フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

日本語での誘い

2007-11-30 23:58:21 | today's seminar
秋も深まり、風も強くないのに、しきりに枯れ葉が舞います。

今日は学部ゼミでは3年生の予備調査報告の第1回です。勧誘と非言語の発表があり、ものすごく頑張る人たちで、何と10頁のレジュメ(長すぎ!)を書いてきてくれました。どちらも面白かったのですが、知り合い同士の日本人学生と留学生で、留学生から自然な勧誘をする場面のほうが考えさせられました。

というのも、どの会話でもいつ、どこでという具体的な約束が行われていなかったのです。その点を学生達に聞いてみると、これはやはり第1段階の誘いであって、もし本当にどこかに一緒に行くなら第2段階で、具体的に日取りを決める話があると言います。つまり、予告の勧誘なのです。

彼らの勧誘はとても微妙なもので、まず勧誘も間接的な「今度、いっしょに飲みに行かなきゃね」というようなもので、それに相手が「そうだね」とまずは応答したところで、予告の勧誘が終わり。そこからしばらく経って会ったときに、もう一度その話が出てきたら、これは本気なんだと思って具体的な第2段階が始まるのだそうです。

勧誘談話の研究では、まずはその第2段階をデータ収集するし、ロールプレイでもその部分をさせることが多いのですが、じつは日本語(特に若者?)では予告の勧誘という段階があって、その部分にこそ日本語の特徴的な勧誘が示されている、そんなふうなことを考えたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Farewell to Mr. Howard

2007-11-27 11:31:33 | today's focus
先日のブログでオーストラリアの政権交代が起きたことに触れました。

私がオーストラリアに行った1989年は、労働党のホークが長期政権を担っていて、ホークに対してさかんに次の首相になるキーティングが政権委譲を謀っていたものです。ハワードは万年野党の党首でした。労働党の長期政権は、福祉以外にも多文化主義を推進したことで評価されますが、労働組合のストばかりで、メルボルンもどんどん古くさく、新しい建物も道も出来ないという状態になりつつあったことを覚えています。しかも時代は経済的なグローバリゼーションが始まって、保護主義ではやっていけなくなっていたんですね。

ハワードが1996年に首相になってやったことは、そのグローバリゼーション・スタンダードにオーストラリアを合わせていったということだと思います。

では、自由党のハワード首相が11年にもわたる長期政権だったこと以外に何が交代の原因になったのでしょうか?グローバリゼーション自体が曲がり角にさしかかっていると言うことなのでしょうか?専門家でもないのでこのあたりのことはさっぱりですが、BBCの選挙前の記事によると、争点は以下のようなものだったそうです。

1. 株価と失業率の低さという意味での好景気の維持と、高利息とインフレーションによるworking families on home mortgagesの犠牲
2. 環境対策への反対と、継続する大旱魃
3. イラク派兵によるUSAへのslavish devotion
4. 同化主義的な移民政策:難民の排除、移民へのテスト、アフリカ移民の制限、HIV保持者の移民の禁止
5. 長期政権と変化

ここ数年の経験で言うと、(1)の物価の高騰と、不動産の高騰がもっとも目につきます。べつに給料がどんと上がっているわけでもないので、普通の人々はどうして生活をしているのかと疑問に思う位だったわけです。(2)の雨が降らないことは庭好きのメルボルン市民にはじわじわと不安が強まる要因だったかもしれません。庭に水をやれない、もう少しすると車も洗車できない、そんな話しがあちこちから聞こえていました。(4)もまたオーストラリアの多文化主義を損なうような政策ですね。一方で経済的に富裕な移民が増えて、不動産の高騰を支えているという話しもあります。しかし、移民とグローバリゼーションは同じコインの表と裏のはずです。

経済の好況が必ずしも市民レベルの幸福につながっていない、好況や消費の促進が逆に生活の基礎としての自然をそこなっている、そんなことが市民の頭をよぎっていたのかもしれません。上の争点はニュアンスは違っても日本の状況と似たり寄ったりなところも興味深いですね。

さて、中国通のラッド新首相は、中国圏の経済という新たなグローバリゼーションと、人々の不安とに、どう折り合いをつけていくつもりなのか?さて。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支援のかたち

2007-11-26 23:55:10 | research
今日は夕方から房総ネットと呼ばれる日本語ボランティアグループの定例会で「接触場面と支援」というタイトルで1時間のお話をさせていただく。

私のほうでは接触場面研究の中から、支援と関連のある事例として、会話支援、研究留学生の研究室支援、日系ポルトガル児童の教室支援を紹介。相手に合わせる支援と、相手をリードする支援、という話。他に、支援とはたんに問題に対して助けたり、国際交流をしたりすることではなく、日本社会のネットワークに引き込んだり、そのネットワークをそのために微調整したりすることを意味するのではないか、支援のかたちと意味が社会や言語によって違うはず、ということも触れる。

10名ほどの定例会で、子供の日本語支援に携わっている方々が多くて、いろいろ学校の事情や、生活言語ではなく学習言語が大切だといった話や、日本人二人と外国人1人のグループだと、外国人側が日本人同士の話を観察する機会があって習得が進むのではないか、など興味深い話が伺えて、ためになる時間でした。

