フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

教えたいことと伝えられることのあいだ

2010-07-28 22:00:54 | today's seminar
今日は授業実習、最後の反省会。18本、エスキモーのアイスを持っていく。

全員集まって、一人ずつ出来たこと、出来なかったことについて話してもらう。

結局、今回の実習では、とくに後半はニーズ分析から学習者の実践領域を割り出して、授業活動を考え、さらに教材作りをするという作業をやってもらったために、その準備がたいへんで、ゼミでもそこからさらに授業活動案がうまく計画されているかどうか、教室で教師としてのどのように行動すべきか、などほとんど検討出来ないまま、授業に向かうしかなかった。だからそれは十分な練習もないまま戦場に兵士を送る訓練官のように、やや忸怩たる思いがある。

それでも学生達は失敗しながらもいろいろなことに気がつくようになっていて、「学習者と一緒に授業を動かしていく感覚」を少しは感じてくれたようだし、「教えたいことと伝えられることのあいだをどのように埋めて解決していくか」(いずれも学生の言葉)に苦しみながらも醍醐味を見つけてくれていたようだった。最後の授業評価アンケートでは「達成感いっぱい」ということばが何よりも救いである。

僕自身、「真面目な日本語教師養成者」ではないので、細かいことよりは授業を準備するときのポイントや、学生と対するときに忘れてはいけない基本的な姿勢とか、要するに役割を担いながら相互に投射し解釈していくコミュニケーションのリアルさを感じ取ってもらいたいというだけだったのだが、そのへん感じてくれた人がたぶん何人かいたかなと思っている。

そうそう、リアルと言えば。学習者に学生達が作った実習授業評価をしてもらったが、ビジターセッションについて「とてもリアル」と感想を言っていた学習者がいて、やはりこれも苦労した甲斐のある試みだったのかなと思う。

とりあえず(こればかりな気がするけど)、2年ぶりの授業実習、これで終了である。
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日本語授業実習終わる

2010-07-22 23:09:28 | today's seminar
7月下旬に向けて猛暑が数日続いている。

6月中旬から始まった日本語授業実習が今日で終了。あとは来週の反省会が残るだけ。
今週は火曜日にビジターセッションの準備、そして今日はその本番で、学生達に手配させて4人の日本人学生が来てくれたので、学習者5名と1対1で話をしてもらった。

5月から日本語を週2回勉強してきた人たちで、実際のところ、どの程度話せるかドキドキものだったけど、日本人学生との協同作業で会話は意外なほど進んだし、学習者の日本語能力も思ったよりずっと習得されたものが多いことがわかったと思う。その後のフィードバックの活動も含めてじつに興味深く、とくに1対1の会話はぜひ録音したかったけど、残念ながら出来なかった。

実習と言っても、ほかの大学で実際にどのように行われているかあまり知らないのだけど、少なくとも千葉大ではあまり力を入れていないわけで、その分、学生に負担が行くことになったかも知れない。ぼくにしても実習を見てから気がつくことが多くて、多いに反省である。それでも、週に実習2時間、授業1時間、学生との相談2時間ほどというかなり密な時間だった。久しぶりに日本語教育に浸っていた感じで、少し懐かしくもある。

日本語を教えるということは、結局のところ、学習者から教室のコミュニケーションを考え、提示する活動にどのような意味を読み取ってもらえるかを考えることからすべては始まるのだが、さて、実習をした学生達には何が残ったろうか?
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夏雲がやってきた

2010-07-16 23:03:16 | Weblog
昨日は午前中に日本語授業実習の観察と反省会。

後半の最初と2番目のクラスは場面重視の応用練習をしていたが、昨日は挨拶と会話の練習。じつはこの会話の練習というのが、うまく手順を踏んでいかないときれいに出来ない難物なのだ。場面重視の練習は「場面性」にあまりに真面目に取り組むと楽しくなくなるという点だけおさえておけばよいのだが、会話練習の場合には会話がどのように作られていくかという部分(その主要部は隣接ペアの作り方と話題の展開の連鎖)についてよく整理して練習させる必要がある。そこの指導が甘かったというのがぼくの反省。それでも一生懸命、実習に取り組む学生達の姿はやはり美しい。

