フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

graduation...

2009-03-24 22:33:17 | Weblog
昨日は学部の卒業式。朝方までの強風がゆるみ、ときおり残党のような風が吹くだけの穏やかな日。先週は娘の小学校の卒業式だったが、今回は送る側。6名のゼミ生の皆さん、ご卒業おめでとう。これからが皆さんの人生です。

今日は家で静かにしていたが、ニッポンッニッポンッと喧しい。もしかして謝恩会で話させられると困ると思いながら考えていたのもこの「ニッポンッ」についてだった。ぼくの世代はたぶんニッポンッよりもニホンをpolitically correctだと考えてきたのだと思うのだが、ニホンはこのところ肩身が狭い。Baseballだけではなく、ニッポンッホーソーキョーカイが全力をかけてニッポンッを喧伝しているのだ。去年はコメンテーター役の記者がニッポンッブンカと発音したので思わず耳を疑いそうになったのだが、とうとうニッポンッは複合語にまでその手を伸ばしたかと暗い気持ちになったものだ。そのうち、わが日本文化学科もニッポンッブンカガッカになりそうだし、ぼくの専門もニッポンッゴキョーイクになってもおかしくない。となりの先生の専門はニッポンッゴガクというわけだ。

卒業生の皆さん、どうですか? ニッポンッブンカガッカになりそうになったらデモでもしません?(笑)

あ、いやいやこれはおめでたい日に失礼をいたしました...
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウリナラガ...

2009-03-13 23:54:21 | Weblog
今日は新入生の入学手続きの日のようで、キャンパスが賑わっている。

図書館で文献探し。じつは千葉大の図書館は図書館員の奮闘にもかかわらず予算がなくひどい状態で、ほとんど行くことがない。検索用のコンピュータも10年も前のヴィンテージ物。何とかネットワーク化は進んだのだけど、それはまるで鉄道などのインフラ整備が出来ないために車の道だけが発達した途上国のようなものだ。あまりに足を向けないので、10年もいるのに、ぼくは図書館で使えるコピーカードを申請することも知らなかった。なんだかんだで何とか文献のコピーを済ます。

さて、今週は後期の入学試験などもあり、その間、時間の隙間を使って昨年7月に2時間勉強したのにすっかり忘れてしまったハングルの再学習をしていた。去年は文字を目で見るだけだったので、今回は書きながら覚える方法を取ったり、ぱらぱらとテキストの別な場所をめくって楽しんだり、日本語や広東語との類似した部分を探したりと、ストラテジーを工夫してみた。単語を覚えようとするのもその1つで、その中に、ウリ(われわれ)、ナラ(国。そうそう、日本の奈良はこの韓国語の「国」が語源だそうですが、ホントかな?)、ガ(格助詞の「が」)といった単語があった。昨日、たまたまニュースを見ていたら、北朝鮮のアナウンサーが衛星打ち上げの話をしていて、一瞬意味が分かった気がしたのだけど、それがこの「ウリナラガ」だった、なんて出来すぎかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在日ベトナム人文献

2009-03-11 23:41:41 | research
ここ数日、在日ベトナム人に関する文献を探したり、目を通したりしている。とりあえず、文献のメモをつけておく。

まず一番印象的なことは、ベトナム人に関する文献は日本語教育学でも社会学でもベトナム難民に関するものがほとんどだということだ。ベトナム難民は1970年代後半から日本政府が受け入れ、さらにその呼び寄せ家族や、二世などで1万人弱が日本に住んでいる。しかし、現在はニューカマーとしてのベトナム人が増加していて、すでにベトナム難民の数をはるかに越えている。

探した中で基本的な知識が得られる文献には次の2つがあった。

*川上,郁雄 (1999) 「越境する家族 : 在日ベトナム人のネットワークと生活戦略」民族學研究 63(4),359-381, (日本民族学会 〔編〕/日本民族学会/日本文化人類学会)

この論文は、文化人類学的なアプローチからベトナム難民家族の適応戦略を個人個人の事例とその背景となる社会的歴史的文脈の中で論じたもの。ベトナム難民の社会的・歴史的文脈について非常に参考になる。ベトナム難民と言っても簡単に1つの集団としてはとらえられないその対立を含んだ多様性が理解できる。また、ベトナム人の移民をディアスポラとしてとらえようとする点は、多言語使用者と通じるかもしれない。

*倉田良樹、津崎克彦、西野史子(2002)「ベトナム人定住者の就労と生活に関する実態調査:調査結果概要」Technical Report, 一橋大学機関レポジトリhttp://hdl.handle.net/10086/14488、
*西野史子、倉田良樹(2002)「日本におけるベトナム人定住者の社会的統合」Technical Report, 一橋大学機関レポジトリhttp://hdl.handle.net/10086/14485

この2論文は社会学の社会的統合の視角から、質問紙調査を試みたもの。最初の論文では関西地区(神戸、姫路)のベトナム難民に対する調査を、次の論文では関東地区(横浜)が対象になっている。神戸では鷹取カソリック教会が舞台になっていて、一度、阪神大震災の後に牧師さんを訪ねてお話を伺ったことがあるので懐かしい。社会的統合とは、EUでは「外国人の社会的な底辺化(marginalization)を防止あるいは阻止する過程」と考えられており、同化や共生とは異なる。このポイントは重要。

