フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

Iraq burning

2006-12-30 15:43:51 | today's focus
今日は遅い年賀状のデザインを考えたり、フィギュアスケート大会の裏表を思ったりして静かに過ごしていました。

このまま「良いお年を」と言って年越しをしたかったのですが、そんな時代ではないのですね。

周知の通り、ジョージ・オーウェルの散文には、死刑台に向かって両脇をつかまれ歩かされていた死刑囚が水たまりをひょいと避けたその足の動きを凝視しながら、生きた人間を殺すことの不条理と非倫理を厳しい調子で訴えたものがあります。

ポーランドの映画監督キェシロフスキの「デカローグ」にも死刑場面が実は殺人場面であることが生々しく描写されていました。

1937年4月28日生まれの69才だったその人はいまだに明敏で、権力を争い、旺盛な気力を持っていたようでした。

Bagdad Burning (http://riverbendblog.blogspot.com/、日本語訳のブログもあり)には、以下のような裁判の様子が書かれています。

November 5th
Everyone expected this verdict from the very first day of the trial. There was a brief interlude when, with the first judge, it was thought that it might actually be a coherent trial where Iraqis could hear explanations and see what happened. That was soon over with the prosecution’s first false witness. Events that followed were so ridiculous; it’s difficult to believe them even now.

The sound would suddenly disappear when the defense or one of the defendants got up to speak. We would hear the witnesses but no one could see them- hidden behind a curtain, their voices were changed. People who were supposed to have been dead in the Dujail incident were found to be very alive.

Judge after judge was brought in because the ones in court were seen as too fair. They didn’t instantly condemn the defendants (even if only for the sake of the media).

そして、昨日の久々のブログには誰がイラクのトップにいるかがわかりやすく説明されています。

December 29th
A few nights ago, some American news program interviewed Maliki's bureau chief, Basim Al-Hassani who was speaking in accented American English about the upcoming execution like it was a carnival he'd be attending. He sat, looking sleazy and not a little bit ridiculous, his dialogue interspersed with 'gonna', 'gotta' and 'wanna'... Which happens, I suppose, when the only people you mix with are American soldiers.

むかしむかし、オーストラリアで公共電話会社が独占していたところにアメリカの電話会社が参入しようとしたときのことを思い出します。オーストラリアの会社の社長が見事なアメリカ英語を使い、アメリカの電話会社のお雇い社長がオーストラリア訛り丸出しで話していましたっけ。イラクではそんなこともなく、ただ剥き出しの権力が声を作っているのでしょう。

イラクは予想外に混乱させられてしまったのではないように感じるのは私だけでしょうか。混乱させ、どの方向に持って行こうとしているのか、今日はそのことがよりいっそう明白になってきたように思います。
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データ共有におけるデータ収集者とデータ受給者の関係

2006-12-28 12:35:49 | research
26日は科研研究会を行い、久しぶりに科研メンバーと意見交換をすることが出来ました。8月のニューヨークの後、それぞれの活動に戻っていましたが、ようやく時間が取れたので懸案の事項をいくつか話し合いました。

もっとも時間を取ったのは、データを共有するときの原則の問題です。データを共有する事は、研究を発展させるためにもっとも有効な方法だと思います。とくに教室研究など、データ収集が容易には出来ない分野については、データを共有して比較が可能になるようにすることがとても大切です。科研で授業コーパスを構想するというのはこうしたデータ共有を実現するための第1歩というわけです。

(蛇足ですが、いじめ問題などでも実際の教室、学校に入ってデータを収集することが進められるなら、本当は何が問題なのか、多くの知見が得られるはずです。しかし、そうしたデータ収集を許可されることは残念ながらまれであって、あいかわらず「専門家」や「オピニオン・リーダー」と言われる人が深い洞察や臆見やヘンケンで争鳴しているのが実情です)

さて、データ共有では、調査協力者(被調査者)、データ収集者、データ受給者の3者の尊厳が守られることが重要になります。調査協力者については以前にデータアクセスの制限レベルについて紹介したことがあるので、今回は、データ収集者とデータ受給者の関係を中心に相談の結果を書いておきます。この議論にはもちろんCHILDESの原則やそのCHILDESが参考にしている医学系のデータ共有組織の原則が元になっています。

