昨日で今月の授業は終了。今学期の大学院では授業コーパスをつかって教室談話の分析を試みている。まずは基本ということで、Sinclair and CoulthardとMehanの授業モデルをつかってビデオと文字化資料を見ていた。
アプローチは違うが、どちらのモデルもInitiation-Response-Feedback, Initiation-Response-Evaluationと3部発話連鎖があり、2人の教師の授業ビデオを観察していくと、それぞれ、initiationとevaluationとが特徴的なことに気がついた。一方の先生は授業計画がきちんとできあがっている教師でテンポよくinitiationを使ってコミュニケーションを進めていく。ただし、次の次を考えながら発問をしていくので、1つの発問をしている間に次の活動をしている(縄文時代っていつですかと聞きながら、手と目は黒板に貼るためのカードをそろえている、みたいな)。学習者にはわかりやすい授業ということで評判が良いらしい。
もう1人の教師は、initiationのときはむしろ小さな声で目立たないように言うのだが、evaluationのところでは、フィラーなどを使いながらたっぷり時間をとって、学習者が発言できるスペースをつくり出していく。期待していない応答や、学習者の自発的な発話に対しても対応しながら自分の計画にのせていく。この教師の授業では学習者の活発な発話が目立つことになる。あるときには、学習者同士が英語で単語の意味を検討しはじめて、教師が置いてけぼりをくってしまうのだが、しばらくしたところで「わかりませ~ん!」と言ってそのグループのコミュニケーションに入っていき、同時に授業のコントロールを取り戻す、といったストラテジーもごく自然に援用するわけだ。
最初の教師が「開始の達人」と言えるなら、あとの教師は「評価の達人」と言えるのかもしれない。
アプローチは違うが、どちらのモデルもInitiation-Response-Feedback, Initiation-Response-Evaluationと3部発話連鎖があり、2人の教師の授業ビデオを観察していくと、それぞれ、initiationとevaluationとが特徴的なことに気がついた。一方の先生は授業計画がきちんとできあがっている教師でテンポよくinitiationを使ってコミュニケーションを進めていく。ただし、次の次を考えながら発問をしていくので、1つの発問をしている間に次の活動をしている(縄文時代っていつですかと聞きながら、手と目は黒板に貼るためのカードをそろえている、みたいな)。学習者にはわかりやすい授業ということで評判が良いらしい。
もう1人の教師は、initiationのときはむしろ小さな声で目立たないように言うのだが、evaluationのところでは、フィラーなどを使いながらたっぷり時間をとって、学習者が発言できるスペースをつくり出していく。期待していない応答や、学習者の自発的な発話に対しても対応しながら自分の計画にのせていく。この教師の授業では学習者の活発な発話が目立つことになる。あるときには、学習者同士が英語で単語の意味を検討しはじめて、教師が置いてけぼりをくってしまうのだが、しばらくしたところで「わかりませ~ん!」と言ってそのグループのコミュニケーションに入っていき、同時に授業のコントロールを取り戻す、といったストラテジーもごく自然に援用するわけだ。
最初の教師が「開始の達人」と言えるなら、あとの教師は「評価の達人」と言えるのかもしれない。