誘って下さったのは科研でもお世話になっている吉野さんで、良い機会を作って頂いたことに多謝です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉の箱根まで

2007-11-25 23:46:59 | Weblog
とりあえずの日誌。

22日(木)は長い会議が2つもあって神経がかなりくたびれる。

23日(金)祝日にもかかわらず科研研究会を朝から世田谷にある国士舘大のお部屋をお借りして開催。いつも思うけれど、東京の西の入り組んだ道に射す陽光は独特で、なにか弱々しく、色合いも黄色みがかかってくすんでいる。大気の塵の厚みが違うのかもしれない。報告書作成も秒読みということで、ファイル名の統一や執筆内容などについて相談。
 一緒にお昼を食べていると家族から電話。六本木ヒルズにいる、などと穏やかならざる話。とにかくすごい人だそう。こちらは昨日の疲れが今日も続いて、六本木ヒルズなど行く気も起きず、途中で落ち合って帰宅。

24日(土)科研研究会の議事録作成で数時間。拉致被害者の会の代表だった横田氏が交代のニュース。そしてオーストラリアからは11年ぶりの政権交代のニュース。96年からだから、あまりに長すぎる。

25日(日)朝、箱根の温泉へ。まだ緑の多く紅葉が枝の端から紅く染まっているのが美しい。寒さもゆるみ、温泉から青い空を望む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人とは何か?

2007-11-21 00:15:18 | today's focus
さて、友達の友達がアルカイダ系で、なんて小細工を使おうとした人物がいましたが、その本心が今日の出入国管理改正(!)法の施行だったわけです。日本にもアルカイダがいるぞ、なんてデマを飛ばして、今日の外国人の入国時には指紋と顔写真を取るという作業をスムーズに始めたいと思ったんですね。

昨年のニューヨーク行きではやはり指紋と顔写真を取られ、はなはだ気持ちがふさいだのを覚えていますが、これからは、日本に住む外国人も、日本に来る外国人も、すべて否応なく同じ気持ちにさせられることになります。これは前首相の輝かしい業績の1つ(5月の法案)でもあります。

果たして、外国人だというだけでテロリストの疑いをかけることが正しいことなのか、世界人権宣言を持ち出すまでもなく、子供でもわかることなのに。アメリカもまた日本人であれ何人であれ疑いをかけるわけでしょう?彼らが外国人と言ったとたんに、今度は自分がテロリストの疑いを掛けられる外国人になるんですよ。関係者は「いやテロリストだけを対象にしている」と言いたいのでしょうが、やっていることはすべての外国人を対象にした指紋と顔写真です。

外国人というのは私のことなのです。そして、あなたのことなんです。

外国人というなら、まずは自国民について同じ作業をしたほうがいっそ筋が通ります。(あ、そうか、dignityという言葉さえ持たない国民には、筋なんて通ったところでしょうがないのか...)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道草考その3

2007-11-06 00:41:14 | today's focus
昨日初めて家族で映画「Always続3丁目の夕日」を観に行ってきました。このブログは映画批評でもないし私にもそんな芸当は出来ないのですが、第1作よりやや話題を拡げすぎた観はありましたが、かなり楽しめたし、次から次へと風景が変わっていく日本ではコンピューターを使った時代の再現は、とても有力な映画の方法だと思いました。

それから、3丁目の住人は面白い連中ばかりですが、接触場面研究者として1つ不満を言えば、ここに外国人がいたらどんなに奥行きが出たろうかということですね。在日の人たちは敗戦後に市民権を失い外国人となっており、朝鮮戦争は53年(昭和28)に停戦となっています。また北朝鮮への帰国運動が59年(昭和34)から始まります。中国残留孤児の引き揚げ事業が終了するのはその前年。日本は60年(昭和35)には安保闘争が始まって(夕日町の周りもデモが溢れたはず)、そこから本格的な高度経済成長と、内向きの消費生活が作り出されていくわけです。58年、59年というのはそうした動きの直前にあたる時期であり、外国人があの街にいても少しも不思議ではないのにね。外国人も含めてきっと近所づきあいが成り立っていたはずなんです。

さて、道草について考えていましたが、道草と切っても切れない関係にあるのが空き地です。なぜ道草をするかと言えば、周りに現実世界の約束事から外れてもよいと思えてしまうような何かがなくてはならず、昔はその役割を空き地が果たしていたのではなかったろうかと思います。夕日3丁目からは東京タワーがすぐ目と鼻の先に見えていて、どうやら虎ノ門あたりの町内会なのだそうですが、それでも錆び付いた自動車がうち捨てられている空き地が見えました。そこで子供達が内緒で子犬を飼ったり、医者が狸を探したりするんですね。そして最後にはその空き地に有刺鉄線が張られて、工事が始まるところがあって、空き地の喪失が描かれています。

道草が決められた時間と活動から自由意思で逃れて「価値」のないものを探す旅だとすれば、空き地もまた無用の地であって、しかも怖い場所でもなく、ただ放っておかれている場所なのだと思います。確かに無用の地ではあるのですが、それだけに多くの自然がそこに集ってもこれる場所になっているんですね。最近のエコパークなんかはわざとそんな場所を作っているわけです。自然の集うところに思考の種が見つかる、それが空き地の意味でしょうし、道草の副産物なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする