が重視されないというところに焦点があります。アイデンティティは言語、国家、民族、宗教など考えられますが、いずれもフィリピン人にとってはアイデンティティ形成にいたってはいないのではないでしょうか。
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第23回言語管理研究会

2010-07-10 23:30:11 | research
1月以来、久しぶりの研究会を神田外語大で開催。

今回は香港研究者をお招きして香港の言語事情を講演してもらうということで、城西国際大学の塩出浩和先生に「香港に於ける言語管理政策の歴史」というタイトルで1時間余り話してもらった。塩出先生はおもに政治社会史を中心に香港だけでなくマカオや広東省、さらには華僑として海外に暮らす人々の質的研究などをされている方で、2年ほど前も千葉大のオムニバスでもお願いした縁がある。

お話を伺っていて少し思っていたのは、単純に分けてしまえば、返還前と後とで、人々と言語との関係が変わったらしいということだ。つまり、返還前は英語と香港語(広東語)という決められた選択肢しかなかったが、返還後は言語学習や言語使用を主体として選択することが可能になったように思われる。それは上からの政策というわけではなくて思い掛けない結果なのだろう。

社会構造的にイギリスー英語ーエリート、香港ー広東語ー一般市民といった2分法が崩れ、それにともなってどの言語に重きを置くか、どの世界に比重を置くかについては各人の選択に任せられる状況が生まれている気がする。だから、英語を例にとれば、返還前には英語はエリートと強く結びついて半ばダイグロシア的な状況であったものが、返還後は英語はイギリスと必ずしも結びつかなくてもよい、だれにも開かれた可能性の象徴となったように思われる。

では、そうした各人の選択に任せられる状況が出現しているとして、そのような場合の選択の規準に、どの程度、香港の言語実践の歴史的経験は影響を与えているのか?これはたぶん、選択が個人のものである限り、一般化も出来ないテーマではあるだろう。しかし、たとえば、返還後に政府が進めた中国普通語の普及がさほど進まず、簡体字に対するアレルギーも弱まらないことなどを見ると、上からの管理に対する距離の置き方あたりになにかヒントが隠されているというのは素人の勘繰りだろうか。
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