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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

high context cultureの終焉

2011-12-29 23:20:43 | today's focus

一日、家で論文のコメントをしたり、自分の論文を書いたりする。今年最後のブログは、数日前の出来事についての話を少し。

快晴の冷え冷えとしたクリスマスの日曜日に新聞をめくると、こんな言葉が目に入ってきた。

 

***この国ではどうも言葉について矛盾した考えが浸透しているようだ。客観的事実を示す道具としての機能を期待する一方、言葉で表明されるものについて、つねに事実との落差が容認されている。**言葉への不信が蔓延した社会では、美辞麗句が「瑕疵のない状態」として設定される。このため、少しでも傷が見つかれば、さかんに「言葉狩り」が行われる***問題はその背後で進行する「なし崩しの現実」のほうである。なるほど、美辞麗句の背後で現実が淡々とそれを裏切っていけば、言葉が信用されなくても仕方あるまい。私たちの社会はひどく「なし崩し」に弱い。多くの人が言葉を信じないがゆえに、強い言葉で異論を唱える人間にも冷淡であり、必要な討議が成立しがたい。」(東京新聞2011.12.25水無田気流)***

 

もちろん、詩人・社会学者は政府の信用されない言葉とその背後で進められるなし崩し的な動きを批判しているのだ。ぼくは2,3秒考えてみたが、ページをめくっていくと、越前高田のライトアップされた一本松の写真とか、運勢なんかが目に入ってきて、思考はすぐに途絶えてしまった。

 

2日ほど経って、朝のテレビを見ていたら、震災地域や被害者に対するキズナを語ったり、復興の遅れに声を荒げたりする、視聴者のメールが紹介されていくのが聞こえてきた。1年を振り返る12月末の番組なのだ。「日本人は怒るけど、それだけだね」「キズナを言って何の意味があるのか」と家人。ぼくはとっさに「言葉が現実を構築していくことを信じていないからね」と答えたと思う。「それがまさにhigh context cultureですよ」と家人が応えた。家人との会話はほとんど与太話ばかりだけど、これは打てば響く一瞬だった。

 

日本人は言葉を信じていない。それは今年の出来事だけでなく、あらゆるところに見つけることができる。だから、水無田の言論はとても正しいが、少し舌足らずなのだ。

 

大学の人事報告しかり、車道を走る車の速度制限しかり。謝る人間は、頭を下げながら、相手が静かになるのを待っているだけだ。自分が謝ったということが何を意味するかを考えたことがない。

 

high context cultureとは、言葉よりも文脈で相互理解を図っていく文化を述べたホールの言葉だが、日本人はこの概念をなにか優越の証明のように受け取っているのかもしれない。しかし、今やこの概念は言葉を信じない社会に対する警笛となっている。ぼくらは政府や専門家の文脈作りの作業が現実によって反古にされていくのを毎日目撃させられている。「収束」の後に汚染水が流れるし、文化の違いを理由に社長を解任した会社は、解任された社長の言葉に指示を与えたマーケットによってこっぴどく叩かれてしまった。

 

言葉が現実を構築していく…これは学生時代の留学の最中で見つけた確信でもあったし、ぼくの接触場面研究はそんなところを土台にしているのだと思う。

 

high context culture...この概念に縋っている人びとの終焉が見えてきた。

これが2011年の年末の状況だ。

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遅まきながら

2011-12-24 21:30:28 | Weblog

今年は年末の意識がなくて何もしていないに等しい。

10年くらい続けていたアドベントカレンダーも購入しなかった。日本ではずいぶん流行ってきたというのに。

先日はここ1,2年、行き来のない旭川の聖人からお蕎麦のお歳暮がとどく。おいしく戴いています。

木曜日は王さんの博士論文審査。人称表現の研究。2月末から本国の大学に戻って教鞭を取りながら執筆を続けていたものだが、10月に戻ってきて1ヶ月余り、さらに書き直しを行ってもらった。やはり詳しく中国人学習者の日本語人称表現の使い方を見ていくと、教科書の規範が強く消えずに残っていて、中間言語のまま習得が止まってしまう傾向があるようだ。敬語規範が過剰に一般化されて、どのような場合にも失礼にならないことを意識してしまうし、上下関係に強く縛られてしまう。3月の学位伝達式までさらに論文をきれいにしてもらうことをお願いして、これで修了である。

では、遅まきながらの聖夜を。

夏にいったフィンランドのロバニエミは意外にまだそれほど寒くはないようだ。北海道のほうがよほど寒気団に影響を受けている。サンタクロースとキリスト教の関係を少し娘にレクチャー。それから聖夜に起きた出来事なども。彼女はまだ聖書を読んだことがないらしい。

誰にもくる最後が北の孤独な将軍にもやってきて、今年は彼の地も寒さに凍えているだろう。国境は前にも増して厳しく閉ざされているらしい。

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日録:年末整理など

2011-12-17 23:25:15 | Weblog

寒気が南に下ってきて冬らしい空気。写真は大学構内、銀杏もそろそろ落葉に向かう頃。

金曜日はぼくも名前を入れている学会発表のための相談で、千葉市の外国人調査の結果を話し合っていた。たとえば、3月の地震の際に日本のメディアと出身国のメディアとどちらを重視したのか、日本人のネットワークと出身国の家族などのネットワークとどちらを重視したのか、その二つの組合せで、帰国を選んだ人もあり、日本に留まることを選んだ人もあり、矛盾した組合せでアパシーになった人もあり、というような状況が見えてくる。

しかし、考えてみれば、政府や市が日本に住む外国人に対してきちんとした言葉をかけていたら、そのような選択に右往左往する必要もなかったはずだ。だがそのような言葉はどこからも一言もなかった。災害などにおける情報弱者の研究で忘れがちなのは、当然あるべきであったことがなかったことからすべては始まっていることにあると思う次第。(阪神大震災のときの教訓は政府に期待してはいけないということだったのだけど)

10年近く講読している東京新聞は3月以来、健闘が際立っている。現在、原発導入時期の政府、政治家、学者の動きが検証されている。その昔、学生時代の政治学のゼミで、友人がなぜ原爆を経験した日本でそんなに早く原発が導入されるに至ったのかというテーマで研究をしたいと言っていたのを思い出した。ぼくはそのときは林達夫の非政治的な人間の政治的なストラテジーについて考えていた。

年末ともなれば、なにかと今年のあれやこれやを整理したくなるもの。

年末の掃除で出来ることは、ごちゃごちゃと混乱した物や場所に足を運んで、ゴミや塵を払ってみて、ものごとの本来の姿を見つめることだろう。何となく大事に思っていたものを光に照らしてみたら、いかにもみすぼらしくつまらない姿が見える場合もあるし、役に立たない古くさいものだと思っていたものが意外に本物の輝きを持っていることに気がつくこともある。掃除もしないまま、目をつむって掃除をしたことにするなら、ゴミや塵はさらに危険なほどに積もるばかりだ。収束と言った政治家のまっすぐ人を見れないうつろな表情が気に掛かる。

最近購入した本:寒川旭(2011)『日本人はどんな大地震を経験してきたのか』平凡社新書、中川保雄(2011)『増補・放射線被曝の歴史』明石書店、金賛汀(1995)『ある病院と震災の記録』三五館、小出裕章(2011)『知りたくないけれど、知っておかねばならない原発の真実』幻冬舎。

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久しぶりに京都へ

2011-12-05 23:02:10 | research

土曜日から開催されていた言語政策学会に、日曜日の朝早く新幹線にのって参加。

日曜日の太平洋側は完璧な晴天で、白く雪をかぶって富士山が裾野まで姿をみることができた。会長選挙をする理事会に出席することが第1の目的だったけど、午後の講演とシンポジウムも興味深く聞くことができた。

晩秋の京都らしい光と空気は、放射能の関東から出てきた身としては、なにかとても懐かしい気がする。

講演はカンドリエ教授(フランス・メーヌ大学)の「欧州評議会から外国語の教室へ:言語・文化の多元的アプローチの長い歩み」というもの。多元的アプローチというのは、学習者の複言語能力のメタ言語知識に気づきを与えて、それぞれの学習者がもっている諸言語の知識を体系的に整理させる活動を目指すもの。複数の言語の諸側面を同時に考えさせる活動が試みられているそうだ。ただし、欧州評議会のプロジェクトである複言語主義も、その中に含まれる多元的アプローチもまだ実際には諸外国の言語教育にはほとんど採り入れられていないことにも言及されて、それが面白かった。言語使用の場面から出発しない言語教育政策の試みは多かれ少なかれそういった結果に陥る気がする。しかし、アイデアには興味がある。

シンポジウムは「移民コミュニティの移民言語教育—オールドカマーを中心に」というテーマで庄司博史教授が概要を述べたあと、在日韓国・朝鮮人、朝鮮人学校のイマージョン教育、そして神戸の中国人学校の報告があった。先日の浦安の講演で日本では「外国人政策」といって「移民政策」とは言わないという話があったが、ここでもその話がでておやっと思った。しかし、さらに「住民」という言葉が最近は法務省で使われ始めたことが紹介されて、この言葉はくせ者らしく、住民票で外国人も日本人も一括して管理したいために住民という言葉を使いたがっているだけで、外国人登録票などで区別することには何も変わりがないということらしい。「住民」という言葉もその法的意味合いを考えて使わなければならない。

朝鮮人学校はかなりうまく行っていて、コミュニティの中心的な場になっており、アイデンティティの確立にも貢献しているらしい。授業や課外授業の様子などフィールド調査のビデオが見れて、興味津々だった。これは発表では言及されなかったが、そこで学ばれている朝鮮語は、韓国語でも、朝鮮族が使う朝鮮語でもない。どちらかというと、クレオールのような特徴を持っているらしい。中国朝鮮族は少数民族として認められて朝鮮語を保持できたが、在日朝鮮人は少数民族とも認められなかったためか朝鮮語から隔たったコミュニティ言語としての変種を使うことになった、ということなのだろうか?一方で、中華学校の報告では、授業以外で中国語が使われていないようで、自分自身も中国人であると思わない生徒のほうがずっと多いらしい。グローバルなアイデンティティとも解釈できるけれど、やや疑問である。

夜遅く、とんぼ返りで千葉に戻った。

 

 

 

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