午後は会議を2つこなしてから、10月初めに予定している合宿の相談。今の学生達は共同で作業をしたり、意見を交わしたりするのが苦手だという話が出てくる。合宿でそんな学生同士の壁を乗り越える機会が出来ればいいのだけど。昨今の先生はそんなことまで気を使わないといけないらしい。

今日は午前中に講義、午後は院の合同ゼミと学部のゼミ。院生のゼミでは、このところいろいろな雑誌のここ10年間の傾向をキーワードから読み取る作業をしてもらっている。今日の発表で盛り上がったのは、雑誌2件を見ると、ほとんど同じキーワードがないということだった。もちろんその一部(たとえば、学習者××、学習者○○のように)は共通であるのだけど、キーワードを1つ1つ厳密に見ると重なるものは極めて少ない。

ぼくの知っている範囲ではアメリカやオーストラリア、いわゆる英語圏の場合は、分野別にキーワードを集めた辞典のようなものがあって、そこから自分の論文のキーワードを選ぶように指導されることが少なくないように思う。だから、どのキーワードがここ10年で一番多く使われているかといったことが調べられるし、自分の研究がどのようなキーワード分類に位置づけられるかがわかることになる。しかし、日本の雑誌を見ると、重なるものがない、ということは、つまりみんな好き勝手にキーワードを付けているということになる。

だからいろんなキーワードがちりばめられるばかりで、研究が蓄積されていかないということにもなるのだろう。ま、それが現実に近いのではないかな?

写真は朝の夏雲を車から撮る。昨日の午後から空の青さが増している。
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人は変わるものだ

2010-07-12 23:07:14 | old stories
先日、大学入学クラスの同窓会が札幌であり、ぼくは行けなかったのだが、幹事のY氏が参加者のスナップ写真と欠席した人に頼んだ自分の写真とをCDに焼いて送ってくれた。

かれこれ30年余りの時が流れて、誰が誰やらさっぱりだ。このところ毎日、眺めて、顔と名前を確認しているが、50人もいるクラス(教養のクラスなので便宜的にフランス語受講者でまとめた)なので、もともとはっきりと覚えている人が少なかったのも事実だ。

写真は当時の入学記念写真だけど、ここから現在地点の顔までは、どうやったらこうなるのだろうと思うくらい変わっている!(きっと自分の顔もそう言われているかな)でも、きっと写真に固定されているからわからないので、生身の顔が動いてくれればきっと表情とかで昔の顔が表れてくるんだろうな。

ところで、30年余り経っても変わらないのは何か?今回の写真の限りでは、男性は眉毛である。(女性は形を整えるし、眉墨も付けるのでこれは判別不可能に近い)それから、口の踏ん張り方。

とにかく、みんな無事でよかった。
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第23回言語管理研究会

2010-07-10 23:30:11 | research
1月以来、久しぶりの研究会を神田外語大で開催。

今回は香港研究者をお招きして香港の言語事情を講演してもらうということで、城西国際大学の塩出浩和先生に「香港に於ける言語管理政策の歴史」というタイトルで1時間余り話してもらった。塩出先生はおもに政治社会史を中心に香港だけでなくマカオや広東省、さらには華僑として海外に暮らす人々の質的研究などをされている方で、2年ほど前も千葉大のオムニバスでもお願いした縁がある。

お話を伺っていて少し思っていたのは、単純に分けてしまえば、返還前と後とで、人々と言語との関係が変わったらしいということだ。つまり、返還前は英語と香港語(広東語)という決められた選択肢しかなかったが、返還後は言語学習や言語使用を主体として選択することが可能になったように思われる。それは上からの政策というわけではなくて思い掛けない結果なのだろう。

