メルボルンはだいぶ暖かくなってきました。春の桜やこぶしが咲き始めています。
今日はちょっと偉そうに分野外のことを。
メルボルンに来て毎回感心するのは、マスメディアの国際報道とドキュメンタリーです。
ここのテレビではイラクのニュースが現地で弾丸と爆弾の間を歩き回っているジャーナリストによって、戦いの炎だけでなくイラクの人々の表情まで伝えられています。かと思えば、ブッシュ政権の中枢人物へのインタビューを交えたブッシュのイラク政策の検証番組が組まれます。
いったい日本に国際報道はあるのでしょうか?ほとんどは支局長のオフィスからの報道でしかないのです。支局長がやっているのは首都のマスメディアと自国の大使館を回るのが常という話をいつかどこかで聞いたことがあります。だから日本の国際報道には借り物の映像以外、「現場」の報道はないのでしょう。そして「現場」のない報道は、当事者の身になることからほど遠い、物見遊山と同様の他人事でしかなくなります。自爆テロも祭りも同じスタンスで報じられるしかないでしょう。日本の報道各社は、いったい何人の人間をこうした「現場」を歩くスタッフとして海外に送り出しているか?人件費のせいにして報道の根幹を忘却しているのかな?
しかし、こうした根幹の忘却は何も報道の領域だけではないのですね。ちょうど自動車免許が切れていたので延長を申請に役所に行くと、小さな支所でも窓口に20名近くの係が我々を待っていてくれます。だから少し待てば用事は片づくわけです。大切なことは1人1人の生身の人間がやることだとわかっていればこそなのだと思います。そこが忘れられると、すぐに建物と組織だけが残されて、仕事は動いていかない、そんな社会が現れてしまうわけです。
今日はちょっと偉そうに分野外のことを。
メルボルンに来て毎回感心するのは、マスメディアの国際報道とドキュメンタリーです。
ここのテレビではイラクのニュースが現地で弾丸と爆弾の間を歩き回っているジャーナリストによって、戦いの炎だけでなくイラクの人々の表情まで伝えられています。かと思えば、ブッシュ政権の中枢人物へのインタビューを交えたブッシュのイラク政策の検証番組が組まれます。
いったい日本に国際報道はあるのでしょうか?ほとんどは支局長のオフィスからの報道でしかないのです。支局長がやっているのは首都のマスメディアと自国の大使館を回るのが常という話をいつかどこかで聞いたことがあります。だから日本の国際報道には借り物の映像以外、「現場」の報道はないのでしょう。そして「現場」のない報道は、当事者の身になることからほど遠い、物見遊山と同様の他人事でしかなくなります。自爆テロも祭りも同じスタンスで報じられるしかないでしょう。日本の報道各社は、いったい何人の人間をこうした「現場」を歩くスタッフとして海外に送り出しているか?人件費のせいにして報道の根幹を忘却しているのかな?
しかし、こうした根幹の忘却は何も報道の領域だけではないのですね。ちょうど自動車免許が切れていたので延長を申請に役所に行くと、小さな支所でも窓口に20名近くの係が我々を待っていてくれます。だから少し待てば用事は片づくわけです。大切なことは1人1人の生身の人間がやることだとわかっていればこそなのだと思います。そこが忘れられると、すぐに建物と組織だけが残されて、仕事は動いていかない、そんな社会が現れてしまうわけです。