フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

なぜ入学試験に漢字書き取りがあるんだろう?

2007-02-27 22:07:08 | Weblog
25日の日曜日から27日まで入試業務。今日は午後はひっそりとした研究室で学生さんのもってきた書類に署名したり、科研のアルバイト書類を作成してもらったりしていました。

留学を決めた学生さんは、決め手は何だったかというと、ぼくが以前留学していた人にアドバイスした「今しか出来ないことをしなさい」という言葉だったそうです。ほんとかな?意識していない言葉が心に届くことがあるのですね。

博士課程の人は広島のほうに就職が決まり、今日は少しの間、話をしました。常勤の先生というものは良くも悪くも唯我独尊なので、周りの人間を気にしないで、自分のやるべきことをする、それが大切じゃないのかなあと、こちらはいらぬアドバイス。

入試業務の時に、まわりの先生達と果たして中国でも入試で漢字はテストするんだろうか、という疑問が出ました。漢字の国だもの、あるにきまってるという先生。私は、それはないでしょう、だって中国では漢字は忘れたらもう何も書けないんですからテストする以前のことですよと言ったのです。実際にはやはり大学試験で漢字試験はありません。漢字試験があるのはせいぜい小学校で、先生が発音をして、生徒が漢字を書くわけです。だいたい3歳頃にはもう何百も覚えているので、小学校で漢字教育は終わりなのでしょう。

振り返って、日本の大学入試ですが、国語テストでは必ず漢字問題が出ます。これは果たして意味があるんでしょうか?「国語テスト文化」としてはなかなか味のある問題で、先生達は学生達に点を取らせるためのお情けと思っていたりするんですが、何で今更漢字を試す必要があるのかなあ。大学入試に漢字問題がないと学生達は漢字を学ばなくなるという議論もあるかもしれませんが、大学入試制度で漢字能力が保たれるとしたらこんな次元の低い話もないのでしょうし。

もっと大事なことを聞くべきではないのでしょうかね?

日が長くなってきました。東京湾の湾岸を自転車で疾走すると、西の空低いところがくすんだオレンジ色の帯のまま翳っていきます。寒い日と暖かな日が繰り返していますが、もうじき春がまためぐってくるんだな。
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林達夫『歴史の暮方』(中公文庫版)

2007-02-24 20:55:13 | my library
My libraryにあるのは、中公文庫版の『歴史の暮方』(1976)の初版です。関係している大学から留学生のために本の紹介文を依頼されていて、その一冊に選んだのがこの本です。

表紙には古代アテナイのフクロウのレリーフがデザインされています。この本はもともとは戦後すぐの1946年に筑摩書房から出版されたものです。執筆されたエッセーや論文はほとんどが1939年から1941年の間であり、哲学は出来事の暮れ方に始まるという言葉をおそらくは後悔とともに示しているのかもしれません。

じつはどのようにして歴史家・批評家、林達夫を読むようになったのかどうしても思い出せません。大学の1年か2年のことだと思うのですが、高校で森有正を読んでいたわけで、なぜそこから林達夫に移ったのか、これは疑問です。それでも著作集をそろえたり、1981年には留学の前に藤沢鵠沼のお宅(これは住まなくなった農家の古材を使ってイギリス風に立て直したことで有名な家です)を探して表札を確かめたこともありました。

所収のエッセーの初出を年代順に並べると以下のようになります。(  )にその年の事件や戦争を書き込んでみました。日本の最も暗い時代に彼が手を変え品を変え何を語ろうとしていたのか、どのような時代の証言をしようとしていたのかが見えてくるのではないでしょうか。
1931○「科学する心」
1937○「現代哲学事典の現代性」(廬溝橋衝突、シナ事変、日独伊三国防共協定、南京攻略)
年不詳○「開店休業の必要」
1939○「歴史との取引」「ユートピア」「植物園」「映画の花」「私の植物蒐集」「ベルツの日記」「デカルトのポリティーク」(ノモンハン事件、第2次大戦勃発)
1940 ○「新スコラ時代」「歴史の暮方」「フランス文化の行方」「出版の新体制について」「現代社会の表情」「鶏を飼う」「風俗の混乱」「妹の力」(新体制運動、日独伊三国同盟、大政翼賛会)
1941○「ベルグソン的苦行」「宗教について」「文庫の展望」「ベルグソン・哲学・伝統」(真珠湾攻撃、太平洋戦争)
1942○「拉芬陀」
1946○「支那留学生」「反語的精神」

ちなみに、この著作は60年の間、細々と形をかえながら読み継がれています。現在、手にはいるのは中公クラッシックスの1冊、『歴史の暮方・共産主義的人間』だけのようです。
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多言語使用者は1つではない

2007-02-22 23:02:56 | research
今日はパネルセッションに向けて多言語使用者のインタビュー調査をしました。

昨年12月の研究会で話を伺った方々とは違い、今回の人は日本語研究の専門家であり、日本語で不自由をする場面はまずないという人でした。そしてどんな言語も母語話者のように使えることを目標にする人なのです。文法、語彙、だけではなく、社会言語学的な能力も、社会文化能力も、すべて含めて母語話者のように理解し、使用出来ることを目標にしているのです。ですから、習得の途中で自分から習得に障害を作ることもないわけです。

このように外国語を深いレベルで捉えようとする一方で、多言語を知っていることからか、彼女は決して日本語母語話者に同化しているわけではまったくないのです。しかも、出身国でふつうに暮らす同国人とも距離を感じているようでした。自分は彼らよりも少し恵まれていて、いろいろな見方や理解の仕方を身につけている、と言います。

多言語使用者が3人いれば、おそらく3人とも違うのだろうと思い始めています。しかし、その違いは何かの方向性で同一性を示すのかもしれない。それはおそらく確実ですが、でもいったいどのような方向性なのか、それが問題です。
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広東オペラを観る

2007-02-21 23:15:29 | Weblog
香港には春節の大晦日に着いて2日目に日本に出発しましたから、ちょうどお正月3が日の休日を楽しんだことになります。

今回の山場は、何と言っても、行く前に義理の妹に頼んでおいた広東オペラ「獅吼記」のチケットを手に、義理の両親といっしょに観劇に行ったことでした。香港には大文字のCULTUREがないことで有名だそうですが、1軒だけ新光戯院という劇場があって、そこのオペラを見に行ったのです。広東オペラはふつうの人々の娯楽で、そんなところに行くのもじつは今回が初めてでした。

開演が7時半でしたが、あいにく、昼間の暑さと眩しい光で私は偏頭痛が爆発してしまい、頭痛薬を飲んで1時間半位は朦朧と椅子に沈んでいるしかなかったのは残念でした。舞台の下に、楽団がいて、派手な音を立てて、劇をもり立てます。

1時間半ぐらいで休憩になりましたが、じつは元旦の劇の幕開けだったために特別な芝居をやっていたのだそうで、これからが本番のオペラといわれたのには少し驚きました。それから5分程度の休憩を何回も挟みながら、オペラは現代広東語で面白おかしく展開していき、終わったのはゆうに12時を過ぎていました。

嫉妬心の強い奥さんを持ったご主人がいじめられるという粗筋ですが、訴え出た大臣も、さらに王も、同じように恐妻家で、やっぱり奥さんにやっつけられるという、どこかシェークスピア喜劇のような構造があってわかりやすいのですね。しかも動作が様式化されていて、きらびやかな衣装とともに、なかなか見応えがあったと思います。衣装の袖口がなぜか白い布で長くなっていて、そこからゆっくりと白い布を振りながら手を出したり隠したりと、いろいろな感情を表現するのですが、パートナーに言わせると、これは子どもの時にみんな真似したそうで、タオルを袖口にまいてオペラの真似をして遊んだのだそうです。

言葉以外にもわからないところはいっぱいなので、少し資料などさがして勉強したいものだと思いました。演劇はその昔、学生時代に早稲田小劇場の「トロイアの女」(白石加代子主演)を観て以来、もうこれを越えるものはないかもしれないと思って遠ざかっていたのですが、やっぱり舞台は面白いものです。
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春節到来

2007-02-16 23:17:06 | Weblog
今日は博士前期課程の口述試験などをしていました。
受験生の皆さんはお疲れ様でした。わざわざ来て頂いたのに傷つけてしまったらごめんなさい。

さて、明日は春節、旧正月ですね。というわけで我が家はしばし日本を離れ、香港に遊びます。皆様、よい春節をお迎え下さい。
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2つのパネルセッション決定

2007-02-13 23:28:28 | research
今日は日本語教育学会から、大会に応募していたパネルの採用通知が来ました。「多言語話者と日本語教育ー多言語社会から多言語使用者の社会へ」というタイトルで4人でパネルを組みます。朝10時からですがどうぞ関心のある方は聞きに来て下さい。

日本語教育学会春季大会は5月26-27日にありますが、じつは2週前の5月12日にはJALT PanSIG 2007という英語教育系の大会が仙台であり、こちらは授業コーパス科研グループでパネルを組むことになっています。こちらは、「Discourse and its contexts in Japanese Language Classrooms」(日本語授業における教室談話とその文脈)というタイトルです。

私の生産性の低さから言うと、同じ月に2つのパネルで発表するのは、かなり危ないという気がしていますが、これから3ヶ月、何とかしなきゃなりません。

仕事というのは、売れない研究者ながら、まあまああって、3月末までに英文の論文を書き直すとか(これは意地みたいなもの)、大学院のプロジェクト報告書を2月末までに完成させるとか(こちらは大学院生に編集してもらってはいますが)、3月10日の言語管理研究会年次研究発表会の予定を考えるとか、まあ、そんなふうにして2月の受験月間は過ぎていくのです。
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文字化アルバイト

2007-02-09 23:18:57 | research
今週は卒論を読む他にも来週の仕事のために論文を読むことが多く、出来るだけ人にも会わず、大学にも行かず、と過ごしています。

科研メモです。

金曜日は科研授業コーパスの文字化記号最終版に合わせて文字化をしてもらうアルバイトの学生さんと打ち合わせをしました。昨年も同じ時期にお願いした中の2人で、一人は医学部生、一人は薬学部生という優秀な学生さんたちです。謝金の書類作成と文字化システムの説明で1時間半もかかりましたが、ここは大切なポイントなのでいい加減にはできません。昨年作成した文字化資料をもとに最終版システムに合わせて修正してもらう作業なので、昨年経験のある人にはたぶん少しは楽ではないかなと思ったりします。




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卒論発表会

2007-02-07 20:05:34 | today's seminar
今日は朝から学部の卒論発表会でした。今年は2人の指導しかしなかったのですが、例年並みのまずまずのものが提出され、指導教員としてはほっとしたというのが正直なところです。一人は日本語母語話者同士の会話におけるフィラー、もう一人は学習者同士の会話での参加管理、ということで、なぜか相手言語接触場面の研究がないめずらしい期となりました。とにかくご苦労様でした(マ、当たり前ではあるのですが)。

少し考えているのはもしかしたら学部の卒論はオーソドックスな母語場面の言語、コミュニケーション研究のほうが良いかもしれないということです。接触場面研究は応用的な面が強く、そのためには基礎的な学問理解が必要になります。言語管理理論にしてもこれはメタ理論のようなものなので、言語学等の基盤がないと、なかなか発展性のある研究は出来ないように思うのです。ですから、とりあえず学部段階では基礎的な研究能力を養ってもらって、大学院に進学したら、接触場面研究に入ってもらう、あるいは博士課程でも入るのは遅くないのかもしれません。

