goo blog サービス終了のお知らせ 

フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

多文化接触からイラン系移民まで

2010-04-24 22:26:07 | research
新学期2週目。今週は一昨年からはじめた「多文化接触論」の枠組みについて話すことになり、いくつか手元にある文献を読みながら考えていた。以下、3論文について覚え書き。

住原則也ほか(2001)『異文化の学びかた・描きかた』世界思想社 その1章

この論文では、ぼくも新版日本語教育事典で書かせてもらったけれど、グローバル化がもたらす共通化とその反応としての固有化の話。つまりグローバル化が地球全域に拡がっていくだけでなく、かならずそこに抵抗や伝統の再編成やノスタルジアが生じることがわかりやすく語られている。そして固有化を認めた途端に自国内の多様性・異質性もまた認めなくてはならなくなるのが論理的な帰結であることも指摘している。

丸山真純(2007)「「文化」「コミュニケーション」「異文化コミュニケーション」の語られ方」伊佐雅子監修(『多文化社会と異文化コミュニケーション』三修社

丸山氏の論文はこの教科書の最後に載っていて、もしかしたらそれまでの章で書かれていることを批判しているのではないかと思うのだけど、コミュニケーション・モデルの中でノイズとして捉えられる異文化コミュニケーションに対して、構築主義的な異文化コミュニケーションを主張したもの。接触場面研究でもよく「円滑なコミュニケーションのために」という言葉を使ってしまうことがあるが、ぼくにはいつもひっかかるものがあった。丸山氏はそれが結局、固定したコードを共有した集団のコミュニケーションを良しとする前提から来ていることを明かしている。その他にも論点盛りだくさんで、たとえば参加者の文化が異なるからコミュニケーションに影響を与えるのではなくて、異文化コミュニケーションを行ってから自文化、他文化が意識される。つまりコミュニケーションが文化を構築していく、など明瞭に表現してくれている。

小林悦夫(1993)「第2言語としての日本語教育の課題」『中国帰国者定着促進センター紀要』第1号

これはずいぶん前の論文だけど、ここで提出されている「第2言語として」、つまり日本で人生を送ることになる外国人居住者(ただしここでは中国帰国者)のための日本語教育という文脈について、これ以上の深みと精緻さで論じているものはないように思う。つまり、小林氏が提起した問題はいまだに日本語教育で熟考されていないという気がする。田中望さんの影響があるのだと思うが、同じように影響を受けている人々に比べて、とてもバランスの良い見方をしている。外国人を受け入れるということに対する日本社会のさまざまな感情が解きほぐされている。



久しぶりに熱の入る授業をいくつかしてすっかり筋肉痛になる。

今日は新宿まで言語政策学会の会議に出かけた。昨日と打って変わって陽気が戻る。

定例会のほうでは丸山英樹氏(国立教育政策研究所〈NIER〉)による「欧州の社会統合政策に見る言語と文化ートルコ系移民を中心にー」の話。最後のところで丸山氏がさまざまなトップダウン式の言語政策には限界があるのではないか、複言語を学習しようとか、少数言語話者の権利保障とか、上からの視点から政策をかかげても、個人の選択や意図が残ってしまうのではないかという問題提起が面白かった。要するにトップダウンの言語政策よりもボトムアップの言語政策を模索する必要があるという指摘なのだろうと思い、質問をしてみたら、ボトムからアップさせる必要があるかどうかも考えるべきではないかと答えてくれた。つまりインターネットも含めて横のつながり(ネットワーク)のほうがずっと強力であって、トルコ系(じつはイスラム系)移民の例を見ていると、国による政策のほうが後手にまわってどうしたらよいかわからない場合が一部に出てきているという。これは1つの視点である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春はしずかに、あるいはやり直すことについて

2010-04-18 23:46:49 | Weblog
授業1週目が終わってしずかに家にいる。日曜日は暖かさが戻ったので家からつい先にある海岸まで散歩をする。穏やかな波と風で何組もの家族が潮干狩りを楽しんでいる。胸まで浸かって釣りをしているカップル。それからパンツ一枚で海に入った中学生。ピアの先で釣りをしている男性は「お、いるいる。なんだかバカにされてるなあ」と竿をゆすっていた。カモメが上空を4羽5羽飛んで暖気を楽しんでいる。