社会構造的にイギリスー英語ーエリート、香港ー広東語ー一般市民といった2分法が崩れ、それにともなってどの言語に重きを置くか、どの世界に比重を置くかについては各人の選択に任せられる状況が生まれている気がする。だから、英語を例にとれば、返還前には英語はエリートと強く結びついて半ばダイグロシア的な状況であったものが、返還後は英語はイギリスと必ずしも結びつかなくてもよい、だれにも開かれた可能性の象徴となったように思われる。

では、そうした各人の選択に任せられる状況が出現しているとして、そのような場合の選択の規準に、どの程度、香港の言語実践の歴史的経験は影響を与えているのか?これはたぶん、選択が個人のものである限り、一般化も出来ないテーマではあるだろう。しかし、たとえば、返還後に政府が進めた中国普通語の普及がさほど進まず、簡体字に対するアレルギーも弱まらないことなどを見ると、上からの管理に対する距離の置き方あたりになにかヒントが隠されているというのは素人の勘繰りだろうか。
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日本語授業実習進行中

2010-07-08 22:37:10 | today's seminar
日本も梅雨が続いて消耗しがちだが、今年度前期は、学部生と大学院生合わせて14人ほどで授業実習をしている。

今、まさに進行中。

留学生の配偶者たちのクラスをお借りして、前半は「みんなの日本語」を使った直説法の練習。
後半は既習項目を使った応用実践の練習ということで、私は後半を担当。前半は教科書をいかに忠実に教えるかということだが、後半は教科書を離れて、学習者のニーズから学習項目と教室活動をデザインして、教材を自分たちで作成するという方法をとったり、ビジターセッションの準備をしたりと、例年になく学生達は大忙しである。

どうやって本当らしいコミュニケーションの活動ができて、学習者に活動が今の自分に大切だと思わせられるか、どうやって自分の知っている日本語や生活の知識を使うように仕向けられるか、あるいは逆にベタな本当のコミュニケーションからどうやって遊び心をもった活動へと変貌させられるか、といったことを学生達には考えてもらいたいと思っている。

学生達は先生として立つことがまだ恥ずかしくて、目でものを言ったり、対面する姿勢をとれなかったりと、それどころではないのだけど、いつか役に立つ経験を積んでくれればと思う。今日は後半最初の授業で「バスに乗る」「病院に行く」場面をやったけど、終わってから学習者がちょっと難しいけど面白いですと答えてくれたのでまずは大成功である。

だんだん学生達が学習者に向かって話しかけられるようになってきたのが頼もしい。
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梅雨の韓国行きその2

2010-07-05 00:13:02 | research
講演の後は、大学を出て、太田(デシュン)で先生達と会食し、太田市の外れ、儒城のホテルに一泊。

朝、ホテルで朝食をとる前に少しだけ散歩をした。マクドナルドでもあったらそこで朝ご飯を食べようかと思っていたのだが、周りにはなくて、地元の人が買いに来るお総菜屋くらいしかない。ちょっと覗いてみたけれど、がんばる意気地がない。それでホテルの前に立つセブンイレブンのコンビニに入った。

とりあえずお茶を買い、それから韓国で売っている即席麺は果たして日本で売っている韓国即席麺より辛いのかについて研究するため、二食ほどデータとして購入。レジに行ってお金を払うときにThank Youと言ったら、店員の若い女性が外国人とは思っていなかったみたいでほんとうに驚いた顔をしてみせた。ぼくもカムサハムニダと外国人としてもう一度言うと、ようやくお互い、にこにこすることができた。これが一人で会った日本語を知らない韓国人との心温まる出会いだ。

朝食後はお昼過ぎまで金さんの案内で太田観光。国立墓地で10代大統領である崔大統領の墓を表敬。奥さんも交えて食事。2時過ぎに韓国の新幹線KTXにのって、ソウル近郊の光明まで行き、そこで待っていてくれた非常勤のチョン先生の誘導で、仁川までのバスに乗った。というわけで、ほとんどが金さんの計画通りにぼくは韓国を歩いたことになる。いやいや接待も大変だったろうと思うけれど、じつに感謝である。

バスを待つ間、ベンチに腰掛けながら、ぼくとほとんど同年代のチョン先生と話をした。チョン先生が研究テーマとしたのは16世紀の日本語と韓国語の影響関係を授受表現について検証するものだったそうだ。だから大学の大きなポジションはないし、学生にも人気がないのだとぼそぼそと話してくれた。役立たないからねと笑っている。そして一回りも違う奥さんとの日本での出会いについても話してくれた。ぼくにはよく彼の話がわかった。やってきたバスに乗り、手を振った。

短い梅雨の韓国行きはとくに何があったわけでもなくこのようにして終わった。

写真は仁川空港に向かう長い長い橋のゲージュツ。じつはこの先のほうで2時間前、べつのバスが転落したのだが、こちらのバスはたくさんの警察や見物の車が止まっている横をすり抜けてぶじ空港に向かった。亡くなった方々に黙祷。



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梅雨の韓国行き

2010-07-04 22:34:05 | research
1日から2泊3日で韓国・金剛大学に招待されて行ってきた。

金剛大学はまだ新しい大学で、千葉大卒業生の金昌男さんとのかかわりで、何人も留学させてもらったり、教師として雇ってもらったりしていて、関係が深い。韓国の大学はすでに夏休みなのだが、日本語の夏季集中プログラムが行われ、その中で話をしてくれということだった。

今年1月に行ったばかりの仁川空港だが、今回は一人旅。そこから南下して忠清南道の天安(チョナン)まで2時間ほどバスに乗り、迎えに来てくれた金さんの車で論山に近い金剛大学まで移動した。途中、もう夕方になったので、公州(コンジュ)の鄙びた山のふもとのレストランで韓式の食事をする。公州はその昔、百済の都だったところ。木造で昔風の個室に座って、外の自然を愛でながら、栗の入ったマッコルリを嗜むという風雅なもの。一緒に来てくれたチョン先生は集中プログラムの非常勤で来ている人で、金さんと同じ時期、神田外語大に留学していたとのこと。梅雨のまっただ中で月は見えなかったが、山の多い韓国ではこうした食事の仕方に人気があるようだ。

韓国にも梅雨はある。仁川空港も靄の中だったが、論山(ノンサン)に近い大学のあたりもじっとり蒸し暑く、雨に濡れていた。大学は鶏龍山国立公園の山の南斜面に建っていて、緑の中に沈んでいる。

翌朝、大学の中を見学させてもらい、その後、総長との会見、そして総長や日本語関係の先生方との昼食(ここもやはり風流なところだった)。金剛大学はまだ発展途中で校舎自体は1棟しかないので、総長はよく先生達と食事をするとのこと。ぼくは食事中から体調不良になり大学に戻ってからしばらく自室で休憩。それから何とか立ち上がって学生達のいる教室へ。今日はドラえもんのアニメの日本語の吹き替えを6グループで演じてコンテストをするというプロジェクトの発表になっていて、プロジェクターに映るアニメに合わせて、グループでマイクを使って吹き替えるわけだ。もう大騒ぎで、叫び声や、悪役の笑い声などじつにうまくまねて楽しかった。

そんな楽しいコンテストの後なので、1時間ほどのぼくの話はまあちょっとしたcooling downといったところだろう。じつはふらふらだったのだけど、力が抜けただけ、口も軽くなったみたいで、なんとか終わりまでいけた。

学生達は優秀な成績で授業全学免除でこの見渡す限り山と農村の拡がる大学に入り、外国人をルームメイトにして4年を過ごすことになるわけだ。そのうち、1年は留学する者もいるが、ほとんどはこの小さな大学の中で育てられる。日本の大学ではすっかり大学生自身に任されているわけだが、ここでは大学がそうした教育まで引き受けているのだと思う。アメリカの大学の寮生活にもそんな傾向があるが、大学の先生と学生仲間の中で成長していくというのは、忘れていた1つの教育の型だった、そんな気もしたのだ。


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