フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ベーシック

2006-01-30 00:19:08 | old stories
22階建ての20階での寮生活は12月で終わり、冬休みとなる。学生たちは大きな袋に入った洗濯物と宝箱のような大きな箱(この2つが学生の全持ち物)をもって、実家のfamily reunionのために寮を去っていく。

ぼくはどうしようかと思ったのだが、大学の先輩にあたる人がクリスマスの間、開いている農家があるからそこに住まないかと言ってくれ、一緒に同じ大学から留学に来ていた数人と一緒に、国道沿いの古い農家を借りることになったのだ。確かに古い家で、地下には集中暖房のボイラーがあるにはあったが、それもほとんど効かない感じだった。仕方がないので、ボイラーから出ている鉄管を断熱材で巻いたり、窓をビニールで覆ったりして急場を過ごすこととなった。

そして静かなクリスマスがやってきた。最初からお世話になっていた州立大学の農学部の教授夫妻を招いて食事をしたり、寒いながらも、楽しい時間を過ごしていた。

クリスマスの翌日だっただろうか、問題のボイラーがどうも動かないようなのだ。店も休みに入っていて、修理もできそうにない。農家の居間には大きくて古い薪ストーブがあったので、これが暖をとる唯一の頼りとなってしまったわけだ。ぼくらは手分けをして落ちている木や枝を探すことにした。農家の背後には農地が広がっているだけで、枝など結構落ちていたのだ。それを無料のコミュニティ新聞といっしょに燃やすと、一時ではあったけれど、ものすごく暖かくなった。頬が火照るほどで、体が温まったのだ。

結局、ぼくは2学期になるときに、寮を出て、その農家にアメリカ人3人と日本人の先輩といっしょに移り住むことにした。20階の寮生活に不満はなかったけれど、どうにも生活というものではなかったわけだ。なぜか分からないけれど、ぼくは初めて生活を欲したと言えるように思う。

マサチューセッツでも、後のウィーンでも、生活の素朴な実質のようなものに触れる機会がよくあった。そしてその感覚がぼくは好きだった。子供時代に同じ感覚を味わっていたからかもしれない。異文化の中に、似た感覚を経験して、昔の自分の周囲を思い出す。生活の実質、これは今でも大切にしたいと思っていることではある...
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山本さん訪問

2006-01-20 20:32:00 | Weblog
しばらくお休みしていましたが、いつのまにか1月も下旬に移りはじめています。

19日には韓国で教えている山本容子さんが一時帰国して訪ねてくれました。話を聞くと、3年目に転回があって、町も人も大好きになったそうで、あと1年とどまることにしたそうです。外国に滞在すると、最初はどうせ帰国するのだからと受け身というか、お客さんのつもりでいるものですが、そのうち、ここでしっかりと生きようと思い始めることがあるんですね。べつにそこに骨を埋めるという意味ではなく、ただ積極的にその地で暮らしてみようと思うのです。

異文化に適応するとは、同化とか共生とかいうことではなくて、こうした足が地に着いた行き方を始めることではないでしょうか。
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