結論から言うと、以下のようなことが一応の案として決定しました。

(1)データ提供者は主要な研究成果を発表するまで占有的にデータを使用する。 ただし、占有的に使用出来るのは科研終了後4年(2011年)を目安とする。

(2)データ1次受給者(科研グループ)は、データ提供者の許可を得て、データ使用が出来る。データ1次受給者に対するデータ使用許可は、研究テーマが重ならないこと、1次受給者の使用するデータの母集団の中でそのデータ提供者のデータの割合が3分の1以下であることを基準とする。

(3)データ一般受給者(コーパス利用者)は科研終了4年後(2012年)にデータ使用が可能となる。その際、使用可能なデータは、文字化資料と音声資料に限られる。

以上のように、データ収集者の労力というものを尊重して、占有できる期間を設けること、科研グループには、データ使用は出来るがデータ収集者との信頼関係を損なわない条件をつけておくこと(科研グループは映像データも使用可)、一般受給者は期間的な制限と、調査協力者の保護を目的にデータの種類の制限をもうけておくということを考えました。

このへんが妥当なところかと科研グループでは相談したのですが、皆さんのご意見も伺いたいところです。
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12月の授業はあと1つ残すのみ!

2006-12-22 23:54:36 | Weblog
今日は大学院、学部のゼミを終え、6時から教室でみんなとケーキをいただき、今年1年を思いながらおしゃべりをしました。10人で選ぶ今年のニュース、ベスト3なんて遊びをやって、宇宙のニュースから自分の青春のニュースまでじつにさまざまなニュースに思いを馳せました。いろいろ仕事は終わらないのですが、それでも年末の授業としては来週の月曜日に1コマ残すのみというわけで、少し気が楽になりますね。

ここ2週間ほど悪いことが重なっていましたが、それもそろそろ打ち止めかなと期待しています。

先週の日曜日に友人から送られただったんそばをお昼にいただいた後、奥歯の冠がとれてしまったのが始めです。

翌日の月曜日は、朝起きるとメガネのレンズを支えているヒモが切れてしまい、朝から眼鏡店に直しに行き、交通事故で大渋滞の道に入り込んで大学の仕事に遅れそうになり、クラスでぼくは5年も風邪をひいていないと見栄を張ったらその日から熱と体のだるさで眠れなくなりました。

家のリビングの電球も1つ、2つと切れ、おまけにガスレンジの1つが点かなくなるし。

世界の終わりを実感していましたが、風邪が治るに従って、1つ1つ解決していくものですね。1年にかならず悪いことが重なる週間があるのかな、

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多言語使用者と多言語話者

2006-12-18 00:16:12 | research
昨日の続きです。

多言語話者という言葉を否定するつもりはないのですが、しかしそこにはなにか流ちょうなバイリンガルという不適切なアイデアと同じような不適切さがあるように感じます。

そうしたいくつもの言語をパーフェクトに話す多言語話者もいるわけですが、それよりもずっと身近なのは多言語使用者であろうと思います。自分の目指す行動やアクティビティを達成するために、パーフェクトとは言えない多言語の能力をエコロジカルに用いようとするのが多言語使用者であれば、多くの人がその範疇に入ることになります。私もあなたも多言語使用者の一人と言ってもよいように思います。

例えば、研究会で話をしてくれたリーさんも、自分は書き言葉は読めるので、日本語教育の同僚からは日本語で電子メールが来て、自分は英語で応答すると言っていました。それこそエコロジカルな言語の管理と言えるように思います。

多言語使用者が参加するのは接触場面になりますから、そこでは基底言語は何にするか、どの程度、他の言語を交ぜても良いか、といったことが、参加者間の相互作用の中で決まっていくことになります。

以上が多言語使用者のイメージですが、別の社会の場面ではまた異なった管理が行われることになります。使用可能な言語ごとに異なるネットワークとアクティビティが結びついているでしょう。実は、こうした様々な社会と結びついている姿を想像したものが「多言語話者」のイメージなのかもしれないとも思います。
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多言語使用者に聴く

2006-12-16 23:49:16 | research
今日は神田外語大で言語管理研究会の第10回になる定例研究会を行いました。

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テーマ:多言語話者の言語管理(その2):日本における多言語使用者と彼らの言語意識

