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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

しばしのお別れを

2012-03-30 22:46:16 | Weblog

さてこのブログをはじめたのが2005年7月だから、それから6年半が経った。さして面白くもないブログにお付き合いいただいた方には心から感謝を申し上げたい。

4月から国立大学(独立行政法人なんたら)の教員としてはおそらく最初で最後のサバティカルをいただき、1年の研究期間をオーストラリアですごすことになった。海外のサバティカルから帰ってきた人をみると、やけに年老いたり、病をえたりする人がすくなくないので、戦々恐々なのだが、持ち前のちゃらんぽらんでせめて少しは好き勝手に時間を使わせてもらおうと思っている。

このブログからもしばし戦線離脱する予定です。ブログ自体は閉じないので、たまに思い出したら過去投稿で楽しんでいただければと思います。

ではおたがいサバイバルしていきましょう。

孫悟空よろしく「道はまだ途中なり」です。

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1年を経過して...

2012-03-14 22:45:24 | today's focus

3月11日の2時46分を前に、ぼくはカメラをもって外にでた。明るい日差しがまぶしく、その光とそれが照らす事物がいつもとちがったようにみえた。そこから東京湾の海岸にでた。風もなくしずかな波のない海が足もとでひたひたとうちよせていた。

1年が経過して、歴史的転回が起きているにもかかわらず、日本の社会はそれを見ないふりをしているように思えて仕方なかった。砂に頭を突っ込んだ駝鳥のように。学会に顔をだしてもそれは同じような気がした。とても大切な研究だと言ってくれるが、それはまるで「自分はしないけれど」と言い訳を言っているようにきこえた。

3月11日にいつも楽しく読ませてもらっている写真家のブログで東京が1年前に恐ろしく揺れたことについて「われわれは生存している。すなわち生存者だ」とあってはっとした。それから、たくきよしみつ氏の書物の中である人の言葉が紹介されていて、日本は変わらないだろう、もし全国の人々が自分も被災者だと思わなかったらといった意味のことが書かれていた。

前のブログで「非被災地」という言葉で被災地の内部と外部の中間地帯を表現したが、これもまだ不正確なのだと思う。被災者という言葉もきっと大きな間違いがある。なぜならそれはそう相手を呼ぶ自分自身を安全圏に止めようとする試みだから。同じように「つながろう」も「きずな」も、自他、彼我を区別することで、成立しているのではないか?

しかし、昨年3月からのぼくの経験を顧みれば、それは決して被災の外部にはいなかったし、緊張させられつづけていたとすれば被災者でもあったのだと思わなければいけない。自分を非被災者、非被災地域におきたい心理的反応は客観的に間違いとして退けなければならないのではないか?第一に放射能に安全圏はないのだ。写真家の「生存者」が一番正確なのかもしれない。生存者であればこそ、ぼくらは1年を経過してなおこの歴史的転回に関わり続ける動機をもつのではないか...

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非被災地域に住む外国人の行動と情報支援の問題ー千葉市の事例から

2012-03-10 22:50:30 | research

今日は東京の西の端、桜美林大学で開催された社会言語科学会大会。

千葉大グループも上記タイトルで、昨年5月に実施した千葉市調査の報告をした。

ポイントは「非被災地域」ということで、従来からの被災地域の外国人の調査ではなく、非被災地域でも外国人はさまざまな問題を抱えていたことを報告したもの。「非被災地域」とは、被災の外部ということではなく、内部と外部の中間地帯(中井久夫さんの言葉)をさす。

そもそも被災地域とは何かを問うてみると、それが簡単に定義できないことがわかるだろう。被災と非被災は明確に分けられるわけではなく、ある点からすればある場所は被災地でありある場所は非被災地になるが、べつな点からはどちらも被災地であることがあるわけだ。メディアに流れる被災地、被災者という言葉もまた安易な線引きで、実際を見ていない。つまり「被災地域」とは極端に単純化したイメージにすぎないのだと思う。

千葉市のような場合、目に見える被災は実感できないが、ぼくらは震災の大きなプレッシャーを感じさせられながら、3月中は半避難生活をしていたようにも思うのだ。東日本大震災にみまわれた非被災地域において外国人はすっかり忘れられていた。ボランティアの人々だけが彼らを気にしていたが、国も市も一般の日本人もほとんど顧みることがなかった。そこからさまざまな問題が生まれていた。

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辺見庸「瓦礫の中から言葉を」・山浦玄嗣「イエスの言葉 ケセン語訳」

2012-03-04 00:11:05 | my library

 3月に入った。今年の冬は本当に長い。去年の今頃はどんな夢をみていたものやら。

 昨年の大震災がどれほどぼくらの行動や思考や認識をしばり、影響を与えてきたかをときどき思うが、そのような著作にはなかなか出会わなかった。2月に読んだ次の2冊はまさにそういう深さをもった思索の書だと思う。

辺見庸「瓦礫の中から言葉をー私の<死者>へ」NHK出版新書(2012.1)

山浦玄嗣「イエスの言葉 ケセン語訳」文春文庫(2011.12)

辺見氏は石巻出身の作家、山浦氏は大船渡出身の医師(ケセン語訳新訳聖書を出版したことで有名)だ。

辺見氏は東京の自宅で故郷と友人をなくすのを見ていた人であり、メディアや政府、専門家の言葉の軽さや欺瞞から始めながら、やがて原民喜の「夏の花」、堀田善衛の「方丈記私記」などが刻んできた言葉を手がかりにわれわれの「現在」を理解しようとする誠実さが息苦しい。

山浦氏は大船渡でまさに津波を経験した人だが、すでにライフワークであるケセン語訳聖書を仕上げた人が、イエスの言葉を一つ一つ取り上げ紹介しながら、被災を生きていく自分や周囲に起こったことをイエスの言葉を読み込んでいきながら理解していこうとする祈りの姿が目に見えてくる。

 

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