フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

久方ぶりに文芸誌を買う

2009-07-23 23:50:08 | Weblog
今月はじつに久方ぶりに(すみません、少し文学風になりました)文芸誌『新潮』と批評誌『現代思想』を買った。

『新潮』には北杜夫と辻邦生の書簡が掲載されている。本屋ではすでに売り切れになっていたのであきらめかけていたら、なんとヤマダ電気に売っていた。さすがにヤマダ電気で文芸誌を買う人はいなかったようだ。北杜夫がその昔、マグロ調査船で出かけたパリで旧制高校時代からの友人、辻邦夫に再会して別れ、日本に戻ったところから書簡は始まり、辻邦生が足かけ5年のパリ生活から戻ってくるところで終わっている。ちょうど60年前後の頃の話だ。辻邦生はギリシャ旅行後に小説を書き始め、北杜夫は芥川賞を受賞する、そんな小説家誕生の時期の友情がよく伝わってくる。森有正が『どくとるマンボウ航海記』を読んで驚嘆していたというエピソードも挟まれている。もちろんトーマスマンや埴谷雄高も。

『現代思想』は昨年物故した加藤周一特集。加藤周一は二度横顔を見ている。一度目はモナシュ大学で講演に来たとき。二度目は神保町の岩波ホールの交差点でタクシーか何かを待っているのを見たとき。じつに風貌の立派な大人物風であった。特集では、林達夫と加藤周一の比較をしている文章があって面白かった。実に似た知性のかたちと生活の姿勢を持っていたのに、体を悪くして亡くなる直前に、林達夫は読みたい本の話をし、加藤周一は書きたい本の話をしたところに違いが現れているという視点は少しだけ面白い。僕なら、林達夫の含羞と加藤周一のロマンティシズムについて比較するかな。

いずれもぼくの学生時代のスターたちだ。こちらはできの悪い学生然として、いつまでも読者の席に座っている。
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大連から回帰まで

2009-07-19 13:14:37 | Weblog
わけのわからないタイトルになってしまったけど、研究会のその後について。

さて、1時前に終了して、お昼ご飯をということになり、近くのビルに入っている大連アカシアという中華レストランで円卓を囲む。噂では大連市が経営に参加しているとのこと。天井が高くて、少し暗めの照明がなかなかよい。結構、実際に訪れたことはないが、"大連"って感じなのかな。

給仕(と言いたくなる)のうち、あとで料理を運んできてくれた人を見て、おやっと思った。その昔、幕張の近くで上海市場というあっさりスープのラーメン屋があって、そこの店の人に似ていたから。挙措が何とも素敵で文化人の香りがあったので覚えていたわけだ。数年でラーメン屋は閉店になってしまったけど、こんなところで再会するとは思わなかった。

そこでみんなとはお別れ。

夕方はまた外食にでかけてしまい、今度は前から気になっていた小さな「回帰」という名のレストラン。なぜ気になっていたかというと、あるとき通りかかったら、張り紙があって、これから四川省に味の旅に出るので2週間ほど休みますと書かれてあったのを、なんだか風雅なお店だなと思っていたのだ。

入ってみると、内装も簡素にとどめて、生木のテーブルが10ほど、そこが客で半分ほど埋まっている。天井にエアコンが3台吊ってあり空気がきれいだ。カニ玉やおこげのポットや野菜のクリーム煮などやさしい料理を頼んだのだが、どれも油は少なめで洗練されていて、思わずうなる美味しさ(やっぱり「味の旅」の成果なのか?)。

久しぶりのヒットである。こんなに良心的に作っていると経営が心配になるが、ぜひ続いてほしいと思わせる味だ。香港でもメルボルンでも十分勝負出来そう。

JR幕張駅から海のほうにまっすぐ歩いていって国道14号線を越えると、3分ほどのところにある。とても小さな店ですが、どうぞお試しあれ。
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言語管理研究会第20回定例研究会の開催

2009-07-18 23:14:31 | research
昨日は言語管理研究会第20回定例研究会を神田外語大で開催。いつのまにか20回です。もちろん、前身の研究会から数えればその倍にはなるが、「言語管理研究会」となった2006年10月から数えるとこういうことになる。

日差しはごく弱いのだが、湿気が強く、へばるような暑さ。

前回から引き続いて、今回はファン(神田外語大)、高(千葉大)という中心メンバーによる研究方法についての発題があって、30名近くの方々の参加をいただいた。接触場面の分類から一時期止まっていた研究だが、一昨年の多言語使用、昨年からの接触場面の変容とすすめていく中で、各地域の出身者に的を絞っていくことで必然的に場面研究はさらに具体的に多様な姿を現し始めていると感じる。

・当事者にとって接触場面は所与の事柄ではない。NS-NNSが参加すれば接触場面であるというのがまったく事実ではないのと同様に、異なるスピーチコミュニティに属する参加者だからと言ってつねに同等の資格で出会うわけではない。
・初めて外国の地に立った人、ずっと文化度が高いと信じられている外国に来た人などは、外来性を感じても逸脱として留意することは抑制されてしまうかもしれない。(以上、高発表の私なりのまとめ)
・外来性は必ず逸脱となるわけではない。例えば、多言語社会で常時、多様な接触場面に参加している場合、多言語という外来性はunmarkedであり、単言語はmarkedになる。
・多言語使用において、言語間、言語バラエティ間の社会的位置づけ、そして個人要素(年代、背景、教育、etc.)とが、それぞれの外来性の強さや重要さに序列をつくり出しており、管理の方向付けに影響を与えている。(以上、ファン発表の私なりのまとめ)

研究方法とは、つまるところ、どのような視点で何をみるのか、それによって何がわかるのかといった研究のデザインを意味する。接触場面の変容をとらえるために、どこにどの深さでアンカーを打つか?

そろそろその試投の時機も終わりに近づいているという気がするわけだ。
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昨今日本語教師事情と有閑階級の理論?

2009-07-14 23:18:02 | today's focus
関東では梅雨明けとなった。

さて。

こんなことを言うと厭がられるかもしれないが、ぼくは仕事については運が良くてよく回ってくるほうなのだと思う。だから、国研の養成プログラムを終えた後は、大学の常勤のポストを渡り歩くことが出来たわけだ。優秀とかそんなこことではなく、やはり巡り合わせとか、人に恵まれたとか、そういった運や縁の結果なのだと思う。

ところで、今日は島田和子さんが書いているインターネットの新聞コラムをみかけた。

「日本語教育振興協会20周年」問われる日本語学校の未来ー教師の努力に大きく依存する日本語教育のあり方見直すべきとき」というものだ。

日本語学校の常勤講師の手取りの平均が21万程度だが、転職をして日本語教師になった人の78%は転職してよかったと答えているという。つまり、日本語教育は、待遇はよくないにもかかわらず熱意を持ち続ける教師たちによって支えられているが、留学生30万人計画が叫ばれている中で、こうした貧弱な日本語教育政策を続けていてよいのかという問題提起になっている。

この問題提起は、昨今の大学における日本語教員募集にも言えるだろう。任期制で延長なし、昇任なし、しかも助教で採用するという方式が急速に拡がっている。

おそらく日本語教育の理想など語る場所はどこにもないのだろう。ぼくはこのブログで役にも立たないことを夢想しているのだが、それはもしかしたら無遠慮で野蛮な「有閑階級」の営みなのかもしれない。

教育のインフラはいつかすっと立ち上がるときが来るのだろうか?
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授業覚え書き

2009-07-07 22:12:05 | today's seminar
授業の覚え書きを2つ。

大学院授業もあと数回残すだけ。博士の授業のほうは、Goffmanのface workからFootingへと移行。有名な聞き手の分類と話し手の分類が出てくる。

Goffmanは、相互作用の相手やそこで扱われる話題に対するスタンスのシフトに焦点を当てながら、そのシフトがどのような構造的な基盤の上で可能になっているかを考察するために、あるいは彼の好みの言葉を使えば、シフトに課された制約を考察するために、まずは聞き手にはどのような種類があるかを述べていく。盗み聞き、立ち聞き、第三者、承認された受け手と承認されない受け手、そしてそれらの間の付随的なコミュニケーションなどが語られていく。加えて、話し手の足場についても分類をしていく。双方の分類がfootingのシフトの範囲を決めることになるわけだ。この点はぼくのfootingの論文では扱ってこなかった部分なのでよく考えなければならない。

修士の授業は滝浦氏のポライトネスによる敬語論から、彼が注でBrown and Levinsonが出る前からポライトネスによる敬語を考えていたことを賞賛していたネウストプニー先生のCommunication of politenessに移り、今日でそれも終了。

この論文ではポライトネスの類型論とともにそのバリエーションの要因をさぐる試みがあり、興味深い。ネウストプニーによれば、言語地域や言語接触による借用などとともに、社会構造の変化の要因が重要ということになる。だから近代以前と近代以後とで、身分的距離から連帯的距離へとポライトネスが移行していくだけでなく、もっともポスト近代に近づいたと言われたアメリカにおいては非連帯を示す名字の使用すら制限されるようになり、言語的なポライトネスはますます減少していくことになると言う。

上下関係を示す身分的距離の敬語と、水平的な距離を示す連帯的距離の敬語とが、それぞれモダンからポストモダンへと移る過程で消えていくとすれば、それはつまり社会に基礎をおくポライトネスがもはや成立しない世界になっていることを示していると言ってもよいのかもしれない。だとすれば、B&Lが個人の欲求をfaceの基礎に置いたことの意味もわかりやすくなる(Goffmanはfaceを個人の内部にある神聖性とした。神聖性にはその地上と天上の上下階層によってある種の社会性が残っている)。つまり、個人の欲求にしかすでにポライトネスの基礎は見いだせないというわけだ。そういうことなのだろうか?
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