話題提供者:
ラビンダー・マリク(IES全米大学連盟東京留学センター代表、浦安在住外国人会長)
アリス・リー(神田外語大学、元Director of Programs for Trans-Pacific Exchange at Stanford University)
中川康弘(神田外語大学留学生別科)

コメンテーター:サウクエン・ファン(神田外語大)
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多言語社会という言い方が、複数の言語が使用されている社会という意味に使われることが多いわけですが、それよりも一人の人間が複数の言語を使用するときの言語の管理について考えることに関心を持っています。

マリク氏はインド出身でパンジャブ語が母語、ウルドゥ語が教育言語、そしてヒンディ語が学問語、大学では英語と、もともと多言語話者だったわけですが、日本では30年の生活のうち、20年教鞭をとった国連大学を退職してから日本語も習得していったそうです。彼にとっては英語も日本語も今の生活の中で必要なものであると言っていました。これはリー氏も同様な意見でした。台湾の北京語家族に生まれながら9歳で家族とともに米国に移住したリー氏は北京語の書き言葉に親しむと同時に英語を自分の母語としていきます。それでも一般的なアメリカ人とは異なる自分を持っているわけです。今の生活、職業をする上で十分な日本語をもっていると言います。

おそらく多言語使用者とはこの日本という環境で、本人がのぞむ生活、知的活動を複数の言語を駆使することで実現している人のことだと思います。ある活動にはある言語が使われ、ある活動には複数の言語が使われるというように、必要に応じたエコロジー的な管理が行われているのだと思われます。

もう1つ、興味深かったのは、言語だけでなくコミュニケーション、また文化については、むかしは同じようにすることに気をつかっていたが、今はもう気にしないということです。ある程度までは相手に合わせるし、採り入れるにしても、自分なりの採り入れ方にとどめて、自分自身を失わないということでした。

多言語使用者にも自分のベースとなる文化があるのですが、それは無条件に従っている文化ではなく、すでに自分の中で濾過された「母文化」なのでしょう。居住する社会の文化についてもある程度までは採り入れられています。そのようにして複雑に複合した文化規範が多言語使用者の自己を作っているのだと思います。だから、モノリンガルからはどこに属していないような不思議な感覚を与えてしまうことにもなるのかもしれないのです。
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研究論文が大詰め

2006-12-11 00:29:52 | today's seminar
学生さんは研究論文や学位論文で忙しくなっています。

先週の金曜日は、4人の学生さんの論文について見ていました。学部の4年生は卒論最終報告ということで、日本語母語話者のフィラー、非母語話者同士の参加管理の話を聞きました。それぞれ面白いテーマですが、まだ最終というところまでは進んでいないようです。でもこれからの1ヶ月できっとずいぶん変わるのだと思います。来週15日までにこれまで書いた部分を提出してもらうことになっています。コメントを書いて、最後の追い込みに入ります。研究生の二人も教室研究と日本人の挨拶行動ということで同じように追い込みに入っているところです。

オフィスアワーには博士課程の二人がきてくれて話をしました。聞き返しの研究では、なぜ聞き返しはわからないところをピンポイントで押さえるような表現にならないのかという点について(これは尾崎明人先生が、適切な表現を教えるべきだと年来主張している点です)少し思う事を述べました。つまり、あいまいな「え?」や「くりかえし」が多いのは、相手が話している会話の流れの中で、中断をすることについて交渉の余地があるかどうか、あるいは自分の問題に気づいてくれるかどうかについて、まずは聞き返しの予告として用いるからではないかということです。これは宮崎里司先生の云うflag(問題があることを暗示する)が談話上で意味することになるでしょう。もしそうだとすると、学習者であっても聞き手はべつに不適切な表現を選んでいるのではなく、じつに妥当な聞き返しをしているということになるわけです。

もう1つの非漢字圏外国人在住者の書き言葉使用場面研究では、しばらくリテラシー・プラクティスの枠組みに縛られていたのを再び言語管理の枠組みに戻す作業を少しずつやっています。日本語の書き言葉になれない外国人在住者には媒介したり仲介したりする人や、公的な相談所など、支援者や支援機関が不可欠な役割を果たしていますが、その人々の調整の用語を考えていました。適切な用語を作ったり見つけたりすることは、最も重要な論文の仕事の一つなのです。

さて、どこまで研究を追い込んでいけるか、あと一歩ですから、ぜひ勇気を持って進んでいってほしいものです。
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