他に、以下のような論文が参考になった。
吹原,豊 (2002) 「ライフコースとしての日本語学習:ベトナム人日本語学習者の事例」日本語国際センター紀要 12,1-18,151,157, (国際交流基金日本語国際センタ- 編/国際交流基金日本語国際センタ-/独立行政法人国際交流基金)
福留, 伸子; 増井, 世紀子 (1997) 「インドシナ難民の日本人とのコミュニケーション:国際救援センター退所後1年未満のベトナム人の追跡調査」 筑波大学留学生センター日本語教育論集 (12),171-196, (筑波大学留学生センター非常勤講師,東京国際大学附属日本語学校講師/筑波大学留学生センター)
丹野,勲; 原田,仁文 (2004) 「ベトナム人従業員の仕事・価値観に対する意識調査(1)」国際経営論集 28,145-193, (神奈川大学経営学部出版委員会 編/神奈川大学経営学部/神奈川大学)および(2)
中川,康弘 (2008) 「第3者国環境に住む多言語使用者の調整行動とその規範 : バンコクに滞在するベトナム人女性の事例から」 神田外語大学紀要(20),185-206

まだまだ勉強中なのでえらそうなことは言えないが、やはり最後の中川(2008)を例外としながらも、ベトナム人は1つの方向からしか見られていない、つまり、最初から枠がはめられている。そこが問題なわけだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言語管理研究会第3回年次研究発表会そのほか

2009-03-08 23:45:03 | research
一昨日、金曜日。一日中雨。今年度の大学院プロジェクト報告書『多文化接触場面の言語行動と言語管理』が刷り上がる。クリーム色の上品な表紙にみんなうれしくなる。これで接触場面と言語管理シリーズは7冊目である。

昨日は奇跡的に晴天。しかしおかげで花粉が飛びかう。
年次研究会の第3回を神田外語大で開催する。5名の個人発表、そしてワークショップで4時間あまりの長丁場となる。

(発表者の皆様、そしてワークショップのためにフォローアップ・インタビューの限界と可能性を実験し、まとめてくれた院生の皆さん、ご苦労様でした。かなり密度の濃い発表会になったと思います。)

ぼくらにとって重要なことは、思念やイデオロギーに舞い上がったり、大きな声を出すことではなく、あくまでも事実の追求によって思考を磨くこと、その磨いていく思考によって世界を描いていくことなのだと思う。事実は聞き返しの中にも、不一致の中にも、あるいは小さな他称詞にもあり、またネットワークの中にもあるもので、思いこみや先行研究の理解をなんとか突き破って、事実をとらえようとするところに研究の意味があるだろう。

今日、日曜日は朝鮮族のコードスイッチングに関する共著論文の修正が完了した。言語政策学会の学会誌の次号に掲載予定。こちらも実際の会話データは取れていないので研究道半ばだけれど、多言語使用の管理について多くのことを学んだと思う。ご興味のある方はぜひ手に取ってみてください。たぶん5月頃に手元に届くはず。

午後から娘の楽譜を買いに楽器店に行くと、ヤマハの小さな中古グランドピアノが99万で売っていて、試弾させてもらう。来週の土日は10パーセント引きですよ、5年の中古で、とてもしっかりしています、なんて言われて心が動きそうになるけど、あぶないあぶない。いそいで店を出て、庶民の味方マクドナルドで心を落ち着かせた(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日録2:中国からの日本語教師のための研修

2009-03-04 23:48:34 | Weblog
今日もどんよりと雨模様の天気。

午後3時から、教育学部の先生に頼まれて中国の地方から研修でやってきた日本語教師の9名の皆さんに3時間、講義をする。日本人たちならかならず教室の後ろのほうに陣取るけれど、彼らは一番前から座ってくれる。そこから距離の近さができる。

教師と言っても80年前後の生まれの人たちなので、ぼくには学生のように見える人もいる。それから漢民族だけでなく、モンゴル、朝鮮族などの人もいる。おそらく日本に来たのは初めてなのだろうと思うけれど、日本語はたいへん良くできる。すばらしい。依頼と断りの会話を作ってもらってもほとんどおかしいところもないくらいで、感心する。

講義は、日本語教育にもさまざまな可能性があることを、世界の日本語教育(とくにオーストラリアの例)の話から始めて、コミュニケーション問題に対する言語教育の3つのパースペクティブ、言語機能、コミュニケーション能力、そして接触場面について紹介するという流れ。しかし、途中かなりゆっくりすすめたので、接触場面の話は最後の15分ぐらいしかできなかった。最後に記念写真をいっしょに撮って終了。

ほとんど役に立たない話だったと思うが、日本語教育といっても「みんなの日本語」だけではなく、いろいろあるんだと思ってくれたら成功と思いたい。感想を聞きたいもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする