フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

科研報告書作成メモ、あるいは右往左往

2008-04-28 23:38:28 | research
今日は自宅で科研報告書を少し触わる。

文字化も出来なかったデータの中にインドでの日本語授業の録画ファイルがあって、その基本情報などを整理。その大学はタゴールが建てた有名なところで、ホームページで情報を確認したりしていたが、映像ではいつ見ても学生達の服(サリーも含めて)の色がきれいで感心する。早朝のせいか、空気もまだ暑さを感じさせない。これで現在手持ちのファイルについてはファイル名の統一が終了したところ。

午後は車のガソリンを満タンにする。セルフサービスのスタンドで、ホースを持ちながら3度も満タンになったかどうか確認してしまった...。政治の朝令暮改で庶民は右往左往なり。

無理を通すようなトーチ・リレイ。接触場面研究は役に立つだろうか?ぼくの学生たちは右往左往の中で生き残れたろうか?そのことが気にかかっているのだが。
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日本語教育の枠をはずす

2008-04-19 12:01:37 | today's seminar
昨日から、学部の日本語教育方法論、日本語教育方法論演習と多文化接触論演習の合同ゼミが始まりました。

どちらもお隣の国際言語文化学科の学生さんが多く来てくれて華やかでした。合同ゼミというのは過渡的な形態なのですが、異文化接触についての理解を深めるところから日本語教育に進んでもらいたいという積年の思いが少し形になってきたというところです。こうした思いは接触場面研究に基礎をおく日本語教育においては当然の考えで、思いつきでも、偏向的なものでもないのですが、日本語教育の世界でも、また日本語教育を知らない人にとってもまだまだ新奇に思う人もいるようです。

だから、こうした日本語教育や異文化接触については異文化に関心があったり経験をしたことのある学生さんだと、理解は早いのです。彼らは自分の直面した世界を理解したり、考えたり、整理したい気持ちが強いのだと思います。

ゼミはそうした異文化接触の理解から出発します。去年までは「日本語教育」という枠がどうしても嵌められていたし、自分自身も学生さんにそうしたことを知らず知らず強調していたのだと思うのですが、枠を一度はずしてみるとどうなるか見てみたいのです。

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どんなことになるかなあ...

2008-04-16 23:20:09 | Weblog
ようやく時差ぼけも直りました。午前0時ごろに昼のスイッチが入ると寝られなくなることが何回もあって、けっこう長引きましたが、もう大丈夫です。

今日は久しぶりに自転車で大学まで。桜はすでに八重桜の時季ですね。自転車の左右の道端にはタンポポをはじめ、春の花が見えるし、冬の間、茎だけだったアジサイが若い緑の葉をのばしているのも見えます。途中でジャンパーを脱いだほどの陽気です。

さて、今学期はどうなることか。まだあまり準備が出来ていないのですが、基本的なことから始めよう、と思っているところ。たとえば、ミクロを考えるなら、マクロについても考えよう、とか。たとえば、異文化接触の理論について教える前に、異文化接触について経験させよう、とか。

どんなことになるかなあ...
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最後に雑感を

2008-04-07 23:03:57 | I AMSTERDAM
というわけでSociolinguistic Symposium 17もどうにか終わりました。

私は共同発表だったのでスライド操作だけしていればよかったのですが、英語による学会は久しぶりでした。ヨーロッパを中心にさまざまな国から集まった社会言語学者たちがコミュニケーションのツールとして英語を駆使して研究のアイデアを交換しているのを見ると、これからはもう少し外に出てやってみるべきかなと思ったのも事実です。

感心したのは、若い研究者でも研究のフレームワークや理論を大前提にその適用や検証を目指した発表は少なくて、理論的な理解は背景に納めながら、いくつもの概念を駆使して、オリジナルに研究対象に向かっていることでした。簡単に言うと仮説生成タイプの研究となるのですが、要は厳密さや隙のなさよりも柔軟で自由なアプローチのほうが大切だということなのかもしれません。

娘も言っていましたが、それは、日本の学会と比較して、発表の教室では静かに聞かなければならないのは同じだけど重くならない、ということからも見える気がします。聞き手は節度をもって暖かくオリジナルな考えを聞いていますし、発表者は緊張しながらもときどき笑顔や冗談が出てくるんです。

さて、最後に何か写真を載せようと思って探してみました。オランダのきれいな花の写真などもあるのですが、ここではホテル周辺の住宅の写真を紹介します。

ホテルはちょうど空港と街の中心部の中間あたり、かなり場末のところにありました。運河の向こう(つまり中心部に近い)にはオランダの煉瓦造りの3階か4階建てのきれいな住宅が続いています。こちら側はじつは移民の街・労働者の街であって、6階以上のアパートになっています。道行く人も東欧系、アフリカ系、中東系、アジア系、オランダ人の労働者などで、そんな中にホテルも、広東レストランもあるわけです。アムステルダムの繁華街にはじつに雑多な人々が群れて賑わいを作っていますが、周辺では生活があるのみです。じつは繁華な場所からホテルに戻ってくるとほっとしてもいたのです。

それもこれもアムステルダムであり、多言語社会の表層に見える風景なのだと思います。
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大会3日目

2008-04-06 08:15:11 | I AMSTERDAM
この大会は社会言語学の大会としては最大のものになっているそうで、じつに600人以上の発表者が集まったそうです。今日が最終日で、夜遅くまで内容を修正するのに忙しかったのですが、雨の中、タクシーで朝9時に始まるワークショップに出かけました。

language planning, managementのワークショップで6組の発表がありましたが、いわゆる言語政策研究の人が4組で、言語管理については第1部の最初に理論を紹介したNekvapilさん、そして第2部の私とファンの発表だけでした。あとはSpolskyさんのグループというわけです。SpolskyさんはLanguage Managementというタイトルの本を書き上げて出版を前にしているそうで、その宣伝でもあったようです。しかしこのタイトルはじつはいただけないというか、すでに20年前からこちらで使っている理論の名前ですから、納得できないですね。

その他の発表では、ウェールズ語維持委員会の話であったり、リンガフランカと経済の関係であったり、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の言語政策のミクロとマクロであったり(ただし、このウィーン大の2人の発表は面白かった)で、ミクロなディスコースの言語問題という視点はまったくないのです。ウェールズ語やリンガフランカの話を聞いていると、なるほど言語政策研究とは役人の間の研究なのだなと思いました。ある政府のセクターはこう考えていて、他のセクターではべつな方向を向いているといった政府機関の事情通というのがこうした研究の秘訣になっているのです。

40人ほど集まった出席者からの質問は、Nekvapil教授と我々の言語管理の発表に関するものが多く、どちらが魅力的だったかはそれで判断してもよいのかなと思いました。(自画自賛?)

最後の特別講演はLabovで、まる1時間、例の変異理論の枠組による、発音のバリエーションと年代の関係についての具体的な研究発表でした。もう80歳になると言うのに、早口でしかもまだまだデータを収集しての研究をしているのには驚きました。背はその時代の人で低いのですが、太ってもいず、偉ぶるわけでもなく、ただ言語研究に従事する研究者といった風情でした。

すべてが終わり、Nekvapilさんと3人で外に出て、食事をすることにしました。ずっと雨模様だったのに、大会が終わると同時に空が澄み渡りました。Labovの講演について、Nekvapilさんはじつに正直に、In fact, it is very boring, and I am almost sleepingとか言ったので笑ってしまいました。私もすかさず、I was absent for 20 minutesと告白してしまいましたが。

最後にひとつ、付け加えておきたいのは、欧米の社会言語学の世界で言語管理を主張していくためにはMACRO→MICROの方向での議論や研究だけでなく、MICRO→MACRO、つまりミクロな言語問題の研究からマクロな言語政策への方向でも積極的に言及していかなければならないというNekvapilさんの言葉です。これは考えなければならない点だと思います。MICROにだけ言語管理理論を使うと、それは一種の文化適応(acculturation)の理論と区別がつかなくなるというわけです。

みなさんの感覚ではどうでしょうか?
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大会2日目

2008-04-05 22:04:15 | I AMSTERDAM
2日目はじつは発表準備があって2人の発表にしか行けませんでした。一人はモナシュ大のマリオットさんのもの、そしてその後にベルギーの若い学者が第2次大戦前後のレジスタンスに入ったことのある男性のナラティブに見られるシフトについて報告していました。

その後、いったんホテルにもどって、それからアムステルダムで一番高い塔をもつ西教会で行われる晩餐会にでかけました。西教会はじつはアンネ・フランクの隠れ家から目と鼻の先にあります。晩餐会というのでかなりフォーマルなのかと心配していたのですが、どうもそんな感じではないんですね。なかなか始まらないので、まだ開いていたアンネ・フランクの家を訪ねることにしました。

急な階段を登った先に本棚があり、その陰に穴があいていて、そこからが8人のユダヤ人が2年間かくまってもらっていた部屋が続きます。それはいくつかの部屋と階段からなっていて、空間としては意外なほど広いといわなくてはならないのですが、8人が一歩もソトに出ずに過ごす空間という意味では、もちろん広いわけがないのです。8人のうち、生き残ったのはアンネの父、オットーだけでした。しかしアンネも戦争が終わる寸前まで生きていたのです。過去を見なければ未来もないというのがオットーの言葉でした。
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大会1日目

2008-04-04 02:10:17 | I AMSTERDAM
今日から3日間の大会です。午後からアムステルダムの自由大学までトラムに乗って出かけました。自由大学は見たところそれほど立派でも歴史があるわけでもなさそうで、大学の雑な雰囲気が感じられます。

コーヒーブレークでようやくこの学会に誘ってくれたNekvapil教授に出会うことができました。Nekvapilさんと共同でパネルを組織したSpolsky教授とも挨拶が出来ました。Nekvapilさんとはもう3年越しになっている本が6月にでるという話や、6人のパネルで言語管理をやっているのはNekvapilさんと私とファンの発表だけだからがんばろうとか、そんなことを話して別れました。

午後の発表は3人の個人発表を聞きましたが、やはり研究テーマが近いのでわかりやすいし、親近感があります。一人は、デンマーク語とドイツ語のバイリンガルの子供たちの話で、デンマーク語の小学校ではきびしくデンマーク語だけ話すプレッシャーがあり、ドイツ語の小学校ではcode-switchingにあまり厳しくないという違いがあると、子供たちのストラテジーも違ってくる。ドイツ語小学校の子供たちは目に見えるcode-switchingをするけれど、デンマーク語小学校の子供たちは目に見えないcode-switchingをするというのです。そしてそうしたcode-switchingは、転移ではなく、ストラテジーなのだと言いたいんですね。これはじつはほとんど言語管理の内容なのだと思います。

もう1組は、ブリュッセルの企業がどの程度多言語話者を求めているか、他のヨーロッパの都市ではどうかといった話でした。面白かったのは、ベルギーにおける言語意識ですね。ブリュッセルはフランス語とオランダ語を公用語とするところですが、政治的な理由でバイリンガル教育は認められていない。社会レベルではフランス語とオランダ語のバイリンガルは、敵同士というと語弊がありますが、お互いにライバル関係にあるベルギーの2つのコミュニティの両言語を使う人間となって、かなり変な人間と見られてしまうのだそうです。だからこの2つの言語の組み合わせにもう1言語、あるいはもう2言語話せると、それは問題としては見なされなくなる。などなど、多言語使用については実例がいくつも出てきます。

去年から早稲田の宮崎さんが多言語主義ではなく複言語主義でしょうということを言っていましたが、こちらの学会ではmultilingualismという言葉が飛び交っているので、もうしばらく多言語主義でいこうかと思った次第です。
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レセプションに出かける

2008-04-02 23:54:28 | I AMSTERDAM
2日はいよいよSS17 (Sociolinguistic Symposium)の登録、そして夕方からレセプションでした。登録とレセプションは場所が違うこともあって、市民ホール(Stadthuis)で行われたレセプションに出かけました。

ステージのあるホールで行われるのかと思ったらじつは小さな踊り場で飲みのものとスナックを食べながら、立ってわいわいして親交を温める式の会でした。3人の人が短いスピーチをしましたが、最初はアムステルダム市長で、市と社会言語学の関係をしっかりを話していたのには感心しました。市長によるとアムステルダムには174カ国の出身者が住んでおり、小学校に入学する時には40%の子供たちがオランダ語以外の言葉を話しているそうです。最近は多言語主義は強調されず、英語教育に力を入れているけれども、先生たちの英語の発音がやはりオランダ式英語なのが問題、なんて言っていました。オランダ人からそんな問題をいわれてしまったら、ほかの国は何を言えばいいんでしょうね。オーストラリアに移民した人々で最も早く英語にシフトするのはオランダ人なのです。

同じパネルのメンバーも見つからないので早めにレセプションを出て、夏時間でまだまだ明るい街路を歩きましたが、6時でお店はほとんど閉店です。どんどん閉じていくのを眺めて、あーやはりここはヨーロッパだなと思っておりました。
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