フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

雨の日は美術館めぐり

2008-03-31 18:13:53 | I AMSTERDAM
前日の晩ご飯はホテルで紹介された近くの中華レストランに行きましたが、メニューをみるとどうも香港風です。支配人のおじさんと息子さん(?)がすぐに広東語にスイッチして別メニューを準備してくれました。30年前に香港の元朗から移民できた人で、息子さんはアムステルダム生まれだそうです。つれあいの話では、単語が少し足りないけど、ちゃんと広東語を話せるそうです。思わぬところで、移民第1世代と第2世代の多言語話者にであったわけです。

30日は一転、雨模様で一日中降ったり止んだりです。

そんなわけで、同じトラム2の沿線にあるゴッホ美術館と国立博物館を訪問しました。

ゴッホ美術館は、ゴッホの弟テオが使命としたビンセントの絵を広める仕事を引き継いだ、奥さんと息子によって永久期間アムステルダム市に貸し出されている絵をもとに建てられたもので、多くのすばらしい作品が展示されていました。ゴッホの説明を見ると、色の実験という面が強調されていて、そういうふうに見れば確かにじつに鮮やかな色の対照を作り出していることがわかります。売店でもゴッホの黄色や青を使ったカサやスカーフを売っています。しかし、ゴッホ以後の印象派から現在のCMまで広がる色の実験に目を汚されている人間から見ると、ゴッホにはむしろ構成の強さを感じてしまいます。

国立博物館は言わずとしれたレンブラントとフェルメールです。とにかく「夜警」が巨大。ここにあるレンブラントはどちらかというとオランダの国宝としてのレンブラントが多い気がします。卓越した絵の技術とか、アムステルダムを称揚するような絵が多いのです。むかしプラド美術館で見たレンブラントには、ゴヤの友人のような絵が結構あったんですけど。

なんかすごい絵ばかり見て視覚が飽和してしまったので、ちょっと息抜きにビンセント・ヴァン・ゴッホを娘と一緒になんて言い換えられるか考えていました。で、出てきたのが「えびせんとばんごっはん」。声に出して言ってみると笑えます。

発表の話は、トップダウン・アプローチをとる言語政策と、ボトムアップ・アプローチで当事者の問題から出発する言語管理とのかかわりを多言語使用者の事例から考察するというものになります。

マクロな言語政策では外国人居住者は、ある言語の母語話者として見なされるか、日本語の非母語話者として見なされるか、のどちらかしかなく、政策立案もまたある言語の母語話者に対する言語サービスか、日本語支援と生活支援しかないというところが議論の出発点です。

昨年から発表を始めている多言語使用者の事例には、そのどちらでもない外国人居住者がじつは少なくないというところに、マクロな政策との矛盾が見えてくるのだと思います。そして現在すすめられつつある「多文化共生」のスローガンもまた、こうしたトップダウンの政策的な前提から一歩も踏み出していない、ということも言えるのかもしれません。


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Amsterdam到着

2008-03-30 14:44:44 | I AMSTERDAM
28日夕方、アムステルダムに到着しました。来週開かれる社会言語学の学会に共同発表者として参加するため、少々早く成田を発ちました。アムテルダムはまだ肌寒いのですが冬は終わったようです。ようやく木々に淡い緑が見え始め、春の到来を準備しているといったところでしょうか。

着いた日の夜は雨でしたが、29日は晴れ上がったので土地勘を作るために朝から中央駅までトラムで出かけ、午前は運河のクルーズ、午後は町の散策で過ごしました。オランダは九州と同じくらいの広さですが、人口は1600万人もいて、町中は土曜日ということもあって人でごった返しているのには驚きました。イースターでもあって、観光客も少なくないようです。それでも狭い道に西欧人が新宿や渋谷以上に密集しているのは変な感じです。問題なのは、オランダ人は背が高い人が多くて前が見通せないことですよ(笑)。私自身はこれまでどこへ行ってもそんなことを感じたことはなかったんですけど。

