フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ソクラテス考2:アゴラとデモ

2007-09-30 20:36:55 | today's focus
小田実の遺作「中流の復興」には刺激的な言葉が散りばめられています。アテネの民主主義の一番の優れたところは、アゴラにあるというのもそうです。アゴラは広場で、その周辺には会議場や裁判所や神の祠などがあるわけです。

イタリア南部を行くと、石畳の広場があって週末は野菜や果物の市が立ち、平日は夕方になると男達が何の用事もないのに広場に立って話し相手を捜している姿が見られますが、きっとあんなイメージなのかな。

アテネでも、アゴラはだれでも自由に意見を表明できる場所だったそうです。意見のある者は朝からアゴラに出かけて、言論の勝負に出かける。小田実によればそれが直接民主主義の始まりというわけです。ソクラテスもアゴラに出かけて、有力な商人や貴族を相手に議論をふっかけていたのだそうです。

アゴラでの言論とは違うけど、そこから発祥した直接民主主義は現在でも存続していて、それがデモなのだと言います。もう日本にはデモなどほとんど生き残っていないのですが、欧米にはこのデモが市民の声を直接伝える手段としてあり、今でも力があるわけです。選挙だけが民主主義ではない。そしてデモは欧米だけのものではなく、香港にも韓国にもオーストラリアにもあり、そしてミヤンマーにもある...

デモは、ある国では週末の楽しいアクティビティであり、ある国では死をかけたプロテストでもあるわけです。



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ソクラテス考その1

2007-09-27 12:12:55 | today's focus
夏休みに「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「饗宴」、「プロタゴラス」(すべてプラトン作、岩波文庫)、それから田中美知太郎「ソクラテス」(岩波新書)、*高津春繁「古典ギリシア」(講談社学術文庫)、それに自宅にあったディオゲネス「ギリシャ哲学者列伝」、アリストテレス「アテナイ人の国制について」などを読んでいましたが、いまだにソクラテスって誰だろうという疑問が解けませんね。

それにプラトンのものを読んでいて、なぜ対話形式なのか、そもそもこの著作はどのような形式で読まれたのか、だれかが声にだしてみんなに聞かせたのか、それともすでに読者層のようなものがあったのか、あるいはプラトンが開いた学校の教科書なのか、なんてこともわからない。

時代背景は、アテネを盟主としたデロス同盟とスパルタがたたかったペロポネソス戦争の敗戦後、スパルタの息のかかった30人寡頭政治、それを追い出した後の民主政治復活の頃、まだ市民の間に血なまぐさい大言壮語が耳に残っていた時代ということなのかな。ペロポネソス戦争ではソクラテスも参加して、敗走の憂き目を見ている(しかし、彼は堂々と逃げてきたという)。その戦争の前にはアリストファネスによってソフィストの頭として喜劇の中で批判されていたし、戦争後は、寡頭政治の首領たちと以前に交友を持っていたこと、などもあって、彼自身が言うように、ソクラテスは「アテネのうるさい虻」だった。だから、ソクラテスは告訴されても彼自身ちっとも驚かなかった。彼は半ば時代に殺されたとも言える。

つまり、彼は一風変わった、新主知主義の、人を怒らせるソフィストだった。なぜなら信託を盾にとって、人々の無知を明かしていったから。

ソクラテスの弁明を聞くと、もう彼は400人の市民陪審員の前で彼らが期待する愁嘆場劇をまったく無視して、条理を尽くした開き直りの弁論をしたことがわかる。途中、陪審員が騒ぎ出すのを止めたり、原告の影の人物たちに尋問をしたり、いろんな手を尽くしてはいたけど、ソクラテスは人々を説得して無罪になるなんて一時も期待していなかった。

きっと市民はアゴラの広場でいつもうるさくまとわりついてきた、あのいつものソクラテスだと、なかばうんざりとして聞いていたことだろう。あるいは危険を顧みない道化としてひやひやして見ていたかもしれない。だからそのときはまだ彼はやっぱり一風変わったソフィストに変わりがなかった。

市民の考えが変わったのは、ソクラテスが亡命もせずに、毒杯を仰いで悠々と死んでいった後のことだ。毒杯を仰ぐまでのことは「クリトン」に書かれている。彼はアテネの市民として国の法を守ることを正しいことと主張したのだ。そんな徳を示す人間はどこにもいなかった。道化は堂々として死んでいった。

さてソクラテスはなぜそんな死に方をしたのか?
そもそもソクラテスとは何者だったのか?
なぜソクラテスの顔は、ギリシア彫刻とはあまりに違う団子っ鼻で醜いのか?
疑問はいつまでも消えない。

