フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

Halloweenと多言語話者

2006-10-29 10:50:11 | Weblog
ヤフージャパンの記事によると、急速に日本でハロウィンのお祭りが拡がっているとのこと。確かに今朝も街を歩いていると、とある子どもの英語教室の前で子どもや親が変装して集まり、道を歩いているのを見かけたりします。

イギリスからアメリカに渡ったハロウィンですが、ご存じのように、これは先祖の霊を祭る墓参りのイベントの一つです。私の住んだことのあるオーストリアでも11月1日は万霊節の墓参りの日となってもいて、ハロウィンはありませんが、12月になると聖ニコラスの祭りが行われたりします。聖ニコラス祭の場合には、キリスト教化が試みられているわけですが。ハロウィンも聖ニコラス祭もキリスト教以前の民俗信仰のなごりなのです。世界にこうしたローカルなはずの祭りが拡がっているというのはやはりグローバリゼーションの現れ以外の何ものでもないのでしょう。

話は変わって、今年度の言語管理研究会では多言語話者を取り上げようとしています。バイリンガルではなく3言語話者やそれ以上の多言語話者を取り上げるというのは、即物的に言うなら、英語圏出身者以外の外国人を対象にするということです。英語圏の人ならバイリンガルが話題になるけれども、それ以外の国の人が英語圏以外の国に滞在する場合には多言語話者にならざるをえないでしょう。英語と、母語と、日本語、と言った具合に。それが多言語社会出身の人であったり、出身国で少数言語話者であったりする人の場合はなおさらなわけです。

グローバリゼーションが多言語話者を作っているという側面も見逃せないのですね。
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香港でのシンポジウム

2006-10-29 00:21:05 | research
明日、29日、30日は香港で第7回国際日本研究・日本語教育シンポジウムが開催され、言語管理についてのパネルが行われます。私も参加する予定だったのですが、事情で29日のパネルの時間はどうしても千葉にいざるをえないことになってしまいました。

そこでビデオ出演することになり、今週は自分の研究室でビデオ撮りをやっておりました。お題は「日本における言語管理研究」ということで、言語管理研究会の沿革や研究の新しい方向などについての紹介にしました。それにしても一人で話すのは難しく、最初は原稿なしで挫折、2回目は原稿を作って時間オーバー、3回目にようやく原稿を短くして、しかも即興も付け加えたビデオを完成させることが出来ました。やれやれです。

言語管理研究会の発表や報告書を見ていると、3つの新しい研究の方向が見えてきたのは面白かったです。(1)適用範囲の拡大(e.g.脳の言語処理、テレビ会議、encounter group、手話言語など)、(2)言語政策的動機(e.g.外国人居住者の書き言葉、夜間中学の外国人の学習、イディオムと深層管理)、(3)理論的追求(e.g.接触規範、基底規範、規範の動態性、受け身の生成、接触場面における問題の類型)

見ただけで、ものすごく関心領域が拡がっていることがわかりますが、理論的追求については規範への関心が高いことで一致しています。おそらくは、日本にもポストモダン社会が到来しており、規範の多様性を接触場面とどのように関連づけるべきかが問題になっているのでしょう。

さて、というわけで、明日の夜から11月4日まで日本の不在にします。
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Interacting with the Japanese

2006-10-24 00:28:55 | today's seminar
月曜日に3人の先生でやっている日本語授業演習で、今日は私の番。

インターアクションのための日本語教育とシラバスデザインというお題をもらって、学生達に1992年に作成したモナシュ大学の教科書、Interacting with the Japaneseを分析させました。オーディオリンガルで作られているなんてとんちんかんな報告もあったけど、久しぶりに教科書を見て、感慨がありました。今もなおこれほど実験的な教科書は存在していないし、いつかもう一度、似たアイデアで作ってみたいものです。

授業で最後に強調したのは、普通の教科書が文法を並べてからそこに話題や場面を付け加えるので、文法は一貫してもその他はアドホックになってしまうということ。逆に、モナシュの教科書は場面とそこでのインターアクションからスタートするわけです。

話す時間がなくて言えなかったのは、モナシュ大学の教科書では逆に、文法がアドホックになる危険があるということ。しかし、それで良いというのがそのときの信念だったし、今でも基本的にそれでよいのではないかと思っています。
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ウトナイ湖再訪

2006-10-17 00:24:17 | Weblog
体育の日を挟んだ連休は実家に遊んでいました。最初の2日間は北上してきた台風で雨に降り込められていましたが、日曜日にからっと晴れわたったので5月に訪れたウトナイ湖を再訪しました。5月の時はまだ木は芽吹きもしてなくて寂しい感じだったのですが、今回はススキと色づき始めた木々の緑が迎えてくれました。これまでこんなにたくさんのトンボを見たこともないと思うほど、歩く先々で足先からつがいのトンボが飛び立ちます。つい先月は天皇ご夫婦も訪れたところです。

センターではしばらくセンターの専門家の方に話を伺いました。ちょうどその日、今年初めてのコハクチョウが飛来したのだそうです。ハクチョウには3種類があって、コハクチョウは一番北の北極圏の岸辺からやってくるのだそうです。そのへんは夏は昆虫が多くて食べ物が豊富とのこと。コブハクチョウはおもにヨーロッパにいて、くちばしの上のところにこぶがあるのですね。あの、「白鳥の湖」のハクチョウです。

ちょうど話をうかがっているところでカモの群れが三角のかたちになって飛んでいくのを見て、その三角の意味や、鳴き声の特徴など、たくさんのことを楽しく教えて頂きました。

まあ、至福の時ですね。
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Amherst revisitedその6:一度も訪れなかったところ

2006-10-03 17:10:46 | NYC after 25 years
一度も訪れなかったところの中にEmily Dickinsonの邸宅があります。写真はこの町が生んだ詩人、Robert FrostとEmily Dickinsonの鉄製の像です。25年前もあったかどうか疑問ですが、なにせこのあたりはまったく足を向けていないので、何とも言えません。

当時の青年だったぼくは、何というか内発的な促しなしにはとにかくどこにも行かなかったし、何もしないという変なことを考えていたようです。その傾向はまだ幾分残っていて、3年半いた大阪で大阪城に出かける機会がなかったのです(汗)。今ではそんな傾向の害こそあれ益のないことがわかっていますが、まあ若い人間としては仕方ないなあ。

鉄製の像のところにはDickinsonの詩が刻まれています。

I held a Jewel in my fingers-
And went to sleep-
The day was warm, and the winds were prosy-
I said "Twil keep"-

I woke- and chid my honest fingers,
The Gem was gone-
And now, an Amethyst remembrance
Is all I own-

Dickinsonの邸宅には美しい庭があり、名も知らぬ花々が見事に咲いていました。短い再訪を終えてバスに乗り込みながら、やっとAmherstの絵が全部そろったような気がしたのですね。では、Amherstよ、またいつか!
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Amherst revisitedその5:忘れていたもの

2006-10-03 16:37:08 | NYC after 25 years
すっかり記憶が落ちて、忘れているものもあります。
この写真は何だと思いますか?

これはぼくが半年暮らした学生寮の1階の郵便受けです。それぞれ部屋の番号が書いてあって、もう忘れてしまいましたが、20階に住んでいたので、2008とかそんな感じだったと思います。2つのナンバーがついたボタンを回してふたを開けるわけです。

これはさすがに忘れていましたが、改めて見ると、にわかに当時のリアリティがよみがえってきます。記憶は、よく言われるように、失われるわけではなく、ただ記憶を検索できないだけなのですね。

この郵便受けを通じて友人達との通信があったんだなあと思います。みんなあの頃は将来のこともわからず毎日毎日、自分の判断を磨いていたなんて、かなりいじらしいし、よくやっていたと思いたいのですが、まあ、それは神話化でしょうね。

ちなみに20階の部屋の窓がくぼみのようになっているところに見えています。
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Amherst revisited その4:時間とともに変わったもの Part2