会議では日本における多言語使用者について発表することにしていますが、アムステルダムのようにどんな人間も昔からいる社会で、どのように話を進めれば理解してもらえるか、そのことを見つけたいと思います。
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卒業式あれこれ

2008-03-25 23:17:12 | Weblog
大学では昨日の雨模様の中、学部の卒業式が、そして今日はうららかな春の日射しの中で大学院の卒業式がありました。キャンパスの桜並木を見上げると、花びらが1つ2つとほころびはじめています。

卒業式には、まあ学生だけでなく、先生のほうにもさまざまな記憶や感情が湧いてくるものですが、今年も例外ではありません。私が卒業論文の指導をしたのは二人で、二人とも中国からの留学生でしたが、いまはすぐに帰国せず、一人は東京で働き、一人は大学院に進みます。

そして、大学院では私の同僚の指導を受けていた韓国人の学生さんが卒業ということで、昨年結婚した相手のご主人をつれて研究室を訪ねてくれました。背の高い落ち着いた感じの人でしたが、私も入れてもらって記念写真をとりました。別れ際に同僚の先生と学生さんが韓国語に切り替えてしばし語らったすがたは、春の別れの景色として何か切なく美しいものをみていたのだと思います。

そういえば私も2年勤めた留学生委員長を卒業です。今日は引き継ぎもして、こちらも少しだけ寂しい気がします。

卒業と云えば、蓮池さんが32年ぶりに卒業したのですね。私より何年か先輩にあたるわけですけど、でもほとんど同世代だったのだと思いました。32年ぶりというとものすごい時間の印象があるけれど、じつはほんの少しの昔なのかもしれないとも思ったのでした。
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昔の留学、最近の留学

2008-03-22 23:08:42 | old stories
3月に湖南大の先生をお招きして開いていた会議で少し留学ということについて考える機会がありました。現在の短期留学と私のときの交換留学とは、ともに留学が体験型であるという意味で、学位を取ろうとする留学とは区別されて、価値付与型留学と名付けられるものです。異文化の環境との接触、その土地の人とのパーソナルな接触が中心であって、学位を取ろうとして制度の中に入っていく社会との接触はあまりないのが特徴だろうと思います。

私自身は英語がうまくなったわけでも新たな知見を身につけてきたわけでもなかったし、さらにはカルチャーショックなども受けなかったんですね。しかし、1年アメリカにいて、何か自分の芯のようなものが出来た気はしたのです。それは小さくて微かな感覚だったけど、その後少しずつ確かなものになっていったのですね。つまり、たいした異文化体験をしたわけでもないのですが、それでも日本にいるときとは質の異なる接触があって、最近の流行の言葉なら「自分探し」とでも言えそうな変化があったのだと思います(正確に言うと、自分探しばかりやっていた時期から、自分探しをやらないことにした時期への変化で、逆の事態が起こっていたのですけど)。

そこで、最近の留学ですけど、きっと同じような過程を経験している人もいるだろうなとは思っています。ただ、インターネットの普及などにともなう国境の敷居の低さや、海外旅行が当たり前になっている時勢、そして留学そのものが大学産業の重要な商品となっている現在の状況では、おそらく留学しようとする人の気持ちにも、また留学生活にも、何らかの影響があるのだろうとも思うわけです。

それがどんな影響かはわからないのですが、短期留学が国際交流・異文化接触を促進する目的で実施されているにもかかわらず、短期留学生にどうやって異文化接触を経験させてあげればよいかを議論しなければならないとしたら、一概に良い影響だけとは言えない、とも思ってしまいます。
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湖南大教授張先生の来訪

2008-03-15 18:30:01 | Weblog
今週は10日(月)から湖南大学外国語学院日本語科の張佩霞先生がいらして講演や会議を開いています。これは私が代表をしている千葉大の協定校との重点的交流プログラム「文化・コミュニケーション理解を促進する言語教育に関する共同研究」の一環で張先生をご招待して行っているものです。今年度が3年目にあたり、最初の年はこのブログでもvisiting Hunan Uniとカテゴリーを作って書いたように私の湖南大訪問から始まっています。

13日(木)には、張先生に研究内容についての講演をお願いしましたが、私が告知するまでもなく湖南出身の留学生の皆さんが集まってくれて、日本人学生も含めて、30人の参加がありました。夜は歓迎会ということでカニづくしの食事、気に入って下さるとよいのですが、いかがだったでしょうね。中国での熱烈歓迎には足下にも及びませんが、精一杯の歓迎をさせていただきました。
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言語管理研究会 第2回 年次研究発表会

2008-03-08 23:58:50 | research
春の陽気の今日は、千葉大で年次研究発表会を開催しました。

3名の発表は3者3様のテーマのおもしろさが目立ちました。高齢者の言語学習、電子メール交換、そして人称詞の管理というものです。研究としてはまだ始まったばかりという印象でしたが、多くのフィードバックがあって研究を推進する力になったのではないでしょうか。

 後半は規範の動態性という問題について東海大の加藤さんにお願いして博論の抜粋を話してもらい、その後、ディスカッションとなりました。規範が流動的であることはすでに昨年も研究会やシンポジウムで何度も指摘されていますが、体系的に規範をまとめたところが評価されるのだと思います。

個人的には規範研究は、場面と結びつけて、そこでの特定の言語現象に対する当事者の解釈と行為の規範を捉えようとするか、それとも特定の相互行為に対する解釈と行為の規範を捉えようとするかの、どちらかでなければならないと思っています。そうしなければ、価値研究と同じように思考の中にしか考察の基盤がなくなってしまう恐れがある。

規範はそれ自体「在る」ものとして扱うわけにはいかず、つねに言語や相互行為「に対する規範」としてあるだけであり、規範を直接に対象とすることが出来ないのです。直接に扱おうとした途端に規範は実体化され、まことしやかなものとなってしまうように思います。

5時過ぎに終了して後かたづけをしたあと、近くのインドカレーのレストランで打ち上げをしました。上智ーモナシュ卒の3人の新しい仲間が来てくれて、研究会にもちょっと都会派の風が吹いていました。

参加下さった皆様、ありがとうございました。
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最後の授業コーパス科研研究会

2008-03-04 23:50:31 | research
今日はお茶の水の東京医科歯科大の教室をお借りして朝から最後の研究会をしました。いよいよ最終年の3月ということで報告書作成の準備をしています。ちょっと遅れていますが、報告書自体の提出は5月なので、こんな時期にまだ相談をしたりしています。

いろいろやらなければならないことがありますが、何と言ってもコーパス授業文字化のチェックが一番大変な作業になりそうです。やはりここでミスを最小限にすることが研究の成否になるので最後の最後まで時間を使うしかないのだと思います。

あと、もう1つのことは科研のタイトルにある「共同構築的情報インデックス」を付したコーパスという場合、このインデックスをどのように解釈するかということで、科研を立ち上げたときの最初の問題がまだ解決できていないのです。ぼくはじつはさまざまな非言語情報、周辺言語情報を入れた今回の文字化規則自体がそうしたインデックスの候補になっていると考えるようになっていますが、本来は無標であるそうした情報が、あるコミュニケーション行為の際にインデックス化するのだと思います。つまり、ある行為の機能、含意と、それをその場面・文脈で指し示している特徴とを関連づけることが必要になるわけです。さて、そのことをうまく表現できるでしょうか?

お昼は聖橋からニコライ堂を見ながら神田町を下っていく途中にあるドイツ料理のレストランでいただき、ドイツビールで気勢をあげました。それにしても4年の研究です。研究はいくら時間があっても足りないのですが、人間にはいろんなことが起きてもおかしくない期間です。1人はハンガリー、ドイツから帰国しましたし、1人は常勤の先生になりました。そしてもう一人は4月から新しい職を得ています。そうそう、ずっと事務局をしてくれた大場さんも広島で職を得ています。私だけあまり代わり映えしないのかもしれません(笑)。

とって返して千葉大でようやくプロジェクト報告書を印刷会社に出しました。何とか8日の言語管理研究会年次研究発表会に間に合いそうです。
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