先週の土曜日(12/11)は言語管理研究会を千葉大で行った。
今回は、国立民俗学博物館外来研究員の金美善氏に「在日コリアンの言語からみた日本の移民言語環境」というタイトルで講演をしてもらった。いわゆるオールドカマー1世を中心に、かれらのエスノグラフィックな言語環境の紹介から、接触コードの混交や切り替えの実例、そして在日コリアンの言語をethnolectとして日本語の言語共同体の中に位置づけてはどうかという提案が、1時間ほどの話のなかで展開された。
1世の言語を不完全で中途半端な言語と見なすのではなく(本人たちがそう思い込んでいたりする)、ethnolectとして、日本語の中に位置づけること、ただし、標準語>方言>ethnolectという縦並びの関係があることもその概念には含まれていることにも注意する、というあたり、大学院生と読んでいるグローバリゼーションの社会言語学の本と見方が一致しているのが面白い。とかく多文化共生というと、水平的な方向に、対等関係として描かれる社会が、ここでは垂直的な、権力的な関係が指摘される。1世の言語を含めた言語共同体内のレパートリーに対する価値付けによって序列を形成されているということなのだろう。
接触場面の変容ということで言えば、韓流と韓日ワールドカップ以降、日本人の韓国イメージはぐっとあがっているわけだが、その恩恵はニューカマーは受けていても、オールドカマーの1世には届かない。ただ、彼らの家族の嫁や孫がしょっちゅう韓国に行くようになってしまい、世話をしてくれないというだけだ。1世が自分の言語を再評価したりできるような影響までは届いていない。要するに、1世の日本語がなまっていると在日と呼ばれてしまうが、ペ・ヨンジュンがなまると「ステキ~」となるわけだ。
刺激的な2時間、ありがとうございました。
今回は、国立民俗学博物館外来研究員の金美善氏に「在日コリアンの言語からみた日本の移民言語環境」というタイトルで講演をしてもらった。いわゆるオールドカマー1世を中心に、かれらのエスノグラフィックな言語環境の紹介から、接触コードの混交や切り替えの実例、そして在日コリアンの言語をethnolectとして日本語の言語共同体の中に位置づけてはどうかという提案が、1時間ほどの話のなかで展開された。
1世の言語を不完全で中途半端な言語と見なすのではなく(本人たちがそう思い込んでいたりする)、ethnolectとして、日本語の中に位置づけること、ただし、標準語>方言>ethnolectという縦並びの関係があることもその概念には含まれていることにも注意する、というあたり、大学院生と読んでいるグローバリゼーションの社会言語学の本と見方が一致しているのが面白い。とかく多文化共生というと、水平的な方向に、対等関係として描かれる社会が、ここでは垂直的な、権力的な関係が指摘される。1世の言語を含めた言語共同体内のレパートリーに対する価値付けによって序列を形成されているということなのだろう。
接触場面の変容ということで言えば、韓流と韓日ワールドカップ以降、日本人の韓国イメージはぐっとあがっているわけだが、その恩恵はニューカマーは受けていても、オールドカマーの1世には届かない。ただ、彼らの家族の嫁や孫がしょっちゅう韓国に行くようになってしまい、世話をしてくれないというだけだ。1世が自分の言語を再評価したりできるような影響までは届いていない。要するに、1世の日本語がなまっていると在日と呼ばれてしまうが、ペ・ヨンジュンがなまると「ステキ~」となるわけだ。
刺激的な2時間、ありがとうございました。