でもこれは危うい賭でしょうか...。
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自立と機械

2007-02-06 22:42:06 | today's focus
中国帰国者のことから少し広げた話をちょっと。

もう先週になるでしょうか、1月30日に東京地裁が中国帰国者が生存の保障・支援を訴えた訴訟に木で鼻をくくったような判決を出していました。

中国帰国者に対する施策は中国帰国者定着促進センターをはじめ、さまざまな支援策を講じてきていますが、現場の先生や職員の努力、深い理解とはべつに、原則は自立促進ということなのです。ただ、60歳前後で日本に戻ってきた人に自立促進はそもそも無理な話だと言えるでしょう。60歳で日本語が習得できるでしょうか。習得できたとして誰が雇うのでしょうか。ですから自立促進政策は現状を見ないことにして、経済的な負担をしないことを主眼とした政府の大原則と言ってもよいのです。

この自立促進の原則は最近も法律として実効性をあげています。ご存じの障害者自立支援法です。これも保護よりも自立を重視することで経済的な負担を減らすことが目的となっており、障害者は自立という名の切り捨てにあって非常な困難の中にあります。かの阪神大震災の被害者にも政府は自立原則を盾になかなか経済的支援を認めなかったことも覚えておいていいでしょう。

こうした自立原則による小さな政府主義は、人口統計学用語を用いた機械的人間観と手を携えてはいないかと、しばし考えてみることも有益な気がします。自立の無理な状況にある人に自立を強いることと、出産の難しい環境にある人に統計的な希望を押しつけようとすることは、ずいぶん似ていると思うのは私だけではないでしょう。

トップダウンでしか政策を考えないのは1つのインタレストを実現することにしかならないというイェルヌッドとネウストプニーの指摘は、ここでも明らかなように思います。
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授業コーパス文字化最終版バージョン0.0

2007-02-04 15:20:16 | research
科研の授業コーパス文字化規則は最終版としてバージョン0.0を作成し、メンバーに送りました。授業の文字化は、Jeffersonなどをモデルとした二人会話の文字化規則とちがい、最低限、以下の点を表現する必要があります。

(1)5名から20名ほどの多人数の話者の発話の相互作用を記述できること。
 何人の発話者が居ても二人会話のように文字化をしていく方法もありますが、参加者の発話権の偏りがある場合には、中核的な会話、周辺的な会話、集団的な発話など発話権をクロスしていく相互作用を記述することで授業の実態に近づくと思われます。

(2)参加者の非言語的な反応が記述できること。
 教授者も学習者も、授業の中で、つねに発話を求められるわけではなく、非言語的な応答や反応によってメッセージを伝えたり、相手の感情や理解をモニターしたりします。もちろん、日本語教育のように言語による伝達に制約が大きい場合には、非言語的な手段による伝達も重要なことは言うまでもありません。

(3)感情を伴った相互作用を記述できること。
 対面かつ多人数が参加する授業において、個人の内面的な心理は別にしても、学習の多くでは、驚き、喜び、羞恥、戸惑いなどさまざまな感情とともにメッセージの伝達が起きていると思われます。感情の相互作用の中で、メッセージやインプットはより伝わりやすくなるわけです。

(4)授業は多面的であり、多様な視点での理解が可能である。
 研究者によって必要な情報は異なるわけで、固定した文字化システムではなく、研究者が必要なものを追加できるようなオープンなシステムが必要になる。

以上の授業の主な相互作用の特徴を記述するために、CHILDESを参考に、授業コーパス文字化の枠組を次のように決定する。
(1)参加者を横列に並べて、参加者の発話を各列に記述する。
(2)発話の行には、発話とともに発話情報(イントネーション、スピード、強勢など)を書けるようにする。
(3)発話の行のすぐ下に付加情報の独立した行を設けて、発話相手(address)、非言語行動、説明などが記述できるようにする。
(4)上記の発話情報と付加情報の行には研究者によって新たな記号を追加することが出来るものとする。

なお、最後まで決まっていなかった発話の行の単位としては、宇佐美(2005)の「発話文」を採用する。ただし、発話文は、Ford and Thompson (1996)のComplex Transition Relevant Placeの定義を用いて、統語論的完成、イントネーション的完成、語用論的完成のいずれかによって周囲と区別される意味のまとまりとする。

以上のようなものになりました。皆さんのご意見をお待ちしています。
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