香港にいる間、読んでいたのはマーク・トウェインの名作『ハックルベリー・フィンの冒険』。
じつは恥ずかしながら今回、初めて頁を開いた。マーク・トウェインは今ならほとんどテロリスと呼ばれそうなくらい、アメリカ人を批判的に描く作家だと思っていたけれど、その印象は変わらない。ハックルベリーが逃亡してきたジムといっしょに筏で川を流れていく中で、白人民衆の醜さが活写されていく。ハックルベリー少年はジムの誠実で人間と人間の間の基本倫理のようなものに感化されて、成長していくのだ。昔、大江健三郎が「ハックルベリー問題」として注目した箇所、ジムといっしょに地獄に落ちようと決意するところの、トウェインの書きぶりは、当時の読者からは本当にハックルベリーが地獄に落ちてしまうと信じるようなやりかたで書かれているが、現在から見ればそれは紛れもなく黒人を人として見なそうとする決意の表れとしてしか読めない、そんな二重の仕掛けがここにはあるわけだ。
それにしてもトウェインがすごいのは、最後の最後に、今度はインディアンの居留地へ行こうとハックルベリーに言わせているところだ。もちろん、問題は黒人で終わらない。インディアンの人びとについてもおなじことが行われなければならない。その宣言が最後にされて、この本は終わる。
写真は、湿地公園で見つけたハックルベリーの木。ただし、Chineseという冠がついている。