フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

贈与論

2005-08-16 16:25:05 | today's focus
久しぶりに分野外の本を読んでいますが、もう25年も前に出版された『中世の風景』(中公新書)もその中の2冊(上・下)。私の学生時代に確か買った気がするのですが、成田空港で購入してしまいました。25年前の論客(網野善彦、阿部謹也という気鋭に対して既存の伝統のしがらみが抜けない樺山紘一、石井進という顔合わせ)の日本とヨーロッパの中世を比較して問題点を探していくとても刺激的な書です。25年の間に彼らの語られた事柄がすでに常識としなっているのかどうかなのか私にはわかりませんが、興味深かった論点の1つに贈与論があります。

阿部氏がモースの贈与論から中世の転換期を語っていて、中世前期までのヨーロッパ(特にゲルマン世界)では、交流も経済もギフトによるものが中心だったのに対して後期からは貨幣経済が中心になっていったとあります。

ここからいろいろ想像をかき立てられることがありそうです。現代はもちろん貨幣経済による社会なわけですが、贈与の慣習や観念が微妙にその経済生活に影響を落としているし、その影響のありかたは社会によって違うように思います。

たとえば、中国人についての調査などをすると、贈り物がとても多いし、レストランなどでもだれがお金を払うかでものすごいタクティクスを使うわけです。日本でもお中元、お歳暮、そして賄賂など多くの贈与習慣が見られます。ただし、こうした贈与のコミュニケーションを見てみると、どうしても貨幣経済に対するリアクションとして贈与の何を強調するかに関する焦点がちがってくるようです。

日本では贈与であることをことさらに強調することで、貨幣経済とはべつなことを示そうとしているように思います。過剰な包装はその例でしょうか。それに対して、中国などでは贈与であることを隠すようにして、貨幣経済との対照をしないようにしているようです。連れ合いによると、香港人がお土産をデパートで買ってもその包装を取って裸のまま、まるで自分の家にあったものを持ってきたかのように示そうとすることがあるそうです。
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