フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

第25回言語管理研究会定例研究会開催

2010-12-14 23:43:03 | research
先週の土曜日(12/11)は言語管理研究会を千葉大で行った。

今回は、国立民俗学博物館外来研究員の金美善氏に「在日コリアンの言語からみた日本の移民言語環境」というタイトルで講演をしてもらった。いわゆるオールドカマー1世を中心に、かれらのエスノグラフィックな言語環境の紹介から、接触コードの混交や切り替えの実例、そして在日コリアンの言語をethnolectとして日本語の言語共同体の中に位置づけてはどうかという提案が、1時間ほどの話のなかで展開された。

1世の言語を不完全で中途半端な言語と見なすのではなく(本人たちがそう思い込んでいたりする)、ethnolectとして、日本語の中に位置づけること、ただし、標準語>方言>ethnolectという縦並びの関係があることもその概念には含まれていることにも注意する、というあたり、大学院生と読んでいるグローバリゼーションの社会言語学の本と見方が一致しているのが面白い。とかく多文化共生というと、水平的な方向に、対等関係として描かれる社会が、ここでは垂直的な、権力的な関係が指摘される。1世の言語を含めた言語共同体内のレパートリーに対する価値付けによって序列を形成されているということなのだろう。

接触場面の変容ということで言えば、韓流と韓日ワールドカップ以降、日本人の韓国イメージはぐっとあがっているわけだが、その恩恵はニューカマーは受けていても、オールドカマーの1世には届かない。ただ、彼らの家族の嫁や孫がしょっちゅう韓国に行くようになってしまい、世話をしてくれないというだけだ。1世が自分の言語を再評価したりできるような影響までは届いていない。要するに、1世の日本語がなまっていると在日と呼ばれてしまうが、ペ・ヨンジュンがなまると「ステキ~」となるわけだ。

刺激的な2時間、ありがとうございました。
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月は輝いていた

2010-12-10 23:58:40 | Weblog
そろそろ今年も終わりなので、振り返ったりする。

毎年、新しい歌手を一人か二人発見して新しい気持になるものだけど、今年の白眉は新妻聖子さん。ミュージカルから始まった人だけどそのソプラノの繊細にコントロールされた声の気持ちよさはまさに絶品。帰国子女のお嬢さんというところがいいのかなあ。夏のメルボルンでは1ヶ月毎日何回も聞いて家族に閉口されてしまった。

もう一人、こちらは古くて、ぼくはふつう昔の歌手のCDを買わないのだけど、何の調子か「ふきのとう」の山木康世さんのCDを買ってしまう。昔から、山木さんは歌が下手なのだと思っていて、客観的に言うと確かにそう。しかし、それが味を出す場合もある。「峯上開花」と名付けられたCDの中にはいくつか素朴でいかにも80年前後の風景が思い浮かぶような曲があって、今年のお気に入りになりつつある。らららというあたりに行間の言わないことが込められているようで、ちょっとぐっとくる。山木さんは詩人ですね。

ただ一面氷の真冬の湖に 青白い光の月が 輝いていた
眠りについた町 思い出の眠る町 二人は若かった 身体も心も
ららら・・・あの日の夜空にも 月は輝いていた



今週は大学院満期修了で教職についていた大場さんの博論審査があった。接触場面と内的場面の三者会話の参加の役割について論じたもの。発話の方向や、情報保持者と非保持者など、徹底してエティックなカテゴリーで三者会話の発話を追った詳細な記述は、生半可なプロセス調査にはない迫力がある。なぜ徹底してエティックだったのか、それは本人に聞いてもわからないかもしれないけれど、これで出発地点に立てたとしたら、今度は肩の力を抜いて、言語管理やプロセスに自在に踏み込んで行けるかもしれないと思ったりする。広島からわざわざご苦労様でした。苦労が報われましたね。
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ゼミは生き返ったか?

2010-12-05 12:25:40 | today's seminar
金曜日は大学院の合同ゼミと学部ゼミ。

大学院のほうは、大学祭の中国留学生ブースと韓国留学生ブースを共同調査した内容の報告。

今回は、ブースの外からビデオで、ブースの中からは参与観察で、ブースでの売り買いの様子を観察してみたもの。韓国ブースでは韓国語でお礼を言ったりして韓国っぽさをアピールするのに対して中国ブースは日本語の敬語が意識して対応するところが面白い。日本語でしっかり対応しているのに、お金の支払いで迷ってブースの中で中国語でやりとりが続いたために、日本人のお客が不安になって「これ、how much?」とコードスイッチングしてしまう、なんてことが起きてしまう。

大学院生のほとんどはこうした実際場面の調査が初めてだったらしく、面食らっていたけれど、じつはまさにこれが調査の基本なわけで、少しはこうしたタイプの調査を経験した方がいいのかもしれない。

学部ゼミのほうは、こちらも同僚のM先生との合同ゼミをしはじめて3年目だが、いろいろ工夫して、ようやく研究らしいゼミが出現。学生たちはなかなか分析と言うことがわからない様子だったのが、今回は、先行研究通りに真似させたところで、みちがえる発表が出来たのだ。

データを分析するということの楽しさも感じてくれていたらよいのだけど。そうすると、ゼミも生き返ったと言えるのだが。
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