(*コメントいただき、訂正しました)
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授業コーパス科研研究会

2007-09-24 22:51:30 | research
今日は久しぶりに科研メンバーと研究会をお茶の水で行いました。

来週末は京都の龍谷大学でパネルディスカッションをするため、その発表内容についての検討をしました。私はオブザーバーとなったので、好き勝手なコメントをしていましたが、来週まで発表者は大変です。今回は今流行の「共同構築」という言葉をもっと広く解釈して、記述的な研究のアプローチと結びつけるとどうなるかといった内容になります。どうぞ関心のある方は10月7日に会場に足を運んで下さい。

授業コーパス科研も最後の4年目です。あとはまとめに入ること、そしてメンバーを中心に教室研究の入門書が作れるといいなあとみんなで話し合っています。99年に売れない教室談話についての本を出版してから、少しでも実証的な授業研究が日本語教育に拡がるようになればと思っていました。その思いは実現しつつある気がします。ほんとに少しずつではありますけど。
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若い世代は会話をどのように構築していくか

2007-09-21 16:02:31 | Weblog
昨日は、私の所属する学部で年1回行われている公開講座で話をしました。今回の講座は3回連続で「日本語の揺れを考えるー若い世代の日本語はどこから来てどこへ行くのか」というテーマで行われていますが、私のお題は「若い世代は会話をどのように構築していくか」というものでした。夜7時から2時間でしたが、26名の熱心な聴講生の方々と楽しい議論のひとときを過ごしました。

4つの学生たちの会話をもとにして、共話的あいづち、会話協力の原則、ポライトネス、という3つの視点から会話データを見てみました。共話的あいづちは圧倒的で、中には共話的に話そうとしすぎたためと思われる「格助詞からの発話開始(e.g.「の、先生の研究室」)」など少々無理な構文が現れていることも指摘しました。

それから「私は...」と自分の話題を交代で話す、いわゆるspeaker's topicも見られました。話し手が自分の話題を話している間、聞き手は上手に共話をしていきます。それが終わると、今度は聞き手が自分の話題を話すわけです。

また、共感や関心を示すポジティブポライトネスのストラテジーが至るところで現れていました。ところが、自分の家族の内情を話した会話では、自分の領域に相手を入れるところで何度もその話をしても良いかを確認するとか、話が終わるところでは聞き手側がわざと共感を示さないようにして話し手の領域に入らなかったかのように見せるなどの興味深いネガティブポライトネスのストラテジーも見られたのです。

たった4つの会話なので結論めいたことは言えないのですが、表層で共話的、共感的な話し手の話題による会話が繰り広げられることと、相手との距離を重視してなかなか自分の領域に入れないし、入ろうとしないこととは、じつは同じことの裏表なのかもしれない、そんな話をさせてもらいました。
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世界の名作図書館29「ロビンソン漂流記・宝島」

2007-09-11 23:57:45 | my library
千葉に戻りましたが、まだ気分は夏休みです。

さて、オーストラリアから帰って翌日は実家に飛んだのですが、本というものはいつまでも出てくるもののようです。まだ小さい段ボール2箱分があるから処分するか持って行くかしなさいと言われて、持ってきた中の1冊が上の本です。

昭和42(1967)年に講談社から出版されたもので、ロビンソン漂流記を久米元一、宝島を阿部知二が訳しています。ちなみに、この全集の監修には志賀直哉、坪田穣治などが入っており、箱の絵は安野光雅が描いています。錚々たる布陣で、このころは子供用の全集がよく企画されていたんですね。

この本がどうして手元にあるのか、自分から希望して買ってもらったのか、それとも買い与えられたのか、今となっては分からないとしかいいようがありません。しかし、小学生時代に何度も繰り返して読んだのはおそらくこの一冊だったような気がします。それも読んだのはロビンソン漂流記であって、宝島ではないんですね。

ロビンソン漂流記は承知の通り、デフォーが1719年に発表したもので、そんな時代の本がなぜ現在もなお面白く読めるのか不思議です。それでも同じデフォーの「ペスト年代記」などもものすごい迫力で今でも読めますから、デフォーのリアリズムの眼はとにかくすごいのだと思います。時代は少し下りますがどこかでスペインの画家ゴヤの眼とも通底しているかもしれません。

ロビンソン漂流記は、1人で孤島の中でいろいろな工夫をして自分の王国を作っていくような様があって、私の好みに合っていたのでしょうね。夢の世界にいながら、その世界では妙に現実的、というのがロビンソン漂流記の特徴のような気がします。
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