新しい教養科目が今日で終了。
扱ったトピックは、言語サービス、挨拶、マニュアル言葉、広告、携帯メール、(会話分析)という今流行というか表層の現象。だから知識を伝えることもあまり意味がないので、かなり出たとこ勝負というか、素材を持ってきて教室で検討するという感じだった。おまけにこちらで1時間すると、次週は学生が数人そのテーマで調べてきたことを発表して、ディスカッションという作業を繰り返した。結論もなく、深さも、体系もない、そんなふうにして終了。
最後なので、いろいろな学部から集まってきた日本人学生や留学生に授業の感想を聞くことにする。最初の授業のときに、この授業では発表したりディスカッションをしたりするからのんびりしたい人はやめたほうがいいよと伝えて、ざーっと消えていった後に残った学生たちだったからか、上のようなやり方は気に入ってくれたようだ。ポーランドからの学生は日本に来て教師がずーっと話すばかりで学生に話させてくれない授業ばかりだったけれど、ポーランドでは先生は少しだけ話をして、あとはディスカッションになる。大切なことは自分で考えることと言って、ディスカッションがたくさん起きる授業は日本で初めてだったとリップ・サービスをしてくれた。
そうだなあ、自分で考えること、自分で感じること以外、大切なことはないんだけど、自分でも日常的に触れている言語現象に向かおうとすると、いかに自分で考えることが難しいかがわかる。しかし、いくら稚拙でもそうやってしかほんとうは進めない。
あ、これは哲学者森有正の炯眼だったかもしれない...
扱ったトピックは、言語サービス、挨拶、マニュアル言葉、広告、携帯メール、(会話分析)という今流行というか表層の現象。だから知識を伝えることもあまり意味がないので、かなり出たとこ勝負というか、素材を持ってきて教室で検討するという感じだった。おまけにこちらで1時間すると、次週は学生が数人そのテーマで調べてきたことを発表して、ディスカッションという作業を繰り返した。結論もなく、深さも、体系もない、そんなふうにして終了。
最後なので、いろいろな学部から集まってきた日本人学生や留学生に授業の感想を聞くことにする。最初の授業のときに、この授業では発表したりディスカッションをしたりするからのんびりしたい人はやめたほうがいいよと伝えて、ざーっと消えていった後に残った学生たちだったからか、上のようなやり方は気に入ってくれたようだ。ポーランドからの学生は日本に来て教師がずーっと話すばかりで学生に話させてくれない授業ばかりだったけれど、ポーランドでは先生は少しだけ話をして、あとはディスカッションになる。大切なことは自分で考えることと言って、ディスカッションがたくさん起きる授業は日本で初めてだったとリップ・サービスをしてくれた。
そうだなあ、自分で考えること、自分で感じること以外、大切なことはないんだけど、自分でも日常的に触れている言語現象に向かおうとすると、いかに自分で考えることが難しいかがわかる。しかし、いくら稚拙でもそうやってしかほんとうは進めない。
あ、これは哲学者森有正の炯眼だったかもしれない...