2006-10-03 15:36:46 | NYC after 25 years
これは町で見かけたType Writer屋さんのショーウィンドウ。お店は閉まっていましたが、中に古いタイプライターが骨董品のように置いてあります。コンピューターもありましたが、それも結構古そう。

中央にあるタイプライターはSmith Corona社のもの。当時はまだタイプライターのほうが普及していて、ぼくもこのお店で300ドルも払って1台買ったものです。電子ですからすごく速くガチャッという音とともにタイプされる、なかなか立派なものでした。タイプミスをすると、泣く泣く1字1字戻っては白のテープで消すわけです。週末は必ず宿題を課されるので、徹夜で数枚のレポートを書いていました。レポート用紙も所定のもので、縦と横の余白の長さとか、タイトルまでの距離とか、決まっていたのを覚えています。

やっぱりこんなのを見ると、時代の変化を感じてしまいますね。何しろぼくの大学時代は英語のように日本語のタイプライターで小説を書きたいものだなあと夢物語のように話していたのです。

しかし、驚くべきことに、Smith Corona社は何と今でも生き残って、ワードプロセッサーを作っているみたい。
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Amherst revisitedその3:時間とともに変わったもの

2006-10-03 14:26:27 | NYC after 25 years
四半世紀ですからもちろん何も変わらないわけがありません。この写真はドイツ語初級の授業やヨーロッパ思想史の授業を受けたHarter Hall。

行ってみると、黄色いテープで周りが囲まれていて、リノベーションの最中でした。近づいてみると、やはり外壁はずいぶん古く疲れたように見えます。こっちだって膨らんだり弛んだりしているわけだから無理もないなあ、と何となく友人を見るようにしばらく佇んでいました。

このHarter Hallでは毎朝、フランス語科の学生たちのボランティアでエスプレッソとクロワッサンが売られていたものです。周囲のコーヒーとはちがう濃い味のエスプレッソの紙コップを持って、朝のドイツ語のクラスに参加していました。君はドイツ語を英語で聞きながら日本語でノートを取っていて大変だなあ、といつも戸惑った顔の先生が言っていましたっけ。

それにしても、建物はさすがに時間とともに変わっていく、古びていくわけですが、意外に残って使われていくものでもあります。樹木の時間ということをぼくは信じていて、忙しく動き回る人間も、じつは生命のあるものとしては樹木と同じように目に見えないくらいゆっくりと時間を使っているのだと思っています。ゆっくりと古びていくものたちもまた同じように時間を使っている気がします。


写真の左下には、遠くに22階建の学生寮が見えています。
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Amherst revisited その2:変わらないもの Part2

2006-10-03 13:03:44 | NYC after 25 years
町はその明るい雰囲気はそのままでした。

着いた日は本当に暑い日で、大学が夏休みということもあって、静かな田舎町といった感じです。

大学もまた昔と変わらず、中央に聳える26階建ての図書館とか、その横に立つOld Churchとか、いろんなものが変わらずにぼくを迎えてくれました。

中央の池の近くで、リスがやってきてくれたのはちょっと出来すぎ。リスは7年ほどの寿命だそうですから、ぼくがその当時見て驚いたのは3、4世代前になるのかな。リスもまたキャンパスを自分の縄張りとして変わらず暮らしているのです。
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Amherst revisited その1:変わらぬもの

2006-10-03 02:02:51 | NYC after 25 years
1日だけ足を伸ばしてマサチューセッツ州のアマーストに行ってきました。25年前、ぼくはここのUniversity of Massachusettsに交換留学をしていたのです。

そのときはNYCのラ・ガーディア空港からボストンに入り、そこからバスに乗ったのでしたが、今回は直接バスで5時間をかけての再訪となりました。

ここは風光明媚な田舎の大学町で、地元のひとたちはHappy ValleyとかPioneer Valleyなどと愛情を表現します。

写真は寮の外れに拡がる芝生の運動グラウンドとその向こうに見えるたおやかな丘の風情。よくここでフットボールで活躍するチアーガールたちが練習をしてましたっけ。丘のふもとあたりではその昔、タバコが栽培されていたのですが、さすがに今はないだろうなあ。
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