昨日は「のだめ」の映画後編を観に行って、夜はテレビで前編を観てしまう。わが家はのだめファンである。しかし前編のほうは映画版とずいぶん変わっていて編集し直した部分が多い。一般視聴者向けに説明を増やした部分もあるが、それだけでなく最後の部分をカットしたりと修正が激しい。映画のときはきっと時間切れで仕上げてしまったのを今回やり直してみたのかもしれない。

先週は千葉大に来て最初に指導した中の一人の韓国人の学生さんが卒業以来、初めて小学校2年生のお子さんといっしょに訪ねに来てくれた。ご主人の学会の仕事についてきたのだと言う。たのしく近況を話してくれたが、それだけでなくそろそろまた勉強を再開したいのだと言う。その手始めにぼくの本を翻訳してみたいとのこと。もしそんな機会があるなら、のだめではないが、大幅に改訂したいところ。

書き直しということについて、これは指導する学生さんにはずいぶん嫌がられているのだろうけど、じつは自分自身はけっこう書き直しが好きなほうだから仕方ない。全面的な書き直しもあまり苦にならない。2,3月のfooting分析も何度もやり直していた。やり直すこと自体、よいものを作るために、あるいはより確からしさに近づくために、避けて通れないプロセスだと思うのだけど、問題は終わりのない堂々巡りに陥ってしまうことが少なくないことだと思う。めぐっているうちにだんだんパワーがなくなって、いつのまにか捨ててしまうことにもなりかねない。めぐっているその場所のそとに、さらに遠くの大きなゴールが見つかると、またパワーが沸いてくるのだけど、はてさてfootingはどうしようか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親戚訪問

2010-04-01 22:57:43 | Weblog
5日ほど香港に脱出。ただし、その目的は出入国管理の入国目的ではないけれど、親戚訪問である。

もう16年ほども行き来をしている香港だが、ぼくの香港についての知識はとても乏しい。連れ合いに引かれて歩いているだけなので自分で果たして歩けるのかもあやしいものだ。たぶんニューヨークのほうがもう少し自信を持って歩ける気がする。

この時期、香港の天気はだいたいひどい湿気に(はっきり言って梅雨の始まり)悩まされるのが常だったが、今回は乾いた涼しい空気に助けられた。つい1週間前まではやはり湿気で壁にカビが生えたとのこと。

持参して読み続けていたのは先に触れたゴードンの『日本の200年』(上)。多くの記述は昔習った歴史事項のおさらいだが、それでも岩倉具視率いる遣欧使節団がその後の日本にとってどれほど重要だったかが感じられもする。彼らは欧米の文明や制度を克明に理解していったが、スペンサー流の弱肉強食の帝国主義についてもよくよく理解して日本に持ち帰ったのだと思う。つまり明治政府は虐められないためには虐める側に立たなければならないと確信したのだ。ただ日本に足りなかったのは虐める側に立ったときの経験だったろう。ただ虐めるだけではいつまでも虐める側に立ってはいられないことを日本は知らなかった。

香港は長い他律の歴史の中で個人として判断することの重要さを身にしみて知っているように思われる。帰りのタクシーの運転手は多弁だったが、連れ合いによると、中国大陸の経済が盛況なのにもかかわらず香港がいまだに繁栄をしているのはなぜかという話になって、彼はそれは法律による権利保護と通信手段の自由さだと述べたらしい。Googleだけが香港を拠り所にするわけではないわけだ。

こちらでは楽しい一時も少なからずあったけれど、とりわけ卒業生のSさんに再会できたのはよい時間だった。Sさんはニューヨーク育ちでご主人の仕事の関係で2年前から香港に住んでいる。多言語使用者でもあるので、研究の協力もお願いしておいた。

写真は義理の父母の家のしたにあるショッピングモールの化粧品店。ショッピングモールは頻繁に改装する。いいと思った内装もおしげもなく変えていく。新装すること自体がきっと重要なのだろう。香港の社会のじつにあらゆるものの表層が忙しく変わっていく。わざとシステムは作らない。言語さえ流れに任せている(かのように見える)。変わること、それはきっと資本主義の姿そのものなのだろう。そんな中で、食と富とは自分を見失わないための確実な足場となっている。そしてもう1つ今回見つけたのはタクシー運転手の例にも見えるような判断力というものだ。それは小さな書店に入ってもわかる。文化砂漠と言われる香港だけれど、批評の質の高さは日本のそれをはるかに凌駕しているのではないかと言う気がする。

中国語が読めないのが残念だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする